藤本善右衛門が残したもの

日付: 作成者:ミッチー

日本一の蚕種製造の地・信州上田を知る上で欠かせない最も重要な人物の一人、藤本善右衛門縄葛縄葛(1815~1890)とはどのような人物だったのか、資料からその実像を探る。

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藤本善右衛門縄葛の『続錦雑誌』

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類まれな蚕種製造家の一人、藤本善右衛門縄葛(つなね)(1815~1890)は、明治10年頃に隠居してから亡くなるまでの十数年間にわたり、『続錦雑誌』(しょくきんざっし)(全89冊)を記し残しています。

『続錦雑誌』隠居時代の教養ある学びの綴りと言ってもいい。現在で言う生涯学習です。さらに今風に言うなら「学習ポートフォリオ」です。知的関心が多方面に及び、その内容は博物学的に多様です。その多くは何らかの書から書き写したもののように見えます。絵の表現力にも感心します。当時の蚕種製造家は蚕種製造技術にたけているだけでなく、豊かな教養も身に付けていることが求められていました。杉仁氏の研究書『近世の地域と村落文化』(2001年)では、上塩尻村の蚕種製造家たちと村落文化についての言及がされています。豊かな教養が蚕種製造販売の信頼につながり、同時に福島から関東、岐阜に至る取引先と俳諧の文化的交流のネットワークが作られていたことも記されています。

『続錦雑誌』を一通り一瞥してみて、改めて注目されるのは3冊に渡る桑の葉の拓本です。桑の葉の種類を網羅した「桑の葉図鑑」と言ってもいい。この徹底ぶりには驚くばかりです。


上塩尻の集落の模型(1992年)発見

上塩尻の集落の模型(1992年)発見

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上塩尻の集落の模型(1992年)発見

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上塩尻の集落の模型(1992年)発見

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蚕種製造民家群が数多く残る上塩尻の民家は1989年度から1991年度にかけて当時の工学院大学山崎弘研究室によって調査されました。それからかれこれ30年近くが経過し、その調査を知る人も少なくなったばかりでなく、所在がわからなくなっていた調査資料を最近になってやっと探り当てることができました。そのことだけでも大きな感動です。

そしてつい先日、その調査で作成された上塩尻の集落のミニチュアが発見され、眼前で確認しました。「長野県上田市上塩尻の養蚕民家集落 Scale:1/500 1992.3.28 工学院大学 山崎研究室」と記されています。

山崎研究室の調査では、上塩尻の蚕種製造民家のうち23軒が調査され、それらの民家については間取りも仔細に調査されました。それらの民家については実物そっくりのミニチュアが作られています。現在はなくなった民家が数軒あります。山崎研究室の研究成果を「見える化」した集大成の資料の一つです。再び大きな感動に包まれました。


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