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1【上田市の銭湯】銭湯の分布から見る地域の考察【上田市の銭湯】銭湯の分布から見る地域の考察突然ですが、皆さんは銭湯に行ったことはありますか? 銭湯というと、富士山の壁画が描かれた、東京の大きな下町銭湯を思い浮かべる人が多いと思います。ここでいう銭湯とは、法律で定められた一般公衆浴場のことです。 ここ上田市にも、地域に根付いた街のお風呂屋さん、銭湯が2軒あります。ですが最盛期には、なんと24軒もの銭湯がありました。昔は市街地ではお風呂のある家庭は一般的ではなく、農村部のお百姓さんの家、どこかの大富豪の社長さんの家など、限られた家庭にしかありませんでした。そこで、「浴場業(銭湯)」という一つの業種が確立されたんですね。今回はこれまでの調査のまとめとして、「銭湯の分布から見る地域の考察」を題として、上田市の銭湯の現状とともに記していきます。 ◎上田市の銭湯の現状 下に上2024-02-12
2【上田市の銭湯】地図から銭湯の分布を見てみよう~「史的ニ上田」編~【上田市の銭湯】地図から銭湯の分布を見てみよう~「史的ニ上田」編~突然ですが、皆さんは銭湯に行ったことはありますか? 銭湯というと、富士山の壁画が描かれた、東京の大きな下町銭湯を思い浮かべる人が多いと思います。ここでいう銭湯とは、法律で定められた一般公衆浴場のことです。 ここ上田市にも、地域に根付いた街のお風呂屋さん、銭湯が2軒あります。ですが最盛期には、なんと24軒もの銭湯がありました。昔は市街地ではお風呂のある家庭は一般的ではなく、農村部のお百姓さんの家、どこかの大富豪の社長さんの家など、限られた家庭にしかありませんでした。そこで、「浴場業(銭湯)」という一つの業種が確立されたんですね。今回は、上田市の銭湯を研究するための必読書、「史的ニ上田(15)上田の銭湯」という文献をご紹介します。 (画像は、文中にも登場する中央3丁目(松原町)の「竹の2024-02-12
3【上田市の銭湯】地図から銭湯の分布を見てみよう~大正期編~【上田市の銭湯】地図から銭湯の分布を見てみよう~大正期編~突然ですが、皆さんは銭湯に行ったことはありますか? 銭湯というと、富士山の壁画が描かれた、東京の大きな下町銭湯を思い浮かべる人が多いと思います。ここでいう銭湯とは、法律で定められた一般公衆浴場のことです。 ここ上田市にも、地域に根付いた街のお風呂屋さん、銭湯が2軒あります。ですが最盛期には、なんと24軒もの銭湯がありました。昔は市街地ではお風呂のある家庭は一般的ではなく、農村部のお百姓さんの家、どこかの大富豪の社長さんの家など、限られた家庭にしかありませんでした。そこで、「浴場業(銭湯)」という一つの業種が確立されたんですね。今回は、そんな上田市の銭湯の分布を、2つの大正期の地図から探っていきましょう。 (画像は最盛期の銭湯をGISアプリで国土地理院の地理院地図にプロットしたもの) 2024-02-12
4【第7回】ルートイングループ本部建設予定地【第7回】ルートイングループ本部建設予定地上田駅お城口からまっすぐ原町方面へ向かった上田信金原町支店の目の前に広大な更地がある。ここに第2回で紹介したルートイングループ長野本部が移転してくるようだ。地上3階建てで、建築計画を見ると普通の建物と違った凝った建物にも見える。上田駅前にルートインの関連施設が増え、ルートイン発祥の地としてふさわしい街になるのではないか。2024-02-10
5平林堂書店2015/03/17平林堂書店2015/03/172015/03/17の記録。 上田市の老舗書店の一つ、原町にあった平林堂書店は数年前に閉店し、その後、建物も取り壊されました。『信濃蚕糸業史』全3冊を購入したのもこの書店です。地域に関する古い書籍も数多く品ぞろえされていました。今となっては記憶の中にしか残っていませんが、幸い私の写真に記録されていました。2024-02-02
6参考資料参考資料今回の地域キュレーションで活用した上田の商店街とショッピングセンターに関する文献です。 https://www.geoenv.tsukuba.ac.jp/~chicho/nenpo/43/03.pdf 地方中心商店街における現状と課題 -長野県上田市うえだ原町一番街商店街を事例に-2024-01-29
7城下町城下町上田城の城下町はどこなのか疑問に思い調べてみると、海野町、原町、鍛治町、紺屋町、横町、柳町、田町の七つの町が上田の城下町であることが分かった。上田が宿場になると、海野町分に横町、原町分に柳町田町ができたようである。今は、柳町が残っている。上田城とその城下町の大部分は、真田氏の時代にすでに形成されていたといえる。上田城築城から約80年後の寛文3年(1663)の資料によれば、海野町、鍛治町、横町、原町、木町、柳町、紺屋町、田町という町分は、戸数350戸、人口2610人であったようだ。2022-10-29
8企画展「ご近所さんの近代遺産 原町通り編」企画展「ご近所さんの近代遺産 原町通り編」池波正太郎 真田太平記館 同館で3/26~6/19の期間、企画展「ご近所さんの近代遺産~原町通りの商店編~」が開催されています。 →企画展 原町の古い写真を柱に、原町の商店とも関連する事物を展示する企画です。森田屋石森呉服店の道具、西澤書店の大正・昭和期の帳簿の束、河合薬局の衝立、「本草綱目」、各商店の色刷り広告などが展示されていました。太平記館の展示は展示会場が狭いということもあり、関連の企画展示を具体的にどのようにキュレートすればよいかのよきお手本でもあります。無理せず、原町商店街の「昔」を手際よく展示構成していました。2022-06-05
9益子輝之さんが語る上田の近代@真田太平記館益子輝之さんが語る上田の近代@真田太平記館6/3(金)午後、池波正太郎真田太平記館で益子輝之さんによる特別講座「近代の上田について」を聴いてきました。 この講座は現在、同館で開催中の展示企画「ご近所さんの近代遺産 原町通りの商店編」(3/26~6/19開催)にちなむ企画です。益子輝之さんにお会いするのも、お話を聴くのも久しぶりです。コロナ禍がそうした機会を妨げていたことは手痛かったですが、徐々に復調の方向には向かうことでしょう。 「近代の上田」というお題でしたが、前段でもある近世(江戸時代)のお話も長く、いつから近代に入るのかな?と思いながら、お話に聴き入ってしまいました。 明治2年に起きた青木騒動にまつわるお話は特に興味深く、神社の変遷、中納言などの位、明治天皇の御巡幸など、次から次へと矢継ぎ早に話は進み、メモしようがないぐらいに2022-06-05
10当研究会発行のブックレット バックナンバー当研究会発行のブックレット バックナンバー号によっては品切れがあります。上田市内の書店でお買い求めください。または上田小県近現代史研究会事務局へお申込みください(下記に住所記載)。 号数 ブックレットタイトル 著者 発行年月 1 『深町広子と上田自由大学』上原民恵[著] 1995.03,2000[改訂]【品切れ】 2 『上田小県地方に空襲があった』新津新生[著] 1996.07,2005[改訂]【品切れ】 2 『上田小県地方に空襲があった 増補改訂版』新津新生[著] 2005.07【品切れ】 3 『信州の鎌倉 別所温泉―歴史と文化―』上田小県近現代史研究会[編] 1997.10,1998[改訂]【品切れ】 4 『2022-03-06
11上田映劇の歴史 昭和まで上田映劇の歴史 昭和まで1917年に末広座跡に上田劇場が開館した。  当時は芝居、落語、講談、浪曲、歌謡などが催された。  上田劇場の前身となるのは末広座だが、末広座の開館日は不明である。  しかし、1912年の上田町地図に末広座、中村座が載っているとのことから 1912年以前に開館されていたと思われる。 1922年に発行された「上田市街明細図」に上田劇場、上田電機館、中村座が載っている。  1919年に「上田演芸館」というのも開館されたとされているが  詳しい場所の情報が無いため、上田市街明細図から探し出すことが困難だった。 昭和初期(1926~1932?)頃に上映するものを映画中心とし、 上田映画劇場と名称を変更。 1960年代後半 映画の人気がピークに至る。 1964年 桟敷(さじき)席から現在の椅子席(270席)に改築された。 映画館の話題から少2022-01-26
12明治二十四年上田全図明治二十四年上田全図この図面は、上田の町を印刷により表わした初期の地図だ。実測図ではないため、縮尺や距離感は不正確である。地図の周囲にとは、明治維新後の近代化した上田の姿を、建築物を中心に表している。「上田尋常小学校」「高等小学校(旧藩主屋敷)」、「上田女学校」、「上田停車場」、「第十九国立銀行」、「上田橋」などが見られる。図面の中央の上田城本丸には「松平神社」がある。また、本丸には櫓が2基残っていたことがわかる。二の丸は「監獄」となっている。また、大手門の堀が残存していた。明治21年に鉄道の駅「上田停車場」(現在の上田駅の前身)が営業を開始するとともに、駅と「海野町」「原町」をつなぐ「松尾町」も開通した。2021-11-14
13上田の人物伝一覧(『上田市史』1940から)上田の人物伝一覧(『上田市史』1940から)上田市史・下巻(1940)』の「社寺古墳及人物誌/人物篇」をハイパーメディア化。(長野大学「マルチメディア論」2020/2021実習で分担作成) 人物01 真田昌幸
 真田一徳斎幸隆の第三子、天文十六年生る。 人物02 真田信之
  真田昌幸の嫡男、永禄九年生る。母は寒松院三修氏、幼名を源三郎と言ふ。 人物04 真田幸村
 幸村は正幸の代二子、永禄十一年生ると云う。 人物05 仙石政俊
 先の小諸城主後上田城主たりし仙石忠政の
2021-07-21
14人物28 成澤雲帯人物28 成澤雲帯雲帯は上田原町の呉服問屋、萬屋七郎左衛門が俳名なり。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1222頁~1223頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-18
15人物94 のぶ人物94 のぶのぶは上田領分福田圓四郎の娘、文化二年十五歳の時、上田原町豆腐屋德石衛門に引取られ、其忰に娶はされた。 『上田市史・下巻(1940)』1304頁、1305頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-17
16隠れた古民家風店舗隠れた古民家風店舗時間 16時 天候 晴れ 上田駅前一帯は比較的お店も多く発展している地域ですが、その中でも古民家のような雰囲気のある建物があることに驚きました。先輩がお店で働いているらしくいつかは訪れたいお店のひとつです。2021-05-05
17海野町史-海野町の誕生海野町史-海野町の誕生海野町は、真田安房守昌幸が先祖の地である海野郷から住人を移住させて、街並みをつくらせたのが起源である。また、三年遅れて、原の郷から招致したのが原町である。この海野町と原町を上田城下の元町という。海野町と原町は、真田・仙台・松平時代から明治・大正・昭和まで上田の中心枢要な位置にあり、共に商業経済の発展に貢献している。 海野町へ移住して来た人々は、海野郷大平寺村の住人で、氏神様の深海神社の祠(ほこら)だけを残し、全村挙って五十八家族が移住した。その人々は、思い思いに農村風の家を作り、大方南側に向き、従来に出入り口のない家や瓦をのせず床もない素朴な家に住んでいたという歴史が残っている。(海野町史第1章より)2021-01-31
18生糸はどこから来たのか生糸はどこから来たのかNPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ (参考資料:原町問屋日記 trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/2000515100/2000515100100040/ht039211) 「原町問屋日記」という資料が見つかった。この資料には上田の生糸について書いてある。 この資料から、生糸が上田に来た歴史などが書かれており、上田の生糸は外国からも人気で生糸の輸出が上田を潤していたことが分かる。また、生糸はもちろん、養蚕、製糸の発展が上田地域に欠かせないものだということが分かる。製糸が発展した上田地域の環境の中で上田紬が作られ、発展していったことが分かる。2021-01-26
19原町。原町。「萬伍蔵」と呼ばれる建物。江戸時代から昭和にかけて上田紬の問屋を営んでいた成澤家が保存している。成澤家は昭和初期の上田市長成澤伍一郎を輩出するなどの名家。2020-07-20
20人物69 滝澤助右衛門人物69 滝澤助右衛門梅吉勝成の子、明治十七年八月九日原町舊問屋の家に生る。(略) 上田図書館の大きな誇と謂うべく、氏の力よく之を致せるなり。 『上田市史・下巻(1940)』1104・1105頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-15
21蚕都上田まちあるき2009(4)~市街地編~蚕都上田まちあるき2009(4)~市街地編~ 主催:蚕都上田プロジェクト 2009/11/07実施 案内人:斎藤功氏(長野大学環境ツーリズム学部教授)、竹内秀夫氏(都市・建築工房、建築家) 企画・制作 蚕都上田プロジェクト 探訪ルート:三吉米熊像、長野県蚕業試験場上田支場跡、原町~海野町(かつての蚕業、金融施設の集積地)、丸子線上田東駅跡、上田蚕種株式会社事務棟など2020-05-24
22蚕都上田まちあるき2008蚕都上田まちあるき2008 企画・制作:蚕都上田プロジェクト 2008/10/25の記録 竹内秀夫さん(都市・建築工房、建築設計) 斎藤功さん(長野大学環境ツーリズム学部教授、地理学) 新津新生さん(上田小県近現代史研究会) 小野寺芙美子さん(梅花幼稚園園長) 三田育雄さん(長野大学地域連携センター長)=まちあるきの企画者 <まちあるき探訪先リスト> リンクを選ぶとその部分を頭出し再生できます。 1. 上田駅前に集合 2. 往時の駅前の状況 3. 曳家した繭倉 木造4階建(笠原工業) 4. 2020-05-24
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