登録リスト(該当:199件)

写真タイトル説明登録日
1マンホール:山ノ内町マンホール:山ノ内町2006/05/04の記録。 山ノ内町の湯田中駅前温泉かえでの前辺りで撮りました。 マンホール蓋に描かれているのは町の花リンゴの実、町の鳥ウグイス、町の木ツガ、町章とのこと。志賀高原の山麓に広がる山ノ内町は温泉資源にも恵まれ、さらには志賀高原が長野オリンピックのアルペン競技の会場にもなりました。旧駅舎に掲げられたオリンピックのポスターもメモリアルなものです。 参考資料:下高井郡山ノ内町のマンホール http://usagigasi1f2.starfree.jp/nagano/yamanoutimati/yamanoutimati.html2024-02-24
2信州上田学2023/地域キュレーションVol.2信州上田学2023/地域キュレーションVol.2長野大学講義科目「信州上田学」(2023年度後期)を受講した学生たち(主に新入生が対象、3学部横断)の「地域キュレーション」(地域を探究しアウトプットする学び)のアウトカム集です。講義内容は「信州上田学2023①~④地域キュレーション」をご参照ください。 「学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)」それぞれのマイテーマにリンクしています。[ Vol.1 | Vol.2 ]
 No. ニックネーム/探究テーマ    探究のねらい
  1. よう/地域交通と産業のつながり
    交通インフラと産業は密接に関連していると考えたから。産業の発展には
2024-02-16
3信州上田学2023/地域キュレーションVol.1信州上田学2023/地域キュレーションVol.1長野大学講義科目「信州上田学」(2023年度後期)を受講した学生たち(主に新入生が対象、3学部横断)の「地域キュレーション」(地域を探究しアウトプットする学び)のアウトカム集です。講義内容は「信州上田学2023①~④地域キュレーション」をご参照ください。 「学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)」それぞれのマイテーマにリンクしています。[ Vol.1 | Vol.2 ]
 No. ニックネーム/探究テーマ    探究のねらい
  1. こぶた/別所を盛り上げるには
    サークルの関係で別所に行く機会が多々あるが、別所の魅力にまだ自分自身
2024-02-16
4マンホール:小川村マンホール:小川村2008/03/16の記録。 長野県上水内郡小川村のマンホールです。絵柄は村営施設「星と緑のロマン館」です。汽車の絵柄は銀河鉄道のイメージでしょうか。 参考資料:上水内郡小川村のマンホール http://usagigasi1f2.starfree.jp/nagano/ogawa/ogawa.html  信州小川村・星と緑のロマン館 https://www.ogawaromankan.net/2024-02-11
5マンホール:旧中条村(長野市)マンホール:旧中条村(長野市)2008/03/16の記録。 長野県上水内郡中条村のマンホールです。中条村は隣の信州新町と共に2010年、長野市に編入されました。 マンホール蓋には中央に村の木ケヤキ、周りに村の花ウメがあしらわれています。 参考資料:長野市のマンホール http://usagigasi1f2.starfree.jp/nagano/naganosi/naganosi.html2024-02-11
6マンホール:小谷村マンホール:小谷村2008/03/16の記録。 長野県小谷(おたり)村のマンホールです。この日、小谷小学校を会場に開催された「子ども農山村シンポジウム」に参加するため小谷村を訪れました。 「汚水」や「おすい」でなく「下水道」と表記されている汚水マンホールはめずらしい。村の花おおやまざくらがあしらわれています。小谷村は北アルプスの裾野に広がる自然豊かな地域です。 参考資料:小谷村のマンホール http://usagigasi1f2.starfree.jp/nagano/otarimura/otarimura.html2024-02-11
7マンホール:前橋市マンホール:前橋市2008/03/15の記録。 前橋市のマンホールです。前橋駅前で撮影しました。前橋市は群馬県の県庁所在地ながら、高崎駅が新幹線の駅となっており、高崎からは上毛線で前橋駅に移動します。ご覧のとおり前橋駅前は県庁所在地とは思えないぐらいにこじんまりとしています。 マンホールの絵柄には、市の花バラをあしらっています。 参考資料:前橋市のマンホール http://usagigasi1f2.starfree.jp/gunnma/maebasi/maebasi.html2024-02-11
8マンホール:高崎市マンホール:高崎市2008/03/15の記録。 JR高崎駅前にあったマンホール。 1つ目は汚水マンホール蓋。中央の模様は高崎市の下水マークとのこと。 2つ目は高崎市市制100周年記念の貼り紙マンホール。高崎市は1900年に市制を施行し2000年に市制100周年を迎えました。隣の前橋市の市制施行年は高崎よりも早い1892年です。 ちょうどこの時はJR高崎駅東口駅前にヤマダデンキLAB1が建設中でした。 参考資料:高崎市のマンホール http://usagigasi1f2.starfree.jp/gunnma/takasaki/takasaki.html2024-02-11
9マンホール:戸狩(飯山市)マンホール:戸狩(飯山市)2008/05/17の記録。 飯山市の戸狩で見かけたマンホール。絵柄は愛嬌のあるマスコットに見えます。戸狩温泉スキー場のマスコット、ミミズクの「とが坊」とのこと。市の花ユキツバキがあしらわれています。戸狩は何より自然景観が素晴らしい。 参考:飯山市のマンホール http://usagigasi1f2.starfree.jp/nagano/iiyama/iiyama.html2024-02-07
10前山寺のくるみおはぎ前山寺のくるみおはぎ2008/05/11の記録。 塩田平の名刹・前山寺のくるみおはぎを賞味したいと思い、この日、前山寺を訪れました。通常、予約が必要ですが、幸いこの日は予約なしで入ることができました。前山寺のホームページによると、檀家さんを接待するのに住職さんが手作りしたのが始まりとのこと。精進料理を提供してくれるお寺さんもありますが、前山寺の檀家さんに対する接待文化を一般の私たちも体験できることはこの上ないおもてなし文化です。いわゆる普通のグルメとは違います。美味なものでした。 くるみおはぎの文化は前山寺の環境の中で一際映えたものになります。障子戸のガラス窓越しに見える借景には風情があります。軒先に立つと塩田平が一望できます。「くるみおはぎ」のみでこの文化を語ってはいけません。 参考:前山寺ホームページ2024-02-07
11学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生) 長野大学の地域科目「信州上田学A」2023を受講した学生が「信州上田」を接点として地域キュレーションした地域学習のアウトカムです。タイトルを選ぶとその学生のマイサイトを表示します(2024/02/15更新)。 各キュレーションの「マイテーマ」は次のページからご参照ください。[ Vol.1 | Vol.2 ]
    ▼社会福祉学部学生
  1. いちご/上田の食
  2. しおり/上田の食べ物
  3. な/上田の日本遺産について
  4. るるる/塩田平の文化財
2024-02-05
12プロジェクト研究(長野大学前川ゼミ)2023アウトカムプロジェクト研究(長野大学前川ゼミ)2023アウトカム長野大学企業情報学部前川ゼミ/プロジェクト研究2023成果報告 ▼前川ゼミ2023成果報告 60分 ゼミメンバーの各自が成果を報告しています。(発表順は以下の順と同じ) ▼前川ゼミ・ポートフォリオ(マイサイト) 〔地域デジタルアーカイブ〕 【1】竹中丈二(4年) 地域史料のデジタルアーカイブとその活用 【2】久保山遥(4年) デジタルアーカイブ化と社員日誌 【3】石平飛揚(3年) 紙資料のデジタルアーカイブ化 〔地域づくり支援〕 【4】福田晴紀(4年) メディアの活用と地域づくり 【5】春原百々羽(3年) 地元上塩尻の文化の2024-02-05
13眞田神社眞田神社東虎口櫓門を抜けると眞田神社がある。案内板によると上田城を築いた真田父子を主神とし、民政に尽くした仙石・松平の歴代藩主を祭神とした神社だという。眞田神社には合格祈願に訪れる学生の姿が見られた。日本一の智将といわれた真田幸村は今でも智恵の神様としてあがめられていることがうかがえた。2024-01-25
14信濃国分寺信濃国分寺信濃国分寺本堂は文永12年に起工、万延元年に竣工され、彫刻・絵様は江戸時代末期の特徴が表れている。住宅街の中にあり、訪問した時は人があまりおらず静かな雰囲気だった。思っていたよりも大きく立派で本堂だけでなく周りの石畳や石造からも歴史を感じた。三重塔の前には紅葉が見られ、とても映えていた。上田地域の、雨が少なく太陽が出る気候も国分寺の建設地に選ばれた理由のひとつと考えられる。日本遺産のストーリーにある「太陽」というワードに関連する文化財であると考える。2024-01-25
15上田城の観光ポイント上田城の観光ポイント上田城といえば大河ドラマ「真田丸」の舞台となったことで有名である。上田城はドラマの影響で観光客が増加し上田に大きな経済効果を及ぼした。ほかにも上田市を舞台とした「サマーウォーズ」では上田城の東虎口櫓門が作中でモデルになっており聖地として親しまれている。また上田城周辺ではマンホールに真田六文銭が描かれていた。上田地域の人々にとって上田城や真田はシンボル的存在になっているのではないかと感じた。2024-01-25
16上田城の地形上田城の地形上田城は難攻不落の城といわれた防御力に長けた城だった。南端は千曲川の分流である尼ヶ淵に面しており、上田泥流層が浸食されて作られた崖になっている。実際に見てみると10mほどの崖になっていた。江戸時代は分流が流れていたためより防御力があったと考える。自然地形を巧みに利用した防御機能は、上田城が難攻不落といわれる大きな要因ではないだろうか。2024-01-25
17安楽寺安楽寺三回目の初詣2024-01-25
18別所駅別所駅温泉に行く際に取りました2024-01-25
19国分寺国分寺過去に国分寺へ訪問した際の写真です2024-01-25
20上田城上田城上田城が積雪していました2024-01-25
21富士山の恐ろしさ富士山の恐ろしさ私は静岡県出身で富士山を見て生活していた。富士山は昔から富岳百景などで有名である。世界中からも人気で外国人観光客が多く来て、世界遺産にもなった。しかし、災害が多い今そこで私は富士山の恐ろしい面を調べることにした。恐ろしい面を知り、今後どのように富士山と関わっていくかを考えた。 参考資料 葛飾北斎 画『富岳百景 3編』二,永楽屋東四郎[ほか],天保5-6 [1834-1835] 序. 国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/8942998 富士市「フリー写真素材集」 https://www.city.fuji.shizuoka.jp/page/gazou/fmervo000001dsro.html 山梨県 編『富士山の自然界』,山梨県,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/983213 富士市 富士山の噴火史について https://www.city.fuji.shizuoka.jp/safety/c0107/fmervo000000oxtb.html2024-01-24
22学校水泳における変化学校水泳における変化現在と以前の学校環境、特に水泳に変化があるかを調査する。 西塩田時報にある水泳についての記載で、海に囲まれた国である日本の国民として泳げないのは恥ずかしいとある。ストレートな言い方であるが、日本国民には水泳は必須であることを表現している。ここから水泳が生命に関する重要な運動であることは現在と同じ認識だと思う。 また当時の夏休みの水泳は午前と午後の部に分かれており、なるべく短い時間で寒いと感じたらすぐに泳ぐのをやめることが書かれている。水泳の時間を一時間を制限して管理するのではなく、自己管理を促しているのではないかと思う。自己管理の面では、他にも空腹時に水泳を行わないことや頭まで水につけること等の子供達自身が意識して行うことが記載されている。 以上の記事から、学校水泳は過去でも2024-01-23
23だいぶ遅くのお参りだいぶ遅くのお参り昨日、上田市にある生島樽島神社に行きました。 兄が厄年なので、厄除けのお守りを買いました。2024-01-22
24旧西塩田小学校校舎(さくら国際高校)2013/11/22旧西塩田小学校校舎(さくら国際高校)2013/11/22さくら国際高校 旧西塩田小学校の校舎は、小津安二郎監督の映画『一人息子』(1936年)でも使われた「絵になる風景」です。その校舎が現在もなお残っています。しかもさくら国際高校の現役の校舎です。2023-12-22
25嫁さんが自働車で横付(『西塩田時報』第四号(大正十三年四月一日)一ページ)嫁さんが自働車で横付(『西塩田時報』第四号(大正十三年四月一日)一ページ)工事が完了したことを知らせる記事であると考える。 タイトルが「嫁さんが自働車で横付」であるため、横付が原因で事故や苦情があったのかと思った。しかし、記事の内容をよく読んでみると工事が完了したため通りやすくなったと書かれていると思う。 ・参照資料 『西塩田時報』第四号(大正十三年四月一日)一ページ https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns02_001to020.pdf2023-12-11
26禁酒(『西塩田時報』第一号(大正十二年七月一日)四ページ)禁酒(『西塩田時報』第一号(大正十二年七月一日)四ページ)お酒を飲む人は意気地がなく、飲まなければ元気もなく、だらしがない等お酒を飲むことに対するデメリットや人格について書かれている。それらを提示し禁酒を勧める記事となっている。 科学や医学的な根拠を基に禁酒を勧めるのではなく、第三者から酒飲みの人をみて感じるだらしなさやどうすることもできない呆れ等を根拠に禁酒を勧めている部分が面白いと感じた。 ・参照資料 『西塩田時報』第一号(対象十二年七月一日)四ページ https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns02_001to020.pdf2023-12-11
27別所温泉駅別所温泉駅別所温泉駅は別所温泉にある駅である。1時間に1、2回電車がとまる。レトロな雰囲気の木造を楽しむことが出来る。駅内には応援メッセージや有名人のサインなどがあり別所線が多くの人から愛されていることがわかる。2023-11-27
28チームラボ金沢城光の祭チームラボ金沢城光の祭チームラボ金沢城光の祭(公式サイト) 学会で金沢に滞在し、幸いなことにチームラボのイベントが金沢城で開催されていました。11/11(土)、ついでにイベントを体験してきました。前日の雨から一転し肌寒くも幸い好天に恵まれました。大勢の人々が訪れ賑わっていました。チームラボを見るのは1年前、水戸の偕楽園のイベント以来です。趣向はほぼ同じで会場が異なり、どのように違うのかを比べるのも楽しみでした。このイベント、初見の時には感興があって感動的でしたが、2回目は感動はどうしても薄れます。広い会場だけあって今回は卵がめちゃくちゃ多い。卵の狭間に埋もれそうになります。偕楽園の梅林にしつらえられた光の仕掛けの繊細2023-11-17
29農林水産省 全国ため池百選 塩田平のため池群農林水産省 全国ため池百選 塩田平のため池群 ここに写真を挙げた瓢箪池、男池、女池などは、「塩田平のため池群」という1項目として農林水産省の全国ため池百選に選定されている。No.という表記があるためややこしいが、この番号は「塩田平のため池群」の内部で上田市が独自につけたものだ。「塩田平のため池群」は、全国ため池百選の中ではNo,30が振られている。    塩田平のため池の多くは、17、18世紀の江戸時代に築造されている。しかし、江戸時代以前からため池は存在したようである。それらは残っていないようだ。  写真のようにため池には看板がつけられているが、倒れたり隠れたりしてしまっているものもある。状態の悪い看板は、保全されないため池が江戸時代以前のため池のように廃れていくことを示唆している。 参考 農林水産省のため池百選についてのパンフレッ2023-11-13
30蚕都上田ものがたり~歴史のとびら~蚕都上田ものがたり~歴史のとびら~  今から約百年前、日本は世界の蚕糸王国であり、蚕糸業は外貨獲得の中心産業でした。  この産業において、長野県は日本の蚕糸王国でしたし、上田はその長野県の蚕都でした。 (『蚕都上田ものがたり』前文) 制作・発行 蚕都上田プロジェクト「蚕都上田ものがたり」編さんチーム 発行日 2012年3月30日2023-10-05
31蚕都上田年表蚕都上田年表 歴史を学ぶ楽しさを知っていただく「はじめの一歩」として、「蚕都」の歴史・文化に関わる「年表」をご用意しました。様々な「ものがたり」を紡ぎだす歴史をあなたも発見してみませんか? (年表解説文から編集) 参考資料『上田市誌』他 制作・発行 蚕都上田プロジェクト 発行日 2012年3月30日2023-10-05
32蚕都上田マップ2【上小地域】蚕都上田マップ2【上小地域】「上小(じょうしょう)」は上田小県の略称です。当初の上田市はエリアが小さく「蚕都上田」は「上田小県」を意味していました。「塩尻地区」「塩田地区」「旧丸子町」などが該当します。 小県(ちいさがた)は蚕都上田を支える後背地域であった。千曲川沿岸では養蚕とともに蚕種製造業が発達した。丸子町は岡谷、須坂と並ぶ製糸都市に成長した。 (マップ解説文から編集) 基図『小県郡及上田市地図』(信濃教育会小県上田部会, 1930年) 制作 蚕都上田プロジェクトマップ部会 発行日 2010年3月31日2023-10-05
33蚕都上田マップ1【市街地】蚕都上田マップ1【市街地】 城下町であった上田は北国街道の宿場町でもあった。江戸時代後期以降の蚕種業、製糸業の発達によって市制を施行した上田市(1919年~)は蚕都と呼ばれるようになった。 (マップ解説文から編集) 基図『上田市全図』(上田市役所, 1928年) 制作 蚕都上田プロジェクトマップ部会 発行日 2010年3月31日2023-10-05
34「蚕都上田マップ」長野大学附属図書館に設置「蚕都上田マップ」長野大学附属図書館に設置長野大学附属図書館の地域資料室に「蚕都上田マップ」を設置しました。地図は2種類あります。横1.8m/縦2.8mの巨大マップです。それぞれのPDFマップは下のリンクからも参照できます。 ★市街図(明治~昭和) 1928年(昭和3年)の「上田市全図」に土地利用を色分け蚕糸業スポットをポインティングしました。蚕糸業で栄えた上田の絶頂期の記録です。 ★上小地域(明治~昭和) 日本一の蚕種製造地であった塩尻地区、製糸業で栄えた丸子地区にフォーカスを当てています。 これらのマップは蚕都上田プロジェクト(代表:前川道博)が2010年に作成したものです。当時日本地理学会会長だった斎藤功先生(故人、当時は環境ツーリズ2023-10-04
35東京藝術大学の大学史史料室訪問東京藝術大学の大学史史料室訪問日本の近代音楽は文部省の音楽取調掛に始まります。後に東京音楽学校となり、戦後、東京藝術大学に。日本の音楽教育、音楽文化の源泉と言っても過言ではありません。音楽の記憶・記録がこの大学に詰まっています。7/4、大学史史料室を訪問し、史料室も見せていただき、関係の方々とも情報交換をしました。 アーカイブ系のセクションが未来創造継承センターに再編されたことも知りました。 《「未来」のために「過去」を創造する。》 なんと逆説的なアート的表現でしょう。アーカイブの本質と言ってもよいことです。2023-08-24
36霞ヶ浦のワカサギ不漁霞ヶ浦のワカサギ不漁私にとってはソウルフードでもあるワカサギ干しを地元土浦で久しぶりに買いました。さすがにこの味、懐かしく口に馴染みます。 土浦ピアタウンにある川魚店「出羽屋」で購入。霞ヶ浦産のワカサギはほんのわずかで「秋田産」が売られています。販売個数も「お一人様2個までの販売とさせていただきます。」との但し書きも。その後、スーパーの店頭に並んでいたワカサギ干しも秋田産でした。 ▼霞ヶ浦北浦におけるワカサギ漁獲量の推移(茨城県農林水産部, 2023年) この統計を見るとワカサギ漁獲量が激減し2022年(令和4年)は17トンにまで減少しています。 ワカサギの漁獲量が減った原因ははっきりしていないということです。この統計データを見ると県別では茨城は青森2023-08-15
37長野市若穂のカフェ長野市若穂のカフェ「SACHIYA cafe」 私の地元にあるカフェに行きました。家の近くにできていたのですが、行ったことがなかったので今回行ってみました。 店内は落ち着いた空間でゆったりとした時間を過ごせました。 注文したブルーベリーチーズケーキは、果肉がたくさん入っていてジューシーなチーズケーキでした。 地元の人も気軽に訪れられる落ち着いた空間だと感じます。2023-05-10
38中山道69次資料館中山道69次資料館4/30(日)、軽井沢町追分にある中山道69次資料館を訪れました。上田から軽井沢をつなぐ浅間サンラインはその終点で国道18号線に合流します。中山道69次資料館はその合流点の突き当りにあります。軽井沢に行くたび、その前を通過しながら、これまで資料館を訪れる機会がありませんでした。 ★中山道69次資料館 私設の資料館です。冬期は休館し、ゴールデンウィーク初日の4/29に開館したとのこと。館長さんのこだわりから展示が構成されており、非常に面白いものながら、時間の限りもあってじっくりと見学するというわけにもいきません。 江戸・京都間を結ぶ東海道53次に対して中山道は69次。数が多い。いずれも浮世絵によっても知られています。東海道は広重の作。では中山道は? 英泉の作です。英泉は知り2023-05-01
39佐久のぴんころ地蔵佐久のぴんころ地蔵健康長寿のシンボルとして有名になった佐久のぴんころ地蔵。成田山薬師寺の参道に建立されたのは2003年とのこと。建立から20年ほどしか経過しないことに驚きます。誰もが願う長寿と苦しまないで大往生できることにあやかりたいという人々の心が、ぴんころ地蔵にいざなう誘因になっているものと思います。 <参考サイト> ぴんころ地蔵 (佐久市ホームページ)2023-04-29
40学生による地域キュレーション2022(信州上田学A受講生)学生による地域キュレーション2022(信州上田学A受講生)長野大学の地域科目「信州上田学A」を受講した学生が「信州上田」を接点とした地域キュレーションの学習成果です。タイトルを選ぶとその学生のマイサイトを表示します。 ▼カテゴリ1:蚕都上田 【1】 長野県の中でなぜ上田市が蚕都で有名なのか 【2】 上田の養蚕の歴史を掘り下げ、伝え続けるには。 【3】 蚕都上田の歴史と未来 【4】 製糸業の歴史 【5】 蚕都上田の歴史 【6】 蚕都上田2023-02-10
41養蚕演劇「蚕影様物語」養蚕演劇「蚕影様物語」小説の物語の説明に出てきた養蚕演劇とは、養蚕に関わった人々の暮らしや養蚕の歴史をテーマとした演劇である。それは現在でも公演されており、近いところだと2023年3月に群馬県高崎市で公演がある。これは、明治期に雹害により大きな被害を受けた、群馬県の養蚕農家の惨状を後世に伝える物語だ。 参考サイト:高崎市ホームページ ▼この資料は以下から参照できます。 養蚕演劇「蚕影様物語」 https://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2022120100055/ (2023/02/06閲覧)2023-02-06
42別所温泉駅周辺の聖地別所温泉駅周辺の聖地最後に別所温泉駅周辺のロケ地! 「別所温泉駅」で撮影が行われたり、舞台となった作品は以下の通りです。 ・「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」(1976) ・「ROUND1」(2003) ・「君のままで」(2003) ・「いくつもの、ひとりの朝」(2006) ・「呪われたパワースポット」(2011) ・「シグナル~月曜日のルカ~」(2012) ・「時代屋の女房」(2006) ・「鉄道むすめ~Girls Be ambitious!~ 上田電鉄・別所温泉駅駅長 八木沢まい」(2008) ・「赤い糸の女」(2012) などがあります。 写真は「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」での実際のワンシーンです。上田電鉄 別所線 別所温泉駅とその周辺が映っています。現在は手前の木造の建物は確認できませんでしたが、駅舎はそっくりそのまま残っています。寅さんも上田を訪れていたんですね~。 https://2023-02-01
43sakumo 佐久市子ども未来館sakumo 佐久市子ども未来館岩村田駅から徒歩10分ほど行くとある佐久市子ども未来館は、ただコミュニケーションを取ったり、遊ぶだけではなく1つの遊具でもワンパターンの遊び方ではなく、多種多様な遊び方があり、それを説明ではなく実践から学ぶ事ができ、先人達の知恵や知識を自然と吸収する事が出来る施設ではないかと思います。 参考文献 http://kodomomiraikan.jp/2023-02-01
44安江仙政の名刺安江仙政の名刺明治時代の新竹縣税務官、安江仙政の名刺である。 (新竹縣=台湾の北西部に位置する県) 中村利貞のものと同じ明治時代の名刺であるが、安江氏の名刺の方が印刷技術が上回っているように見える。 文字がはっきりしており、現代の名刺のような美しい文字配置がされている。 印刷技術がかなり違うのは位や環境の違いからだろうか。 佐賀県立図書館データベース- 古文書・古記録・古典籍データベース https://www.sagalibdb.jp/komonjo/detail/?id=493632023-02-01
45うどん屋があげられている!うどん屋があげられている!上田市制70周年記念タイムスリップ手作り城下町という記事があった。 400年前の城下町を再現しようというものだった。写真は、多くの人が訪れている様子がある。 お茶屋、うどん屋、野菜売り。そば屋がいない! http://db.umic.ueda.nagano.jp/data/johogura/datadisp.php?arg_sano=20490582023-02-01
46昆虫体験学習館昆虫体験学習館佐久平パーキングエリア周辺にある昆虫体験学習館は、私が小学校時代に、社会見学の一環として訪れた場所でもあるのですが、この場所に行くだけで日本の昆虫だけでなく世界の昆虫について、知る事ができ実際に観賞する事が出来ます。そして、見るだけでなく触ることやクラフト体験も出来るため、訪れた後も頭の中に記憶として残りやすく、昔から現代までの多様な昆虫を知れる場所です。 参考文献 http://saku-konchuukan.jp/2023-02-01
47鯉のうま煮鯉のうま煮佐久といえば、佐久鯉。ですが、鯉といっても色々な料理のレパートリーがあります。(鯉の塩焼き、鯉丼、あらいなど)その中でも、私は鯉のうま煮(私自身が1番好きな鯉料理なので!笑)を紹介します。鯉の輪切りを、濃い口醤油、酒、砂糖でじっくりと強火でアクを取ながら煮込みます。煮立ったら中火にして落とし蓋をし、みりんを加えて1時間ほど煮汁をかけながら愛情を込めて煮ると、汁があめ状になり照りが出て美味しく仕上がります。食べた瞬間にふわっと広がる甘みと鯉の旨みを同時に味わう事が出来るので、是非皆さんも作ってみてください。 参考文献 http://www.sakukankou.jp/food/saku-carp/2023-02-01
48青木雪卿(あおきせっけい)青木雪卿(あおきせっけい)現在の長野市松代町岩野に生まれる。通称八重八、号を雪卿とした。川中島の更級雄斎 に絵を学んだとされる。松代城の障壁画を描き、多くの肖像画を描いたと伝えられる。 弘化 4 年(1847)に起こった善光寺地震後の被災地を、8代藩主真田幸貫の巡行どお りに描いた『感応公丁未震災後封内巡視図』は、被災地を写実的に描いた彼の代表作であり、災害史の重要な記録である。パノラマ写真のような眺望図や、実景を尊重する極めて 写実的な表現は、写真の影響を想像させるような、新しい表現が見られる。 https://nagano-citypromotion.com/learning/person.html https://www.sonpo.or.jp/report/publish/bousai/yobou_jihou/pdf/ybja_ez/ybja-ez-174.pdf ※図は『感応公丁未震災後封内巡視図』の一部である。2023-02-01
49プロジェクト研究(長野大学前川ゼミ)2022アウトカムプロジェクト研究(長野大学前川ゼミ)2022アウトカム長野大学企業情報学部前川ゼミ/プロジェクト研究2022成果報告 ▼前川ゼミ2022成果報告 47分 ゼミメンバーの各自が成果を報告しています。(発表順は以下の順と同じ) ▼前川ゼミ・ポートフォリオ(マイサイト) 【1】川口将太(4年) 企業のソーシャルメディアを用いたメディア戦略 【2】高山大和(4年) 持続的な地域活性化策~大洗モデル~ 【3】林 亮太(4年) 「海外視聴者向けの日本国内旅行動画」その特徴と活用方法の調査 【4】中澤愛華(4年) 神川小学校における地域学習支援 【5】春原百々羽(2年) 蚕について地元の人が学ぶ理2023-01-30
50真田氏最古の文書は信玄からの書状真田氏最古の文書は信玄からの書状「其の方年来の忠信、祝着に候。然らば本意の上に於て、諏方(訪)方(形)参百貫并ならびに横田遺跡上条、都合千貫の所これを進じ候。恐々謹言。 天文十九庚戌  七月二日 晴信(花押)   真田弾正忠(幸隆)殿」 この文書が効力を持つことになったため、上田の地にかなりの土地を得ることができたわけでありに幸隆の子昌幸が上田城を築くもととなったともみられる文書であり、その意味でも貴重なものであるとされています。 武田信玄は真田一族と深い関わりをもっていることがわかります。 https://museum.umic.jp/sanada/siryo/sandai/020202.html2023-01-30
51別所温泉森林総合センター別所温泉森林総合センター森林公園(別所温泉森林公園)天神岳のふもと、別所温泉から車で10分、赤松と杉の林に囲まれた公園。森林総合センター、山菜料理、バンガロー、キャンプ、林間広場にはテニス場、フィールドアスレチック等ある。 別所温泉森林総合センター http://db.umic.ueda.nagano.jp/johogura/datadisp.php?arg_sano=26910262023-01-29
52愛染桂愛染桂当地方では稀にみる大木のカツラ(雄木)で樹高22m、目通り5.5m、枝張り14m。北向厄除観音の霊木とされている。近年境内にある愛染堂とこのカツラの木を結んで愛染桂といい、若者たちから縁結びの霊木として親しまれている。 川口松太郎の名作「愛染桂」はこの木からヒントを得たという説もある。 引用元 解説愛染桂(市指定天然記念物) http://db.umic.ueda.nagano.jp/johogura/datadisp.php3?arg_sano=6680152023-01-29
53温泉薬師瑠璃殿温泉薬師瑠璃殿本尊薬師如来。北向観音堂の西方の崖の上に建てられた一風変わった建物で「医王尊瑠璃殿」と呼ぶ。建立年代は明らかでないが、資料によれば焼失した後文化6年(1809)に地元湯本薬師講中によって再建されたという。温泉の効能に併せて病気を除き解脱するという深い温泉薬師信仰に由来するものである。「瑠璃殿」という名は、薬師如来を瑠璃光如来とも呼ぶところからとった名である。 引用元 http://db.umic.ueda.nagano.jp/johogura/datadisp.php?arg_sano=6680142023-01-29
54別所温泉石湯別所温泉石湯別所温泉石湯石湯の表には、真田太平記の池波正太郎書「真田幸村公隠しの湯」の碑がたつ。 引用元 http://db.umic.ueda.nagano.jp/data/johogura/datadisp.php?arg_sano=25810612023-01-29
55仙石氏~松平氏 藩主の移り変わり仙石氏~松平氏 藩主の移り変わり仙石氏3代の後に上田藩主を務める松平氏は、上田藩の歴史の中で一番長い7代続くことになる。松平氏で初めて上田藩主を務めたのは松平忠周であるが、彼の時代に上田へ移封されたのだが、同じく但馬国出石(兵庫県)へ移封された仙石氏とは領地を入れ替わる形で上田を収めることとなった。 参考サイト 上田市デジタルアーカイブポータルサイト https://museum.umic.jp/sakuhin/web.html 上田市立博物館 https://museum.umic.jp/hakubutsukan/ueda-castle-history/03/2023-01-29
56初代上田藩主 真田信之初代上田藩主 真田信之真田信之は初代上田藩主を務めた人物であり、上田城を築城した真田昌幸の息子である。信之は徳川家に仕える猛将本田忠勝の娘、小松姫と結婚し、関ヶ原の戦いでは父昌幸、弟幸村とは対立することとなる。その後は上田領を任され、農村の復興と上田城下町の整備に尽力したが、1622年に松代へと移封されることとなる。 参考サイト 上田市デジタルアーカイブポータルサイト https://museum.umic.jp/sakuhin/web.html 上田市博物館 https://museum.umic.jp/hakubutsukan/ueda-castle-history/03/2023-01-28
57くるみ生産量一位の長野が作る信州の銘菓 くるみのハーモニーくるみ生産量一位の長野が作る信州の銘菓 くるみのハーモニー引用元:https://www.usagiya-ueda.com/blog 香ばしいビスケットの中に、ミルクキャラメルを絡めたくるみがたっぷりと詰められた人気のお菓子「くるみのハーモニー」。くるみの生産量全国一位の長野県が生んだこのお菓子は、おいしさが人気の理由なのはもちろんのこと、焼き色よく、サイズ感もかわいらしく、見た目も愛されるひとつの理由になっています。 そのパッケージデザインはいたってシンプルに仕上げられています。 お菓子の第一の特徴であるくるみのイラストが表面に印刷されており、あとは商品名が記載されているのみ。 歴史にゆかりある上田の地らしさがにじみ出たデザインだと感じました。商品の包みが和紙のような質感になっていることもこれを助長しているように見えます。2023-01-27
58お土産の定番! 信濃路うさぎやのくるみそばお土産の定番! 信濃路うさぎやのくるみそば引用元:https://www.usagiya-ueda.com/ 上田お土産の代表格ともいえる、蕎麦粉の皮で餡を包んだ、素朴で美味なお菓子「くるみそば」。 サクッ ホロッとした風味漂う皮部分に上に乗ったたっぷりのくるみ、中に詰められたネットリ食感の飴・餡、上田市民含め多くの人たちに愛され続けています。 この製品のデザインを見ていったとき一に目につくのは、パッケージの背景として描かれた水彩画調の植物の数々でしょう。原料に自然豊かな地だからこそのそばやくるみを使用しているこの製品らしさが表れているように思います。またタイポグラフィーも習字調で歴史ある製品なのだなということを強く感じさせてくれます。2023-01-27
59みすず飴のデザインみすず飴のデザイン画像引用元:https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwiWoaP98-T8AhV1plYBHZdnCXAQjBB6BAgNEAE&url=https%3A%2F%2Fmisuzuame.com%2Fsp%2Fame%2F&usg=AOvVaw1an-aePxECBjNJ0dsY_4LF 上田のお土産というと思い浮かぶものの一つとして、みすず飴が挙げられる。みすず飴のデザインで特徴的なのは文字のフォントである。おなじみのフォントになっているので、誰もが手に取りやすくなっていると思う。今後も、このデザインは継承していくべきだ。また、透明なパッケージにすることで、みすず飴のカラフルさが際立っている。2023-01-26
60常田製糸場常田製糸場【概要】 常田館製糸場は明治33年(1900年)創業の製糸工場である。笠原工業株式会社構内に常田館製糸場に関連する施設15棟が現存しており、そのうち明治から大正時代にかけて建てられた7棟が平成24年に国の重要文化財に指定されている。国内最高層の木造5階建繭倉庫、大正時代末の鉄筋コンクリート5階建倉庫群などは、製糸技術が発達した時代の先人達の工夫と知恵の足跡が歴然と残る貴重な文化遺産である。 【歴史】 嘉永5年(1852)諏訪郡平野村に生まれた笠原房吉(かさはらふさきち)が、明治33年「常田館製糸場」を創業した。以来110年余、製糸業の隆盛と衰退のなかで、製糸工場建物は増築・取り壊し・焼失・改築・移転・用途変更等の紆余曲折を経ながら今日に至っている。 【現在】 笠原工業(株)では施設の一部を一般公開している。 公開2023-01-26
61上田のelaboration 上田の「観光産業」を知ってほしい!!上田のelaboration 上田の「観光産業」を知ってほしい!! キュレーションとは、インターネット上の情報を、特定の視点を持って収集、選別、編集することで新しい価値を持たせ、それを共有することを意味する語である。https://www.hrpro.co.jp/glossary_detail.php?id=99より引用 そこから私は上田のキュレーションとは上田の情報を我々の視点から収集、選別、編集することで価値を持たせ、上田の良さの再発見するということだと定義した。 私の上田のキュレーションは上田の「魅力」「良さ」の再発見であり、私は、それは「観光産業」にあると考えた。私が第一に上田で目を付けた観光産業は「十福の湯」だ。上田にお住まいの人ならば知っている人は知っている上田の名温泉だ。この温泉は信州最大級の大露天風呂を有しており、屋外独立の檜サウナもある。さらに自然豊かなため、温泉浴だけではなく、森林浴2023-01-25
62仙石氏中興の祖 仙石秀久仙石氏中興の祖 仙石秀久上田藩主を務めてはいないが、仙石氏について調べる上で欠かせない人物が秀久である。秀久は織田、豊臣に仕えた後、関ヶ原の戦いでは徳川方に参戦していた。豊臣時代に小諸城主と小諸藩主を務めたが、仙石氏は小諸藩から上田藩に移封されることとなった。秀久は小諸藩時代に死去していたため息子忠政が信之の跡を継ぎ、仙石氏3代による上田統治の時代が始まった。 参考サイト 上田市デジタルアーカイブポータルサイト https://museum.umic.jp/sakuhin/web.html 上田市立博物館 https://museum.umic.jp/hakubutsukan/ueda-castle-history/03/2023-01-25
63温泉薬師瑠璃殿 解説温泉薬師瑠璃殿 解説本尊薬師如来。北向観音堂の西方の崖の上に建てられた一風変わった建物で「医王尊瑠璃殿」と呼ぶ。建立年代は明らかでないが、資料によれば焼失した後文化6年(1809)に地元湯本薬師講中によって再建されたという。温泉の効能に併せて病気を除き解脱するという深い温泉薬師信仰に由来するものである。「瑠璃殿」という名は、薬師如来を瑠璃光如来とも呼ぶところからとった名である。 http://db.umic.ueda.nagano.jp/johogura/datadisp.php?arg_sano=668014より引用2023-01-25
64別所温泉 解説別所温泉 解説塩田平を囲む山なみの西方にそびえる夫神(おがみ)岳のふもとに、この地方の古い歴史とともに、絶えまなく湧き続けて来たのが別所の温泉である。この自然の出湯と人とのかかわりは、夫神岳の麓から古代の布目瓦が多数発掘されたことによっても、その古さが想像される。 国造や国府の所在していた古代から、庶民の安息療養の場所であり、また温泉の効能と医薬信仰が、やがて仏教の霊場としての北向観音堂となったであろう。 別所の温泉は昔から”七久里(ななくり)の湯”と呼ばれたといわれ、平安時代の有名な和歌集にもその名をとどめている。 鎌倉時代には北条氏の居館塩田城にも近いので北条一族の好んで来湯することも多かったと想像される。国宝八角三重塔のある名刹安楽禅寺は北条氏の開基によるところから、別所という地名は2023-01-25
65大湯大湯大湯別所温泉外湯のひとつ。景行天皇の御代、日本武尊の東征の折発見されたと伝えられ、古名七久里の湯、枕草子にも記された信州最古の温泉。大湯は木曽義仲が愛妾葵御前をつれて逗留したと「新・平家物語」に書かれている。 http://db.umic.ueda.nagano.jp/johogura/datadisp.php?arg_sano=3032090より引用2023-01-25
66別所温泉別所温泉別所温泉JR上田駅から電車で25分、バス30分、海抜650メートル静かな高原の湯の里。温泉は54度C単純硫化水素泉で無色透明。宿は20軒、平安貴族の別荘があったところから別所という。 http://db.umic.ueda.nagano.jp/johogura/datadisp.php?arg_sano=2691013より引用2023-01-25
67プロジェクト研究 週ごとの報告集プロジェクト研究 週ごとの報告集2022年度の研究における週ごとの報告をまとめました。 可能な限り、同じ週に投稿した動画も添付しておきます。 0510 5月9日は、それ以前の週で行った研究に際しての動画制作とその公開に関する記事をマイサイトに投稿しました。詳しくはそちらに記入してあります。 また私は16日のゼミには参加できないため、研究テーマのまとめ制作を少しずつ進める予定です。 0613 コメント遅れてすいません。 活動報告はマイサイトの方に投稿済みです。具体的には、動画1本投稿、各チャンネルの傾向をメモ等を行いました。現在は動画を投稿しつつタイトル、字幕、チャンネル名、概要などの英語対応化を進めています。 0620 先週は動画を1本投稿し、今日マイサイトに報告を投稿しました。 https://d-commons.ne2023-01-18
68実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第3回]実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第3回]実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第3回]  皆さんのキュレーション披露会 ★講座「皆さんのキュレーション披露会」129分 。 講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授) コメンテーター:  小平千文(上田小県近現代史研究会会長)  桂木 惠(上田小県近現代史研究会事務局長) 【講座タイムテーブル】 13:00 講座解説(前川道博) 13:30 皆さんのキュレーション披露会、意見交換、Q&A(途中休憩あり) 16:00 終了 16:30 デジタルアーカイブクリエータ認定(希望者対象) 《キュレーション紹介》公開できる成果をリストアップしました
  1. 鈴木さん/諏訪湖のスケート[LINK](下記メディアクリップ収録)
  2. 長沼さん/一代交雑
2023-01-14
69課題発見ゼミ 12月15日 まとめ課題発見ゼミ 12月15日 まとめ12月15日分 調査まとめ   開国後の日本による生糸輸出と上田の関わりについて 上田藩主・松平忠固と生糸輸出 鎖国を解き、開国を果たした日本が世界に進出する際に大きな武器となった生糸の輸出。それに多大な貢献をした人物が松平忠固である。六代目上田藩主、幕府の老中も務めた松平忠固は、日本開国のきっかけとなった日米和親条約の締結に関わりがあった。この開国をきっかけとして、忠固は上田藩の特産品を諸外国に売ることで利益を上げようとしていた。 その中で注目されたのが上田の「生糸」である。雨が少なく乾燥した地域である上田は江戸時代ごろから蚕種業が始まっており、のちに蚕種業の発展に大きな貢献をした「藤本善右衛門」の家系が先駆けだと言われている。忠固は生糸の輸出を行うことを決め、生糸輸出による利益2022-12-15
70蚕糸業の衰退蚕糸業の衰退上の資料から読み取れる通りピーク時日本の主要産業であった日本の蚕糸業は今や細々と続けられているもののみとなってしまった。 そこでその蚕糸業の、主要拠点であった上田市がその後どのような変革、転換を遂げたか調査してみることにした。 参考資料:蚕糸業をめぐる事情 農林水産省 令和4年7月 https://www.maff.go.jp/j/seisan/tokusan/attach/pdf/sannshi-3.pdf2022-11-30
71サントミューゼサントミューゼサントミューゼは平成26年10月2日に開館しました。名前から蚕都上田を感じられる施設です。サントミューゼの「サント」は「蚕都」「太陽(SUN)」そして施設の基本理念の文化を育て、人を育て、まちを育てるという「3」つの育成を目指すという意味を持ちます。「ミューゼ」は「ミュージック」と「ミュージアム」からの造語です。2022-11-27
72旧上田蚕糸専門学校(信州大学繊維学部)旧上田蚕糸専門学校(信州大学繊維学部)旧上田蚕糸専門学校は1910(明治43)年に設立しました。信州大学繊維学部の講堂が登録有形文化財として保存されています。この建物は蚕糸にちなんだ桑・繭・蛾の意匠が内部の各所に付けられていることが特徴です。2022-11-27
73常田館製糸場常田館製糸場常田館製糸場は1900(明治33)年に創業した製糸工場です。現在は所有主の笠原工業株式会社の社用地社屋として営業使用中です。国指定重要文化財となっています。2022-11-27
74旧小県蚕業学校(上田東高校)旧小県蚕業学校(上田東高校)旧小県蚕業学校は1892(明治25)年に設立されました。現在の上田東高校の敷地に移転しました。養蚕教師の養成のために建てられた施設です。全国から生徒が集まっていました。1944(昭和19)年に米軍による爆撃を受けて炎上しました。今でもその痕跡が残っています。2022-11-27
75蚕都上田蚕都上田上田は江戸時代から昭和まで蚕糸業が盛んでした。そのため「蚕都(さんと)」と呼ばれています。現在はほとんど廃れてしまいました。しかし、当時の面影が残る地や施設も多く残っています。2022-11-27
76上田探検 西部地域 道草上田探検 西部地域 道草道草とは丸山邸内部を改装したものであり、植物あふれる豊かな場所になっている。ここの場所は借りることもでき、中で映画鑑賞をしたり、会話を楽しむこともできる。2022-10-31
77上田城 二の丸跡の歴史物④ 眞田神社上田城 二の丸跡の歴史物④ 眞田神社上田城本丸跡に鎮座する当社は、真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。 <引用文> http://sanada-jinja.com/about/ 10月21日15時頃にフィールドワークしました。  上田城跡に鎮座する神社、行った時には人が多くいてお守りなどを買っているなどとても栄えていることがわかりました。歴史的に調べてみると、この神社は城主を御祭神として信仰する歴史があるそうです。ちなみにご利益は「勝負運」「学業成就」などです。2022-10-27
78MICHIQSAMICHIQSAひっそり佇んでました。秘密基地みたいな雰囲気を楽しめて幼い頃に戻った気分になりました。 サボテンが沢山大切に育てられてました。 管理人さんがとても優しかったです。 休日ひっそり過ごしたい人にお勧めです。2022-10-24
79偶然見つけた植物園偶然見つけた植物園丸山邸に向かっていると「MICHIQSA」という植物園を見つけました。歴史を感じる蔵の中には、多種多様なサボテンなどがありました。何もないという印象を持っていた西部地域でしたが、いきなり、その印象を改めさせられました。2022-10-24
80道草道草丸山邸を探していた時にオーナーに声を掛けられ入った植物園。多肉植物がいっぱいありました。蔵の中に海外の多肉植物という一見合わなそうな組み合わせではありますが落ち着ける空間でした。また植物が増えたら見に行きたいと思います。2022-10-24
81丸山邸丸山邸昔ながらを感じさせてくれる丸山邸。 たそがれ清兵衛やるろうに剣心のロケ地にもなりました。 中には「MICHIQSA」という植物などに囲まれながらくつろげるスペースもあり、落ち着いた雰囲気なのでゆっくりしたいときに訪れるのがオススメです。2022-10-22
82MICHIQSAMICHIQSA丸山邸を探索中に声をかけられ、たまたま見つけた植物園MICHIQSA。 サボテンが多く展示されており、他にもマミラリアなどが展示されていた。店内は黒を基調とした落ち着いた雰囲気で、心が清らかな気持ちに自然となった。店主の方も気さくな方でアットホームな雰囲気でもあった。2022-10-21
83信州上田学2022①信州上田学へのいざない信州上田学2022①信州上田学へのいざない▲講義資料 2022年度後期長野大学講義 担当:前川道博(長野大学企業情報学部教授) 冒頭に「学長あいさつ」(中村英三学長)があります。 上田市の土屋陽一市長がシビックプライドを醸成したいとの思いで始まった地域学事業「信州上田学」を引き継ぎ、2021年度から長野大学が自走する講義科目として実施しています。2022年度は105名もの学生が受講しています。当初、市民にも開放する地域科目でしたが、コロナ禍の状況が重なり、インターネットを介して「オンデマンド」型の自由聴講の講座としても地域に開放をしていきます。 第1回は「信州上田学へのいざない」と題し、信州上田学では何を学ぶのか、どのように学ぶのか、なぜ上田で地域を学ぶのかを講義します。「上田に学び、上田メソッドをつくる」。講2022-10-14
84ワンコワンコウチの愛しのワンコ、アポロ君です。2022-10-13
85「視聴者の需要」について「視聴者の需要」について夏休み中には5本の動画を投稿し、先週新たに1本の動画を投稿しています。 今回は本日のゼミでも指摘があった「視聴者の需要」についてまとめます。 海外の視聴者の多くが求めている日本旅行のテーマは清潔な夜行列車、夜行バス、カプセルホテル、有名観光地などの「日本ならでは」の物が多いです。 それらは数十万、数百万の視聴者や再生数を持つ旅行動画チャンネルを見れば容易に想像できます。 そして私の投稿している動画がそれほど再生されていない理由に関してですが、これは中間報告でも述べたように上記の「日本ならでは」の動画になっていなかったことが挙げられます。 研究開始当時はまだ海外需要を汲み取れておらず、海外視聴者からすれば「大して興味のない動画」を作っていたことになります。 2022-10-10
86草津アカデミー2022コンサートを聴く#1草津アカデミー2022コンサートを聴く#1「草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル」を今年も聴きに行きました。今回は第42回、テーマは「ロッシーニ生誕230年~その時代のヨーロッパ」。 はあ、そうですか。 →草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル 聴きに行ったのは8/26(金)のプログラム「カリーン・アダム ヴァイオリン ・リサイタル フランク&コルンゴルトのソナタ」です。 草津でアルプホルンの演奏。まるでスイスのごとく。ホテルの送迎もあり。リゾート気分で温泉ばかりでなくコンサートまで堪能できるプチ贅沢の催しにもなっています。 <曲目と演奏者> 曲目 (1)コルンゴルト:ヴァイオリン・ソナタ ト長調 作品6  K.アダム(Vn)、岡田博美(Pf) (2)ベートーヴェン:セレナード 二長調 作品25  K-H.シュッツ(Fl)、K.アダム(Vn)、般若佳子(Va) 2022-08-27
87蚕都上田年表をサイトにしてみる蚕都上田年表をサイトにしてみる蚕都上田年表(http://www.mmdb.net/silknet/archive/ueda/files/pdf/docs/santo_2dnenpyo.pdf)のハイパーテキスト化を試みました。 制作したページ(http://ik1-428-46387.vs.sakura.ne.jp/~j20068/localmedia/santoueda_htmlver.html)では、年表をPCやスマホで見やすいよう、一部を抜粋し、大きく構造を変更しています。 包括的な年表であり、作者様の意図から外れている部分も多いと思いますが、見やすいものにはなっているはずです。2022-08-09
88所沢でAlice Sara Ottを聴く所沢でAlice Sara Ottを聴くコロナ禍で長い間、コンサートが数少なく海外アーティストの来日公演も先送りされてきました。ピアニストのAlice Sara Ott(アリス=紗良・オット)が久しぶりに日本公演ツアーをすることを知り、5/28(日)、所沢のコンサートホール、ミューズを訪れました。 ★所沢市民文化センターミューズ https://www.muse-tokorozawa.or.jp/ 所沢とはこれまで意外に縁がなく、そもそも訪れることが初めてです。そしてミューズを訪れてみて正直びっくりです。ミューズは大ホール、中ホール、小ホールを備えています。大ホールは2000席の規模。人口34万人規模の都市の文化施設としては立派な上、Sara Ottだけでなく、クラシックコンサート、古典芸能の上演などが催されています。これだけの催しがあるこ2022-06-05
89じまん焼きの歴史と比較じまん焼きの歴史と比較引用 御座候?大判焼? 地域で違う「回転焼」の呼び名のナゾ https://services.osakagas.co.jp/portalc/contents-2/pc/tantei/__icsFiles/afieldfile/2019/08/30/190828_img07_1.jpg 上田のソウルフードの一つであるじまん焼きには似ている商品がいくつかある。有名なのは大判焼きである。大判焼きは日本の東西で呼び名が違っている。おもに関東地方では今川焼きと呼ばれ、おもに九州地方や関西地方では回転焼きと呼ばれている。今川焼きにはチョコレートや白あんといったバリエーションがり、じまん焼きよりも種類が多い。 参考文献 「大判焼き」と「今川焼き」「回転焼き」の違いは? https://lowch.com/archives/135102022-02-14
90まとめまとめ松平忠固を調べる中で関良基さんの著書『日本を開国させた男、松平忠固』の比重が大きくなってしまったが、本書を読んで、慈悲深い領地運営や開国と交易の主張を貫いた姿勢から忠固の人となりが見えてきた。また、井伊直弼や徳川斉昭、開国、不平等条約改正などさまざまなものの見方が変わったことは収穫だったと思う。歴史から抹消されていた史実が掘り返されると通説が覆されることがあるので、本当の歴史を知っておくためにもそういった情報を仕入れていきたい。 参考資料等 ・関良基著『日本を開国させた男、松平忠固: 近代日本の礎を築いた老中』(1,2番目の記事の写真の出典) https://www.google.com/url?sa=i&url=https%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2F%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E3%2582%2592%25E9%2596%258B%25E5%259B%25BD%25E3%2581%2595%25E3%2581%259B%25E3%2581%259F%25E7%2594%25B7%25E3%252022-02-14
91「私の地域探求」一覧(情報通信文化論2021成果物)「私の地域探求」一覧(情報通信文化論2021成果物):マイテーマ :探求者のマイサイトにリンク 【1】~【7】の地域は上田 【1】上田の歴史 1「上田藩第6代藩主 松平忠固」(探求者:yo-to) 2「上田の歴史(貿易、蚕糸業、金融)」(探求者:じょうじ) 3「明治の上田での生活」(探求者:) 4「戦時中の暮らしについて」(探求者:みるくた2022-02-13
92まとめまとめため池のつくられた歴史や、民話などを調べることで、ため池自体ができた経緯は降水量の関係で同じだったことがわかった。しかし、そのため池一つ一つには違ったエピソードが存在することがわかりおもしろかった。 現実離れした民話が多く残っており、特に、舌喰池に残っている伝説は印象的で、このように残酷な話が残っていることが衝撃だった。 面白い話を知ることができたし、知らなかった歴史を学ぶことはできたが、ネット上では思うように深掘りをして調べことができなかったように感じる。そのため、受け売りとなる二次情報ではなく自ら調べる一次情報の重要さを実感した。 〈参照した資料〉 Googleマップ 信州上田 塩田の里 http://www.shiodanosato.jp/ 長野県上田市塩田地域におけるため池群の維持管理と存続https://www.geoenv.tsukuba2022-02-12
93塩野池(しおのいけ)塩野池(しおのいけ)塩野池は、西前山境東前山の小字「市来」にある。池のある市来が、西前山の小字「塩野間」「塩野」に隣接していることや、独鈷山から流れ出す「塩野川」などの塩野と関係して「塩野池」と名付けられたと考えられる。 塩田平の多くのため池は、山麓または平地にあるが、塩野池は標高約560mとやや高く、山の傾斜に造られている。また、塩野池は、雨乞いの山・独鈷山の水だけを純粋に集めて成り立っているため池である。 〈参考文献〉 信州上田 塩田の里  http://www.shiodanosato.jp/tameike/mukashi.php2022-02-12
94舌喰池(したくいけ)舌喰池(したくいけ)舌喰池は塩田の里交流館(とっこ館)の近くに位置するため池であり、手塚自治会によって管理されている。貯水量は13万㎥もある。 耐震のための改修工事や、田園空間整備事業による水辺景観の整備が行われている。また、百八手という千駄焚きを行って雨乞いをする祭りや、舌喰池付近の芝生でコンサートの開催を行うなど、文化遺産やレクリエーションの取り組みを行っている。 舌喰池には悲しい伝説が伝えられているので紹介したいと思う。 昔この池がつくられた頃、土手から水が漏れて十分に水をためることができなかった。そこで池の改修をするに当たり、土手に「人柱」を入れなければ水がたまらないという話が出回った。悩んだ結果くじ引きで決めることになり、美しい娘が人柱に選ばれた。 娘は日夜悲しみに明け暮れたが、人柱に2022-02-09
95甲田池(こうだいけ)甲田池(こうだいけ)甲田池は塩田平の中でも大きなため池で、水源は一級河川産川からの導水に依存する典型的な中継的ため池である。一般に皿池と呼ばれ、景観が良い。水抜き用の底樋は岸から5m程沖にあるため、橋が渡されている。 また、この池にはカッパにまつわる民話が残されているので紹介したい。 昔、十人村の甲田池に一匹のカッパが住んでいた。 ある日、村のお百姓さんが池の土手に馬をつないでおいたところ、いたずら好きのカッパは馬を池の中へ引っ張った。ところが馬は驚いてカッパを引きずってお百姓さんの家の馬屋に帰ってしまった。お皿の水がなくなって動けなくなったカッパは「助けてくれれば、この家にお祝いごとがあるときにはお膳を用意してさしあげます。」と言った。優しいお百姓さんはその言葉を信じてカッパを放してあげた。それ2022-02-09
96上窪池(かみくぼいけ)上窪池(かみくぼいけ)上窪池は1645年に池を改修するまで「泥池」と呼ばれていた。 1957年の新農村建設で、ため池を使って養鯉を計画した際、その先頭に立ったのが上窪池である。これが成功し、塩田平の他のため池にも広がった。そして、1975年頃には生産量が1千トンを上回り、「塩田鯉」として全国に名をとどろかせた。 現在、上窪池のほとりにある泥宮の境内に「塩田鯉」と刻まれた石碑が建っている。 山田池でも養鯉が行われていたが、この上窪池が始まりであったことが分かる。 〈参考文献〉 信州上田 塩田の里 http://www.shiodanosato.jp/tameike/mukashi.php2022-02-09
97上田紬について④上田紬について④上田紬の現在 上田紬はまだまだ認知度が低い。しかし現代で上田紬が親しまれるように、以下のようなものが行われている。 ○上田紬イベントのインスタhttps://instagram.com/kimono_ev?utm_medium=copy_link 〇サントミューゼ 好きな色の糸を使いオリジナルコースターがつくれる上田紬の手織り体験ワークショップhttps://www.santomyuze.com/museumevent/morris_uedatsumugi/ 〇小岩井紬工房 キモノマルシェや着物塾など、年間を通して様々な世代の人と関われるイベントを開催している。このキモノマルシェでは長野大学や信州大学の繊維学部など多くの大学生も参加した。 http://www13.ueda.ne.jp/~koiwai-tsumugi/ibent.html https://ueda-navi.jp/archives/614 〇上田紬×街歩きイベント実行委員 大学生が実行委員となり、上田紬を着て柳町や上田城跡公園で街歩きをするイベントを開催してい2022-02-09
98プロジェクト研究発表①~⑬と各アウトカム(前川ゼミ2021)プロジェクト研究発表①~⑬と各アウトカム(前川ゼミ2021)長野大学前川ゼミ(企業情報学部科目「プロジェクト研究」) オンライン発表会 2022/01/31ゼミ時間帯に実施 発表①~⑬+講評 ▼2・3年生 プロ研6「海野町レトロ写真館」(発表者:足立光紅) プロ研7「西部地域の地域づくりに向けた支援」(発表者:飯髙綾) プロ研8「大洗型地域振興事業推進仮想モデルの作成」(発表者:高山大和) プロ研9「山本鼎の部屋資料のデジタ2022-02-09
99上田の地質変化の変遷上田の地質変化の変遷上田地域が誕生したのは、今から2000万年前にもなる。 マグマの移動によって日本列島がアジア大陸から切り離される、という大きな変動があった。その動きの中でできたのが「フォッサマグナ」であり、上田は1700万年前にこの地殻変動によって誕生したといわれている。 陥没していたため、あたり一帯は深い海であった。しかし、1200万年前にマグマの活動によって海底が隆起し、次第に浅い海となっていった。やがて陸地が広がっていき、今から100万年前に現在の上田に近い土地へと変わっていった。 上田が誕生したころは、陥没の影響で深い海となっていたことに驚きを感じた。最初から陸地が広がっていたわけではないということだった。 参考文献 ・真田坂 2019年4月 No.262022-02-04
100プロ研②井本美夕也「成果と振り返り報告」(前川ゼミ2021)プロ研②井本美夕也「成果と振り返り報告」(前川ゼミ2021) 30分 ▲クリック/タップして発表動画をご覧ください。 発表:2022/01/31 オンライン発表 発表者のマイサイト(プロジェクト研究のアウトカム) 発表者(学生):井本美夕也(長野大学企業情報学部前川ゼミ4年) (ゼミ担当:前川道博@長野大学企業情報学部)2022-02-08
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