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1米じゃなくて麦? 麥の増産に就て(『西塩田時報』第11号(1943年11月10日)1頁)米じゃなくて麦? 麥の増産に就て(『西塩田時報』第11号(1943年11月10日)1頁) 日本はお米のイメージがあるがこの記事では麦の生産が奨励されている。お米は水も多く使うし、時間もかかるということでこの時期は早く生産できる麦が奨励されていたのでは。  私達が毎日食べてられるのは農家さんであったり、漁師さんのおかげである。今こうやって食べられる時代に感謝をしたい。 出典元:  『西塩田時報』第11号(1943年11月10日)1頁2022-02-09
2なにを飼うの!? 養狸の将来性と品種の選択について(『西塩田時報』第184号(1939年3月1日)2頁)なにを飼うの!? 養狸の将来性と品種の選択について(『西塩田時報』第184号(1939年3月1日)2頁) 現在ではペットとして犬や猫などが主流である。ただこの記事では狸の飼育の重要性が書かれている。少しフォルムとしては犬に近いかもしれないが現代だったらとても違和感がある。  自分で飼うペットはかわいいが、人さまに迷惑のかからないように。くれぐれも飼っている方はご注意を。 出典元:  『西塩田時報』第184号(1939年3月1日)2頁2022-02-09
3夏風邪には気をつけましょう 『夏の衛生』(『西塩田村公報』第10号(1943年8月25日)2頁)夏風邪には気をつけましょう 『夏の衛生』(『西塩田村公報』第10号(1943年8月25日)2頁) 今の時代も熱中症など真夏日にはよくニュースになるがこの時代はもっと初期的な予防であったり注意が書かれている。お腹を痛めたり、冷やしすぎに気を付ける呼びかけである。今の時代にこんな記事がでたら笑ってしまいそうである。  どの時期も風邪や病気で体調を壊さないように… 資料出典元:  https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0946.jpg2022-02-09
4戦時中のタンパク質は蜂の子!?戦時中のタンパク質は蜂の子!? 戦争中はタンパク質不足による栄養不足が多かったという。そのタンパク質不足を補うために蜂の巣から取れる蜂の子を貴重な栄養源として食べていたらしい…  蜂の子は食べたことはないが虫の佃煮に感覚は近いのだろうか…  くれぐれも栄養不足にはご注意を…2022-02-09
54 上田市の建築物4 上田市の建築物明治、大正から機能を失わず現在まで残り続けている上田市の建物を身近なところから探してみました。 旧宣教師館、上田蚕種協業組合事務所棟、大家駅、飯島商店、別所温泉など数多くあり、この時代から存在する産業や文化を読み解くことが出来ます。 私たちが利用する上田駅も明治21年に開業されたものであり、駅や店が多い街の庶民の生活は非常に賑わっていたのだと思われます。 また、上田市は養蚕業で発展を遂げた地域です。観光、文化、特産品の面でもそれは大きく影響していると思います。2022-02-09
63 生活の場3 生活の場明治~大正時代の建築については、日本は古来から一貫した木造建築でしたが、明治には洋風の石造、煉瓦造が移入され末期には鉄骨造や鉄筋コンクリート造の新構造が出現し、大正期の耐震耐火の本格的近代建築へ発展しました。いわゆるルネッサンスやネオバロックの復古様式の二番煎じが移植され、疑似洋風建築と呼ばれるような建築物が多く造られました。しかし洋風化には多額の費用がかかったため、庶民の生活の場である住宅は、やはり日本家屋が多かったそうです。 生活を便利にしたアイテムとしてはランプやマッチが挙げられます。江戸時代まで使われていた行燈やろうそくに比べ石油式ランプはかなり明るく、通り沿いに設置されたガス灯は夜の街を照らすのに大変役立ちました。 また、マッチの輸入によってそれまで火打石で火を起2022-02-09
7プロジェクト研究発表①~⑬と各アウトカム(前川ゼミ2021)プロジェクト研究発表①~⑬と各アウトカム(前川ゼミ2021)長野大学前川ゼミ(企業情報学部科目「プロジェクト研究」) オンライン発表会 2022/01/31ゼミ時間帯に実施 発表①~⑬+講評 ▼2・3年生 プロ研6「海野町レトロ写真館」(発表者:足立光紅) プロ研7「西部地域の地域づくりに向けた支援」(発表者:飯髙綾) プロ研8「大洗型地域振興事業推進仮想モデルの作成」(発表者:高山大和) プロ研9「山本鼎の部屋資料のデジタ2022-02-09
82 文明開化2 文明開化この時代は西洋の文化が日本に浸透し始め、現代につながる様々な変化が生じた時代です。 食や服飾、建築などの文化において西洋の要素を取り入れ、模倣し、日本のものを取り入れるなどをして洋風に変わっていきました。 服装に関しては軍人や役人、上流階級の人の間には制服や礼服として早くから洋服が広まっていきました。庶民の間では着物が一般的であり、外で洋服を着ている男性も家では和服に着替える等の例もあったそうですが、髪型は明治に入り大きく変わりました。「散髪令」によってちょんまげを切ることが強制されました。男性は誰もが洋風の短髪になり、それに合わせて山高帽などの帽子も流行るようになりました。 女性は明治に入っても着物に日本髪が主流でしたが、化学染料を使った染物や西洋風の模様が取り入れられ、2022-02-08
9戦国時代の上田城戦国時代の上田城戦国時代、天才的な軍略家として称された真田昌幸が、上杉家に対抗するため徳川家康を説得し、上田城を築城した。上田城の築城構想は、実に巧みなものとなっている。 千曲川の北岸一帯は、神川や矢出沢川が作った谷間にある、勾配の大きな扇状地となっており、千曲川の河岸段丘となっている。そのため、大外堀の役割を果たしているため、簡単には攻め込まれない。城の南端でも、千曲川の分流が高低差の大きな岸をつくっていることや、対岸や東側も難攻不落の地となっている。 この時代から土地を生かした築城がされていたとは驚きで、上田の土地柄ならではのことであると感じた。 参考文献・資料 ・信州街あるき 上田城址を訪ねる上田城跡2022-02-04
10上田の地質変化の変遷上田の地質変化の変遷上田地域が誕生したのは、今から2000万年前にもなる。 マグマの移動によって日本列島がアジア大陸から切り離される、という大きな変動があった。その動きの中でできたのが「フォッサマグナ」であり、上田は1700万年前にこの地殻変動によって誕生したといわれている。 陥没していたため、あたり一帯は深い海であった。しかし、1200万年前にマグマの活動によって海底が隆起し、次第に浅い海となっていった。やがて陸地が広がっていき、今から100万年前に現在の上田に近い土地へと変わっていった。 上田が誕生したころは、陥没の影響で深い海となっていたことに驚きを感じた。最初から陸地が広がっていたわけではないということだった。 参考文献 ・真田坂 2019年4月 No.262022-02-04
11呉市の歴史~昔と現在の比較1~呉市の歴史~昔と現在の比較1~同じ場所で撮影されたものである。現在の写真の方が、「灰ヶ峰」が確認できるが、いずれも絵葉書の姿とは異なっている。 現在、この「四ツ道路」には多くのお店が存在するが、人口の減少により、シャッターが下りている店も多く、これからの呉市の課題といえる。 出典:「海軍とともに発展した呉の街」 https://smtrc.jp/town-archives/city/hiroshima/p07.html2022-02-08
12呉市の歴史~昔と現在の比較1~呉市の歴史~昔と現在の比較1~この場所は呉を代表する「四ツ道路」の交差点を撮影したもの。左手にあるのは、「呉本通郵便局」、奥には標高737mの「灰ヶ峰」がそびえたち、当時山頂には防空砲が設置されていた。また、この灰ヶ峰の高さにちなみ、呉市の郵便番号は737である。絵葉書上では、灰ヶ峰の部分が加工されている。 1909年には、県内初となる市内電車が呉に開通する。 出典:「海軍とともに発展した呉の街」 https://smtrc.jp/town-archives/city/hiroshima/p07.html2022-02-08
13郷土料理郷土料理 佐久鯉について調べましたが、実際に食卓に並んでいた料理の一部を紹介します。 ①鯉こく  鯉こくとは、鯉をぶつ切りにして味噌で煮込む簡単な料理で、地域や家庭により砂糖や山椒を入れる家庭や、調理法に関しては鱗を取らずに調理する過程もあります。 ②鯉の洗い  名前だけではピンと来ないかもしれないが、鯉の洗いとは刺身である。川魚を刺身で食べるのは大変珍しく、新鮮な鯉を扱うことが出来る佐久市ならではの料理であると言える。2022-02-08
14プロ研⑬竹中丈二「上田・小諸のデジタル・アーカイブ化について」(前川ゼミ2021)プロ研⑬竹中丈二「上田・小諸のデジタル・アーカイブ化について」(前川ゼミ2021) 10分 ▲クリック/タップして発表動画をご覧ください。 発表:2022/01/31 オンライン発表 発表者のマイサイト(プロジェクト研究のアウトカム) 発表者(学生):竹中丈二(長野大学企業情報学部2年) (ゼミ担当:前川道博@長野大学企業情報学部)2022-02-08
15プロ研⑪鈴木梓「立科町の魅力を発信できる仕組みづくり」(前川ゼミ2021)プロ研⑪鈴木梓「立科町の魅力を発信できる仕組みづくり」(前川ゼミ2021)長野町立科町の魅力を地域の人が外部に発信できるような仕掛けづくり  10分 ▲クリック/タップして発表動画をご覧ください。 発表:2022/01/31 オンライン発表 発表者のマイサイト(プロジェクト研究のアウトカム) 発表者(学生):鈴木梓(長野大学企業情報学部3年) (ゼミ担当:前川道博@長野大学企業情報学部)2022-02-08
16プロ研⑦飯髙綾「西部地域の地域づくりに向けた支援」(前川ゼミ2021) プロ研⑦飯髙綾「西部地域の地域づくりに向けた支援」(前川ゼミ2021)  13分 ▲クリック/タップして発表動画をご覧ください。 発表:2022/01/31 オンライン発表 発表者のマイサイト(プロジェクト研究のアウトカム) 発表者(学生):飯髙綾(長野大学企業情報学部3年) (ゼミ担当:前川道博@長野大学企業情報学部)2022-02-08
17プロ研⑤大津拓人「長沼地域におけるりんご農家の災害復興」(前川ゼミ2021)プロ研⑤大津拓人「長沼地域におけるりんご農家の災害復興」(前川ゼミ2021) 8分 ▲クリック/タップして発表動画をご覧ください。 発表:2022/01/31 オンライン発表 発表者のマイサイト(プロジェクト研究のアウトカム) 発表者(学生):大津拓人(長野大学企業情報学部4年) (ゼミ担当:前川道博@長野大学企業情報学部)2022-02-08
18プロ研③白井裕介「地域住民が地域に興味関心を持てる仕掛けづくり」(前川ゼミ2021)プロ研③白井裕介「地域住民が地域に興味関心を持てる仕掛けづくり」(前川ゼミ2021) 8分 ▲クリック/タップして発表動画をご覧ください。 発表:2022/01/31 オンライン発表 発表者のマイサイト(プロジェクト研究のアウトカム) 発表者(学生):白井裕介(長野大学企業情報学部前川ゼミ4年) (ゼミ担当:前川道博@長野大学企業情報学部)2022-02-08
19染色の工程とこれから期待される人染色の工程とこれから期待される人小岩井紬工房 地元特産品を活かし上田紬のブランド価値向上をめざす 多くの工房が手織から力織機へいこうするなかにあって「手織りに徹する」という信念をもつ小岩井紬工房。 「上田の特産品を利用して、上田らしさがアピールできる紬をつくりたい」という思いを抱き続け、構想から3年以上を費やして生み出した新商品は「林檎染」と名付けられた。その名の通りに使用するのは林檎の樹皮で、すべて上田産。経糸、緯糸ともに100%の草木染めは珍しいという。「改善の余地はまだまだある。もっと突き詰めて行かないと、味や深みはでません」と現状に満足することはない。小岩井さんの頭の中には、すでに別の特産品を活かした新商品のアイデアがあるという。「これからも、上田らしさにこだわって、上田紬の価値を高めたい」と前向き2022-02-08
20上田紬の現在上田紬の現在上田紬の現在 上田紬はまだまだ認知度が低い。しかし現代で上田紬が親しまれるように、以下のようなものが行われている。 ○現代の上田紬イベントのインスタhttps://instagram.com/kimono_ev?utm_medium=copy_link 上田紬の魅力をもっと知ってもらうために サントミューゼ 好きな色の糸を使いオリジナルコースターがつくれる上田紬の手織り体験ワークショップhttps://www.santomyuze.com/museumevent/morris_uedatsumugi/ 小岩井紬工房 キモノマルシェや着物塾など、年間を通して様々な世代の人と関われるイベントを開催している。このキモノマルシェでは長野大学や信州大学の繊維学部など多くの大学生も参加した。 http://www13.ueda.ne.jp/~koiwai-tsumugi/ibent.html https://ueda-navi.jp/archives/614 上田紬×街歩きイベント実行委員 大学生が実行委員となり、上田紬を着て柳町や上田城跡公園で2022-02-08
21第二次世界大戦以後の上田紬第二次世界大戦以後の上田紬第二次世界大戦以後の上田紬 終戦後、まだ衣類が欠乏していた頃、商工省は京都のコブラン機とともに上田紬など数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。 などの数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。農家の家内生産によって、ほそぼそ自家用を織りだす程度であって、絹紬が機業として再開していく機会が、なかなか熟さないでいた。このとき昭和24~5年頃から、神科出身で元蒙古自治政府最高顧問をされた故金井章次氏は、軍放出の真綿を利用して糸を紡ぐことを提唱、農村副業による手織りのなかから紬織りの再興を考えた。草木染の紬織りを現代に生かそうと苦心をされる一方、草木染料や媒染材の化学研究をされて、生産量の増大や、新販路の開拓のことに努力をはらわれた。江戸時代からの上田縞・上田紬の名声は、特有2022-02-08
22上田藩主としての松平忠固上田藩主としての松平忠固出典:横浜市「横浜港の歴史(変遷図、年表)」https://www.google.com/url?sa=i&url=https%3A%2F%2Fwww.city.yokohama.lg.jp%2Fkanko-bunka%2Fminato%2Ftaikan%2Fmanabu%2Frekishi%2Fhistory0.html&psig=AOvVaw2ehsoQQMOejw2Wg80v6XoR&ust=1644781455506000&source=images&cd=vfe&ved=2ahUKEwjptbDE9vr1AhWdTPUHHbouAioQr4kDegUIARC_AQ  上田藩主としても忠固は養蚕・生糸・絹織物産業を振興し、生糸を日本の代表的輸出品へと押し上げた。条約調印前から生糸輸出の準備をし、老中から失脚した後も横浜開港に備え生糸輸出に注力した。生糸輸出の先駆けとなったのはやはり上田藩だった。 しかし、忠固は横浜開港から三か月後の1859年7月1日に死去してしまう。  忠固の先見の明に感服すると同時に、後世でいいように言われ続けたのはこの早世による部分もあるのではないかとも思う。2022-02-08
23上田紬 染色の工程上田紬 染色の工程林檎染め 品種の違いで染め上がりの色が変化する 1.剪定 リンゴの木の内側まで太陽の光が届くようにするために不要な林檎の木(枝)を切り落とす作業 2.気の皮を削る  ふじ オレンジみがかってる 信濃ゴールド 白っぽいいろ  (気の部分は薪ストーブをやっている人にあげている) 3.乾かす 4.煮出し袋に樹皮をいれる(樹皮は糸と同じくらいの量をつかう) 5.水をため、樹皮をその中にいれる 6.水を沸騰させながらよくまぜる 7.沸騰させたら冷ます 8.糸を入れ、均等に液につける 9.沸騰させながら1時間ほどかけて染める 10.媒染する (金属物質を媒体にして染料を繊維に定着させる工程) 11.媒染液に20分ほど糸をいれる 12.媒染後に糸をよく水洗いする 13.再び染色する 14.最後によく洗う 2022-02-08
24上田紬の現在上田紬の現在上田紬はまだまだ認知度が低い。しかし現代で上田紬が親しまれるように、以下のようなものが行われている。 ○現代の上田紬イベントのインスタhttps://instagram.com/kimono_ev?utm_medium=copy_link 上田紬の魅力をもっと知ってもらうために サントミューゼ 好きな色の糸を使いオリジナルコースターがつくれる上田紬の手織り体験ワークショップhttps://www.santomyuze.com/museumevent/morris_uedatsumugi/ 小岩井紬工房 キモノマルシェや着物塾など、年間を通して様々な世代の人と関われるイベントを開催している。このキモノマルシェでは長野大学や信州大学の繊維学部など多くの大学生も参加した。 http://www13.ueda.ne.jp/~koiwai-tsumugi/ibent.html https://ueda-navi.jp/archives/614 上田紬×街歩きイベント実行委員 大学生が実行委員となり、上田紬を着て柳町や上田城跡公園で街歩きをする2022-02-08
25老中としての松平忠固老中としての松平忠固出典:横浜美術館「コレクション紹介」https://yokohama.art.museum/collection/collection.html    忠固は、すでに日米和親条約の頃から閣内で交易通商論を唱えており、ペリーとの条約交渉の当初から交易通商を条約に含めようとしていた。そこに立ちふさがったのが徳川御三家の水戸の前藩主で、尊王攘夷思想の震源徳川斉昭である。日米和親条約調印の翌年、斉昭によって失脚に追い込まれたもののハリスとの通商条約交渉に際して忠固は老中に復帰し、井伊直弼の調印には勅許を必要とするとの訴えを押し切って調印を断行した。その後責任を負い失脚した。  以上の老中としての行動からは、忠固の信念強さがうかがえる。2022-02-08
26観光地図について観光地図について「大洗町に訪れる観光客がどのようなルートを通って観光するのか」について調査する方法の一つとして、大洗町の地図に着目しました。 写真は大洗駅前の地図になります。 この地図を見て旅の計画を立てる観光客も多いでしょう。 そう考えるとこの地図が非常に偉大なものに見えてきました。 このようなことを考えていましたが、それと同時に、地図には柔軟性が必要であるなと感じました。つまり、容易に変更点を追加できることです。やはり町内の環境といえど変わりゆくものです。そうなればその変化に合わせて変更を加えていくことは必須でしょう。その地に詳しくない観光客への案内ならなおさらです。 それはやはり、インターネト上での地図でしょう。 これからは駅前には地図と一緒に地図のQRコードが掲示され、それを読み込2022-02-08
27大洗カオス大洗カオス大洗町のコワーキングスペースに「大洗町の地域活動団体」についてのお話を伺いに行った際、「大洗カオス」という団体の話をお聞きしました。 フォトコンテストなどを開催しており、様々な職種の方が所属しているとのことです。 海を撮影してはいけない海のフォトコンテストなど、非常に興味深いイベントを開催しているとのことでした。2022-02-08
28松平忠固とは松平忠固とは 松平忠固(1812年~1859年)は上田藩の第6代藩主(上田城主に直すと真田昌幸から数えて11代目)で、日米和親条約と日米修好通商条約の調印時に老中を務めた人物である。最初の老中就任時は「忠優(ただます)」という名で、二度目の時は「忠固(ただかた)」に改名している。 忠固は終始一貫して開国と交易を主張し、徳川斉昭や井伊直弼と対立しながらも二つの条約の調印を断行した。その一方で、養蚕業を推進して海外輸出の地盤を固め、日本経済の礎を築いた。2022-02-08
29観光客の憩いの場観光客の憩いの場観光客同士のコミュニティの形成について調査するために現地を訪れました。 観光客の憩いの場、という単語がすでに面白いものですが、大洗町には観光客が立ち寄り、観光客同士のつながりが生まれやすい地域です。 それはこの写真のように、各店舗の飲食スペースが一つの交流の場となっており、大洗町が観光客のコミュニティを作っているからであり、これは大きな特徴であると考えています。2022-02-08
30大洗の子供たち大洗の子供たち大洗町に幾度となく通う中で、長い間疑問に思うことがありました。 それは、大洗の子供たちの遊び場です。 大洗に訪れた際、私は子供たちの姿を見たことがありませんでした。 実際、大洗町の中にゲームセンターなどといったアミューズメント施設はほとんどありません。 しかし、最近現地で出会った方との会話の中で、カジキミュージアムという施設で子供たちが集まってゲームをしていたという話を聞きました。 聞けばこの施設のオーナーは子ども食堂のようなものを行っており、それも理由の一つではあると思いますが、今まで大洗町を観光地として見ていた中で、地元としての役割を見たようでうれしい気分になりました。2022-02-08
31大洗サンビーチ大洗サンビーチ大洗サンビーチについて現地取材を行いました。 その結果、このサンビーチの水位は年々減少しており、砂浜の面積が拡大していっているとのことでした。 実際、この影響により大洗町の商店街から砂浜への道のりは非常に長くわかりずらいものとなっています。 また、海と町が連結していないことは観光地としての重大な課題なのではないかと考えています。 今後も注視していきたい大洗町の課題の一つです。2022-02-08
32第二次世界大戦以後の上田紬第二次世界大戦以後の上田紬終戦後、まだ衣類が欠乏していた頃、商工省は京都のコブラン機とともに上田紬など数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。 などの数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。農家の家内生産によって、ほそぼそ自家用を織りだす程度であって、絹紬が機業として再開していく機会が、なかなか熟さないでいた。このとき昭和24~5年頃から、神科出身で元蒙古自治政府最高顧問をされた故金井章次氏は、軍放出の真綿を利用して糸を紡ぐことを提唱、農村副業による手織りのなかから紬織りの再興を考えた。草木染の紬織りを現代に生かそうと苦心をされる一方、草木染料や媒染材の化学研究をされて、生産量の増大や、新販路の開拓のことに努力をはらわれた。江戸時代からの上田縞・上田紬の名声は、特有の風合や柄模様にもあったが2022-02-08
33大洗町の日常の異色さ大洗町の日常の異色さふと街を歩いた際、目にアニメーション作品のパネルが映ることは稀でしょう。しかし、大洗町は違います。キャラクターのパネルに旗、旅館の網戸までキャラクター柄です。しかしそれが普通といった風に地元住民の方が過ごしています。私はこの異色の状態は、コンテンツツーリズムを研究する上で欠かせない要素になると考えています。2022-02-08
34上田蚕種協業組合事務棟上田蚕種協業組合事務棟大正5年地元の蚕糸業の関係者たちによって設立したのが上田蚕種株式会社だった。現在の事務棟・採卵室など主要な建物が翌6年に完成した。その後、昭和45年から現在の社名となった。最盛期には22万箱の蚕種をこの組合から出荷していた。この場所は養蚕業を支えた歴史ある建物。 「参考文献」 https://museum.umic.jp/bunkazai/document/dot25.html2022-02-08
35常田館製糸場常田館製糸場嘉永5年(1852)諏訪郡平野村(現岡谷市)に生まれた笠原房吉は、開通したばかりの信越線上田駅に近いこの地に、明治33年(1900)「常田館製糸場」を創業した。常田館製糸場は、かつてあった講堂・劇場や病室は失われてしまっているが、近代製糸工場の前途の特徴を示す建物群がまとまって残っているのは県内ではここだけである。国内最高層の木造5階建繭倉庫、大正時代末の鉄筋コンクリート5階建て倉庫群などは製糸技術が発達した時代の先人達の工夫と知恵の足跡が歴然と残り、学術的にも貴重な文化遺産になっている。 「参考文献」 http://www.kasahara.co.jp/kasahara/tokidakan/2022-02-08
36上田藩第6代藩主 松平忠固上田藩第6代藩主 松平忠固関良基著『日本を開国させた男、松平忠固: 近代日本の礎を築いた老中』 当初、上田藩主をマイテーマとして設定していたが、歴代藩主は扱いきれないため、今回は上田藩主の中でも特筆すべき功績を持つ松平忠固をマイテーマとし、探求してきた成果を伝えていきたいと思う。 基本的な情報源は、関良基著の「日本を開国させた男、松平忠固 近代日本の礎を築いた老中」になるが、私たちが学んできた常識を覆される内容が多くあるので、ぜひ歴史的事実との違いを感じてほしい。2022-02-08
37上田紬上田紬蚕の絹糸は上田紬となって商品化されている。 上塩尻にある小岩井紬工房では実際に上田紬で商品を作り、売り出している。例えば、名刺入れ、ピアス、ネクタイなど、様々な商品がある。どの商品もキレイでデザインにも優れているものが多いので買いたくなる人もたくさんいるのではないでしょうか。小岩井紬工房に行く道のりには蚕を育てていた特徴のある越屋根の民家が多くあるのでそこも注目です。 「参考文献」 http://www13.ueda.ne.jp/~koiwai-tsumugi/2022-02-08
38越屋根越屋根越屋根という二階建ての建物があり、これは蚕を育てていたいという特色である。越屋根は換気や光を取り込むために作られた。蚕糸業が盛んだった上塩尻、下塩尻、秋和にはこの越屋根の建物が、多く残っている。その地域が蚕を育てていたという特徴が見て分かるので見つけてみると面白いかもしれない。 「参考文献」https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?c=17&p=4661 https://ueda-navi.jp/hokkoku-kaido/spot/public/9922022-02-08
39丸山商店丸山商店この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。2022-02-08
40アルファアルファこの写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。 一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。2022-02-08
41いも平いも平この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。 一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。2022-02-08
42キクチ洋装店キクチ洋装店この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。 一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。2022-02-08
43大洗活動の始まり 草案大洗活動の始まり 草案私が大洗町での地域活動を始める前、大洗町に初めて現地調査という目的で訪れる際の活動草案になります。 やりたいことを全て書き写しただけのメモ帳ですが、時々これを見ることで思い出す考え方やアイデアがあり、非常に面白いものです。2022-02-08
44銀座食堂銀座食堂この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。 一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。2022-02-08
45果てない魅力の発見 ーちゅう心ー果てない魅力の発見 ーちゅう心ーもう何回目かわからない、大洗町への訪問でした。 しかし、普段歩いていた商店街の脇道をのぞいてみると、 そこには「ちゅう心」というお店が存在していました。 この景色は非常にノスタルジックな雰囲気のあるもので、 まだこのような魅力ある景色が存在したということに感心しました。また、この風景を魅力であると感じたことから、地域の魅力とは果てないものなのではないかという考えに辿り着きました。2022-02-08
46蚕とは蚕とは蚕とは、蝶や蛾の仲間で鱗翅目カイコガ科に属する昆虫である。幼虫が作る繭から絹糸をとるために人が飼育していた虫である。主に、くわの葉を食べて育っていく。生まれてから約30日程度で営繭(繭を作ること)になる。蚕の成長はとても速い。 「参考文献」https://www.naro.affrc.go.jp/archive/nias/gmo/kaiko/kaikobio.pdf https://mirusiru.jp/nature/animal/kaiko2022-02-08
47蚕都蚕都江戸中期の寛保2年、奥州(福島県)でのこと。福島の蚕種家、遠藤氏が自家で製造した蚕種(蚕の卵)を「蚕都」と命名。この蚕種を遠藤氏と親交のあった上田藩上塩尻村の塚田与右衛門が仕入れ、当地近郷で販売したことから「蚕都」の名が上田小県で知られるようになった。  「参考文献」画像 https://www.tamarokuto.or.jp/blog/rokuto-report/2020/09/05/kaiko25/2022-02-08
48上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~戦後以降~上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~戦後以降~第二次世界大戦以後の上田紬 終戦後、まだ衣類が欠乏していた頃、商工省は京都のコブラン機とともに上田紬など数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。 などの数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。農家の家内生産によって、ほそぼそ自家用を織りだす程度であって、絹紬が機業として再開していく機会が、なかなか熟さないでいた。このとき昭和24~5年頃から、神科出身で元蒙古自治政府最高顧問をされた故金井章次氏は、軍放出の真綿を利用して糸を紡ぐことを提唱、農村副業による手織りのなかから紬織りの再興を考えた。草木染の紬織りを現代に生かそうと苦心をされる一方、草木染料や媒染材の化学研究をされて、生産量の増大や、新販路の開拓のことに努力をはらわれた。江戸時代からの上田縞・上田紬の名声は、特有2022-02-08
49学生による地域キュレーション2021:全部①~⑱学生による地域キュレーション2021:全部①~⑱▼地域キュレーション発表会記録 テーマ①「上田と観光」(発表者:) テーマ②「上田市と松川村の手当・補助の比較」(発表者:飯沢) テーマ③「塩田平をめぐる」(発表者:オガサカ) テーマ④「上田の歴史にふれる」(発表者:) テーマ⑤「山道を2022-02-08
50上田紬について②上田紬について②上田の気候や風土は養蚕に適しており、古くから養蚕が盛んであった。 上小地方の蚕糸業は江戸中期を過ぎる頃から、1つは養種製造、もう一方は生糸生産へと重点が移っていった。江戸中期にすぐれた繰糸技術が取り入れられ、良質の生糸が生産されるようになった。その結果蚕種・生糸の生産で十分な利益を挙げることができるのであれば、手間のかかる機織をする必要はない。このようにして幕末期に近づくに従って、上小地方の上田紬・上田縞の生産は減少していった。 このように作り手の減少により希少価値が高まり、結城紬などは高価なものがあるが、値段に関係なく基本的にはやはり街着の扱いになる。2022-02-08
51地域キュレーション⑱「電線の無電柱化」(信州上田学A2021)地域キュレーション⑱「電線の無電柱化」(信州上田学A2021)
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地域キュレーション「電線の無電柱化」
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発表者(学生):なおぴー(発表者のマイサイトにリンク)
長野大学/信州上田学A2021発表会(2022/02/02オンライン実施)

(科目担当:前川道博@長野大学)
2022-02-08
52地域キュレーション⑰「上田城と城下町の魅力」(信州上田学A2021)地域キュレーション⑰「上田城と城下町の魅力」(信州上田学A2021)
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地域キュレーション「上田城と城下町の魅力」
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発表者(学生):ハヤト(発表者のマイサイトにリンク)
長野大学/信州上田学A2021発表会(2022/02/02オンライン実施)

(科目担当:前川道博@長野大学)
2022-02-08
53地域キュレーション⑯「上田で繋がりを探す!」(信州上田学A2021)地域キュレーション⑯「上田で繋がりを探す!」(信州上田学A2021)
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地域キュレーション「上田で繋がりを探す!」
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発表者(学生):ヒロカワ(発表者のマイサイトにリンク)
長野大学/信州上田学A2021発表会(2022/02/02オンライン実施)

(科目担当:前川道博@長野大学)
2022-02-08
54地域キュレーション⑮「上田野鳥スポット巡り」(信州上田学A2021)地域キュレーション⑮「上田野鳥スポット巡り」(信州上田学A2021)
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地域キュレーション「上田野鳥スポット巡り」
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発表者(学生):どーもん(発表者のマイサイトにリンク)
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(科目担当:前川道博@長野大学)
2022-02-08
55地域キュレーション⑭「上田市の自然環境」(信州上田学A2021)地域キュレーション⑭「上田市の自然環境」(信州上田学A2021)
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地域キュレーション「上田市の自然環境」
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発表者(学生):てん(発表者のマイサイトにリンク)
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(科目担当:前川道博@長野大学)
2022-02-08
56地域キュレーション⑬「別所温泉探検」(信州上田学A2021)地域キュレーション⑬「別所温泉探検」(信州上田学A2021)
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地域キュレーション「別所温泉探検」(マイテーマ公開ページにリンク)
発表者(学生):ma1u(発表者のマイサイトにリンク)
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(科目担当:前川道博@長野大学)
2022-02-08
57地域キュレーション⑫「上田市の主な工業」(信州上田学A2021)地域キュレーション⑫「上田市の主な工業」(信州上田学A2021)
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地域キュレーション「上田市の主な工業」(マイテーマ公開ページにリンク)
発表者(学生):To go(発表者のマイサイトにリンク)
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(科目担当:前川道博@長野大学)
2022-02-08
58地域キュレーション⑪「紬で紡ぐ上田の魅力」(信州上田学A2021)地域キュレーション⑪「紬で紡ぐ上田の魅力」(信州上田学A2021)
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地域キュレーション「紬で紡ぐ上田の魅力」(マイテーマ公開ページにリンク)
発表者(学生):あやか(発表者のマイサイトにリンク)
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(科目担当:前川道博@長野大学)
2022-02-08
59地域キュレーション⑩「上田城の歴史」(信州上田学A2021)地域キュレーション⑩「上田城の歴史」(信州上田学A2021)
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地域キュレーション「上田城の歴史」(マイテーマ公開ページにリンク)
発表者(学生):あやか(発表者のマイサイトにリンク)
長野大学/信州上田学A2021発表会(2022/02/02オンライン実施)

(科目担当:前川道博@長野大学)
2022-02-08
60地域キュレーション⑨「上田の地域資源で「遊ぶ」!!!!」(信州上田学A2021)地域キュレーション⑨「上田の地域資源で「遊ぶ」!!!!」(信州上田学A2021)
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地域キュレーション「上田の地域資源で「遊ぶ」!!!!」(マイテーマ公開ページにリンク)
発表者(学生):長田悠馬(発表者のマイサイトにリンク)
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(科目担当:前川道博@長野大学)
2022-02-08
61地域キュレーション⑧「農民美術」(信州上田学A2021)地域キュレーション⑧「農民美術」(信州上田学A2021)
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地域キュレーション「農民美術」(マイテーマ公開ページにリンク)
発表者(学生):たかはし(発表者のマイサイトにリンク)
長野大学/信州上田学A2021発表会(2022/02/02オンライン実施)

(科目担当:前川道博@長野大学)
2022-02-08
62地域キュレーション⑦「上田の魅力を探る」(信州上田学A2021)地域キュレーション⑦「上田の魅力を探る」(信州上田学A2021)
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地域キュレーション「上田の魅力を探る」(マイテーマ公開ページにリンク)
発表者(学生):烏龍茶(発表者のマイサイトにリンク)
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(科目担当:前川道博@長野大学)
2022-02-08
63地域キュレーション⑥「別所温泉駅から上田の現状を見る」(信州上田学A2021)地域キュレーション⑥「別所温泉駅から上田の現状を見る」(信州上田学A2021)
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地域キュレーション「別所温泉駅から上田の現状を見る」(マイテーマ公開ページにリンク)
発表者(学生):そーし(発表者のマイサイトにリンク)
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(科目担当:前川道博@長野大学)
2022-02-08
64地域キュレーション⑤「山道を行こう」(信州上田学A2021)地域キュレーション⑤「山道を行こう」(信州上田学A2021)
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地域キュレーション「山道を行こう」(マイテーマ公開ページにリンク)
発表者(学生):だいご(発表者のマイサイトにリンク)
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(科目担当:前川道博@長野大学)
2022-02-08
65地域キュレーション④「上田の歴史にふれる」(信州上田学A2021)地域キュレーション④「上田の歴史にふれる」(信州上田学A2021)
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地域キュレーション「上田の歴史にふれる」(マイテーマ公開ページにリンク)
発表者(学生):崔(発表者のマイサイトにリンク)
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(科目担当:前川道博@長野大学)
2022-02-08
66地域キュレーション③「塩田平をめぐる」(信州上田学A2021)地域キュレーション③「塩田平をめぐる」(信州上田学A2021)
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地域キュレーション「塩田平をめぐる」(マイテーマ公開ページにリンク)
発表者(学生):オガサカ(発表者のマイサイトにリンク)
長野大学/信州上田学A2021発表会(2022/02/02オンライン実施)

(科目担当:前川道博@長野大学)
2022-02-08
67地域キュレーション②「上田市と松川村の手当・補助の比較」(信州上田学A2021)地域キュレーション②「上田市と松川村の手当・補助の比較」(信州上田学A2021)
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地域キュレーション「上田市と松川村の手当・補助の比較」(マイテーマ公開ページにリンク)
発表者(学生):飯沢(発表者のマイサイトにリンク)
長野大学/信州上田学A2021発表会(2022/02/02オンライン実施)

(科目担当:前川道博@長野大学)
2022-02-08
68海野町ふれあいサロン海野町ふれあいサロンこの写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。 一枚目は平成16年の新アーケード開設後、二枚目は平成11年のアーケード取壊し前、三枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。2022-02-08
69地域キュレーション①「上田と観光」(信州上田学A2021)地域キュレーション①「上田と観光」(信州上田学A2021)
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地域キュレーション「上田と観光」(マイテーマ公開ページにリンク)
発表者(学生):り(発表者のマイサイトにリンク)
長野大学/信州上田学A2021発表会(2022/02/02オンライン実施)

(科目担当:前川道博@長野大学)
2022-02-08
701はじめに1はじめに私の探求テーマは、「明治~大正時代の上田市民の生活、文化」です。 明治~大正時代の大衆文化、庶民の生活を調べ、そのなかで上田市独特の文化や特徴を見つけることにより、地域の文化的特徴や個性を活かした地域活性化のヒントを得ることを目的としています。 実際に当時から存在する建物を自分の足で見に行ったり、デジタルアーカイブや市の図書館から当時の資料を探したり、インターネットから参考するなどして学習を進めていきました。 文明開化で他国の文化と日本の文化が混ざり合うこの時代に、上田市民はどうやって生活していたのか。調べていて興味深い事ばかりでした。2022-02-08
7111月22日のゼミ11月22日のゼミこの日は研修会でd-commons.netを体験した教員の方々を対象に、アンケートの集計を行い、考察した。 投稿時、閲覧時共に不都合はなかったという回答が多く、eduスクウェアも高評価であった。 一方で、いいねやコメント欄の追加や、マップ上に写真を表示して欲しいといった追加要素を希望する声も多い。d-commons.netには、まだ「遊び」の余地があると感じた。2022-02-07
72堀内紙店堀内紙店この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。 一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。2022-02-07
73仲よし衣裳店仲よし衣裳店この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。 一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。2022-02-07
74市民の日曜広場市民の日曜広場この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。2022-02-07
75まとめまとめ今回上田別所線の歴史を、様々な資料を元に振り返った。 昔別所線の路線は上田の至る所に張り巡らされていた。 しかし、バス交通の発達や、災害によって何度も廃止になりそうになったが、そのたびに市民の存続運動のおかげで現在の別所線が生き残ってきたことが分かる。 今回別所線を掘り下げ、地域の市民の力によって、重要な文化を後世に残すことができると学びました。 参考資料 さようなら別所線 夢と暮らしを乗せて走る別所線 別所線の電車に乗って https://www.city.ueda.nagano.jp/site/besshosen/list9-48.html2022-02-07
76様々な活動様々な活動この絵本は杉本志津子差さんが素直な優しいタッチで、描いた丸窓電車と、永遠に続く線路をイメージして描いたモノだ。そして絵本の詩は、1970年代に廃止問題に揺れていたときに、存続を願い、長野大学の学生が歌っていた曲の歌詞です。別所線の駅15駅、すべてが歌詞に登場します。 今も長野大学の学生に愛されている、別所線。当時から愛されていたのが分かる。2022-02-07
77別所線存続運動別所線存続運動令和元年台風19号に伴う千曲川左岸堤防の欠損により、令和元年10月13日早朝に上田電鉄別所線千曲川橋梁が崩落しました。これは上田別所線を存続するために、ふるさと寄付金を募るためのモノだ。地元の人々に愛されているのが分かる。2022-02-07
78写真と共に振り返る上田別所線写真と共に振り返る上田別所線この本は今の上田別所線だけではない時代、つまり上田盆地の至る所に路線が張り巡らされていた時代を写真と共に振り返ることができる。2022-02-07
79上田別所線の歴史上田別所線の歴史かつて、この上田盆地には、北は真田町(現上田市)、南は丸子町(現上田市)、西は青木村と縦横無尽に鉄路が張り巡らされ、その全長は57.2kmに及びました。そうした鉄路も今や別所線11.6kmを残すのみとなっています。 これは当時の北東線 公園前駅の写真。2022-02-07
80上田市役所訪問記録上田市役所訪問記録2019年度に上田市役所を訪問し、上田市役所はオープンデータに対してどのような認識をしているのか尋ねた。 データを用いた具体的な案があるわけでは無く、大学生や地域と協調し、考えていきたいという声を得ることが出来た。2022-02-07
81信州上田学を振り返る信州上田学を振り返る「紬で紡ぐ上田の魅力」をテーマに半年間探求を進めてきました。上田紬がどのようなものか知るところから始まり、上田紬で巡るのによさそうなスポット探し、上田紬を「知ってもらう」「未来につなぐ」ための自分なりのアイディアの提案までたどり着くことが出来てよかったと思います。「上田紬」という地域の特産品を軸に上田を眺めると、今まで気づかなかった魅力を発見することができました。2022-02-07
82まとめまとめ地元富士・富士宮地域を対象として、初めは「宗教」にスポットを当て「富士宮駅1番線ホーム」を知りJR身延線に興味が湧き探究した。ただ資料を探るにも、デジタルアーカイブのようなパソコンで資料を閲覧することが対象地域では不可能で、探究には現地へ赴く(情報収入場所として富士市・富士宮の図書館へ行った)ことが欠かせなかったのは難点であり、同時にデジタル化の利点を身をもって痛感した。今回のテーマは地元の私でもほとんど聞いたことのないような歴史であり、静岡・甲府間の移動をする人にはぜひ常識的に知って欲しい知識であったので、今後もこの情報が残ることを期待する。 以下、参照 遠藤秀男 2009『懐かしの富士宮 -写真集-』羽衣出版 沢田正彦 1994『富士川舟運と身延線』富士宮市(2,3,4番目の記事の写真の出典2022-02-06
83電化~国営化電化~国営化昭和2年に富士―身延間、昭和3年には身延―甲府間の全面開通と同時に電化が完了した。この電化により、汽車運行時より約半分の時間で運行できるようになり、2年の間に旅客人数、旅客収入がともに2倍以上になり利用者が電化をどれだけ待ちわびていたかが分かる。 しかし、その後の会社経営は良好でなかった。その主な理由として、沿線の集落人口が多くなかったこと、身延参詣の乗客が予想以上に増加しなかったこと、工事など建設、設備費への投資によって運賃を上げてしまったことが上げられる。それだけでなく東海道線と中央線の接続線としての利用客が予想以上に多くなかったこと、山間部の土砂崩れや暴風雨による線路の補修工事による出費が重なったこと、そして世界恐慌により貨物輸送が伸び悩んだこと、これらの状況が重なっ2022-02-06
84上田市「別所線応援プロジェクト」上田市「別所線応援プロジェクト」令和元年台風19号に伴う千曲川欠損により、令和元年10月13日早朝に上田電鉄別所線千曲川橋梁が崩落した。そこでこのプロジェクトを始めると、上田電鉄別所線に対し上田市内外から数多くの鉄道ファンの方々から寄付が集まったそう。 [参考文献・写真] https://www.city.ueda.nagano.jp/site/besshosen/14543.html2022-02-06
85別所線がこれからも市民の希望をあたえる存在になるために別所線がこれからも市民の希望をあたえる存在になるために平成28年町はNHK大河ドラマの影響で上田市内の観光客が激増し、別所線の輸送人員は15年ぶりに130万人に回復した。今までは「乗って残そう」だったが、これからは「乗って活かそう」をキーワードにしていく。別所線に乗って人が動くことが沿線地域の活性化につながり、地域と一体となって別所線を活かしてもらうことを目的としているという。起点の上田駅から終点の別所温泉駅、その途中駅の「地域の魅力」の掘り起こしも念頭に置いている。 このような方針でこれからも別所線は、路線維持のため努力し続けるようだ。 [参考文献] https://www.mintetsu.or.jp/association/mintetsu/pdf/63_p26_27.pdf [写真] 「上田電鉄は28日の運賃を無料とし、平日ダイヤで運行 乗車数に制限をかけながら、多くの乗客を運んだ」から https://tetsudo-ch.com/11331277.html2022-02-06
86地域人々の支援地域人々の支援幾度も存続の危機が持ち上がる中、別所線が何とか持ちこたえてきたのは、コスト削減のほか、増発や長野新幹線(現・北陸新幹線)との接続ダイヤなど、利便性向上への取り組みを重ねてきたことも大きな要因となっている。 そして、最も歴史が古い「別所線電車存続期成同盟会」や、現在、中心となってイベントなどを企画実行してい る「別所線の将来を考える会」など、相次いで結成された銀民による支援団などの活動を広げていったことが、存続を実現させる力となった。 [参考文献] https://www.mintetsu.or.jp/association/mintetsu/pdf/63_p26_27.pdf [写真] https://www.asahi.com/sp/articles/ASP3X72LPP3XUOOB00D.html2022-02-06
871路線だけ生き残った鉄路1路線だけ生き残った鉄路長野県上田盆地には始め五つの路線が張り巡らされていた。車社会の進展にともない昭和40年代までに次々と廃止となったが、唯一残ったのが別所線であったという。 しかし、昭和48年、輸送人員の減少を理由に上田交通が廃線を表明した時があった。沿線住民による存続運動が起こり、翌49年、国と県による鉄道軌道欠損補助の公的支援とともに、上田市が3年間の補助金を交付することで、別所線存続が決まった。3年後の昭和52年にも、沿線住民により存続運動が行われたが、この時点では上田交通の営業努力で赤字幅が減少していたため、廃線を免れている。 [参考文献] https://www.mintetsu.or.jp/association/mintetsu/pdf/63_p26_27.pdf [写真] https://www.city.ueda.nagano.jp/site/besshosen/5563.html2022-02-06
88身延線の開通身延線の開通明治38年あたり、以前の富士川鉄道を企画した資産家をはじめ、甲州の資産家らが賛同し、「富士身延鉄道株式会社」を設立した。この計画では以前の、富士市の岩淵から富士川の流域に沿って甲府までというコースから富士宮市大宮地区の経済発展を考え、富士から大宮を通り甲府に向かうルートで計画された。そのため、甲府までの鉄道の用地買収に加えて、先ほども説明した富士馬車鉄道の権利の買収を行なった。 日蓮宗の総本山である身延山参拝を鉄道計画の一つの目的としていたため、富士身延間の工事をまず行った。富士大宮間は問題なく開通された。しかし、大宮から芝川、そしてその北部の工事がはじまると、第一次世界大戦と重なり物価の異常な高騰により、建築資材の調達、用地買収が難しくなっていき、中断を余儀なくされてしま2022-02-05
89富士地区の経済発展の成り行き富士地区の経済発展の成り行き明治18年、富士地区で富士製紙株式会社の影響により、紙の資源となる富士山麓の木材を効率よく輸送するため、富士市から富士宮市大宮までの「富士馬車鉄道」が開業される。その後さらなる効率化を目指し、大宮から人穴まで富士軌道を開業し、この影響により、富士地区の経済は発展していった。 このころ、鉄道の開通の出願が増えており、この富士地区の鉄道計画に関して資産家らが「富士川鉄道」を設立し、国からの免許が下りたが、日清戦争により経済が悪化し、結局富士川鉄道に対して運行の免許が取り消されてしまった。2022-02-05
90海野町レトロ写真館海野町レトロ写真館デジタルマップに投稿してある古い写真を利用して、スライドショーイベントを開催する予定です。 場所は海野町商店街にて行います。 詳細は後日投稿します。2022-02-05
91醋屋呉服店醋屋呉服店この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-05
92謎の球体謎の球体この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-05
93田園風景田園風景この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-05
94石柱碑石柱碑この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-05
95気球気球この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-05
96醋屋呉服店醋屋呉服店この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-05
97南川久太郎氏 一同南川久太郎氏 一同この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-05
98愛國(信濃)愛國(信濃)この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-05
99上田祇園祭上田祇園祭この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-05
100上田市集会上田市集会この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-04
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