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登録リスト(該当:29件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
蚕のサナギ
前回イナゴを中心に信州の昆虫食について紹介したが、今回を含めあと三回投稿する。今回の主役は蚕だ。 上田市は過去、蚕糸業において国内でも有数の産地として名を馳せていた。今は蚕糸業は見る影もないのだが、現在のその面影を拝むことができる。その一つが蚕のサナギの佃煮である。前回紹介を失念していたが、イナゴ、蚕のさなぎ、次に紹介する蜂の子、ザザムシの佃煮は伊那市の食品会社「つかはら」で製造された物である。購入したのはツルヤ神畑店である。(身近に売っていて驚いた。) 蚕の歴史をさかのぼると、195年、百済によって蚕種が日本に伝えられ、283年には養蚕と絹織物の技術が伝えられた。実は日本では生糸だけではなく蚕種の輸出も経済発展を支えていた。韓国、中国、タイなどを中心とした東アジア地域では高級
2024-01-29
2
上田紬
長野県の上田市、飯田市、松本市、岡山市、駒ケ根市周辺などで生産されている絹織物の総称を「信州紬」という。 信州紬の種類として上田紬、飯田紬、伊那紬、松本紬の四種類ある。上田市の上田紬とは江戸時代に信州紬の中で最も有名だった紬の着物である。昔は愛染系の縞柄が基調の着物だったため、「上田縞」とも呼ばれていた。特徴として縞と格子柄で丈夫でしなやかな風合いである。 この上田紬の織りを体験できる場所として「織りの休日俱楽部」がある。そこではストールが作れる。一ヵ月に一回と開催日が少なく、参加費も一万二千円と高めではある。 このような体験は上田市に限らず、他の地域でも行われていることが分かった。 上田紬についてもう少し詳しく調べてみた。 生糸に適さない屑繭を真綿にし、 真綿からつむいだ紬糸
2024-01-23
3
上田紬
上田紬は、上田地方の農家や機屋で江戸時代からおられている織物です。初めは紬織物だったようですが、江戸中期以降上田縞と称する、より絹織物に近い風合いの織物が主流となりました。つむぎはもともと絹糸にできないくず繭を真綿にしてそれから紡いだ糸で織った製品ですので、いわば廃物利用品です。 上田紬は当初各農家の自家用として、地機や高機によっておられたようですが、その後生産に移行し、県外に大量に出荷され、布地の丈夫なこと、すぐれた染色によって、全国的に知られた特産物に発展してきました。 しかし、明治に入ってから徐々に衰退し第2次世界対戦中にはほとんど途絶えてしまいましたが、戦後復興され、現在では手織りと機械織りの両方で生産されています。
2023-05-11
4
桐生織物会館
以前作成したものになりますが、桐生織物会館についての内装等を撮影した動画のURLになります。(携帯で撮影したため画角等は見にくい…) 織物の機械や実際の織物が見られます。 よかったら視聴してみてください
観光 地元探索 群馬県 桐生市 織物
2023-05-09
5
上田紬とは
今からおよそ400年前に生まれ、歴史のある絹織物の上田紬。 特徴は草木染めという果実や植物などの天然染料を使って毛糸を染め、目を細かくしっかりと打ち込むことで生まれる丈夫でしなやかな生地。 また、柄は縞・格子柄で、シンプルで飽きのこないデザインは江戸時代より、万人から愛されてきました。
2023-01-25
6
養蚕業が衰退した理由
日本の繭生産量は、今から約90年前1930年(昭和5年)の40万トンをピークに減少し、昭和40年代に持ち直しの傾向が見られたものの、2016年(平成28年)には約130トンまで落ち込んでしまいました。繭生産量の減少に伴う製糸業の衰退も著しく、昭和34年には1871工場あった国内製糸工場数は、平成26年にはわずか7工場を残すのみとなってしまいました。 日本の絹産業は、生糸の原料となる蚕の繭を作る養蚕農家から、生糸を作る製糸業者へ。そして絹織物業者へという流れから、おもに着物や帯などに加工・縫製されて小売される形になっている。 衰退した理由としては和装から洋装へ変化する「和装離れ」により需要そのものが減少したと考えられている。価格競争で中国などから低価格繭の流入や、後継者不足など社会構造の変化も考えられます。
2022-11-30
7
上田が蚕が有名な理由とは
上田は養蚕業が盛んです。理由として様々な要因があると思います。まずは、気候の面です。上田は蚕を育てやすい気候をしていると分かりました。また、上田の蚕が歴史を持っているだけではなくて、上田の蚕が世界を救っていると言うことも分かりました。 さらに、養蚕業が盛んであったと分かる痕跡として、上田紬という織物もあります。上田紬という上田の地名がつくほどに栄えていたそうです。 富岡製糸場が製糸工場としては有名ですが、上田にも今でも製糸場が残っています。これは、とても珍しく全国で見ても数カ所にしかありません。 上田が蚕の都として有名であるのは、養蚕業が栄えていたことや、その痕跡が未だに残っていることが大きいと思いました。
2022-11-30
8
養蚕によって作られるものと需要
養蚕ではその作業により生糸が作られることとなりますが、最近ではその生糸の需要が減ってきています。 では生糸から何が作られるのか。有名なところでは絹織物でしょう。他には絹靴下などの編物や、組紐(くみひも)などの組物、琴糸や三味線糸などにも使われています。需要の観点から言えば明らかに「着物離れ」であることは明確です。 着物は普段着から特別な日に着る晴れ着としての役割に移り変わってきました。そのため着物の需要は減り、直接的に養蚕の需要も減っていきました。 その解決策の一つとして街の景観の整備を提案します。近代化する都市で着物は浮いてしまいます。京都の景観保持の例のように上田地域でも着物が溶け込めるような景観を作り出す、あるいは復元すれば需要も増えるのではないでしょうか。
2022-11-18
9
初めてのギフトショップ
ギフトショップという店があることを初めて知った。その感動を残しておきたくて。 カタログギフトにタオルセットといった定番の贈り物から、上田織物の小物やコーヒー豆といった少し変わった贈り物まで扱っていた。 いつか、贈り物をするときはここでお世話になるかもしれない。
2022-05-08
10
上田紬について③
上田紬が高級品になった背景 終戦後、まだ衣類が欠乏していた頃、商工省は京都のコブラン機とともに上田紬など数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。 などの数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。農家の家内生産によって、ほそぼそ自家用を織りだす程度であって、絹紬が機業として再開していく機会が、なかなか熟さないでいた。このとき昭和24~5年頃から、神科出身で元蒙古自治政府最高顧問をされた故金井章次氏は、軍放出の真綿を利用して糸を紡ぐことを提唱、農村副業による手織りのなかから紬織りの再興を考えた。草木染の紬織りを現代に生かそうと苦心をされる一方、草木染料や媒染材の化学研究をされて、生産量の増大や、新販路の開拓のことに努力をはらわれた。江戸時代からの上田縞・上田紬の名声は、特
2022-02-09
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第二次世界大戦以後の上田紬
第二次世界大戦以後の上田紬 終戦後、まだ衣類が欠乏していた頃、商工省は京都のコブラン機とともに上田紬など数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。 などの数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。農家の家内生産によって、ほそぼそ自家用を織りだす程度であって、絹紬が機業として再開していく機会が、なかなか熟さないでいた。このとき昭和24~5年頃から、神科出身で元蒙古自治政府最高顧問をされた故金井章次氏は、軍放出の真綿を利用して糸を紡ぐことを提唱、農村副業による手織りのなかから紬織りの再興を考えた。草木染の紬織りを現代に生かそうと苦心をされる一方、草木染料や媒染材の化学研究をされて、生産量の増大や、新販路の開拓のことに努力をはらわれた。江戸時代からの上田縞・上田紬の名声は、特有
2022-02-08
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上田藩主としての松平忠固
出典:横浜市「横浜港の歴史(変遷図、年表)」https://www.google.com/url?sa=i&url=https%3A%2F%2Fwww.city.yokohama.lg.jp%2Fkanko-bunka%2Fminato%2Ftaikan%2Fmanabu%2Frekishi%2Fhistory0.html&psig=AOvVaw2ehsoQQMOejw2Wg80v6XoR&ust=1644781455506000&source=images&cd=vfe&ved=2ahUKEwjptbDE9vr1AhWdTPUHHbouAioQr4kDegUIARC_AQ 上田藩主としても忠固は養蚕・生糸・絹織物産業を振興し、生糸を日本の代表的輸出品へと押し上げた。条約調印前から生糸輸出の準備をし、老中から失脚した後も横浜開港に備え生糸輸出に注力した。生糸輸出の先駆けとなったのはやはり上田藩だった。 しかし、忠固は横浜開港から三か月後の1859年7月1日に死去してしまう。 忠固の先見の明に感服すると同時に、後世でいいように言われ続けたのはこの早世による部分もあるのではないかとも思う。
2022-02-08
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第二次世界大戦以後の上田紬
終戦後、まだ衣類が欠乏していた頃、商工省は京都のコブラン機とともに上田紬など数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。 などの数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。農家の家内生産によって、ほそぼそ自家用を織りだす程度であって、絹紬が機業として再開していく機会が、なかなか熟さないでいた。このとき昭和24~5年頃から、神科出身で元蒙古自治政府最高顧問をされた故金井章次氏は、軍放出の真綿を利用して糸を紡ぐことを提唱、農村副業による手織りのなかから紬織りの再興を考えた。草木染の紬織りを現代に生かそうと苦心をされる一方、草木染料や媒染材の化学研究をされて、生産量の増大や、新販路の開拓のことに努力をはらわれた。江戸時代からの上田縞・上田紬の名声は、特有の風合や柄模様にもあったが
2022-02-08
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上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~戦後以降~
第二次世界大戦以後の上田紬 終戦後、まだ衣類が欠乏していた頃、商工省は京都のコブラン機とともに上田紬など数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。 などの数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。農家の家内生産によって、ほそぼそ自家用を織りだす程度であって、絹紬が機業として再開していく機会が、なかなか熟さないでいた。このとき昭和24~5年頃から、神科出身で元蒙古自治政府最高顧問をされた故金井章次氏は、軍放出の真綿を利用して糸を紡ぐことを提唱、農村副業による手織りのなかから紬織りの再興を考えた。草木染の紬織りを現代に生かそうと苦心をされる一方、草木染料や媒染材の化学研究をされて、生産量の増大や、新販路の開拓のことに努力をはらわれた。江戸時代からの上田縞・上田紬の名声は、特有
2022-02-08
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塩沢 気候
日本有数の豪雪地帯であり、降雪が少ない年で約1m、降雪が多い年で約2mにもなる。また、年較差は平均程度で、日較差は小さい。地域としての湿度は、田に囲まれ降水量もあるため、比較的高い傾向にある。豪雪地帯であることで、稲作が卓越し、また、冬の副業として織物である塩沢紬も発達した。
2022-02-02
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上田紬について①
〇紬とは 紬とは、紬糸を平織りにした絹織物で作られた着物のこと。 絹特有の光沢を持つ生糸とは違い、紬糸で織られた生地は落ち着いた光沢と凹凸のある表面で独特の風合いがある。 丈夫で軽く、普段着やちょっとしたおしゃれ着におすすめな着物で、最初はかっちりとした着心地ですが、着慣れるほどに柔らかく馴染んできます。簡単に言うと、糸を先に染めたあとに布を織る絹織物でかつ、カジュアル 用のきもののことです。 〇上田紬の魅力 目の細かい糸使いでしっかりと織り込まれていて丈夫で強い。縞・格子柄が多く、 シンプルで飽きのこないデザインで江戸時代から織り継がれている。また、大島紬や結城紬と並ぶ日本の三大紬として知られ、紬の中でも軽くて丈夫なことから全国で広く愛用されてきた。 〇上田紬の歴史 今から
2022-01-27
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上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~江戸時代から戦前~
古代から中世にかけて信濃の織物として知られていたのは、麻布であった。(中略)紬は屑繭等を原料として地機で織れたから、原料生産地がそのまま織物生産地となり得た。しかもそれは商品としてよりも、農村で自家用として織られている場合が多かった。 紬は、江戸時代の庶民に許された唯一の絹織物であった。 上小地方の蚕糸業は江戸中期を過ぎる頃から、1つは養種製造、もう一方は生糸生産へと重点が移っていった。江戸中期にすぐれた繰糸技術が取り入れられ、良質の生糸が生産されるようになった。その結果蚕種・生糸の生産で十分な利益を挙げることができるのであれば、手間のかかる機織をする必要はない。このようにして幕末期に近づくに従って、上小地方の上田紬・上田縞の生産は減少していった。 さらに安政6年横浜開港以
2022-01-26
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上田紬とは
紬とは、紬糸を平織りにした絹織物で作られた着物のことである。 上田紬は大島紬・結城紬と並ぶ日本の三大紬として知られている。 絹特有の光沢を持つ生糸とは違い、紬糸で織られた生地は落ち着いた光沢と凹凸のある表面が独特の風合いを醸し出している。 作り手の減少により希少価値が高まっているが丈夫で軽く、値段に関係なく基本的には街着の扱いとされている。そのため、普段着やちょっとしたおしゃれ着におすすめな着物。 参考文献 https://docs.google.com/document/d/1xn4eb17SZiy6jdQkwIaHX_4cSMqIi7j1lhCLMud9r7s/edit https://www.city.ueda.nagano.jp/site/kankojoho/5580.html https://ichiri-mall.jp/shop/c/cAB/#:~:text=%E7%B4%AC%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E7%B4%AC%E7%B3%B8%E3%82%92,%E3%81%AB%E6%9F%94%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%8F%E9%A6%B4%E6%9F%93%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82 https://www.city.ueda.nagano.jp/s
2022-01-26
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上田紬とは
紬とは、紬糸を平織りにした絹織物で作られた着物のことである。 上田紬は大島紬・結城紬と並ぶ日本の三大紬として知られている。 絹特有の光沢を持つ生糸とは違い、紬糸で織られた生地は落ち着いた光沢と凹凸のある表面が独特の風合いを醸し出している。 作り手の減少により希少価値が高まっているが丈夫で軽く、値段に関係なく基本的には街着の扱いとされている。そのため、普段着やちょっとしたおしゃれ着におすすめな着物。 参考文献 https://docs.google.com/document/d/1xn4eb17SZiy6jdQkwIaHX_4cSMqIi7j1lhCLMud9r7s/edit https://www.city.ueda.nagano.jp/site/kankojoho/5580.html https://ichiri-mall.jp/shop/c/cAB/#:~:text=%E7%B4%AC%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E7%B4%AC%E7%B3%B8%E3%82%92,%E3%81%AB%E6%9F%94%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%8F%E9%A6%B4%E6%9F%93%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82 https://www.city.ueda.nagano.jp/s
2022-01-26
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上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~江戸時代から戦前~
古代から中世にかけて信濃の織物として知られていたのは、麻布であった。(中略)紬は屑繭等を原料として地機で織れたから、原料生産地がそのまま織物生産地となり得た。しかもそれは商品としてよりも、農村で自家用として織られている場合が多かった。 紬は、江戸時代の庶民に許された唯一の絹織物であった。 上小地方の蚕糸業は江戸中期を過ぎる頃から、1つは養種製造、もう一方は生糸生産へと重点が移っていった。江戸中期にすぐれた繰糸技術が取り入れられ、良質の生糸が生産されるようになった。その結果蚕種・生糸の生産で十分な利益を挙げることができるのであれば、手間のかかる機織をする必要はない。このようにして幕末期に近づくに従って、上小地方の上田紬・上田縞の生産は減少していった。 さらに安政6年横浜開港以
2022-01-26
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上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~江戸時代から戦前~
古代から中世にかけて信濃の織物として知られていたのは、麻布であった。(中略)紬は屑繭等を原料として地機で織れたから、原料生産地がそのまま織物生産地となり得た。しかもそれは商品としてよりも、農村で自家用として織られている場合が多かった。 紬は、江戸時代の庶民に許された唯一の絹織物であった。 上小地方の蚕糸業は江戸中期を過ぎる頃から、1つは養種製造、もう一方は生糸生産へと重点が移っていった。江戸中期にすぐれた繰糸技術が取り入れられ、良質の生糸が生産されるようになった。その結果蚕種・生糸の生産で十分な利益を挙げることができるのであれば、手間のかかる機織をする必要はない。このようにして幕末期に近づくに従って、上小地方の上田紬・上田縞の生産は減少していった。 さらに安政6年横浜開港以
2022-01-26
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上田紬とは
紬とは、紬糸を平織りにした絹織物で作られた着物のことである。 上田紬は大島紬・結城紬と並ぶ日本の三大紬として知られている。 絹特有の光沢を持つ生糸とは違い、紬糸で織られた生地は落ち着いた光沢と凹凸のある表面が独特の風合いを醸し出している。 作り手の減少により希少価値が高まっているが丈夫で軽く、値段に関係なく基本的には街着の扱いとされている。そのため、普段着やちょっとしたおしゃれ着におすすめな着物。 参考文献 https://docs.google.com/document/d/1xn4eb17SZiy6jdQkwIaHX_4cSMqIi7j1lhCLMud9r7s/edit https://www.city.ueda.nagano.jp/site/kankojoho/5580.html https://ichiri-mall.jp/shop/c/cAB/#:~:text=%E7%B4%AC%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E7%B4%AC%E7%B3%B8%E3%82%92,%E3%81%AB%E6%9F%94%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%8F%E9%A6%B4%E6%9F%93%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82 https://www.city.ueda.nagano.jp
2022-01-26
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上田の蚕種業
【上田の養蚕業】 江戸の末期から昭和にかけ、全国一の養蚕地帯でった長野県。特に上田地方は千曲川から広がる桑の栽培に適した地形と降水量の少ない養蚕に適した気候、そして蚕種の改良から日本一の蚕種製造地帯であった。中でも上田盆地は春蚕の生産地であり、松本盆地の夏秋蚕と対比されていた歴史がある。 【上田の蚕種の歴史】 -蚕種の始まり- 長野県では上田地方がいち早く、藤本善右衛門家によって1661年~1673年に蚕種製造がはじめらた。 上田地方の蚕種製造は ①奥州産蚕種を仕入れ販売(仕入種) ②奥州へ出向き蚕種製造(手作種) ③自家製造(地種) と順を追って成長し全国に販路を広げていく。 -蚕種製造が盛んになった背景- ① 江戸時代、経済が発達による養蚕業や織物業の奨励 ② 蚕種・養蚕・製糸の分業化 この
2021-12-22
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店の様子
商家は営業の場である見世があり、その奥が居住の場となっていて、職住一体の構造だった。 呉服商の見世には帳台が置かれ、その奥に縮緬、紬などの絹織物、メリンスなどの毛織物、太物(木綿類)などの反物や帯を納める商品収容棚があり、伊達衿、帯揚、足袋などの小物類は土間に設けられた台に並べられ営まれていた。夜遅くまで店は開けられていて、笠つきの白熱電燈が何本も天井から吊り下がり、畳敷きの座売りの店内を明るく照らした。
2023-05-06
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信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から
信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から(講演採録全文) 講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授) ▼元の講演はコチラ https://youtu.be/yS-xdWDMTwE?t=2779 信州学「信州の蚕糸業とシルクロード」講座 第2回 2016年10月6日/まちなかキャンパスうえだ
【1】蚕糸業って何? 蚕種製造、養蚕、製糸
■そもそも蚕糸業とは?
今回、この講座は、多くの方に、後からも学習していただけるように、ということで、オンデマンド配信することを想定していますので、全く初めての方がこれを見ると「えっ? 蚕糸業って何?」、そういう基本的な疑問ですね。これを最初の方は誰もわからないわけです。その辺のところも含めてお話をさせていただきたいと思います。
2021-07-15
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米沢織
伝統的な米沢織は自然の染料を用いた草木染で、優しい風合いで有名です。近年では、伝統的な絹織物だけでなく、コットンや化学繊維なども組み合わせた様々な生地が作られています。高い技術は、世界的にも注目されており、海外の有名ブランドからの発注も増えています。 鷹山堂では、この米沢織を使った商品がたくさん売られています。
2021-05-05
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上田紬について
この資料から、上田紬を有名にしたのは真田昌幸・幸村父子だということが分かった。また、江戸時代では絹織物を身に付けることが禁止されており、絹であっても生糸ではないと容認され庶民から高い支持を得ていたという。 上田紬の良さとしては、裏地を三回取り替えられるほど長持ちするという軽く丈夫な点であることが分かった。 参考文献:(上田紬 http://ueda-tsumugi.com/#hajimari)
2021-01-26
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各国の農民美術
この資料には、各国の農民美術の写真や特色が記されている。 スカンディナヴィア…縞や繪模様を織り出した手織りの壁掛、唐草の浮彫の大家具、草花などの模様を刺繍したクッションの胴着など イタリ―(イタリア)…繪や模様を打ち出した金銀細工、青と黄で彩られた素焼の陶器、レース、手織物、木工品等 フランス…レースや白糸刺繍、オーストラリー・ハンガリーに於ける金属、貝などを篏入した木材工芸品など 各国の農民美術の作品には、日本と違った特色が多くみられる。同じ農民美術であっても、様々な特色があり、とても面白い。 参照した資料▼ 国立国会図書館デジタルコレクション 児童百科.22(美術教育篇)157/308
2021-01-26
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上田の生糸、紬について
私は上田の生糸や紬について調べようと思う。 このテーマを選んだ理由は、上田紬には約400年の歴史があり、江戸中期には京都や江戸の多くの人々に愛用されていた。また、日本三大紬の一つでもある。 このような魅力がある上田の生糸や絹織物の特徴や歴史ついて調べ、上田をより知っていきたいと考えたからである。 調べた情報などをマイサイトなどを使い情報発信できるようにしていきたいと考える。 そのため、他のサイトや地域資料館などを使用し資料を調べていきたいと考えている。
2020-12-20
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上田紬(6)
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