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1上田ブルー、色即是空上田ブルー、色即是空2005/11/01の記録。 上田に移り住んだ2005年。強烈に印象づけられたのが空の限りない青さです。これを私は「上田ブルー」と呼んできました。 「空色」とは「水色」のこと。イタリア語では「アズーリ」と言います。サッカーのイタリア代表はアズーリ色のユニフォームを着て、チームそのものも「アズーリ」の呼び名で親しまれています。イタリアのアズーリは日本の空色よりもより濃い。しかし上田の空色はもっと濃い。濃いどころかディープブルーと言っても過言ではありません。 関東地方に暮らすと空は普通水色をしています。このようなブルーは望めません。「色即是空」不思議に言い得て妙です。2024-03-02
23Dで藤本蚕業歴史館をデジタルツイン化3Dで藤本蚕業歴史館をデジタルツイン化上塩尻にある藤本蚕業歴史館の新しい情報空間のご紹介です。 ★藤本蚕業歴史館ウォーク https://d-commons.net/fujimoto-walk/ 資料館はとても行きにくいし、行っても資料を見るのも大変です。このたびデジタル技術を使って、資料館まで行かなくても館内をバーチャルに歩き回り、資料にアクセスできるバーチャル空間にしました。本物の資料館がそこにあるかのように再現する技術を「デジタルツイン(デジタルな双子)」と呼んでいます。その試みです。長野大学前川ゼミの協力により藤本蚕業プロジェクトが制作しました。 皆さんもどうぞバーチャルな体験、資料へのアクセスをお楽しみください!2024-02-27
3上田城千本桜まつりポスター2019/04/07上田城千本桜まつりポスター2019/04/072019/04/07の記録。 JR上田駅前に毎春恒例のイベント「上田城千本桜まつり」(4/6→21)のポスターが貼られていました。その年どんなポスターだったかも今となっては簡単にふり返れません。この年のポスター、貴重な記録です。大型の広告幕も。この年は上越高田の「第94回観桜会」と観光広報もコラボしていたようです。上田市と上越市が姉妹都市とは。2024年の今になって気づきました。 毎年の千本桜まつり、今年も楽しみです。2024-02-21
4塩田平観光マップ(上田駅構内)今昔2005→2024塩田平観光マップ(上田駅構内)今昔2005→2024写真上:信州の鎌倉と周辺の図(2005/05/04の記録) 写真下:日本遺産・信州上田・塩田平(2024/02/03の記録) 上田駅構内のしなの鉄道改札出入り口に面したコンコースの壁に塩田平の大きな観光マップが掲げられています。塩田平が日本遺産「レイラインがつなぐ『太陽と大地の聖地』」に選ばれてしばらく経ってから「日本遺産」マップにリニューアルされました。 レトロ感たっぷりの「信州の鎌倉」マップが今となっては貴重な記録です。このマップ、デザインは古い時代様式のものです。退色もしています。あるいは退色したように装ったデザインかもしれません。一見したところ相当に年季が入ったもののように見えますが、新幹線や上田大橋が描かれてもいることから推察すると上田大橋開通後の2000年頃に観光PRのために掲げられたものではないかと2024-02-19
5信州上田学2023/地域キュレーションVol.2信州上田学2023/地域キュレーションVol.2長野大学講義科目「信州上田学」(2023年度後期)を受講した学生たち(主に新入生が対象、3学部横断)の「地域キュレーション」(地域を探究しアウトプットする学び)のアウトカム集です。講義内容は「信州上田学2023①~④地域キュレーション」をご参照ください。 「学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)」それぞれのマイテーマにリンクしています。[ Vol.1 | Vol.2 ]
 No. ニックネーム/探究テーマ    探究のねらい
  1. よう/地域交通と産業のつながり
    交通インフラと産業は密接に関連していると考えたから。産業の発展には
2024-02-16
6信州上田学2023/地域キュレーションVol.1信州上田学2023/地域キュレーションVol.1長野大学講義科目「信州上田学」(2023年度後期)を受講した学生たち(主に新入生が対象、3学部横断)の「地域キュレーション」(地域を探究しアウトプットする学び)のアウトカム集です。講義内容は「信州上田学2023①~④地域キュレーション」をご参照ください。 「学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)」それぞれのマイテーマにリンクしています。[ Vol.1 | Vol.2 ]
 No. ニックネーム/探究テーマ    探究のねらい
  1. こぶた/別所を盛り上げるには
    サークルの関係で別所に行く機会が多々あるが、別所の魅力にまだ自分自身
2024-02-16
7上田市のハンドホール上田市のハンドホール前回は上田市のマンホールでもツツジと六文銭が描かれたものを見つけました。 今回見つけたのは…上田市章のマークが入ったハンドホールです! 現在の上田市章は、全国からの応募によって決められたものです。現在の「上田市」は統合によって1つの市となっています。そのため、統合時に市章を募集したようです。 その結果、写真(少し見にくいのはすみません…)のようなマークになりました。 上田市章は四葉のクローバーと桜、六文銭が組み合わさったマークになっています。 デザインコンセプトは「背景の四つ葉のクローバーは、旧4市町村の調和した統合を、桜の花は元気で前向きに歩む上田市民の姿を、中央の花心はアレンジされた真田六文銭をイメージし、全体で新生上田市の自然と活気あふれる未来への発展を表現しています」とのこ2024-02-16
8泥宮に行ってきました。泥宮に行ってきました。泥宮まで行ってきました。 歩いて片道45分~1時間ほどかかった気がします。 流石に歩いていくのは時間がかかりました… 私のように散歩感覚で行くのはおすすめしません。 泥宮に行くまでの道のりは、行きは生島足島神社を通り過ぎて、交番があるあたりで右に曲がりました。曲がった先から道には街灯がないので、夜には行かない方がいいと思います。暗いしこの時期の道は雪があったり凍ってたりで危ないので。 帰りの道は、甲田池・塩田町駅・男池を通る形のルートで帰りました。 上田市は少雨地域である為、ため池が多いことは学びましたが、歩いていると思ったよりも近くにため池群があり、楽しかったと思うとともに、すべてのため池を巡りたいなとも感じました。 夜遅くに行ってしまったので、泥宮の雰囲気は不気味に思えました。2024-02-13
9北向観音堂北向観音堂平安時代初期に比叡山延暦寺座主慈覚大師円仁が開いた 霊場。北向きの本堂(本所は千手観音菩離像)は全国でも珍しく、南向きの善光寺本堂と相対しているとされる。「極楽往生」を願う善光寺と「両参り」し、ここで「現世利益」を祈ることで、より御利益があるとされる。かつて参道脇に長楽寺(常楽寺、交楽寺とともに天台宗の「別所三楽寺」のひとつ)があったが、現在は常楽寺を本坊とする。昭和36(1961)年に善光寺本堂と同じく、「撞木造り」の建物として増改築された。なお、手水舎には境内から湧出している温泉が使われている。 北向観音は『「極楽往生」を願う善光寺と「両参り」』というのをキーワードに、観光業に活かせると感じた。北向観音は、実際に自分で現地に行かないと感じないようなパワーがあると私は考えている。よって2024-02-13
10別所温泉【第五回上田氷灯ろう夢まつり】別所温泉【第五回上田氷灯ろう夢まつり】2月8日から2月12日の五日間、別所温泉にて【第五回上田氷灯ろう夢まつり】が開催された。「2024年は甲辰の年、塩田平の日本遺産が象徴する龍をテーマに新しく動き出す成長の年を表現します」というテーマで開催された。私はこのイベントに長野大学MIZUMATCHサークルの一人として、キャンドルアートの制作等に携わった。また、五日間参加した。 このイベントに参加して、別所は地域の人から強く愛されているということを実感した。また、来場者の方々とお話することがあったが、県外から来ている方もいらっしゃって、日本遺産である北向観音堂をはじめ、別所全体は、上田の主となる観光地であると感じた。このイベントには小さなお子さんから、家族連れ、若者、高齢者等様々な方が足を運んでおり、特に休日は多くの人で賑わっていた。このよ2024-02-13
11 旧宣教師館 旧宣教師館 旧宣教師館は、明治37年(1904)カナダ・メソジスト派新参町教会の婦人宣教師の住宅として建てられました。 工科短大の近くにあり気になって写真を撮ってみると明治期の本格的西洋館として貴重な建物でした。2024-02-13
12北向観音堂からみた上田地域北向観音堂からみた上田地域別所温泉に位置する北向観音堂は、本堂が北に向いた全国でも非常に珍しい寺である。平安時代初期、最澄から天台宗を受け継いで比叡山延暦寺の座主となった円仁によって開かれた。山を背に構える別所温泉は信州最古の温泉地と言われており、現在も観音様への参拝前に体を清める手水舎には、別所温泉で湧き出た源泉が用いられている。また、北を向いて建てられた本堂は、南向きに建てられた善光寺の本堂と向かい合っている。現世利益を願う北向観音堂と極楽往生を願う善光寺の両方を参拝することが推奨されている。実際に訪れてみると、あちこちで湯煙が上がり、その奥には上田の市街地が一望できたのが印象的である。しかし、人気(ひとけ)はほとんどなく、かつての賑わいを感じることはできなかった。観光客に向けて、全国的に希少価2024-02-13
13北向観音堂、本堂北向観音堂、本堂別所温泉に位置する北向観音堂は、本堂が北に向いた全国でも非常に珍しい寺である。平安時代初期、最澄から天台宗を受け継いで比叡山延暦寺の座主となった円仁によって開かれた。山を背に構える別所温泉は信州最古の温泉地と言われており、現在も観音様への参拝前に体を清める手水舎には、別所温泉で湧き出た源泉が用いられている。また、北を向いて建てられた本堂は、南向きに建てられた善光寺の本堂と向かい合っている。現世利益を願う北向観音堂と極楽往生を願う善光寺の両方を参拝することが推奨されている。実際に訪れてみると、あちこちで湯煙が上がり、その奥には上田の市街地が一望できたのが印象的である。しかし、人気(ひとけ)はほとんどなく、かつての賑わいを感じることはできなかった。観光客に向けて、全国的に希少価2024-02-13
14生島足島神社、本堂生島足島神社、本堂生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られる、信濃屈指の古社である。御本殿は、神池と呼ばれる池に囲まれた神島の中で周囲を老樹に取り囲まれて建っている。武田信玄や真田昌幸、真田信之をはじめ、歴代の上田城主からも厚く崇敬されていた。また、現在は各種ご祈祷やご祈願を毎日執り行っており、七五三や個人でのご祈願も可能である。実際に訪れて境内を一周してみたが、整備されていない所が度々見られたり、案内の看板が少なかったりして、残念に感じる部分もあった。2024-02-13
15生島足島神社、西鳥居生島足島神社、西鳥居生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られる、信濃屈指の古社である。御本殿は、神池と呼ばれる池に囲まれた神島の中で周囲を老樹に取り囲まれて建っている。武田信玄や真田昌幸、真田信之をはじめ、歴代の上田城主からも厚く崇敬されていた。また、現在は各種ご祈祷やご祈願を毎日執り行っており、七五三や個人でのご祈願も可能である。実際に訪れて境内を一周してみたが、整備されていない所が度々見られたり、案内の看板が少なかったりして、残念に感じる部分もあった。2024-02-13
16常楽寺石造多宝塔常楽寺石造多宝塔 常楽寺本堂左側の道を上がった奥に多重塔と呼ばれる堂々とした石造の塔が一基立っている。弘長2年(1262)に造られた。総高274.0㎝の重厚で堂々とした風格や造り方は鎌倉期多宝塔の優品とされ、おごそかなたたずまいを感じる境内である。  北向観音の出現地とされているため、同じく別所温泉にある北向観音堂と合わせて訪れる方もいるのではないかと感じた。2024-02-13
17安楽寺八角三重塔安楽寺八角三重塔日本最古の禅宗様建築で、長野県内では松本城とともに最初の国宝指定を受けた文化財である。また、日本で現存する唯一の八角塔である。高さ18.75mで、内部の天井や八角の仏壇も他に類を見ないものである。しかし、その希少価値の高さや歴史の深さなどが観光客に最大限伝わっておらず、一連の観光資源として活用できているようには感じられなかった。特に、別所温泉には数多くの寺社が建てられており、古くから中国の高僧や全国の学僧が訪れた。だからこそ、地域として関連性のある遺産が多い。それをもっと有効に活用するべきだろう。2024-02-13
18安楽寺八角三重塔安楽寺八角三重塔信州最古の禅寺。境内の奥にたたずむ塔は日本で唯一の木造八角塔で、長野県で最初に国宝に指定されているらしいです。中国宋時代の禅宗様(唐様)という建築様式で建てられています。雪が降り積もる中でしたがとても趣を感じました。2024-02-13
19cafe bossocafe bosso上田駅お城口からまっすぐ歩いていくと見えてくる、ぱきっとした青い壁が目印になるbossoは、甘いものが食べたくなった時ぜひ立ち寄ってみてほしい。本日のワッフル、ケーキがあり、フルーツが使われていて、どれも絶品である。ここでは、サンドイッチやカレーなどの食事のメニューもあり、ランチや甘いものはちょっと...という方でも楽しむことができる。店内も非常に落ち着いた雰囲気でゆっくりとした時間を過ごすにはぴったりである。上田駅から徒歩5分というアクセスのしやすさもあり、電車の待ち時間などにも最適である。2024-02-13
20長福寺銅造菩薩立像長福寺銅造菩薩立像長福寺「信州夢殿」の本尊として安置されている。アルカイックスマイルを特徴とする、像高36.7㎝の小金銅仏で、7世紀後半の白鳳時代の作品と考えられる。もとは上高井郡小布施町の旧家に伝わるものだったが、昭和13(1938)年に長福寺に移された。 長福寺はこの講義を受講するまで名前も聞いたことがなかった。ここは生島足島神社の前に訪れたが、休日であるにも関わらず、訪ねている人は私一人だった。正直なことを言うと、日本遺産に登録されているにしては、閑散としていると感じた。観光客を呼び込むためには、もっと情報発信に努めるべきだと感じた。2024-02-13
21信濃国分寺三重塔信濃国分寺三重塔 信濃国分寺三重塔は、室町時代中期に建てられた。上田小県にある4つの三重塔の中で3番目に古い。第一層の大日如来が安置されている仏壇の鏡天井を囲む四方は「如意頭文」という珍しい彫刻である。一層の内部には、今も色のあとが残っている。  国分寺最古の三重塔であり、現在も建立当時の姿を見せていることは、目を引く魅力だなと考えた。また、別所温泉の安楽寺八角三重塔とともに大日如来が安置されたふたつの塔を合わせて巡る観光客も居るのではないかと感じた。2024-02-13
22第5回上田氷灯ろう夢まつり に行ってきました第5回上田氷灯ろう夢まつり に行ってきました2月8日から2月12日まで開催されていた「上田氷灯ろう夢まつり」に行ってきました! 北向き観音のライトアップや、長野大学の「MIZUMATCH」(ミズマチ)というサークルの方達が行っているライトによる展示もありました。 北向き観音堂は日本遺産であり、平安時代初期に開かれた霊場です。名前にも北向きと入っていますが、日本の中でも北向きの本堂は珍しいものです。善光寺は南向きで本堂があるのですが、北向き観音堂と善光寺が相対するようになっているそうです。 上田市に存在する日本遺産を調べていると、相対になっているものがいくつもあり、興味深いと感じます… 実際に行けていない場所も多くあるので、行ってみようと思います。 話しが脱線してしまいましたが、上田氷灯ろう夢まつりでは、北向き観音堂始め、市指定文化財の、愛染2024-02-13
23下之郷駅下之郷駅生島足島神社に合わせた朱色の駅舎が特徴的で可愛らしいです。上田電鉄の本社と車両基地があり、運行上の中心駅です。かつては西丸子線との分岐駅でした。西丸子線の廃線後もホームはそのままの姿が残っています。2024-02-13
24北向観音北向観音天台宗は平安時代に最澄が比叡山延暦寺を建て開かれました。そして天台宗は悟りに至る方法を全ての人々に開放してまいりました。その結果多くの開祖を輩出し「日本仏教の母山」といわれています。当常楽寺、故半田孝淳(はんだこうじゅん)名誉住職も、第二百五十六世天台座主となられました。2024-02-13
25生島足島神社生島足島神社日本遺産にもなっている、地元の人々から愛される神社です。七五三の時期には多くの子どもがお宮参りに訪れます。祀られているのは生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神です。真田昌幸の朱印状など、国の重要文化財に指定された94通の古文書が残っており、内殿は「県宝」に指定されています。この神社は神池に囲まれた神島に建っていてとてもきれいでした。下之郷駅のすぐ近くなので、訪れてみてはどうでしょうか。2024-02-13
26別所温泉別所温泉客室は和の情緒とやすらぎが満ちる純和風の造り。温泉は、自慢の岩風呂や檜風呂などで天然温泉を愉しむことができます。料理は、四季折々の信州の味を月替わりの本格会席で味わうことができます。2024-02-13
27舌喰池舌喰池 日本遺産の「塩田平のため池群」の一つである。年間降水量が全国で最も少ない上田市は、農業用水を確保するためにため池を100か所以上作った。そのうちの一つが舌喰池である。貯水量は、138,000㎥、満水面積は、61,400㎡、堤高は7.0mである。舌喰池周辺の水田では、上田藩で作られる米の約半分が作られ、他にも雨乞いをする儀式の場としても使われた。舌喰池の名前の由来の一つとして、ある昔話が関係している。昔この池が造られた頃、土手から水が漏れて、十分に水を溜めることができなかった。そこで池の改修をするにあたり、土手に、生きた人を土中に埋めて祈るという「人柱」を入れなければ水が溜まらないという話があった。 くじ引きで決められたある娘さんは、日夜悲しみに明け暮れていたが、人柱に立つ前の晩、身の不運を嘆いて舌2024-02-13
28別所神社別所神社別所神社は、信州最古の温泉地、別所温泉にあります。舞台からは季節ごとに姿を変える別所の景色を見渡すことができます。 この別所神社の他との違いは、paypayでお賽銭ができるところです。かなり古い見た目で、あまり大きい神社ではないため現代的で驚きました。現金を持ち歩かない人も増えているため便利ですが、本当に電子機器での支払いでもご利益があるのか少し心配になってしまいますね。是非皆さんも別所神社まで足を運び、paypayのお賽銭を体験してみてはどうでしょうか。2024-02-13
29生島足島神社生島足島神社平安初期にまとめられた「延喜式」に載る古社で、生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」を祭神とする。摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる。御神体は「大地」である。太陽が夏至には東の鳥居の真ん中から上がり冬至には西の鳥居の真ん中に沈むよう鳥居が太陽の至点と一致するように配置されており、まさに「太陽」と「大地」を結ぶ神社である。 晴れた土曜日の11時頃に行ったこともあり、多くの人が訪れていた。特に家族で七五三のお宮参りに訪れている人が多かった。文書も拝見した。撮影禁止で写真は撮れなかったが、非常に多くの文書が保存されていた。文書を拝見した。古文書からも、400年前の生島足島神社への信仰と長年にわたり守られてきたことがうかがえ2024-02-13
30前山塩野神社本殿及び拝殿前山塩野神社本殿及び拝殿独鈷山の麓の前山地域に位置する、「延喜式」に載っている神社。鳥居が2つあり、その間は全国的にも珍しい流鏑馬の旧跡とされている。拝殿と本殿には竜などの彫刻が施されており、建造物の美しさを際立たせるものとなっている。境内は木々に囲まれ、俗世から少し外れた神秘さを感じさせられるような場所だった。自転車で行ったのでアクセスは少し大変であったが、落ち着いた雰囲気を味わうことができる所だと感じた。2024-02-13
31安楽寺八角三重塔安楽寺八角三重塔 中国から伝わった「禅宗様」で造られた、信州で初めて建てられた禅寺であり、長野県の「国宝第一号」である。一見、四重塔に見えるが一番下の屋根は裳階と解釈されている。塔の形が八角形と、特徴的である。八角形の塔は全国にこの塔一つしかない。頂上には相輪が晴天高くそびえたっている。  私は、「全国で一つ」や「県内国宝第一号」など観光客にとって魅力的な肩書が多いと感じた。凝った建築と森林の中の佇まいによりその肩書に負けない壮大な雰囲気がある。2024-02-13
32豊上モンテリア豊上モンテリア生島足島神社からすぐのジェラート屋さん、豊上モンテリアさん 本格的なジェラートが食べられます その日限定のものがあったり、リクエストが出来たり、インスタを要チェックです2024-02-13
33生島足島神社生島足島神社 延喜式にもその名が記されている由緒ある古社である。生島大神と足島大神の二神が祀られ、武田信玄や真田昌幸・信之をはじめ歴代の上田城主からも厚く崇敬されたという。生島大神と足島大神を祀る神社は全国的にも珍しく、近畿地方中心に数社しかなく、東日本ではここを入れて2社のみである。昌幸の朱印状など、国の重要文化財に指定された94通の古文書が残っている。  敷地面積が特に大きいわけではないが、手入れがされていて池も相まって綺麗にまとまっているなという印象を受けた。境内には歌舞伎舞台もあるため。神社だけではない多くの歴史も感じることが出来る。また、日本の真ん中に位置していることでパワースポットとしても人気を集め、観光客を引き付ける魅力の1つでもあると感じた。2024-02-13
34生島足島神社生島足島神社遠くからでもわかる様な赤い神社と鳥居。 上田の日本遺産にとって中心的存在2024-02-13
35姨捨駅2008/05/06姨捨駅2008/05/062008/05/06の記録。 JR篠ノ井線の姨捨(おばすて)駅。Wikipediaによると姨捨駅が開業したのは1900年とのこと。「田毎の月」で知られれる姨捨の棚田が眼下に広がり、姨捨駅からは善光寺平が一望できます。日本三大車窓と呼ばれるほどの景勝スポットです。さらにスイッチバック方式の全国的にもめずらしい駅です。 何と言ってもホームから展望する善光寺平の景色は絶景です。ホームのベンチが鉄道側にでなく、善光寺平に向かって設置されている点にもご注目を。篠ノ井~名古屋間を電車で移動する際には姨捨付近を通過します。その夜景も素晴らしい。鈍行の電車は、スイッチバックして姨捨駅に停車します。このスイッチバックもぜひ体験してみたい。 参考資料:Wikipedia/姨捨駅 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%A8%E6%8D%A8%E9%A7%852024-02-13
36千曲川で見られる水鳥‐2千曲川で見られる水鳥‐2千曲川で観察できた水鳥です。 画像はサギです。サイズ的、時期的ににダイサギだと思われます。 一般的にシラサギと呼ばれるサギは「ダイサギ」「チュウサギ」「コサギ」とサイズによって種類が異なります。 ダイサギは日本では亜種が渡り鳥としてやってきますが、夏鳥としてやってくる種と冬鳥としてやってくる種がいるため、一年を通して観察することができます。 チュウサギは日本には夏鳥としてやってきます。水田に多く見られます。 コサギは留鳥で一年を通して観察することができます。2種よりも小型で、夏羽は頭部に飾り羽を持っています。 秋ごろに川の比較的浅めのところにサギが集まっていたのを見かけたことがあったので、千曲川はサギにとって良い餌場となっているのだと考えました。2024-02-13
37安楽寺の三重塔安楽寺の三重塔安楽寺の三重塔は国宝に指定されている。1290年頃建てられたといわれており日本最古の禅宗様建築とされる。山奥にどっしりと構えておりまさに別所温泉の歴史の象徴のような存在である。温泉街を訪れる人たちの多くが国宝を一目見ようやってくる。2024-02-13
38別所温泉近くの寺 常楽寺2別所温泉近くの寺 常楽寺2常楽寺の本堂の左側通路を抜けた先に石造多宝塔が立ち並んでいる。この場所は昼間でもあまり光が届かず、多宝塔にはおごそかなたたずまいを感じた。夏だったにもかかわらず寒さを感じたことを鮮明に覚えている。多宝塔は北向観音の出現値を神聖なものにしようと1262年に作られたもので今は国の重要文化財に指定されている。2024-02-13
39別所温泉近くの寺 常楽寺別所温泉近くの寺 常楽寺常楽寺は別所温泉街のすぐ近くに位置する歴史ある寺である。当寺は825年に創設され、鎌倉時代には「信州の学海」の中核を担う存在として多くの修行僧を受け入れた。境内にはきれいに整えられたマツが茂っており、落ち着いた雰囲気であった。寺の中に「息調」という言葉が書かれていたが、この寺の基本理念のようなものなのかもしれないと思った。2024-02-13
40上田市の歴史を活かした観光上田市の歴史を活かした観光海野町についてです。 この街は、江戸時代の旅籠づくりの建物と明治時代以降の養蚕が盛んな頃に建てれた家々が今も大切に保管されています。養蚕づくりに適した伝統的な造りをしており、1986年には「日本の道百選」に、 1987年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され重要な文化財となっています。2024-02-13
41北向観音堂北向観音堂 北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場である。永元年(1182年)には源平争乱の中、木曾義仲の手により八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失してしまうが、源頼朝の命のもと伽藍復興がおこなわれ、建長4年(1252年)、塩田陸奥守北条国時により再興された。本堂が北に向いているのは、日本でもほとんど例がない。  私は、全国的にも珍しい特徴があるため、観光客の興味を引きやそうだなと感じた。また、北向観音堂までは坂道が多く歩きづらいが境内は整備がされているため綺麗だった。周辺に温泉があることは、寒い時期でも行きやすくなる要因となっているだろう。2024-02-13
42沓掛酒造 蔵見学 PART1沓掛酒造 蔵見学 PART1沓掛酒造の蔵見学に行ってきました。杜氏さんから蔵の歴史や、酒造りの工程のお話を聞いた。 昔は小谷村からオフシーズンの農家さんたちを雇って大人数で日本酒を作っていたが、今は全員で4人だけ! 写真は蒸した米に麹をかけてでんぷんをブドウ糖に変える麹室。2024-02-13
43【上田市の銭湯】地図から銭湯の分布を見てみよう~「史的ニ上田」編~【上田市の銭湯】地図から銭湯の分布を見てみよう~「史的ニ上田」編~突然ですが、皆さんは銭湯に行ったことはありますか? 銭湯というと、富士山の壁画が描かれた、東京の大きな下町銭湯を思い浮かべる人が多いと思います。ここでいう銭湯とは、法律で定められた一般公衆浴場のことです。 ここ上田市にも、地域に根付いた街のお風呂屋さん、銭湯が2軒あります。ですが最盛期には、なんと24軒もの銭湯がありました。昔は市街地ではお風呂のある家庭は一般的ではなく、農村部のお百姓さんの家、どこかの大富豪の社長さんの家など、限られた家庭にしかありませんでした。そこで、「浴場業(銭湯)」という一つの業種が確立されたんですね。今回は、上田市の銭湯を研究するための必読書、「史的ニ上田(15)上田の銭湯」という文献をご紹介します。 (画像は、文中にも登場する中央3丁目(松原町)の「竹の2024-02-12
44【上田市の銭湯】地図から銭湯の分布を見てみよう~大正期編~【上田市の銭湯】地図から銭湯の分布を見てみよう~大正期編~突然ですが、皆さんは銭湯に行ったことはありますか? 銭湯というと、富士山の壁画が描かれた、東京の大きな下町銭湯を思い浮かべる人が多いと思います。ここでいう銭湯とは、法律で定められた一般公衆浴場のことです。 ここ上田市にも、地域に根付いた街のお風呂屋さん、銭湯が2軒あります。ですが最盛期には、なんと24軒もの銭湯がありました。昔は市街地ではお風呂のある家庭は一般的ではなく、農村部のお百姓さんの家、どこかの大富豪の社長さんの家など、限られた家庭にしかありませんでした。そこで、「浴場業(銭湯)」という一つの業種が確立されたんですね。今回は、そんな上田市の銭湯の分布を、2つの大正期の地図から探っていきましょう。 (画像は最盛期の銭湯をGISアプリで国土地理院の地理院地図にプロットしたもの) 2024-02-12
45上田わっしょい上田わっしょい上田わっしょいのテーマは、「踊る!担ぐ!叩く!」 初めて訪れたが、手拍子をしながら音楽に合わせて踊ったり、神輿を担いだりする様子は本当に賑やかでテーマ通りのお祭りだと感じた。法被のデザインが違ったり、大きな団扇を持っていたり連ごとに個性があり、それを見るのもこのお祭りの楽しみの一つだなと感じた。 この祭りは、昭和47年(1972年)から行われており、2023年で52回目、4年ぶりの開催だという。 訪れてみれば地域に根差した祭りであることがよくわかる。上田で生まれ育った人たちは皆あの音頭に合わせて踊れるのだろうか。老若男女問わず振りが身についているようだった。地域の皆が一緒になって踊れる曲があるというのはとても素敵だ。2024-02-12
46長野市社協で住民ディレクター打合せ2009/04/14長野市社協で住民ディレクター打合せ2009/04/142009/04/14の記録。 善光寺で御開帳が催されていた2009年、私がアドバイザリーに関わっていた長野県デジタルアーカイブ推進事業の一環で長野市社会福祉協議会との連携により「住民ディレクター」を地域に広げる企画「地域の放送局をつくろう」を打ち合わせた時の記録です。私から住民ディレクター運動の提唱者・岸本晃さんを紹介したのが2008年のこと。その後、長野市内で住民ディレクターの実践活動をし、社協会場で「まちの放送局」イベントを実施しました。私もこの支援に関わりました。この時の打合せではそれらの実践を踏まえ、これからどう地域に住民ディレクター/まちの放送局を地域づくりに活かしていくかを意見合わせしました。社協で進めている「まちの縁側」の活動、自治協とのつながりなどを企画検討しました。 板書されてい2024-02-11
47マンホール:飯山市マンホール:飯山市2009/04/10の記録。 飯山市のマンホールです。一本杖スキーの子ども2人を描いています。マンホールカードの解説によると、最初にこの地に伝わったスキーは一本杖スキーで大正初期まで盛んであったとのこと。子どもが被っている頭巾が「みのぼうし」で、これは昭和30年代まで利用されていたとのことです。 私の別記事「飯山のマンホール、一本杖スキー」もご参照ください。 http://d-commons.net/uedagaku/maekawa2?c=&p=88522024-02-11
48木造性仙和尚坐像・木造恵和尚坐像木造性仙和尚坐像・木造恵和尚坐像安楽寺の創立に関わった2人の僧侶の坐像。日本遺産。2024-02-11
49愛染カツラ愛染カツラ日本遺産の1つ。「影向の桂」ともいわれる霊木の1つ。2024-02-11
50【第7回】ルートイングループ本部建設予定地【第7回】ルートイングループ本部建設予定地上田駅お城口からまっすぐ原町方面へ向かった上田信金原町支店の目の前に広大な更地がある。ここに第2回で紹介したルートイングループ長野本部が移転してくるようだ。地上3階建てで、建築計画を見ると普通の建物と違った凝った建物にも見える。上田駅前にルートインの関連施設が増え、ルートイン発祥の地としてふさわしい街になるのではないか。2024-02-10
51北本原駅と駅前食堂北本原駅と駅前食堂北本原駅は真田線の駅です。この駅では野菜など貨物の取り扱いが行われていたそうです。駅の跡地前には駅前食堂という食堂があり、廃線となってから50年以上たった現在でも地元住民に愛されている。20年近く真田に住んでいる私ですが、ここのもつ煮は食べないと損です。2024-02-10
52【第五回】上田駅前ロイヤルホテル【第五回】上田駅前ロイヤルホテル1985年に開業したルートインの第一号店であり、ルートイン始まりの地である。ルートインにおいてロイヤルホテルブランドは、ここが唯一であり、名前を変えずに今日まで営業していることから一号店を大切にするルートインの姿勢が見える。34室と規模は大きくないものの眼の前を通ると、日本3大ビジネスホテルチェーンの1つであるルートインの原点を感じさせる威厳がある。玄関上には、開業時の名称「上田ロイヤルホテル」が残っている。 他のビジネスホテルチェーンが開業したのがほとんど同じ時期のため(APA1984年、東横イン1986年)、当時はビジネスホテルの開業が盛んだったのではないかと感じさせる。2024-02-10
53【第3回】ホテルルートイン上田【第3回】ホテルルートイン上田一番長野本部から近いのがここホテルルートイン上田だ。現在広く展開されているルートインブランドである。2023年4月現在、このブランドで271ホテル展開されている。 ルートインという名の通り、国道18号線沿いにあり、無料駐車場が完備されている王道のルートインといっても過言ではない。室数84室で人工温泉、朝食バイキングがある。人工温泉は男女入れ替え制だが、女性の入る時間が短いため、男性客が多いのではないかと予想できる。2024-02-10
54【第2回】ルートイン長野本部【第2回】ルートイン長野本部ルートインには、日本国内に3つの本部がある。東京本部、大阪本部、そして上田にある長野本部だ。東京と大阪は日本の2大都市であり、ビジネスの拠点として本部が立地することが多い。しかし、3つ目の本部が東名阪の名古屋でなく、長野県そして長野市でも松本市でもなく、上田にあることは面白い。その理由は、言うまでもなくルートインの発祥が上田だというからだろう。 ルートインの前身である永山興産株式会社が1977年に上田市に設立された。そこから、運営総客室数 60,233室に及ぶ巨大ホテルチェーンが誕生した。2024-02-10
55梅花幼稚園2008/06/22梅花幼稚園2008/06/222008/06/22の記録。 梅花幼稚園は上田市内にあるキリスト教主義の幼稚園です。1900年に開設されました。現在の園舎は1903年に建てられた歴史的建築です。現存する全国の幼稚園の園舎の中では大阪市立愛珠幼稚園の園舎(1901年竣工)に次いで日本で2番目に古い園舎です。幼稚園の隣には蚕糸業の発展に貢献した三吉米熊(1860-1927)邸があり、クリスチャンでもあった三吉米熊は梅花幼稚園との関わりもあったようです。蚕糸業で古くから栄えた上田の歴史を物語る歴史的スポットです。 参考資料: 学校法人梅花学園梅花幼稚園http://www.baikayouchien.com/ Wikipedia:大阪市立愛珠幼稚園 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E7%AB%8B%E6%84%9B%E7%8F%A0%E5%B9%BC%E7%A8%9A%E5%9C%922024-02-10
56常楽寺常楽寺常楽寺は北向観音が建立された825年に建立された。 北向観音の本坊であり、ご本尊は「妙観察智弥陀如来」で全国的にも珍しい阿弥陀様である。 また、本堂裏の北向観音の霊像が出現した場所には、石造多宝塔が保存されており、鎌倉時代に天台教学の拠点として大いに栄えた常楽寺の歴史を証する貴重な文化財となっている。 階段を上がって最初に萱葺の本堂が目に入る。屋根から重厚さを感じられる。2024-02-09
57常楽寺石造多宝塔常楽寺石造多宝塔石造多宝塔は1262年の作で、総高274㎝の重厚で堂々とした風格や造り方は鎌倉期多宝塔の優品である。国の重要文化財に指定されている。 多宝塔の形は土台石の上に横長の直方体の石をのせ、幅の広いひさしをさしかけている。その上部は円筒形の身舎を造り出しその上に笠をのせ、一番上に細長い相輪を立てている。 塔が建てられている所は北向観音の出現地といい、境内でもっとも神聖な場所とされる。 常楽寺本堂から石造多宝塔まで向かっていくと徐々に神聖な雰囲気が感じられた。 周りを木や緑に囲まれており、空気がとても澄んでいる印象だった。 また、石造多宝塔のすぐ右側には上田市指定文化財である常楽寺石造多層塔が建っている。2024-02-09
58前山寺三重塔前山寺三重塔塩田城の鬼門に位置している、前山寺の中にある塔。写真を見てわかるように、とても整っていて、美しさを感じられる塔なのだが、なんと未完成らしい。どうやら、廻廊など足りない部分があるらしいため、「未完成の完成塔」と言われているそうだ。一見、どこが未完なのかは本当に分からない。なので、ぜひ自分の目で見て確かめてはどうだろうか。日本遺産になっているのは三重塔だが、他の建築物も素晴らしく、茅葺き屋根の本堂はとても大きく、迫力を感じられる。私が見てきた茅葺き屋根の建築物の中では、ダントツで大きいと思ったので、それも兼ねて見学することをおすすめする。2024-02-09
59日本の妖怪の伝説日本の妖怪の伝説昔の日本ではわからないことを妖怪の仕業ととらえており、その経緯について調べた。2024-02-09
60前川ゼミWEBサイト制作前川ゼミWEBサイト制作本年度私が行ってきた前川ゼミWEBサイト制作のまとめです。2024-02-09
61氷風穴の里保存会主催 風穴講演会 氷風穴をめぐる人々と交通・産業 かっくんのハーモニカ演奏、宮下健司氏講演会(宮下氏側撮影)(スクリーン側撮影)氷風穴の里保存会主催 風穴講演会 氷風穴をめぐる人々と交通・産業 かっくんのハーモニカ演奏、宮下健司氏講演会(宮下氏側撮影)(スクリーン側撮影)【風穴講演会 氷風穴をめぐる人々と交通・産業】 主催:氷風穴の里保存会 開催日:2024年1月28日(日) 会場:安藤百福センター(小諸市大久保千百番) 詳細URL:https://fuuketsu.wixsite.com/koori/%E8%A4%87%E8%A3%BD-2023%E5%B9%B48%E6%9C%882%E6%97%A5-1 【かっくんのハーモニカ】 各務 雄太さん(通称かっくん)はアスペルガー症候群を抱え、ハーモニカ奏者としてマネージャーの父貞雄さんと共に地元小諸市を中心に活動しています。主に発達障害の理解を進めることや東日本大震災の被災地支援活動を行っています。また、今年は「平和への祈り」をテーマに、地震や戦争が続く中での平和への祈りを込めて演奏されています。 【講師:宮下 健司氏】  宮下健司氏は1951年東筑摩郡麻績村に生まれ、明治大学で歴史学を専攻されました。その後、県史編纂や県立図書館勤務を通じ、2024-02-08
62諸を語り唄~絹の奏で~ 坂本 明央氏(津軽三味線奏者)諸を語り唄~絹の奏で~ 坂本 明央氏(津軽三味線奏者)2023/10/29開催 【第8弾移動企画シリーズ 諸ものがたり ~純水館・名前の由来~】 主催:糸のまち・こもろプロジェクト 共催:諸公民館 後援:信濃毎日新聞社・小諸新聞・東信ジャーナル社・小諸市教育委員会・(株)コミュニティテレビこもろ・(株)純水館・純水館資料館・氷風穴の里保存会・週刊さくだいら 【内容】 「諸を語り唄~絹の奏で 坂本 明央氏(津軽三味線奏者)」  坂本 明央氏は青森県北津軽郡坂柳町出身。民謡全国大会連続優勝後、クラウンレコードよりデビューし、全国ツアーを開催しました。津軽三味線名人藤田淳一師の門下生となり、日本コロムビアより「津軽を弾いて津軽を唄う」を発売しました。平成12年に小諸市に移住、津軽じょんがら座を設立。現在も公演を続け、三味線や民謡の指導を行っています。 2024-02-08
63SKFのチケット販売上田会場2008/05/24SKFのチケット販売上田会場2008/05/242008/05/24の記録。 毎年松本で開催される「サイトウ・キネン・フェスティバル(SKF)」(現在は「セイジ・オザワ松本フェスティバル(OMF)」)はクラシック音楽の催しとしては人気が高く、チケット販売初日、長野県内の5つある販売会場にはどこにも長蛇の列が出来ていました。指揮者・小澤征爾さんの人気によるところが大きい。松本会場は前日からテントを持ち込み列をつくる「テント村」が出来ることがマスコミで取り上げられ話題となっていました。 上田の場合は、徹夜をして並ばなくていいように市民有志が販売初日の数日前から整理券を配り、順番を確保できる「上田方式」が取られていました。松本に比べると上田は整理の運営が合理的でクールです。主催者とは関わりなく市民有志が行っていたことも上田ならではのグッドプラクティスでした2024-02-07
64 1925年8月に発行された西塩田時報では無線通信分野における、我が国の現状や問題点、将来性や、欧米諸国との比較について言及されていました。詳しく説明すると、従来日本でも無線技術を兵器工場などでの軍用利用にとどめる形で利用してきていたが、秘匿されていました。国民の科学思想の普及を図る目的もあり、この技術が公開され、さきがけとして東京放送局でラジオ放送が開始されました。  この年、長野県でも1か所放送局開設が許可され、年中に上田市の多くの地域でもラジオ放送が聞くことができることが記されていました。2024-02-07
65電波利用の歴史電波利用の歴史では、まず簡単にラジオ放送が普及していった歴史をおさらいする。1988年にヘルツが電磁波を確認して、1920年にアメリカでラジオ放送が始まりました。日本でも、それから5年がたつと、ついに東京放送局がラジオ放送を開始して、電波文化が到来しました。2024-02-07
66長野県上田市にある別所線の終点である別所温泉駅長野県上田市にある別所線の終点である別所温泉駅別所線は大正から昭和にかけて開業した蚕都(サント)上田を支えた5つの私電鉄のうち、唯一現役なのである。また、上田から別所温泉に至る路線は大正10年(1921年)に開通した。また、中塩田駅や別所温泉駅など、駅舎に近代の趣を残す建物が多いのも特徴である。また、別所温泉駅は別所温泉街の玄関口として、別所温泉の発展に大きく貢献してきたと言える。また、別所温泉駅も信濃国分寺・生島足島神社・泥宮も結ぶレイラインの一部である。そして、別所温泉駅は、別所温泉街への玄関として長年、別所温泉の歴史や文化を伝える拠点として重要な役割を担っているとされている。そして別所温泉駅もまた竜と生きる町、上田としての文化的な背景を示す象徴的な存在と言える。 実際に訪れてみて、昭和のレトロ感があり、駅としてだけでなく、2024-02-06
67長野県上田市にある愛染カツラ長野県上田市にある愛染カツラ愛染カツラは、826年に、山中から火の手が上がり、円仁が祈ったところ千手観音が現れ、地面から温泉が湧出し、千手観音は北向山のカツラの大木に留まったため、円仁がその姿を写して祀ったのが北向観音の発祥とされている。また、ハートの形の葉が珍しく、川口松太郎原作の映画「愛染カツラ」のモデルとなり、今でも縁結びの霊木として老若男女に親しまれている。 実際に訪れてみて看板があるものの発見しづらいので日本遺産という目印を付けた方がより観光客に見てもらえるかなと感じた。しかし、木の周りも綺麗に保たれていて見やすかった。また、看板に説明はあるが日本語でしか書かれていなかったので英語なども書かれているとよりよくなりかなと感じた。2024-02-06
68上田市の日本遺産である北向観音上田市の日本遺産である北向観音北向観音像が生まれた歴史的背景は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の円仁により開創された。また、北向きの理由は、観音像は大抵南向きか東向きのことが多かった。しかし、昔の人は航海をする際、北の空にある北極星を頼りにしていたことから、人生に迷いがあった際に、光を指してくださるように北向に観音を設置したと言われている。また、北向きの北向観音堂と南向きの善光寺と相対していて、「来世住生」を願う善光寺と「両参り」し、ここで「現世利益」を祈ることでご利益があるとされている。 ぜひ北向観音堂と長野市にある善光寺の両方を参り、両参りを達成させてみましょう。2024-02-06
69生島足島神社生島足島神社国土の守り神として仰がれている生島足島神社。 神池に囲まれた本殿の最深部、内殿には床板を張らないことで大地を直接祀っている。 近隣住民の中には神池を囲む参拝ルートを歩くことを日課にしている人がいる。2024-02-06
70学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生) 長野大学の地域科目「信州上田学A」2023を受講した学生が「信州上田」を接点として地域キュレーションした地域学習のアウトカムです。タイトルを選ぶとその学生のマイサイトを表示します(2024/02/15更新)。 各キュレーションの「マイテーマ」は次のページからご参照ください。[ Vol.1 | Vol.2 ]
    ▼社会福祉学部学生
  1. いちご/上田の食
  2. しおり/上田の食べ物
  3. な/上田の日本遺産について
  4. るるる/塩田平の文化財
2024-02-05
71上田の街つくり3上田の街つくり3これは上田城付近の地図である。松本城とは決定的な違いがあり、道がうねっているのが確認できる。何回か千曲川の氾濫が起こったことによって昔から残る街道の姿がそのまま現存している、というわけではなさそうではある。2024-02-05
72上田の街つくり2上田の街つくり2これは上田高校の校門の写真である。松本市と比べる以前に全国各地を見ても高校の門が昔ながらの門であるのは珍しいものである。これは古城の門と呼ばれ、1789年消失後、翌年再建された。文化財にも認定され歴史ある建造物として日々使用されて使用されている。これもまた上田しの街つくりの一部となっている。2024-02-05
73上田の街つくり上田の街つくり上田市も松本市と非常に似た、景観を意識した街つくりを行っている。写真は上田市の柳町の通りのものである。以前に投稿した松本市の中町通りとかなり似ており、建物から石畳に至るまでかなりの共通点が見受けられる。2024-02-05
74プロジェクト研究(長野大学前川ゼミ)2023アウトカムプロジェクト研究(長野大学前川ゼミ)2023アウトカム長野大学企業情報学部前川ゼミ/プロジェクト研究2023成果報告 ▼前川ゼミ2023成果報告 60分 ゼミメンバーの各自が成果を報告しています。(発表順は以下の順と同じ) ▼前川ゼミ・ポートフォリオ(マイサイト) 〔地域デジタルアーカイブ〕 【1】竹中丈二(4年) 地域史料のデジタルアーカイブとその活用 【2】久保山遥(4年) デジタルアーカイブ化と社員日誌 【3】石平飛揚(3年) 紙資料のデジタルアーカイブ化 〔地域づくり支援〕 【4】福田晴紀(4年) メディアの活用と地域づくり 【5】春原百々羽(3年) 地元上塩尻の文化の2024-02-05
75松本の街つくり2松本の街つくり2松本は松本城を起点とし、碁盤の目のように道が整備された作りをしている。そのため築城当時の景観を生かし、現代においてもそれを崩すことなく保存しつつ街を作っていることが窺える。2024-02-05
76松本の街づくり松本の街づくり松本市は国宝松本城を有し、それを基盤とした街づくりを行っている。写真は松本市の中町通りである。御覧の通り、和風なつくりをしており、両脇の店は倉をりのーベーションしたものを使っていたり、またそれに似せた外観であるものがほとんどである。また石畳が敷かれており、景観の良さを引き立てている。2024-02-05
77長野の観光地の持続性 泥宮長野の観光地の持続性 泥宮泥宮は泥をご神体とし、慰霊をここに残しという。泥宮は1790年以降に名付けられた。かつては、生島樽島神社と一本道でつながっていて、深い関係があった。 とても趣がある場所だと感じた。2024-02-05
78日本一短い?県道162号日本一短い?県道162号上田駅前お城口にある横断歩道の部分が短いともいわれている県道162号上田停車場線。長さなんと実延長は7メートル。 実際は県道77号と重複しているため総延長は126メートルである。 重複区間は長い方が優先されるため実延長は日本一短いといえるかもしれない。 上田の隠れスポットなので一度は訪れてみてはどうでしょうか。2024-02-02
79北向観音の''絵馬''北向観音の''絵馬''北向観音堂に奉納されている絵馬はとても興味深い。馬の絵や、鬼退治の絵、善光寺地震などが描かれた絵馬がある。絵馬の由来は、神は馬に乗った姿で現れるとするため昔は本物の馬を奉納していたそう。しかし次第に木や紙、馬の像で代用するようになっていった。鎌倉時代以後には、絵馬の図柄は馬だけではなく多様なものが描かれるようになっていった。 一枚目の写真は板絵鬼女紅葉退治の絵馬。平安時代、信州戸隠山に住み悪事を働いた鬼を退治したとされる伝説。鬼女征伐の命令を受けた平維茂は、北向観音の加護によって退治することができたといわれている。 二枚目の写真は善光寺大地震の絵馬。一八四七年に御開帳でにぎわう善光寺を突然大地震が襲い、多くの人が亡くなった。絵馬の中央にいる市之助という人は、一五人の一行と旅を2024-02-01
80大湯 別所温泉大湯 別所温泉【木曽義仲ゆかり葵の湯〜北条氏ゆかりの湯】 木曽義仲がはるか上洛の機をうかがっていた頃、愛妾葵の御前としばしば入浴していたので「葵の湯」とよばれていました。 その後、北条義政が浴室を建て、北条湯ともよばれていましたが、後にその溢れ出る湯の量の多さから「大湯」と改められました。 →引用 https://www.bessho-spa.jp/sight/spa.html かぼさ ・写真撮るの忘れてしまいました。 ・無料駐車場からは行きは上りで少し歩きます。 ・入浴料200円と安くて驚きました。(いつも行く温泉の三分の一) ・アメニティなどは近くの券売機?で購入できます。 ・シャワーではないので、そこが注意点です。またドライヤーは有料なのとコンセントがないので、基本濡れたまま帰るかお金を払うしかありません。髪が長い方は時間が足りず。100円じゃ乾きき2024-02-01
81日本の中心!生島足島神社日本の中心!生島足島神社池の上に浮かぶ真っ赤な神社。その荘厳な雰囲気は見るものを惹きつけます。地域住民だけではなく外国人観光客も度々見受けられ、インバウンド誘致も成功していると読み取れます。初詣では県内外の客が集いその姿は、長い年月を通して多くの人から愛される地方における、信仰・観光・地域開発の象徴だといえます。2024-02-01
82安楽寺八角三重塔安楽寺八角三重塔信州最古の禅寺。境内の奥にある塔は日本で唯一の木造八角塔(正式名称、裳階付き木造八角三重塔)である。 ・なぜここに珍しい塔ができたかはよくわかっておらず、何らかの形で日本に運ばれたといわれる。 →参照サイト https://museum.umic.jp/bunkazai/document/dot1.html かぼさ ・重要文化財の像がありました。 ・国宝の三重塔を間近でみれました。 ・三重塔の近くでは、お墓があったのでこんな近くにあるのはあんま見たことがなかったので驚きました。。 ・安楽寺に入ると気温が低くなったきがした。とても涼しかった。夏場に行くのがあり? ・二度目に訪れたときはちょうど三周年だったらしく御朱印が特別仕様になってました。 ・拝観料が必要です。2024-02-01
83愛染カツラ愛染カツラ・縁結びの霊木として老若男女に親しまれている ・別所温泉の北向観音にある霊木。 →参照サイト https://japanheritage.bunka.go.jp/ja/culturalproperties/result/5061/ 近くに説明文があるので、それを見るのもありだと思います。 かぼさ ・霊木が好きなので(詳しくはない)、せっかくだからと思い別所温泉ぶらぶら散策で訪れた。 ・調べていて、根本が太いとあったので実際に見ると本当だと思った。 ・冬なので葉がかれてしまい少し、魅力は落ちたが、「荘厳さ」が増した気がした。 ・実際に行くと不思議なパワーがもらえた気がした。2024-02-01
84生島足島神社生島足島神社平安時代初期に生まれたものか 生島大神は万物に生命力を与え太古より守り神として信仰されてきた。 →日本遺産の掲示板から引用しました。詳しくは実際に行くと近くに分かりやすい説明があります。 かぼさ ・小さい頃から初詣にお世話になっており、しっかり見たことはないなと感じ、探求しに。 ・初詣の三日目は少し人通りが少ないなと思いつつ、いつもよりは多いと思う。 ・大学に行く際に見られる鳥居はここから繋がっているのかと感じた。 ・池には鯉や鳥?がいて餌やりをすることができる。 ・写真は12/7撮影2024-02-01
85ニホンジカの痕跡ニホンジカの痕跡長野大学裏の恵みの森で観察できたニホンジカの痕跡です。 足跡:ニホンジカの足跡は二つの蹄が特徴です。ニホンカモシカも似た特徴を持ちますがニホンジカの方が一般的に幅が狭いとされています。 糞:足跡と同様にニホンカモシカと似た特徴を持ちますが、個数と縦横比からおおよそ正確に判別することが可能と考えられています。 参考文献  安藤正規、島村咲衣、後藤真希(2015)「形態的特徴からニホンジカおよびニホンカモシカの糞を判別する」『日本森林学会大会発表データベース』 角研ぎ跡:オスが木に自身のツノをこすりつける習性によるものです。縄張りを示すマーキングの意味やツノを立派に見せて繁殖に有利にするためなどとされています。 他にもニホンジカの食痕も観察できました。食痕とはニホンジカが高いと2024-02-01
86岳の幟岳の幟岳の幟は別所地域で毎年七月の十五日に近い日曜日に行われる雨乞いの儀式である。五百年以上続く伝統の儀式である。国の重要無形民俗文化財や、日本遺産にも登録されている。岳の幟当日は夜明け前、幟の行列の担い手は別所温泉を出発し、夫神岳に登る。午前六時頃、夫神岳に祀られた九頭竜神の祠に住民代表が神事を行った後、岳の幟の布と、御神酒をお供えし、祝詞をあげ、地域の安全と五穀豊穣を祈願してお祓いを行い、午前六時半頃、登り流を先頭に四十本ほどの幟を立て、最後に降り竜がついて山を下る。途中から三十本ほどの幟が加わり、その後、三頭獅子、ささら踊りの一項と合流し、別所の温泉街を一巡する。2024-01-31
87情報通信文化論 本を守るためには情報通信文化論 本を守るためには2024-01-31
88信州亀齢 純米吟醸 美山錦 岡崎酒造信州亀齢 純米吟醸 美山錦 岡崎酒造2024年長野県日本酒ランキング第一位!!!!! 蔵元の岡崎酒造は上田市柳町にある。 原料米 美山錦 実際に「純米吟醸美山錦」を飲んだが癖がなくとても飲みやすくおいしかった。2024-01-31
89豊上モンテリア豊上モンテリア豊上モンテリア 長野大学から徒歩15分ほどの場所にあります。ここは、地元の人に人気なアイスクリームやさんです。毎日フレーバーが変わるところが面白いです。どれも美味しくていつ行っても新しい味があるので楽しいです。また、外にはウッドデッキの机やベンチがあり、家族やと友達などとワイワイ喋りながら食べるのも楽しいと思います。ここに行って驚いたことは、価格の安さです。学生のお財布にも優しく、好きな味が色々楽しめます。そして、気になる本日のフレーバーは毎日Instagramで更新してくれているので行く前にチェックすることが出来ます。ただしとても人気なので夕方には売り切れてしまうことも多いので注意です。2024-01-31
90信濃国分寺信濃国分寺 信濃国分寺は、741年に発せられた国分寺建立の詔により建立された。当時の国分寺は、平将門の乱において消失したと伝えられており、この事件を機に現在の位置に再建されたとされている。現在の信濃国分寺は天台宗の寺院で、本尊は薬師如来である。境内は天平の伽藍の北側、⼀段高い場所にかつての僧寺と主軸線を合わせて整備されている。  信濃国分寺には、八日堂縁日に際に行くのがほとんどで行く機会はなかった。縁日の際に行くため、人が多く境内をしっかり見たことが無かった。本堂のほか石造多宝塔や三重塔など、多くの歴史的価値がある建物が残る場所であると理解できた。2024-01-30
91常楽寺常楽寺常楽寺は、北向観音堂が建設された、天長2年(825年)、三楽寺の一つとして、建設された。北向観音の本坊であり、ご本尊は、「妙観察智弥陀如来」で全国的にも珍しい阿弥陀様である。 急斜面の階段を上り、入山料の100円を払うと、本堂が見えてくる。階段を上るのが大変な人用にスロープも用意されていることや看板がたくさん設置されていて、スマホがなくても、常楽寺までの道のりが分かりやすかった。2024-01-30
92安楽寺安楽寺境内の奥にたたずむ塔は日本で唯一の木造八角塔で、長野県で最初に国宝に指定された、信州最古の禅寺である。中国宋時代の禅宗様という建築様式で、1番下の屋根は裳階と呼ばれ、ひさしにあたる。 杉の木に囲まれた、道を抜け、本堂に向かった。趣があり、歴史を感じることができる、建物で、とても雰囲気の良い場所だった。2024-01-30
93長福寺長福寺平安時代の康保2年(965)創建された。境内の一隅にある八角円堂は奈良、法隆寺の夢殿を模して、二分の一の縮尺で建てられた美しい御堂で、信州夢殿と呼ばれて親しまれている。観音様の正式名称は「銅造菩薩立像」と言う。この観音さまが当山に寄進された年は、戦中真っ只中であり、今日とも明日とも知ることのできない生活の中、みんなが笑顔で暮らせるようにと、通称を「救世観音」名付け親しまれている。このお観音様は古仏特有の微笑み「アルカイックスマイル」別名「少女の微笑み」から白鳳(奈良時代前期)の面影を残していますが作風などからして天平(奈良時代中期)の作と推定されている。2024-01-30
94池と動物池と動物生島足島神社には神池があり、そこにはたくさんの鯉がいる。餌も販売しており、あげてみるとたくさん寄ってきた。奥の方へ進んで行くと鳥も発見!子どもでも楽しめるのではないかと感じた。2024-01-30
95生島足島神社生島足島神社生島足島神社には生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られている。建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)が諏訪の地に下降する途すがら、この地にお留まりになり、二柱の大神に奉仕し米粥を煮て献ぜられてたと伝えられ、その故事は今も御籠祭という神事として伝えられている。 この日は七五三の撮影が行われており、以前行った際は結婚の撮影をしていた。行事で地域の人から親しまれる場所なのだと感じた。また、この神社のステッカーを車に貼っている人をよく見かける。これも地域の住民から親しまれている証拠だと思う。2024-01-30
96北向観音北向観音日本遺産の一つである北向観音を訪れた。 北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場である。 寿永元年(1182年)には源平争乱の中、八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失してしまうが、源頼朝の命のもと伽藍復興がおこなわれ、建長4年(1252年)、塩田陸奥守北条国時により再興された。北向観音様は北向に建立され 千手観音様を御本尊として現世利益を願う。祈祷では厄除・家内安全・商売繁盛・身体健全・交通安全をお願いすることができる。 率直に、想像していた場所よりも高いところにあると感じた。割といきなり北向観音が現れたように感じたが、周りと調和していると感じた。また、別所の街並みを見渡すことができた。2024-01-30
97北向観音堂北向観音堂平安時代初期に比叡山延暦寺座主慈覚大師円仁が開いた霊場。北向きの本堂は全国でもほとんど例が無く、南向きの善光寺本堂と相反している。「極楽住生」を願う善光と「両参り」し、ここで「前世利益」を祈ることで、御利益があるとされる。 商店街を抜け、北向観音堂に行った。当日は、屋台が出ていて、賑わっていた。善光寺と両参りすることが良いとされているため、上田市と長野市の観光業の連携が観光客を呼ぶための鍵になると考えた。2024-01-30
98長福寺長福寺長福寺「信州夢殿」の本尊として安置されている。アルカイックスマイルを特徴とする、像高36.7cmの小金銅仏で、7世紀後半の白鳳時代の作品と考えられる。 長福寺の中には、何があるというわけではなく、今の状態で観光客を呼ぶことは、難しいのではないかと感じた。2024-01-30
99生島足島神社生島足島神社平安初期にまとめられた「延喜式」に載る古社で、生島大神と足島大神を祭神としている。御神体は「大地」であり、日本列島の真ん中に鎮座する神である。 とても大きな神社だなという印象が強く、普通の神社では、塗装が剥げているなどの建物自体の劣化が感じられることが多くあるが、生島足島神社は、綺麗な状態で保たれていて、歴史の長さを感じさせない建物だった。2024-01-30
100安曽神社安曽神社鈴子、石神、柳沢の3地区の産土神(うぶすながみ)であり、地域の守り神。社伝によると、崇神天皇の御宇、国家安泰を祈願し、各地に天社国社を建てた時、御震筆阿曾山舎社(がしゃ)阿曾大明神の御勅額が奉納されたという古社。境内入口は東向き。参道脇には「郷社 安曽神社」と刻まれた社号標が建つ。鳥居をくぐり、木々の参道を進むと、立派な隨身門がある。隨身門の中には、左右に隨身像が安置されている。門をくぐると、砂利の境内。境内西奥に、両翼を広げた形の拝殿があり、拝殿の後方、垣の中に流造の本殿がある。 実際に訪れてみて、一歩境内に入ると、風情を感じられるような空間であった。特に印象に残っているのは、随身門である。とても立派な木造建築の門で、左右の随身像は守り神の様な存在感だった。2024-01-29
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