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管理番号写真タイトル説明登録日
3383建設中のサントミューゼ2013/11/22建設中のサントミューゼ2013/11/22上田市の複合的文化施設「サントミューゼ」が開館したのは2014/10/02です。2013年11月はまだ建設途上でした。 千曲川河川敷の桑畑であったこの区画に鐘紡上田工場が建設され、1937年に操業を始めました。当時の様子の映像がネット公開されています。 (上田市マルチメディア情報センターの動画) 戦後は日本専売公社(後に日本たばこ)の工場となり、その跡地の再開発が進められてきました。2023-12-23
3259上塩尻まちあるき:西側の板壁上塩尻まちあるき:西側の板壁上塩尻は千曲川下流域(西方向)から吹き込む風が強いため、桑の葉に付く蚕の害虫であるカイコノウジバエを吹き飛ばすため質のよい桑が取れることが蚕種製造に適していたと言われています。実際にどの程度、西風が強いのかはわかりませんが、風が強かったことを物語っているのが建物の西側の壁一面に張られた板壁です。岩井小路にあるこの馬場邸の建物に西壁の板壁が残っています。風に吹きつけられると漆喰壁が傷むらしく、板壁で覆ってそれを防いでいるということです。 この板壁は景観的にも特色があり、写真集『民家の風貌』(小林昌人著、1994年)にも馬場家のこの板塀の景観が収録されています。2022-11-29
3231こんなところに桑の木こんなところに桑の木蓼科高校の「立科町探検隊」で生徒をマイクロバスで見送った後、私はふるさと交流館から車を停めた権現の湯に歩いて移動。このようなまったりとした地域散策は久しぶりです。いろいろな発見に満ち満ちた面白い体験。 何とここでは桑の木を発見。養蚕がなされなくなって数十年が経過したにもかかわらず、ここに伐根されていない桑の木があるとは。その希少さに感動です。2022-10-18
3030信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から(講演採録全文) 講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授) ▼元の講演はコチラ https://youtu.be/yS-xdWDMTwE?t=2779 信州学「信州の蚕糸業とシルクロード」講座 第2回  2016年10月6日/まちなかキャンパスうえだ

【1】蚕糸業って何? 蚕種製造、養蚕、製糸

■そもそも蚕糸業とは?

 今回、この講座は、多くの方に、後からも学習していただけるように、ということで、オンデマンド配信することを想定していますので、全く初めての方がこれを見ると「えっ? 蚕糸業って何?」、そういう基本的な疑問ですね。これを最初の方は誰もわからないわけです。その辺のところも含めてお話をさせていただきたいと思います。
2021-07-15
2544[14/09/11]上田市常盤城の街路樹「しだれ桑」[14/09/11]上田市常盤城の街路樹「しだれ桑」上田市常盤城(ときわぎ)の国道18号線沿い、向源寺前に緑地帯があります。ここにしだれ桑が植えられています。信号待ちのせいで、街路樹のしだれ桑に目をやる余裕ができました。蚕都上田にふさわしい環境美化にブラボー!です。2021-05-01
2162蚕都喫茶室/蚕都上田を知る楽しみ~人物編~蚕都喫茶室/蚕都上田を知る楽しみ~人物編~ この動画は以下の再掲です。 「蚕都喫茶室/蚕都上田を知る楽しみ~人物編~」(2010/12/19)(蚕都上田プロジェクト) →https://youtu.be/ALpsdlUN0zI?t=2624 (話し手:新津新生氏、桂木恵氏) この動画はフリートークの中で藤本善右衛門縄葛(つなね)に言及している個所に頭出ししてあります。 以下のような言及がされています。詳細は動画でご確認ください。 ・藤本善右衛門縄葛は、並外れた産業人であったと同時に教養人でもあった。 ・縄葛文化レベルの高さは並大抵ではない。余技で書いた『続錦雑誌』は凄い。 ・桑の葉にも数多くの種類があり、それを一つ一つスケッチ(正確には押し花)2021-01-20
1085旧小県蚕業学校の校歌旧小県蚕業学校の校歌2017/01/28投稿、マイブログからの転載。 長野大学に赴任した最初の年、まだ蚕都上田や小県蚕業学校などの予備知識がなかった頃、上田東高校を視察で訪れ、たまたま目にしたこの校歌に驚愕しました。「校基百年」碑の裏面に刻まれています。 作詞 土井晩翠 作曲 岡野貞一 小県蚕業学校は1892年の創立です。明治以後の唱歌で最も著名な作詞家、作曲家の名前を見て、何という歴史のある学校かと。さらには歌詞がただ事ではない。 3番まで歌詞がありますが、2番の歌詞は少し来るモノがあります。 ♪国の富増し 世を利する  わが蚕業の 尊きを  あけくれ常に 胸にして  青春の子ら 励み合う 富国の中核産業であった蚕業を担う人材を育成する使命が謳われています。蚕業の尊さを明けても暮れても胸にして励まし合う。土井2020-07-18
1079雪で姿を現す段々畑の桑園雪で姿を現す段々畑の桑園2018/01/23、雪が降った塩尻の背後の山々を上田道と川の駅から遠望してみました。道と川の駅と塩尻は千曲川を挟んで対峙しています。視界を遮るものがないので、よく遠望できます。 山腹に水平に走るいくつもの筋が見えます。これが段々畑の跡です。ふだんは見えませんが、雪が降ると段々畑の筋がはっきりと視認できるようになります。 以前見た時より筋が多くありませんが、この現象は雪の降雪の度合いなどにも影響するのでしょう。それでも筋がはっきりと見えます。久しぶりに段々畑の桑園の筋を見ました。2020-07-18
1075上塩尻元宿・蚕室民家の佇まい、清水さん宅上塩尻元宿・蚕室民家の佇まい、清水さん宅2018/11/05、上塩尻・元宿の清水さん宅を訪れました。元宿は上塩尻の中心である北国街道沿いの大村とは違い、千曲川沿いの平坦な土地に広がる区域です。かつて千曲川の大洪水により壊滅的な被害を受けた歴史的背景があります。その一方で、千曲川の上流から運ばれる肥沃な土砂が桑の栽培に適し、この地の蚕種製造を育みました。この条件は千曲川沿いに広がる下塩尻にも共通しています。 清水さん宅の主屋は上田市の調査資料によると明治28年に建てられたらしい。蚕種製造民家の多くが明治20年代に建てられています。門の構えも立派です。中庭も丁寧に手入れがされて、屋敷全体の佇まいが美しい。家の品格というものを感じます。 清水さん宅の敷地からは上塩尻の中心の集落が遠望できます。背後に虚空蔵山系の山が一望できます。蚕種製造2020-07-18
1074全国町並みゼミで上塩尻をエクスカーション全国町並みゼミで上塩尻をエクスカーション全国町並みゼミが2018/11/16~18の3日間にわたり松代を会場に開催されました。全国から200名を超える人々が集う全国規模のイベントです。最終日11/18の午後、いくつかのコースに分かれてエクスカーションを実施しました。 私が企画したのは「蚕都上田エクスカーション」です。参加者は7名と少数ながら、全国から町並みに関心のある方々が参加しました。全国から来られた意識の高い方々だけに関心の向かい方も違い、案内する私の方が大きな刺激を受けました。地元の方々にも参加・同行していただき、直接、地元の方々と現地交流できたことも得難い体験として受け止めていただけました。give, then takeの大切さを改めて感じました。 当日は全国町並みゼミの午前のまとめ会の終了後、会場のロイヤルホテル長野をマイクロバスで出発。千曲川沿い2020-07-18
1066歴博の「上塩尻」蚕種製造に関する展示歴博の「上塩尻」蚕種製造に関する展示2017/10/15、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館(歴博)を訪れてきました。目的は、上塩尻の蚕種製造に関わる展示を見学するためです。展示場所は第三展示室の「知識と技術」のコーナーです。 「蚕を飼う」「養蚕技術の普及」「桑の葉の収集」「『蚕書の里』上塩尻村」「商品と技術と風雅の交流」「繭の歴年標本」「世界に知られた日本の養蚕技術」というパネル構成です。このうち、「繭の歴年標本」は奥州本場蚕種の梁川の展示。他は全て上塩尻です。 資料として展示されているものは次のとおりです。 ・清水金左衛門『養蚕教弘録』1847 ・清水金左衛門『養蚕乾湿計用方』メガルカヤを利用した養蚕乾湿計 ・座間神社句合わせ ・いははな集 1800年 ・「いははな集」参加村と蚕種の行商先 など。 展示は杉仁氏の著作『近世の地域と2020-07-18
1065藤本善右衛門縄葛の『続錦雑誌』藤本善右衛門縄葛の『続錦雑誌』類まれな蚕種製造家の一人、藤本善右衛門縄葛(つなね)(1815~1890)は、明治10年頃に隠居してから亡くなるまでの十数年間にわたり、『続錦雑誌』(しょくきんざっし)(全89冊)を記し残しています。 『続錦雑誌』隠居時代の教養ある学びの綴りと言ってもいい。現在で言う生涯学習です。さらに今風に言うなら「学習ポートフォリオ」です。知的関心が多方面に及び、その内容は博物学的に多様です。その多くは何らかの書から書き写したもののように見えます。絵の表現力にも感心します。当時の蚕種製造家は蚕種製造技術にたけているだけでなく、豊かな教養も身に付けていることが求められていました。杉仁氏の研究書『近世の地域と村落文化』(2001年)では、上塩尻村の蚕種製造家たちと村落文化についての言及がされています。豊かな教2020-07-18
1057地域の記憶:上塩尻・段々畑の桑園地域の記憶:上塩尻・段々畑の桑園地域のありようは長い間には大きく様変わりします。昔その地域がどうであったのかを確認するにはその当時の資料が欠かせません。人の記憶の中にその様相は残っていても、第三者がそれを確認できるのはデータとして残された何らかの記録です。証言のような言葉(人の記憶)でも補えますが、それを証言してくれる映像なり、道具なり、資料なりがあってその確認ができます。 先日、上塩尻のSさんのお宅を訪問しました。蚕種製造の中心地・上塩尻の古い資料をデジタルアーカイブ化しようというのがメイントピックです。過去に上塩尻の記録がまとめられたものとしては『塩尻地区写真集:20世紀の歩み』(1999年、塩尻地区写真刊行会)があります。 Sさんのお宅にあった一枚の写真に注目。少年たちと大人たちの集合写真です。脱穀作業を共同2020-07-18
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