呉市の歴史

日付:戦時中 作成者:TANAKA

地元である呉市は、日本でも数少ない軍港であり、かつてはとても栄えており、昔の貴重な資料や、町の良さを投稿することで、多くの人に見てもらうことができると考え、テーマに選んだ。 少しでも多くの人に記事が見られ、役に立つと幸いである。

★クリップ

呉市の歴史

呉市の歴史

ダウンロード

地元である呉市は、日本でも数少ない軍港であり、かつてはとても栄えており、昔の貴重な資料や、町の良さを投稿することで、多くの人に見てもらうことができると考え、テーマに選んだ。
軍港としての街ということを中心的に探究していきたい。


呉市の歴史

呉市の歴史

ダウンロード

広島県呉市は、面積35,318平方キロメートル、人口213,640人と広島県三番目の都市。

平安時代に遣唐使の往来があったことや、平清盛が関係した「音頭の瀬戸」からも分かるように、古くから海と船にゆかりのある地域である。

明治時代には、海軍の拠点の一つとして海軍の鎮守府を置き、軍港と共に発展を遂げる。

海軍開庁時に、人口も増加に転じ、ピーク時には400,000人にも上り、職人だけで30,000人もいたが現在は半減し、尚も減少傾向にある。

終戦後、「旧軍港転換法」の成立により、現在の産業の発展の糧となる。

海軍の施設は、観光資源としても再利用され、毎年多くの観光客が訪れる。

2016年には、映画「この世界の片隅に」がヒットし、再び注目を浴びる。

出典:「富国強兵とひろしま~軍港呉~」
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/129735.pdf
「海とともに発展してきた街「呉」」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bplus/13/1/13_68/_pdf
「「歴史とともに歩んだ街」:産業転換期を迎えた呉地域の課題と方向性」
https://www.dbj.jp/reportshift/area/chugoku_s/pdf_all/r0603.pdf
「呉市ホームページ」
https://www.city.kure.lg.jp/


呉市の歴史

呉市の歴史

ダウンロード

呉市は、湾の周辺が島と山に囲まれ、背後には丘陵があり、敵の攻撃を防ぐうえで良好な場所ということで、設置された。

「此呉湾ヲ除キテ他二ナシ」という言葉が残されていることからも分かるように、軍港に最適であったということが伺える。

また、軍事機密ということで湾岸部の詳細な部分は、地図上からは消されるという修正が加えられた。
出典:「海軍とともに発展した呉の街」
https://smtrc.jp/town-archives/city/hiroshima/p07.html


呉市の歴史~昔と現在の比較1~

呉市の歴史~昔と現在の比較1~

ダウンロード

この場所は呉を代表する「四ツ道路」の交差点を撮影したもの。左手にあるのは、「呉本通郵便局」、奥には標高737mの「灰ヶ峰」がそびえたち、当時山頂には防空砲が設置されていた。また、この灰ヶ峰の高さにちなみ、呉市の郵便番号は737である。絵葉書上では、灰ヶ峰の部分が加工されている。
1909年には、県内初となる市内電車が呉に開通する。

出典:「海軍とともに発展した呉の街」
https://smtrc.jp/town-archives/city/hiroshima/p07.html


呉市の歴史~昔と現在の比較1~

呉市の歴史~昔と現在の比較1~

ダウンロード

同じ場所で撮影されたものである。現在の写真の方が、「灰ヶ峰」が確認できるが、いずれも絵葉書の姿とは異なっている。
現在、この「四ツ道路」には多くのお店が存在するが、人口の減少により、シャッターが下りている店も多く、これからの呉市の課題といえる。

出典:「海軍とともに発展した呉の街」
https://smtrc.jp/town-archives/city/hiroshima/p07.html


呉市の歴史~昔と現在の比較2~

呉市の歴史~昔と現在の比較2~

ダウンロード

これは、「呉海軍工廠」の様子。1889年に「呉鎮守府」が設置されるとそのもとに、「造船部」が置かれた。1903年に組織され、「呉海軍工廠」が誕生。東洋一の設備を誇り、ドイツの「クルップ」とならび、「世界の二大兵器工場」と称されるようになる。巨大戦艦「大和」、戦艦「長門」、航空母艦「赤城」などの海軍を代表する戦艦を数多く建造した。

出典:「海軍とともに発展した呉の街」
https://smtrc.jp/town-archives/city/hiroshima/p07.html


呉の歴史~昔と現在の比較2~

呉の歴史~昔と現在の比較2~

ダウンロード

現在は、「マリンジャパンユナイテッド呉造船所」となり、大型船舶の建造を行っている。また、2005年には、呉市が後世に技術を伝えるために、「呉市海事歴史科学館」、通称「大和ミュージアム」を開館した。現在では、多くの観光客が訪れる人気観光スポットになっている。

出典:「海軍とともに発展した呉の街」
https://smtrc.jp/town-archives/city/hiroshima/p07.html


呉市のこれから

呉市のこれから

ダウンロード

呉市は、人口減少や災害発生などの危険性を背景に、2020年4月に「呉駅周辺地域総合開発基本計画」を策定し、再開発を進めている。
伸ばしていきたいポイントのひとつが、市が有する交通便利性だ。JR呉駅から、広島駅まで最速29分である。広島空港までも1時間でアクセスできる。また、呉港からは、広島や四国方面に多くの船が行き来している。この交通の便利性に加え、駅前の再開発を行うことで、住民や、観光客の増加を図る。
また、呉市は高齢化の問題も深刻であり、再開発には自動運転などのスマートモビリティの導入も含まれている。

出典:「呉市ホームページ」
https://www.city.kure.lg.jp/


地図で見る
情報を探す
キーワード
    同じキーワードを持つ記事