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1銅水瓶銅水瓶【作品】 銅水瓶 【所在地】 群馬県高崎市:綿貫観音山古墳 【綿貫観音山古墳】 全長98mの前方後円墳である。6世紀頃の古墳で高崎を支配した豪族の古墳と考えられているが、正確な情報は不明である。ここからは他にも多くの金銅製品等が出土しており、それらは6世紀後半の東国を代表する出土品として国宝に指定されている。 【作品説明】 中国・南北朝時代の庫狄廻洛墓から同類の水瓶が発見さたことから中国伝来と考えられている。ちなみに綿貫観音山古墳から出土したものは国内最古の水瓶で、古墳出土でほぼ完形品であるのは世界でこれだけである。 【参考資料】 ・群馬県 文化財ライブラリィ:https://www.pref.gunma.jp/03/x0100616.html ・綿貫観音山古墳の世界「オンライン展示品解説 第1回 銅水瓶」:2021-01-27
2水鳥形埴輪水鳥形埴輪【作品】 水鳥方埴輪の頭部 【所在地】 群馬県太田市:太田天神山古墳 【太田天神山古墳】 太田天神古墳群に属す全長210mの前方後円墳である。東日本最大の大きさを誇り、東日本では2つしかない大王級の古墳のひとつである。(もう一つは同じく群馬県伊勢崎市にあるお富士山古墳)主は崇神天皇の皇子「豊城入彦命」を祖「上毛野氏」であるとされている。 【作品説明】 鳥形埴輪にも様々なモノがあり、鳥の種類によってつくられたいとは異なるとされている。古代において鳥と人間には精神的に深いかかわりがあったのではないかと考えられており、水鳥形埴輪も人間の水鳥に対する思いを反映して作られたものではないかと考えられている。 【参考資料】 ・群馬県太田市 太田天神山古墳:https://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/bun2021-01-26
3長持形石棺長持形石棺【作品】 長持形石棺 【所在地】 群馬県伊勢崎市:富士山古墳 【富士山古墳】 全長125mの前方後円墳である。東日本では2つしかない大王級の古墳のひとつである。(もう一つは同じく群馬県太田市にある太田天神山古墳) 【作品説明】 地域をおさめた首長を入れるための棺のため、大王級の古墳だけに存在する。全国でも45箇所からしか見つかっておらず、そのうちの2箇所が群馬県である。お富士山古墳の長持形石棺は全長285cm、 幅121cm、高さ115cm、重さ約6.8t、被葬者は不明であるが、ヤマト政権とも関わりがあった重要人物であると考えられている。 【参考資料】 ・群馬県伊勢崎市 お富士山古墳:https://www.city.isesaki.lg.jp/kanko/rekishi/shitei/shiseki/3380.html お富士山古墳所在長持形石棺:https://www.city.isesaki.lg.jp/kanko/rekishi/shitei/shiseki/3380.html2021-01-26
4長野大学近くの古墳長野大学近くの古墳長野大学から徒歩5-10分ほど歩くと、古墳が現れます。この古墳はどうやら円墳(間違っていたらすみません...)らしいです。 中高の歴史の授業で「前方後円墳」という単語を習った記憶はありますが... 自分の古墳に関する知識はそれぐらいで、古墳のどういうところを楽しめば良いのか、は全くわかりません.. もっと歴史の勉強をすれば楽しめるようになるかな.. と思いました。2020-11-06
5大蔵京古墳大蔵京古墳秋和地区の北側にそびえる虚空蔵山南麓の傾斜面に自然の地形を利用して造られた古墳。古墳の形は方墳とされているが、かつては双子塚とも呼ばれたことがあり、前方後円墳と見られた時期もある。  古墳の東隣には、江戸時代に神社の社殿が造られたり、古墳の頂部には日露戦争戦没忠魂碑が建てられている。上田盆地では、今のところ最も古い古墳と考えられている。2020-06-12
6上田市に古墳?(二子塚古墳)上田市に古墳?(二子塚古墳)前方後円墳です。はっきりと形が残るものは小県策地方唯一であり、大変貴重とされています。発掘調査が行われていないため、内部の様子は不明ですが墳時代中期のものとされています。発掘調査が行われていないため、全貌が見られず残念ですが、どちらが前方部でどちらが後円部なのかを考えてみると楽しかったです。また、上田市に古墳があることはあまり知られていないため、もっと多くの人に知ってもらえるといいと思います。2020-05-26
7毘沙門山古墳毘沙門山古墳これは栃木県にある毘沙門山古墳という寒川古墳群蹟の一つです。 田んぼがずっと広がっている平地にポツンとここだけ木が生え膨らんでいたので以前から何か気になっていました。 近づいてみると説明書きから寒川古墳群蹟で現存する唯一の古墳であることが分かりました。 5世紀後半に造られたとされる古墳で正確な規模は不明なものの推定全長41.2メートル、後円部34メートル、高さ5.18メートル、周湟幅約1.2メートルの前方後円墳だそうです。 また、周湟内からは土師器や埴輪片なども発見されているそうで何だかワクワクしました。 実際に前方後円墳を見たのは初めてでしたが、地上からではあまり形のイメージが湧かない不思議なものに感じました。2020-05-26
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