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1西丸子線西丸子線下之郷と西丸子を走る電車で全長8,6キロメートルの間に11の駅があった。大正15年に開通した。マッチ箱電車の愛称で人々に親しまれた。昭和36年の豪雨により、線路が破損し38年に廃止になった。写真は下之郷駅の跡である。2024-02-01
2上田市の玄関口 上田駅上田市の玄関口 上田駅上田鉄道別所線、しなの鉄道、JR北陸新幹線が乗り入れる上田駅は、まさに全国からの観光客を迎える玄関口と言えるだろう。昔は、丸子地域や真田地域へ向かう鉄道もあったようだが、今では3路線だけとなっている。時代とともに移動手段が変化しているが、これからも上田市の玄関口として、そして上田の住民を支える足として今後も活躍するだろう。2023-11-30
3丸子顕彰碑丸子顕彰碑 丸子町の工業100年を記念した碑。この碑は、1990(平成2)年に丸子町の工業が100年になったのを契機に、丸子文化会館の向かい側に丸子工業百年記念公園が造営された際に建てられた。顕彰碑やその周りには、丸子の工業の発展に尽くした幾人の偉人の碑やその紹介文があり、丸子の工業史を知ることが出来るスポットの1つとなっている。2021-05-05
4上田探検3まとめ上田探検3まとめ今回は常田館製糸場のみの探検となったが、非常に歴史を体感することが出来、有意義な探検となったと思っている。今回の探検で、信州大学繊維学部講堂を除く上田の主要な蚕糸施設は大方訪れたので、次回からは丸子にあるいくつかの蚕糸施設を訪れたいと思った。2020-11-18
5上田藩主/老中・松平忠固の墓上田藩主/老中・松平忠固の墓2018/05/10、願行寺にある松平忠固の墓を訪れました。上田藩主・松平忠固(1812~1859)は2度に渡り、老中をつとめた人物です。老中の職にあった時に、日米和親条約(1854年締結)、日米修好通商条約(1858年締結)を結んだことの功績は極めて大きい。日本が列強と互角に対し、列強並みの好条件で列強と貿易協定を結んだことは、その後の日本の近代化を決定づけたと言ってもいい。貿易を推進し、殖産興業を推進しました。 上田における松平氏に対する関心の低さは、この墓の状況が端的に物語っています。かつての願行寺は上田城と対峙するように大手町~海野町の旧城下町のメインストリートの対極に位置し、海野町の通りはその門前のように位置していました。しかし、その道筋が真っ直ぐに貫通し、願行寺の真ん中は道路によって分断されました。さら2020-07-18
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