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1上田ブルー、色即是空上田ブルー、色即是空2005/11/01の記録。 上田に移り住んだ2005年。強烈に印象づけられたのが空の限りない青さです。これを私は「上田ブルー」と呼んできました。 「空色」とは「水色」のこと。イタリア語では「アズーリ」と言います。サッカーのイタリア代表はアズーリ色のユニフォームを着て、チームそのものも「アズーリ」の呼び名で親しまれています。イタリアのアズーリは日本の空色よりもより濃い。しかし上田の空色はもっと濃い。濃いどころかディープブルーと言っても過言ではありません。 関東地方に暮らすと空は普通水色をしています。このようなブルーは望めません。「色即是空」不思議に言い得て妙です。2024-03-02
222世紀に残したい風景:稲わら焼きと「にお」22世紀に残したい風景:稲わら焼きと「にお」2005/11/02の記録。 私が上田に移り住んだ最初の年2005年。長野大学周辺の塩田平の景観に触れて一番心の虜になったのが稲わら焼きと「にお」の風景です。「にお」とは藁を円錐状に束ねたものの呼び方です。この呼び方自体、一般にも馴染みがありません。地元の方に呼び方を尋ねても知っている方は殆どいませんでした。 特に秋になると稲刈りの済んだ塩田平の田圃のあちこちから煙が立ち上り、風になびかれて横に流されて行きます。煙のたなびく風景に郷愁を感じ、いつまでこの風景を見ることができるのだろうかと思うと、愛おしく、かけがえのないものに感じられて心惹かれてきました。 稲わら焼きは地域によっては環境等に影響があるから禁止条例が出されているところもあります。また稲作は機械化が進み、このような昔ながらの農業が2024-03-02
3菅平中の総合学習Take Action発表会2024/03/01菅平中の総合学習Take Action発表会2024/03/01上田市立菅平中学校の全生徒が取り組んできた総合学習「Take Action」の成果を3/1、生徒たちが地域の協力者も参観する場で発表しました。 生徒たちは5つの班に分かれてそれぞれの成果を発表しました。 1班:イベントチーム 2班:SNSチーム 3班:ゴミ拾いチーム 4班:自然観察チーム 5班:草刈りチーム 「Take Aciton」の意味は「一人ひとりが菅平のためにできることに取り組もう」。イベントを企画し、SNSを活用し、ゴミ拾いをし、自然観察をし、草刈りをして菅平のためにアクションを起こす総合学習です。長野大学から私たちが後押しした『菅平まなびあいひろば』も利用し、それを通じて活動を広く伝えようというベクトルを持って取り組んでいました。来年度も継続して取り組んでいくとのこと。地元の人たちに、また広く全国の人たち2024-03-02
4上田西小で「子ども地域探検隊」学習支援上田西小で「子ども地域探検隊」学習支援★みんなでつくる西部地域デジタルマップ/子ども地域探検隊2023 https://d-commons.net/seibu?c=1261 2/28(水)上田市立西小学校で5年1組が総合学習で取り組んできた「地域探検」の画像記録から子どもたちそれぞれが自分のイチオシをネットにアウトプットする学習を学生、地元の「西部地域まちづくりの会」の方々と支援してきました。 地域の探検をしたのは7月の暑い日と1月の雪が降った日。子どもたちは自分のタブレットPCを持って、探検先の様子を画像に収めてきました。この日はそのまとめとなるふり返り学習の日。西部地域まちづくりの会が開設している『みんなでつくる西部地域デジタルマップ』に子どもたちが投稿しました。自分たちの探究をネットに公開して地域の人々なども見てもらえるようにしました。これまで大人たちが投稿し2024-02-29
5上田西高等学校との対談初回上田西高等学校との対談初回2024年2月27日に上田西高等学校の方々と対談を行いました。参加者には上田西高の生徒2人と担当教諭2人が参加しました。内容は今後の西高での活動の計画の相談や生徒の今取り組んでいるテーマを聴くことなどがありました。今後も定期的に西高と連携を行い、活動を進めていく予定です。2024-02-27
63Dで藤本蚕業歴史館をデジタルツイン化3Dで藤本蚕業歴史館をデジタルツイン化上塩尻にある藤本蚕業歴史館の新しい情報空間のご紹介です。 ★藤本蚕業歴史館ウォーク https://d-commons.net/fujimoto-walk/ 資料館はとても行きにくいし、行っても資料を見るのも大変です。このたびデジタル技術を使って、資料館まで行かなくても館内をバーチャルに歩き回り、資料にアクセスできるバーチャル空間にしました。本物の資料館がそこにあるかのように再現する技術を「デジタルツイン(デジタルな双子)」と呼んでいます。その試みです。長野大学前川ゼミの協力により藤本蚕業プロジェクトが制作しました。 皆さんもどうぞバーチャルな体験、資料へのアクセスをお楽しみください!2024-02-27
7企業情報学部1期生のオリ合宿2007/04/20企業情報学部1期生のオリ合宿2007/04/202007/04/20の記録。 企業情報学部が2007年度に新設され、学部の1期生が入学したのがその年の4月。長野大学の私立時代、毎年新入生歓迎のオリエンテーション合宿(略して「オリ合宿」)が1泊2日の日程で行われていました。2007年度のオリ合宿は環境ツーリズム学部と合同で松代、小布施を見学し、菅平に宿泊、翌日は菅平湿原を見学しました。現在の在学生にかつて「オリ合宿」があったことを伝承するのは、当時の体験もし、画像記録もある私から伝えることかな?と思い、画像記録をいくつか載せてみました。 大学から2学部の新入生約200名がバスで見学先に移動。松代で松代城跡(海津城跡)、続いて城跡のすぐ隣にあった池田満寿夫美術館(現在はなし)を見学。おぎのや長野店(これも現在はなし)で昼食をとり、その後、小布施へ。続きの2024-02-27
8マンホール:山ノ内町マンホール:山ノ内町2006/05/04の記録。 山ノ内町の湯田中駅前温泉かえでの前辺りで撮りました。 マンホール蓋に描かれているのは町の花リンゴの実、町の鳥ウグイス、町の木ツガ、町章とのこと。志賀高原の山麓に広がる山ノ内町は温泉資源にも恵まれ、さらには志賀高原が長野オリンピックのアルペン競技の会場にもなりました。旧駅舎に掲げられたオリンピックのポスターもメモリアルなものです。 参考資料:下高井郡山ノ内町のマンホール http://usagigasi1f2.starfree.jp/nagano/yamanoutimati/yamanoutimati.html2024-02-24
9長野大学の広告看板2019/04/14長野大学の広告看板2019/04/142019/04/14の記録。 魚民などが入っているJR上田駅前近くのビルの上に大きな広告塔があります。この頃は「公立大学法人 長野大学」の広告が大々的に掲げられていました。「地域を考え? 未来を創造する!」というコピーが書かれています。長野大学が公立化したのは2017年4月のこと。この時は公立化から既に2年経過しています。折りしもこの日4/14は桜が満開でした。2024-02-21
10上田・4月の雪2019/04/10上田・4月の雪2019/04/102019/04/10午後3時の記録。 これはめずらしい。上田はもともと冬でも降雪は少ないのですが。何と4月に雪が降りました。2024年に画像を見て、この記録を発見しました。寒冷地でもある上田では4月の降雪は稀にあります。2024-02-21
11上田城千本桜まつりポスター2019/04/07上田城千本桜まつりポスター2019/04/072019/04/07の記録。 JR上田駅前に毎春恒例のイベント「上田城千本桜まつり」(4/6→21)のポスターが貼られていました。その年どんなポスターだったかも今となっては簡単にふり返れません。この年のポスター、貴重な記録です。大型の広告幕も。この年は上越高田の「第94回観桜会」と観光広報もコラボしていたようです。上田市と上越市が姉妹都市とは。2024年の今になって気づきました。 毎年の千本桜まつり、今年も楽しみです。2024-02-21
12塩田平観光マップ(上田駅構内)今昔2005→2024塩田平観光マップ(上田駅構内)今昔2005→2024写真上:信州の鎌倉と周辺の図(2005/05/04の記録) 写真下:日本遺産・信州上田・塩田平(2024/02/03の記録) 上田駅構内のしなの鉄道改札出入り口に面したコンコースの壁に塩田平の大きな観光マップが掲げられています。塩田平が日本遺産「レイラインがつなぐ『太陽と大地の聖地』」に選ばれてしばらく経ってから「日本遺産」マップにリニューアルされました。 レトロ感たっぷりの「信州の鎌倉」マップが今となっては貴重な記録です。このマップ、デザインは古い時代様式のものです。退色もしています。あるいは退色したように装ったデザインかもしれません。一見したところ相当に年季が入ったもののように見えますが、新幹線や上田大橋が描かれてもいることから推察すると上田大橋開通後の2000年頃に観光PRのために掲げられたものではないかと2024-02-19
13「生涯学習のまちうえだ」2005/04/16「生涯学習のまちうえだ」2005/04/162005/04/16の記録。 上田城跡のお城下、ハローワークの近くの沿道に「誰もが豊かに生きる 『生涯学習のまち うえだ』をめざして 平成12年12月18日議決宣言 上田市・上田市教育委員会」と書かれた横断幕が掲げられていました。 上田市で生涯学習が盛んなことはその後に知ることになりましたが、こういう宣言文がどのような意味や効果をもたらすだろうかということは、この横断幕を見た時に抱いた疑問でした。社会教育が盛んではありましたが。「生涯学習のまち うえだ」はその後特段聴くことがありませんでした。どうしたのだろうという疑問。 「議決宣言」。行政の意気込みがこの横断幕になったものと思います。平成12年と書かれていますので、議決宣言をしたのは2000年のこと。この時は2005年、それから5年経過しています。文科省のホー2024-02-17
14柳町の記憶2005/04/15柳町の記憶2005/04/152005/04/15の記録。 私が上田に移り住んで間もない頃の記録です。北国街道の上田宿でもあった「柳町」。柳町を訪れたのはこの時が初めてです。上田の城下町の面影を残す歴史スポット、観光スポットとしてその後、地元ばかりでなく広く全国からも知られるようになりました。 歴史的景観を活かしたまちづくりもなされ、徐々に環境も整備されてより美しくなりました。昔どうだったのか、その経過・変遷を視認できる情報源として当時のありのままの写真は大切なのではないかと思い、ここに掲載しておきます。 参考サイト:信州上田北国街道 柳町 https://yanagimachi-ueda.jp/2024-02-17
15信州上田学2023/地域キュレーションVol.2信州上田学2023/地域キュレーションVol.2長野大学講義科目「信州上田学」(2023年度後期)を受講した学生たち(主に新入生が対象、3学部横断)の「地域キュレーション」(地域を探究しアウトプットする学び)のアウトカム集です。講義内容は「信州上田学2023①~④地域キュレーション」をご参照ください。 「学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)」それぞれのマイテーマにリンクしています。[ Vol.1 | Vol.2 ]
 No. ニックネーム/探究テーマ    探究のねらい
  1. よう/地域交通と産業のつながり
    交通インフラと産業は密接に関連していると考えたから。産業の発展には
2024-02-16
16信州上田学2023/地域キュレーションVol.1信州上田学2023/地域キュレーションVol.1長野大学講義科目「信州上田学」(2023年度後期)を受講した学生たち(主に新入生が対象、3学部横断)の「地域キュレーション」(地域を探究しアウトプットする学び)のアウトカム集です。講義内容は「信州上田学2023①~④地域キュレーション」をご参照ください。 「学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)」それぞれのマイテーマにリンクしています。[ Vol.1 | Vol.2 ]
 No. ニックネーム/探究テーマ    探究のねらい
  1. こぶた/別所を盛り上げるには
    サークルの関係で別所に行く機会が多々あるが、別所の魅力にまだ自分自身
2024-02-16
17上田市のハンドホール上田市のハンドホール前回は上田市のマンホールでもツツジと六文銭が描かれたものを見つけました。 今回見つけたのは…上田市章のマークが入ったハンドホールです! 現在の上田市章は、全国からの応募によって決められたものです。現在の「上田市」は統合によって1つの市となっています。そのため、統合時に市章を募集したようです。 その結果、写真(少し見にくいのはすみません…)のようなマークになりました。 上田市章は四葉のクローバーと桜、六文銭が組み合わさったマークになっています。 デザインコンセプトは「背景の四つ葉のクローバーは、旧4市町村の調和した統合を、桜の花は元気で前向きに歩む上田市民の姿を、中央の花心はアレンジされた真田六文銭をイメージし、全体で新生上田市の自然と活気あふれる未来への発展を表現しています」とのこ2024-02-16
18旧長野病院(信州上田医療センター)2005/05/17旧長野病院(信州上田医療センター)2005/05/172005/05/17の記録。 旧国立長野病院が上田市にあったことが人々の記憶からも遠ざかっています。長野病院が2011年、旧国立東信病院を統合し「信州上田医療センター」に改称しました。現在の施設自体は2005年当時と殆ど変わりませんが、名称が変わりました。病院名がシンプルで一度聴いたら忘れません。「信州上田~」は少し長く覚えにくいのは否めません。建物に記された「長野病院」のシンプルな病院名をご確認ください。 参考資料:信州上田医療センター https://shinshuueda.hosp.go.jp/  Wikipedia/国立病院機構信州上田医療センター https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E7%97%85%E9%99%A2%E6%A9%9F%E6%A7%8B%E4%BF%A1%E5%B7%9E%E4%B8%8A%E7%94%B0%E5%8C%BB%E7%99%82%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC2024-02-15
19別所線の車両デザイン2005/05/07別所線の車両デザイン2005/05/072005/05/07の記録。 私が上田に移り住んでから間もないころの2005年5月。赤坂上の別所線踏切で信号待ちになり、別所線の車両が通過していきました。それ自体は何の変哲もないものですが、現在の2024年からふり返ってみると、「あれ?このデザインの車両は今は走っていない」と気づき、逆に新鮮でした。このような知らず知らずの変容には古い写真を参照しないと気づけないものです。2024-02-15
20聖博物館・航空資料館2008/05/06聖博物館・航空資料館2008/05/062008/05/06の記録。 施設内の説明によると聖博物館は1965年に建設され、民俗資料等1300点が展示されています。航空資料館は麻績小学校の旧校舎を1971年に移築復元したものということです。麻績村の小さな博物館に航空機が展示されていることが唐突で面白い。2008年に訪れた時点で既に開館から37年が経過し、展示形態が旧態化した印象は否めませんでした。社会の価値観の変容、デジタル社会への変容などにより、麻績村の地域資料が数多く保存された貴重な施設であると同時に、地域や歴史を学習する博物館施設のあり方も見直されてよい。児童生徒が教室からこれらの展示にアクセスできたら、どれほど地域学習に役立つことかと思います。 Wikipediaによると2012年にリニューアルされたとのこと。現地を訪れ、時の経過の意味を感じてみたいと思います2024-02-15
21別所温泉駅別所温泉駅別所線の終着駅です。ティファニーブルーに塗装された駅舎が可愛いです。温泉を利用する方がたくさんいました。駅の横には丸窓電車が展示されています。時期によって様々な行事や装飾がされているのが印象的です。冬はライトアップもしていて夜に訪れてみるのもいいなと思いました。2024-02-13
22泥宮に行ってきました。泥宮に行ってきました。泥宮まで行ってきました。 歩いて片道45分~1時間ほどかかった気がします。 流石に歩いていくのは時間がかかりました… 私のように散歩感覚で行くのはおすすめしません。 泥宮に行くまでの道のりは、行きは生島足島神社を通り過ぎて、交番があるあたりで右に曲がりました。曲がった先から道には街灯がないので、夜には行かない方がいいと思います。暗いしこの時期の道は雪があったり凍ってたりで危ないので。 帰りの道は、甲田池・塩田町駅・男池を通る形のルートで帰りました。 上田市は少雨地域である為、ため池が多いことは学びましたが、歩いていると思ったよりも近くにため池群があり、楽しかったと思うとともに、すべてのため池を巡りたいなとも感じました。 夜遅くに行ってしまったので、泥宮の雰囲気は不気味に思えました。2024-02-13
23北向観音堂北向観音堂平安時代初期に比叡山延暦寺座主慈覚大師円仁が開いた 霊場。北向きの本堂(本所は千手観音菩離像)は全国でも珍しく、南向きの善光寺本堂と相対しているとされる。「極楽往生」を願う善光寺と「両参り」し、ここで「現世利益」を祈ることで、より御利益があるとされる。かつて参道脇に長楽寺(常楽寺、交楽寺とともに天台宗の「別所三楽寺」のひとつ)があったが、現在は常楽寺を本坊とする。昭和36(1961)年に善光寺本堂と同じく、「撞木造り」の建物として増改築された。なお、手水舎には境内から湧出している温泉が使われている。 北向観音は『「極楽往生」を願う善光寺と「両参り」』というのをキーワードに、観光業に活かせると感じた。北向観音は、実際に自分で現地に行かないと感じないようなパワーがあると私は考えている。よって2024-02-13
24上田城跡上田城跡講義中にも扱った上田城跡に行ってみました。 スケボーをしている人が沢山いて人で賑わっていました。2024-02-13
25別所温泉【第五回上田氷灯ろう夢まつり】別所温泉【第五回上田氷灯ろう夢まつり】2月8日から2月12日の五日間、別所温泉にて【第五回上田氷灯ろう夢まつり】が開催された。「2024年は甲辰の年、塩田平の日本遺産が象徴する龍をテーマに新しく動き出す成長の年を表現します」というテーマで開催された。私はこのイベントに長野大学MIZUMATCHサークルの一人として、キャンドルアートの制作等に携わった。また、五日間参加した。 このイベントに参加して、別所は地域の人から強く愛されているということを実感した。また、来場者の方々とお話することがあったが、県外から来ている方もいらっしゃって、日本遺産である北向観音堂をはじめ、別所全体は、上田の主となる観光地であると感じた。このイベントには小さなお子さんから、家族連れ、若者、高齢者等様々な方が足を運んでおり、特に休日は多くの人で賑わっていた。このよ2024-02-13
26別所温泉の地域で撮影したハンドホール別所温泉の地域で撮影したハンドホール別所温泉駅から北向き観音堂に行くまでの道で見つけたハンドホールです。 三角の中にあるマークは何でしょうか… まだ調べられていないので、要調査です。 このマーク、スマッシュブラザーズに出てくるスマッシュボールという必殺技が打てるアイテムに似てますね。 マークに触れただけで強くなれそうな気がしてきます。2024-02-13
27隠れキッチン隠れキッチン隠れキッチンは、神畑駅から徒歩5分程度の場所にある洋食屋さんである。一見普通のおうちのような見た目ではあるが、ご夫婦で切り盛りされており、店内はとても温かな雰囲気に包まれている。メニューはとても豊富で、どれも美味しそうなのできっと迷ってしまうだろう。テイクアウトにも対応しており、おしゃれなお弁当のように提供していただける。お子様連れも多く、年齢問わず様々な方が訪れやすい。2024-02-13
28北向観音堂からみた上田地域北向観音堂からみた上田地域別所温泉に位置する北向観音堂は、本堂が北に向いた全国でも非常に珍しい寺である。平安時代初期、最澄から天台宗を受け継いで比叡山延暦寺の座主となった円仁によって開かれた。山を背に構える別所温泉は信州最古の温泉地と言われており、現在も観音様への参拝前に体を清める手水舎には、別所温泉で湧き出た源泉が用いられている。また、北を向いて建てられた本堂は、南向きに建てられた善光寺の本堂と向かい合っている。現世利益を願う北向観音堂と極楽往生を願う善光寺の両方を参拝することが推奨されている。実際に訪れてみると、あちこちで湯煙が上がり、その奥には上田の市街地が一望できたのが印象的である。しかし、人気(ひとけ)はほとんどなく、かつての賑わいを感じることはできなかった。観光客に向けて、全国的に希少価2024-02-13
29丸子地域のマンホール丸子地域のマンホールこれは丸子地域のマンホールです。 この真ん中にあるマークは丸子町のものだそうです。 私には鳥が飛んでるみたいに見えて可愛いなと思います。 丸子地域にはあまり行かないので、これからもっと訪れたいなと思います。2024-02-13
30北向観音堂、本堂北向観音堂、本堂別所温泉に位置する北向観音堂は、本堂が北に向いた全国でも非常に珍しい寺である。平安時代初期、最澄から天台宗を受け継いで比叡山延暦寺の座主となった円仁によって開かれた。山を背に構える別所温泉は信州最古の温泉地と言われており、現在も観音様への参拝前に体を清める手水舎には、別所温泉で湧き出た源泉が用いられている。また、北を向いて建てられた本堂は、南向きに建てられた善光寺の本堂と向かい合っている。現世利益を願う北向観音堂と極楽往生を願う善光寺の両方を参拝することが推奨されている。実際に訪れてみると、あちこちで湯煙が上がり、その奥には上田の市街地が一望できたのが印象的である。しかし、人気(ひとけ)はほとんどなく、かつての賑わいを感じることはできなかった。観光客に向けて、全国的に希少価2024-02-13
31生島足島神社、本堂生島足島神社、本堂生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られる、信濃屈指の古社である。御本殿は、神池と呼ばれる池に囲まれた神島の中で周囲を老樹に取り囲まれて建っている。武田信玄や真田昌幸、真田信之をはじめ、歴代の上田城主からも厚く崇敬されていた。また、現在は各種ご祈祷やご祈願を毎日執り行っており、七五三や個人でのご祈願も可能である。実際に訪れて境内を一周してみたが、整備されていない所が度々見られたり、案内の看板が少なかったりして、残念に感じる部分もあった。2024-02-13
32生島足島神社、西鳥居生島足島神社、西鳥居生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られる、信濃屈指の古社である。御本殿は、神池と呼ばれる池に囲まれた神島の中で周囲を老樹に取り囲まれて建っている。武田信玄や真田昌幸、真田信之をはじめ、歴代の上田城主からも厚く崇敬されていた。また、現在は各種ご祈祷やご祈願を毎日執り行っており、七五三や個人でのご祈願も可能である。実際に訪れて境内を一周してみたが、整備されていない所が度々見られたり、案内の看板が少なかったりして、残念に感じる部分もあった。2024-02-13
33常楽寺石造多宝塔常楽寺石造多宝塔 常楽寺本堂左側の道を上がった奥に多重塔と呼ばれる堂々とした石造の塔が一基立っている。弘長2年(1262)に造られた。総高274.0㎝の重厚で堂々とした風格や造り方は鎌倉期多宝塔の優品とされ、おごそかなたたずまいを感じる境内である。  北向観音の出現地とされているため、同じく別所温泉にある北向観音堂と合わせて訪れる方もいるのではないかと感じた。2024-02-13
34大学前駅大学前駅大学や短大に通う多くの学生でにぎわいます。夏は自然運動公園内のプールを利用する人もたくさん乗降します。駅舎の前にはロータリーが、その横には駐車場や駐輪場があり、無料で利用できるので学生にはとてもありがたいです。2024-02-13
35鹿教湯温泉のマンホール鹿教湯温泉のマンホール鹿教湯温泉のマンホールには、3匹の鹿の絵が描かれています。親子の鹿のように見えますね。 「鹿教湯温泉」という字面にも鹿が入っているので、鹿が描かれいるのも納得です。 「鹿教湯」で、かけゆ と読むのは初見では分からなかったです。不思議な読み方ですよね。 鹿の絵が可愛くて個人的には、上田市のマンホールの中で一番好きかもしれません。2024-02-13
36安楽寺八角三重塔安楽寺八角三重塔日本最古の禅宗様建築で、長野県内では松本城とともに最初の国宝指定を受けた文化財である。また、日本で現存する唯一の八角塔である。高さ18.75mで、内部の天井や八角の仏壇も他に類を見ないものである。しかし、その希少価値の高さや歴史の深さなどが観光客に最大限伝わっておらず、一連の観光資源として活用できているようには感じられなかった。特に、別所温泉には数多くの寺社が建てられており、古くから中国の高僧や全国の学僧が訪れた。だからこそ、地域として関連性のある遺産が多い。それをもっと有効に活用するべきだろう。2024-02-13
37安楽寺八角三重塔安楽寺八角三重塔信州最古の禅寺。境内の奥にたたずむ塔は日本で唯一の木造八角塔で、長野県で最初に国宝に指定されているらしいです。中国宋時代の禅宗様(唐様)という建築様式で建てられています。雪が降り積もる中でしたがとても趣を感じました。2024-02-13
38別所温泉の村長さん別所温泉の村長さん別所温泉にもゆるキャラが存在しているって知ってましたか? 私は知らなかったです… ゆるキャラの名前は「別所温泉の村長さん」です! 名前からして可愛いですね。見た目は神様のようなおじいさんのような見た目をしています。別所温泉のゆるキャラということで、温泉にまつわる様々な要素が散りばめられていますね。 私は上田市のゆるキャラは、鹿教湯温泉のかけ爺しか知りませんでした。かけ爺も可愛いですよね。 鹿教湯温泉は車がないと行くことが難しく、まだいけていません。別所温泉に行ったなら鹿教湯温泉も行かなければという謎の使命感があります。 別所温泉の村長さんは2014年に実装されました! かけ爺くらい人気になってほしいなあと思いつつ別所温泉の村長さんについて調べています。 SNSもあるので是非見てみてくださ2024-02-13
39上田城上田城真田幸村の父、真田昌幸によって築城されました。桜の時期の祭りや、秋のライトアップなど一年を通して様々なイベントも行われ、地元の人たちにも愛される観光名所となっています。歴史ある上田の遺産に、皆さんもぜひ足を運んでみてください。2024-02-13
40cafe bossocafe bosso上田駅お城口からまっすぐ歩いていくと見えてくる、ぱきっとした青い壁が目印になるbossoは、甘いものが食べたくなった時ぜひ立ち寄ってみてほしい。本日のワッフル、ケーキがあり、フルーツが使われていて、どれも絶品である。ここでは、サンドイッチやカレーなどの食事のメニューもあり、ランチや甘いものはちょっと...という方でも楽しむことができる。店内も非常に落ち着いた雰囲気でゆっくりとした時間を過ごすにはぴったりである。上田駅から徒歩5分というアクセスのしやすさもあり、電車の待ち時間などにも最適である。2024-02-13
41別所温泉のマンホール別所温泉のマンホール別所温泉のマンホールです。 何をしている様子なのでしょうか。 これは、別所温泉に伝わる「岳の幟」というお祭りをしている様子です! 「岳の幟」の読み方は、たけのぼり、です。 このお祭りは、雨乞いをするものです。少雨である上田だからこそ生まれたお祭りなんですね。 この岳の幟は国の重要無形民俗文化財になっています。 私が行ってきた「上田氷灯ろう夢まつり」の会場にも岳の幟で使用される(奉納される)、色とりどりの布と竹竿の絵が描いてあるライトがありました!それくらい、別所温泉にとって大事なものなんですね。 別所温泉の町を歩いていると、マンホールが3つも近くにあるところを見つけて、テンションが上がりました! 1枚の写真で3つのマンホールが撮ることができる場所はそんなにないんじゃないかと思いまし2024-02-13
42国宝安楽寺国宝安楽寺神聖な雰囲気に包まれた安楽寺。長い年月をかけて育った杉の大木に囲まれながら、階段を上るとそこには見事な八角三重塔。とても素晴らしい歴史文化財である安楽寺は地域観光財として大きな価値を持ち、上田&別所地域に大きく貢献している。少し立地は悪いが、この一つだけでも観光が成り立つ資源としての強みは、地域観光の在り方を考える際の軸としての意味も担っているだろう。2024-02-13
43長福寺銅造菩薩立像長福寺銅造菩薩立像長福寺「信州夢殿」の本尊として安置されている。アルカイックスマイルを特徴とする、像高36.7㎝の小金銅仏で、7世紀後半の白鳳時代の作品と考えられる。もとは上高井郡小布施町の旧家に伝わるものだったが、昭和13(1938)年に長福寺に移された。 長福寺はこの講義を受講するまで名前も聞いたことがなかった。ここは生島足島神社の前に訪れたが、休日であるにも関わらず、訪ねている人は私一人だった。正直なことを言うと、日本遺産に登録されているにしては、閑散としていると感じた。観光客を呼び込むためには、もっと情報発信に努めるべきだと感じた。2024-02-13
44信濃国分寺信濃国分寺奈良時代、上田の地に建立された信濃国分寺。 承平の乱で焼失したといわれていますが、室町時代に今の場所へ再建されました。三重の塔は現存する国分寺で一番古く、国の重要文化財にも指定されている。2024-02-13
45信濃国分寺三重塔信濃国分寺三重塔 信濃国分寺三重塔は、室町時代中期に建てられた。上田小県にある4つの三重塔の中で3番目に古い。第一層の大日如来が安置されている仏壇の鏡天井を囲む四方は「如意頭文」という珍しい彫刻である。一層の内部には、今も色のあとが残っている。  国分寺最古の三重塔であり、現在も建立当時の姿を見せていることは、目を引く魅力だなと考えた。また、別所温泉の安楽寺八角三重塔とともに大日如来が安置されたふたつの塔を合わせて巡る観光客も居るのではないかと感じた。2024-02-13
46サントミューゼサントミューゼサントミューゼは、上田市交流文化芸術センター・上田市立美術館・交流芝生広場が併設された複合文化型施設です。入学式や卒業式も開かれます。内装もきれいで 人をひきつけます。2024-02-13
47第5回上田氷灯ろう夢まつり に行ってきました第5回上田氷灯ろう夢まつり に行ってきました2月8日から2月12日まで開催されていた「上田氷灯ろう夢まつり」に行ってきました! 北向き観音のライトアップや、長野大学の「MIZUMATCH」(ミズマチ)というサークルの方達が行っているライトによる展示もありました。 北向き観音堂は日本遺産であり、平安時代初期に開かれた霊場です。名前にも北向きと入っていますが、日本の中でも北向きの本堂は珍しいものです。善光寺は南向きで本堂があるのですが、北向き観音堂と善光寺が相対するようになっているそうです。 上田市に存在する日本遺産を調べていると、相対になっているものがいくつもあり、興味深いと感じます… 実際に行けていない場所も多くあるので、行ってみようと思います。 話しが脱線してしまいましたが、上田氷灯ろう夢まつりでは、北向き観音堂始め、市指定文化財の、愛染2024-02-13
48下之郷駅下之郷駅生島足島神社に合わせた朱色の駅舎が特徴的で可愛らしいです。上田電鉄の本社と車両基地があり、運行上の中心駅です。かつては西丸子線との分岐駅でした。西丸子線の廃線後もホームはそのままの姿が残っています。2024-02-13
49北向観音北向観音天台宗は平安時代に最澄が比叡山延暦寺を建て開かれました。そして天台宗は悟りに至る方法を全ての人々に開放してまいりました。その結果多くの開祖を輩出し「日本仏教の母山」といわれています。当常楽寺、故半田孝淳(はんだこうじゅん)名誉住職も、第二百五十六世天台座主となられました。2024-02-13
50生島足島神社生島足島神社日本遺産にもなっている、地元の人々から愛される神社です。七五三の時期には多くの子どもがお宮参りに訪れます。祀られているのは生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神です。真田昌幸の朱印状など、国の重要文化財に指定された94通の古文書が残っており、内殿は「県宝」に指定されています。この神社は神池に囲まれた神島に建っていてとてもきれいでした。下之郷駅のすぐ近くなので、訪れてみてはどうでしょうか。2024-02-13
51舌喰池舌喰池 日本遺産の「塩田平のため池群」の一つである。年間降水量が全国で最も少ない上田市は、農業用水を確保するためにため池を100か所以上作った。そのうちの一つが舌喰池である。貯水量は、138,000㎥、満水面積は、61,400㎡、堤高は7.0mである。舌喰池周辺の水田では、上田藩で作られる米の約半分が作られ、他にも雨乞いをする儀式の場としても使われた。舌喰池の名前の由来の一つとして、ある昔話が関係している。昔この池が造られた頃、土手から水が漏れて、十分に水を溜めることができなかった。そこで池の改修をするにあたり、土手に、生きた人を土中に埋めて祈るという「人柱」を入れなければ水が溜まらないという話があった。 くじ引きで決められたある娘さんは、日夜悲しみに明け暮れていたが、人柱に立つ前の晩、身の不運を嘆いて舌2024-02-13
52上田市のマンホール上田市のマンホール上田市の街中にある、マンホールです。 上田市のマンホールを最初に見た時、真田の家系を象徴する六文銭は分かりましたが、その周りにある花のようなものは何だろうと思いました。 調べてみたところ、周りにある花は、ツツジだそうです。 なぜ、ツツジかというと、ツツジは当時の市花だったからだそうです。現在は桜が上田市の市花になっています。 私は写真にあるようなマンホールしか見つけられていませんが、上田市ホームページを見てみると、少しずつデザインの違いがあるものが存在しているようです。 道のいたるところにあるマンホールですが、見つけようとすると案外、見つからないものでした。 上田市の中でも、様々な街の象徴を表したマンホールが存在している為、これからは上田市すべてのマンホールの写真を撮りたいです2024-02-13
53別所神社別所神社別所神社は、信州最古の温泉地、別所温泉にあります。舞台からは季節ごとに姿を変える別所の景色を見渡すことができます。 この別所神社の他との違いは、paypayでお賽銭ができるところです。かなり古い見た目で、あまり大きい神社ではないため現代的で驚きました。現金を持ち歩かない人も増えているため便利ですが、本当に電子機器での支払いでもご利益があるのか少し心配になってしまいますね。是非皆さんも別所神社まで足を運び、paypayのお賽銭を体験してみてはどうでしょうか。2024-02-13
54生島足島神社 日の入り生島足島神社 日の入り冬至の生島足島神社に行ってきました。 この神社は、太陽が夏至には東の鳥居の真ん中から上がり、冬至には西の鳥居の真ん中に沈むよう、鳥居が太陽の至点と一致するように配置されています。 実際この写真を撮影できたのは当時の三日後でした。雲がかかっているとみることができないため、きれいに鳥居の間に日が沈む光景を見るには、運も必要です。 とても寒かったですが、地元の方も多く集まっていました。とても美しく、見に行く価値があると思います。 次は夏至に、反対側の鳥居から日が昇る光景を見ることができます。是非行ってみてください。2024-02-13
55生島足島神社生島足島神社平安初期にまとめられた「延喜式」に載る古社で、生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」を祭神とする。摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる。御神体は「大地」である。太陽が夏至には東の鳥居の真ん中から上がり冬至には西の鳥居の真ん中に沈むよう鳥居が太陽の至点と一致するように配置されており、まさに「太陽」と「大地」を結ぶ神社である。 晴れた土曜日の11時頃に行ったこともあり、多くの人が訪れていた。特に家族で七五三のお宮参りに訪れている人が多かった。文書も拝見した。撮影禁止で写真は撮れなかったが、非常に多くの文書が保存されていた。文書を拝見した。古文書からも、400年前の生島足島神社への信仰と長年にわたり守られてきたことがうかがえ2024-02-13
56前山塩野神社本殿及び拝殿前山塩野神社本殿及び拝殿独鈷山の麓の前山地域に位置する、「延喜式」に載っている神社。鳥居が2つあり、その間は全国的にも珍しい流鏑馬の旧跡とされている。拝殿と本殿には竜などの彫刻が施されており、建造物の美しさを際立たせるものとなっている。境内は木々に囲まれ、俗世から少し外れた神秘さを感じさせられるような場所だった。自転車で行ったのでアクセスは少し大変であったが、落ち着いた雰囲気を味わうことができる所だと感じた。2024-02-13
57豊上モンテリア豊上モンテリア生島足島神社からすぐのジェラート屋さん、豊上モンテリアさん 本格的なジェラートが食べられます その日限定のものがあったり、リクエストが出来たり、インスタを要チェックです2024-02-13
58北向観音北向観音別所温泉の代表である北向観音。 善光寺と対になっており、珍しく北を向いていることが特徴です。 北向観音では現世利益を得ることができます。 善光寺に行ったのなら両参り!忘れずに訪れてください 参道にはお土産屋さんやお店が並びます。 敷地からみる上田はとてもきれいなので、ぜひご自身の目で見てみてください。きっと「わっ」と声が出ますよ。 近くには足湯や日帰り温泉もあるので、一緒に回るのもおすすめです。2024-02-13
59生島足島神社生島足島神社 延喜式にもその名が記されている由緒ある古社である。生島大神と足島大神の二神が祀られ、武田信玄や真田昌幸・信之をはじめ歴代の上田城主からも厚く崇敬されたという。生島大神と足島大神を祀る神社は全国的にも珍しく、近畿地方中心に数社しかなく、東日本ではここを入れて2社のみである。昌幸の朱印状など、国の重要文化財に指定された94通の古文書が残っている。  敷地面積が特に大きいわけではないが、手入れがされていて池も相まって綺麗にまとまっているなという印象を受けた。境内には歌舞伎舞台もあるため。神社だけではない多くの歴史も感じることが出来る。また、日本の真ん中に位置していることでパワースポットとしても人気を集め、観光客を引き付ける魅力の1つでもあると感じた。2024-02-13
60常楽寺常楽寺立派な茅葺き屋根のお寺は圧巻! 裏にある多宝塔の雰囲気もあり、ノスタルジックな気持ちを味わえます。 ちょうど茅葺き屋根の吹き替え体験をしたので、みるのが楽しかったです。 友達と行ったのでつい写真を忘れてしまいましたが、実際にみる楽しみにしておいてください!2024-02-13
61生島足島神社生島足島神社遠くからでもわかる様な赤い神社と鳥居。 上田の日本遺産にとって中心的存在2024-02-13
62別所神社別所神社長く急な坂道を登った先にある別所神社。 お賽銭はPayPayで払えます。 神楽殿からの見晴らしは最高!椅子に座ってゆっくりすると気持ちがいいのでおすすめです。 また、忘れられがちですが神楽殿とは反対の山の中にも鳥居があります。 のジブリの世界みたいでワクワクしますよ。 すぐそばにある休憩所では美味しいお焼きが食べれるので、ぜひ立ち寄ってみてください。2024-02-13
63中禅寺中禅寺中禅寺は、塩田平に仏教文化が根付いた時期を示す建築などがあるお寺だ。敷地はさほど広くないものの、薬師堂や如来坐像など、みるべきものが多い。 また、枯山水の庭も美しく、私が行った時には雪がうっすらとかかっていて風情があった。東屋もあるので、庭を見ながらくつろぐのもいいだろう、2024-02-13
64長野県上田市塩尻の養蚕民家集落模型の3Dモデル長野県上田市塩尻の養蚕民家集落模型の3Dモデル自分で撮影・作成した長野県上田市塩尻の養蚕民家集落模型の3Dモデルです。 以下の3Dモデルを参照下さい。 2024-02-13
65帝国信用録3Dモデル帝国信用録3Dモデル自分で撮影・作成し、eduスクウェアに投稿したものです。帝国信用録の3Dモデルです。 以下の3Dモデルを参照下さい。 2024-02-13
66聖高原2008/05/06聖高原2008/05/062008/05/06の記録。 長野県麻績村にある聖高原。聖山の下に聖湖があり、その周辺が観光スポットになっています。Wikipediaによると、「村有地の所有権を土地利用者に譲渡・売却することなく、地上権のみ提供して、個人や法人の別荘用地として提供する方式」とのこと。へえ~、と参考になります。かつてリゾートスポットとして人気を集めた観光地ながら、観光ニーズの変化により訪れる人が少なくなった感は否めません。ゴールデンウィークに訪れてもこのようにゆったりと過ごすことができます。 参考資料:Wikipedia/聖高原 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E9%AB%98%E5%8E%9F2024-02-13
67千曲川展望公園2008/05/06千曲川展望公園2008/05/062008/05/06の記録。 千曲市八幡の姨捨駅と麻績村の聖高原のほぼ中間の場所に「千曲川展望公園」があります。姨捨駅よりもさらに高い地点から千曲川流域の盆地を一望できます。この景観も素晴らしい。2024-02-13
68姨捨駅2008/05/06姨捨駅2008/05/062008/05/06の記録。 JR篠ノ井線の姨捨(おばすて)駅。Wikipediaによると姨捨駅が開業したのは1900年とのこと。「田毎の月」で知られれる姨捨の棚田が眼下に広がり、姨捨駅からは善光寺平が一望できます。日本三大車窓と呼ばれるほどの景勝スポットです。さらにスイッチバック方式の全国的にもめずらしい駅です。 何と言ってもホームから展望する善光寺平の景色は絶景です。ホームのベンチが鉄道側にでなく、善光寺平に向かって設置されている点にもご注目を。篠ノ井~名古屋間を電車で移動する際には姨捨付近を通過します。その夜景も素晴らしい。鈍行の電車は、スイッチバックして姨捨駅に停車します。このスイッチバックもぜひ体験してみたい。 参考資料:Wikipedia/姨捨駅 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%A8%E6%8D%A8%E9%A7%852024-02-13
69中心部の湯川中心部の湯川駅から温泉街までは殺風景であった湯川も、温泉街中心部では他の温泉にも引けを取らないような風光明媚な姿を見せる。 こういった雰囲気の遊歩道を駅から湯川沿いに整備すれば、旅の始まりから最後まで、旅行者の期待を損なわせないだろう。2024-02-13
70千曲川で見られる水鳥‐2千曲川で見られる水鳥‐2千曲川で観察できた水鳥です。 画像はサギです。サイズ的、時期的ににダイサギだと思われます。 一般的にシラサギと呼ばれるサギは「ダイサギ」「チュウサギ」「コサギ」とサイズによって種類が異なります。 ダイサギは日本では亜種が渡り鳥としてやってきますが、夏鳥としてやってくる種と冬鳥としてやってくる種がいるため、一年を通して観察することができます。 チュウサギは日本には夏鳥としてやってきます。水田に多く見られます。 コサギは留鳥で一年を通して観察することができます。2種よりも小型で、夏羽は頭部に飾り羽を持っています。 秋ごろに川の比較的浅めのところにサギが集まっていたのを見かけたことがあったので、千曲川はサギにとって良い餌場となっているのだと考えました。2024-02-13
71別所温泉 北向観音別所温泉 北向観音別所温泉の街中にたたずむ北向観音堂は冬季にライトアップされるなど市民とのつながりも強い。寺から北にのびている道は両側に商店が立ち並ぶなど温泉街の中でも特に賑わいを見せている。そんな北向観音は厄除に良いとして昔から知られていたが最近では縁結びや家庭円満を目的に来る人々も増えている。2024-02-13
72別所温泉近くの寺 常楽寺2別所温泉近くの寺 常楽寺2常楽寺の本堂の左側通路を抜けた先に石造多宝塔が立ち並んでいる。この場所は昼間でもあまり光が届かず、多宝塔にはおごそかなたたずまいを感じた。夏だったにもかかわらず寒さを感じたことを鮮明に覚えている。多宝塔は北向観音の出現値を神聖なものにしようと1262年に作られたもので今は国の重要文化財に指定されている。2024-02-13
73別所温泉近くの寺 常楽寺別所温泉近くの寺 常楽寺常楽寺は別所温泉街のすぐ近くに位置する歴史ある寺である。当寺は825年に創設され、鎌倉時代には「信州の学海」の中核を担う存在として多くの修行僧を受け入れた。境内にはきれいに整えられたマツが茂っており、落ち着いた雰囲気であった。寺の中に「息調」という言葉が書かれていたが、この寺の基本理念のようなものなのかもしれないと思った。2024-02-13
74まとめまとめこれまで上田市の街や神社を訪れてきましたが、上田の歴史について深く知ることができたように感じます。例えば、眞田神社は真田氏よりも松平氏の方がゆかりがあるなどのことを知ることができました。残りの3年間でより上田を知っていきたいと感じました。2024-02-13
75上田市の歴史を活かした観光上田市の歴史を活かした観光生島足島神社についてです。 延喜式にもその名が記されている由緒ある古社。生島大神と足島大神の二神が祀られ、武田信玄や真田昌幸・信之をはじめ歴代の上田城主からも厚く崇敬されたという。昌幸の朱印状など、国の重要文化財に指定された94通の古文書が残っています。2024-02-13
76上田市の歴史を活かした観光上田市の歴史を活かした観光海野町についてです。 この街は、江戸時代の旅籠づくりの建物と明治時代以降の養蚕が盛んな頃に建てれた家々が今も大切に保管されています。養蚕づくりに適した伝統的な造りをしており、1986年には「日本の道百選」に、 1987年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され重要な文化財となっています。2024-02-13
77沓掛酒造 蔵見学 PART3沓掛酒造 蔵見学 PART3こちらは沓掛酒造の「互」シリーズです!!互いに酒を酌み交わすという意味で互と書いて「ご」と読みます。面白いのがそのシリーズの名前で、先発、中継ぎ、抑え、隠し玉、夏の青春など、野球に関連した名前になっています。 その中でも「先発はストレート勝負ピッチャーで、体力あるんだよ」言っていたのが面白かったです^^2024-02-13
78沓掛酒造 蔵見学 PART2沓掛酒造 蔵見学 PART2今回は発酵を行う場所の投稿だ!!ここでは糖化(でんぷんをブドウ糖に)とアルコール発酵(ブドウ糖をアルコールに)の2つの化学反応が起こっている。温度管理が大切で、タンクに巻き付けた布団のようなものに水を入れて調節しているそうだ。2024-02-13
79北向観音堂北向観音堂 北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場である。永元年(1182年)には源平争乱の中、木曾義仲の手により八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失してしまうが、源頼朝の命のもと伽藍復興がおこなわれ、建長4年(1252年)、塩田陸奥守北条国時により再興された。本堂が北に向いているのは、日本でもほとんど例がない。  私は、全国的にも珍しい特徴があるため、観光客の興味を引きやそうだなと感じた。また、北向観音堂までは坂道が多く歩きづらいが境内は整備がされているため綺麗だった。周辺に温泉があることは、寒い時期でも行きやすくなる要因となっているだろう。2024-02-13
80別所温泉でのイベントと交通別所温泉でのイベントと交通 別所温泉で、「上田氷灯ろう夢まつり」が開催された。開催期間中、特定の時間にticketQRで別所線に乗車して別所温泉駅まで乗車すると運賃が無料になる施策が行われた。しかし、当日は善光寺でも氷灯ろう祭りが行われていたこともあり、別所温泉では観光客の姿は見られたものの善光寺ほどではなかった。鉄道の運賃が無料になっても、不随するイベントの効果が薄いと効果も弱まってしまうことがわかった。これは公共交通だけの問題だけでなく、祭りの運営の匙加減になってくる。他のうえだわっしょい祭りや花火大会では、満員電車になっていたので、ポテンシャルはあると思う。  前述の通り、別所温泉では駅から温泉街(ここでは祭りの会場)まで延々上り坂で、シェアサイクルが電動アシスト自転車であることを加味しても漕ぐのは大変な坂2024-02-13
81自転車レーンの整備例について自転車レーンの整備例について 山梨県甲府市の自転車レーンの整備例だ。歩道を白いタイルと赤いタイルに分け、車道に遠い方から順に白いタイルが歩道、赤い方が自転車レーンとなっている。バス停と干渉する場所には自転車レーンにも横断歩道が整備され、人と自転車が安全に区分けされている。今後、しかし、上田市街、特に上田駅前や他の国道、県道では自転車レーンはおろか歩道も満足にない道がある。上田で自転車をより使いやすいものにするには、こうした大規模な自転車レーンの整備による歩車分離を促進しなければならいのではないか。  さらに、ポートの整備と自転車の配分も考えなければならないと思う。上田市内には、10を超えるポートがあったが、そのうち半分以上が千曲川の北側の上田市街である。市街でも、ポートが上田駅や上田城址公園のまわりに2024-02-13
82観光目的でのシェアサイクル利用例観光目的でのシェアサイクル利用例新潟県妙高高原でのシェアサイクルの事例。妙高高原でのシェアサイクルサービスは、雪のない時期限定となっており、これは常設化されている。付近の野尻湖や、赤倉温泉へのアクセス手段として機能している。上田・千曲シェアサイクル実証実験でも、観光目的の利用を中心とし、冬季は閉鎖するシステムを取っているが、雪の降る日が少ない東信地方では、冬季閉鎖よりも雪の日と路面が凍結する降雪後の数日のみ貸出禁止にする措置が妥当ではないだろうか。  特に、妙高高原では少ない地元利用も上田では増えている。2023年10月には、今までポートがなかったザビック上田中央店にも新設されたことが証拠となっているだろう。近くには上田バスのバス停もあるが、時刻表に縛られない自由なシェアサイクルは、バスやタクシーの補完も2024-02-12
83【上田市の銭湯】銭湯の分布から見る地域の考察【上田市の銭湯】銭湯の分布から見る地域の考察突然ですが、皆さんは銭湯に行ったことはありますか? 銭湯というと、富士山の壁画が描かれた、東京の大きな下町銭湯を思い浮かべる人が多いと思います。ここでいう銭湯とは、法律で定められた一般公衆浴場のことです。 ここ上田市にも、地域に根付いた街のお風呂屋さん、銭湯が2軒あります。ですが最盛期には、なんと24軒もの銭湯がありました。昔は市街地ではお風呂のある家庭は一般的ではなく、農村部のお百姓さんの家、どこかの大富豪の社長さんの家など、限られた家庭にしかありませんでした。そこで、「浴場業(銭湯)」という一つの業種が確立されたんですね。今回はこれまでの調査のまとめとして、「銭湯の分布から見る地域の考察」を題として、上田市の銭湯の現状とともに記していきます。 ◎上田市の銭湯の現状 下に上2024-02-12
84【上田市の銭湯】地図から銭湯の分布を見てみよう~「史的ニ上田」編~【上田市の銭湯】地図から銭湯の分布を見てみよう~「史的ニ上田」編~突然ですが、皆さんは銭湯に行ったことはありますか? 銭湯というと、富士山の壁画が描かれた、東京の大きな下町銭湯を思い浮かべる人が多いと思います。ここでいう銭湯とは、法律で定められた一般公衆浴場のことです。 ここ上田市にも、地域に根付いた街のお風呂屋さん、銭湯が2軒あります。ですが最盛期には、なんと24軒もの銭湯がありました。昔は市街地ではお風呂のある家庭は一般的ではなく、農村部のお百姓さんの家、どこかの大富豪の社長さんの家など、限られた家庭にしかありませんでした。そこで、「浴場業(銭湯)」という一つの業種が確立されたんですね。今回は、上田市の銭湯を研究するための必読書、「史的ニ上田(15)上田の銭湯」という文献をご紹介します。 (画像は、文中にも登場する中央3丁目(松原町)の「竹の2024-02-12
85【上田市の銭湯】地図から銭湯の分布を見てみよう~大正期編~【上田市の銭湯】地図から銭湯の分布を見てみよう~大正期編~突然ですが、皆さんは銭湯に行ったことはありますか? 銭湯というと、富士山の壁画が描かれた、東京の大きな下町銭湯を思い浮かべる人が多いと思います。ここでいう銭湯とは、法律で定められた一般公衆浴場のことです。 ここ上田市にも、地域に根付いた街のお風呂屋さん、銭湯が2軒あります。ですが最盛期には、なんと24軒もの銭湯がありました。昔は市街地ではお風呂のある家庭は一般的ではなく、農村部のお百姓さんの家、どこかの大富豪の社長さんの家など、限られた家庭にしかありませんでした。そこで、「浴場業(銭湯)」という一つの業種が確立されたんですね。今回は、そんな上田市の銭湯の分布を、2つの大正期の地図から探っていきましょう。 (画像は最盛期の銭湯をGISアプリで国土地理院の地理院地図にプロットしたもの) 2024-02-12
86前山寺前山寺無言館を登った先にある前山寺 見晴らしが良く、天気の良い日におすすめです 猫がたくさんいて癒されます 三重塔は三重とは思えない迫力でうつくしいです。 お庭も綺麗で、時間がゆっくりと長らる場所です2024-02-12
87無言館無言館無言館は、第二次世界大戦の戦没画学生が描いた作品が展示してある美術館です。 彼らが故郷を離れる前に描いた愛する家族の絵。 出兵先で家族に宛てたハガキの絵。 作者だけでなく、作品を寄贈した遺族の方々の思いもよみとることができます。 ドームや図書館など、ただの美術館ではないので、一度足を運んでみてはどうでしょうか。2024-02-12
88上田合戦の上田城上田合戦の上田城上田城は二度の徳川軍の襲撃を耐え、撤退に追い込むことができた。徳川軍との戦いは上田合戦と呼ばれ、1585年と1600年に勃発した。 1585年の第一次上田合戦は真田と徳川の間で領地問題が発生したことで起きた。徳川軍7000に対し、真田軍は加勢込みで2000弱しかいなかったが、上田城の急な崖と千曲川の増水、狭い道におびき寄せて叩く様々な策略を用いたことで死者を抑え、撤退に追い込んだのである。 第二次上田合戦は関ヶ原の戦いの前であり、石田か徳川のどちらにつくかで石田についたことで起きた。返答と面会を遅らせた上に、あえて徳川軍をおびき寄せてから反撃する策によって、徳川軍に打撃を与え、関ヶ原への到着を遅らせたのである。 上田城のように大きな合戦に二度も勝利した事例は少ない。この勝利は知恵と地の利がもたらしたも2024-02-12
89真田神社について真田神社について上田城跡に存在している神社である。真田神社は明治時代、旧藩主の松平氏に対する恩義から藩主を祀るため、民衆によって建てられた。また、報恩だけでなく、上田城が遺した栄光や功績を後世に伝えるためでもある。 もともとは松平神社として松平氏のみを祀っていたが、戦後、歴代の藩主も祀るべきという声が上がり、真田神社と名を改め現在に至る。2024-02-12
90信州上田学2023/地域キュレーション成果:3学生からの報告信州上田学2023/地域キュレーション成果:3学生からの報告「『信州上田学』学びの成果発表会2023」(2024/02/10開催、会場:長野大学リブロホール)で、長野大学の独自科目「信州上田学」の報告を行いました。 ★長野大学講義「信州上田学2023」報告 12分  報告者:前川道博(企業情報学部教授)、学生3名   当日発表した学生3名に「信州上田学」と各自が取り組んだ「地域キュレーション」に対する動機や感想などを語ってもらいました。 <信州上田学2023ふり返り> ★村上柚葉さん(社会福学部1年生)/別所を盛り上げるには 3分 ★佐藤杏一さん(環境ツーリズム学部1年生)/藤井松平氏の遺構を上田の観光資源として活かす 6分 ★古賀寛也さん(環境ツーリズム学部1年生)/上田が今後、持続可能な発展を遂げるためには  ~蚕糸王国だった2024-02-12
91上田氷灯ろう夢まつり~別所温泉・北向観音堂~上田氷灯ろう夢まつり~別所温泉・北向観音堂~「上田氷灯ろう夢まつり」を訪れた。別所温泉の北向観音堂や温泉街が灯ろうやボールライトによって綺麗にライトアップされていた。開催は今年で5回目。毎年異なるテーマでライトアップされているらしい。 今年のテーマは「龍」。北向観音堂も緑色にライトアップされていた。日曜日の夜なので人手は少ないのではなかと思ったが、向かう別所線の電車の中や、北向観音堂には多くの人がいた。温泉街独特の風情のある街並みが灯ろうによって照らされ幻想的な雰囲気だった。 北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)に比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された歴史のあるものである。歴史的な仏閣と、現代的なライトアップの組み合わせはとても面白いなと感じた。 また、訪れる人の中には家族連れも多く地元の人も訪れてい2024-02-12
92信州上田祇園祭信州上田祇園祭美しい装飾の神輿40基と、賑やかな「そいや」の掛け声。提灯がたくさんついたような見た目の神輿の中には「樽みこし」というものもあるらしい。とにかく賑やかで迫力のある祭りだった。 この祭りの起源は上田藩の重要な行事として行われていたことにあるそうだ。以来、真田氏、仙石氏、松平氏の時代を通じて、疫病退散や豊作、地域安泰などを祈願し行われてきた。後に信州上田祇園祭実行委員会が結成され現在のようなお祭りが行われるようになったという。 このお祭りは特に人々の熱量がすごく感じられた。近隣の夏祭りの先陣を切る祭りでもあるらしい。一年間待ち望んだ祭りだからこその熱量なのだろう。2024-02-12
93上田わっしょい上田わっしょい上田わっしょいのテーマは、「踊る!担ぐ!叩く!」 初めて訪れたが、手拍子をしながら音楽に合わせて踊ったり、神輿を担いだりする様子は本当に賑やかでテーマ通りのお祭りだと感じた。法被のデザインが違ったり、大きな団扇を持っていたり連ごとに個性があり、それを見るのもこのお祭りの楽しみの一つだなと感じた。 この祭りは、昭和47年(1972年)から行われており、2023年で52回目、4年ぶりの開催だという。 訪れてみれば地域に根差した祭りであることがよくわかる。上田で生まれ育った人たちは皆あの音頭に合わせて踊れるのだろうか。老若男女問わず振りが身についているようだった。地域の皆が一緒になって踊れる曲があるというのはとても素敵だ。2024-02-12
94信州上田花火大会~上田の夏の風物詩~信州上田花火大会~上田の夏の風物詩~2023年で36回目の歴史のある花火大会である信州上田花火大会。 数千発もの花火が打ち上げられ、千曲川河川敷には多くの市民が集まる。とても綺麗だった。地元の企業が数多く協賛しているらしく、上田地域全体を巻き込み、長年地域の人々に愛されてきたものだということがよく伝わってきた。 会場は上田城からも近く、周辺の観光資源を盛り上げることにも繋がっているのではないだろうか。2024-02-12
95長野市社協で住民ディレクター打合せ2009/04/14長野市社協で住民ディレクター打合せ2009/04/142009/04/14の記録。 善光寺で御開帳が催されていた2009年、私がアドバイザリーに関わっていた長野県デジタルアーカイブ推進事業の一環で長野市社会福祉協議会との連携により「住民ディレクター」を地域に広げる企画「地域の放送局をつくろう」を打ち合わせた時の記録です。私から住民ディレクター運動の提唱者・岸本晃さんを紹介したのが2008年のこと。その後、長野市内で住民ディレクターの実践活動をし、社協会場で「まちの放送局」イベントを実施しました。私もこの支援に関わりました。この時の打合せではそれらの実践を踏まえ、これからどう地域に住民ディレクター/まちの放送局を地域づくりに活かしていくかを意見合わせしました。社協で進めている「まちの縁側」の活動、自治協とのつながりなどを企画検討しました。 板書されてい2024-02-11
96マンホール:飯山市マンホール:飯山市2009/04/10の記録。 飯山市のマンホールです。一本杖スキーの子ども2人を描いています。マンホールカードの解説によると、最初にこの地に伝わったスキーは一本杖スキーで大正初期まで盛んであったとのこと。子どもが被っている頭巾が「みのぼうし」で、これは昭和30年代まで利用されていたとのことです。 私の別記事「飯山のマンホール、一本杖スキー」もご参照ください。 http://d-commons.net/uedagaku/maekawa2?c=&p=88522024-02-11
97マンホール:小谷村マンホール:小谷村2008/03/16の記録。 長野県小谷(おたり)村のマンホールです。この日、小谷小学校を会場に開催された「子ども農山村シンポジウム」に参加するため小谷村を訪れました。 「汚水」や「おすい」でなく「下水道」と表記されている汚水マンホールはめずらしい。村の花おおやまざくらがあしらわれています。小谷村は北アルプスの裾野に広がる自然豊かな地域です。 参考資料:小谷村のマンホール http://usagigasi1f2.starfree.jp/nagano/otarimura/otarimura.html2024-02-11
98マンホール:高崎市マンホール:高崎市2008/03/15の記録。 JR高崎駅前にあったマンホール。 1つ目は汚水マンホール蓋。中央の模様は高崎市の下水マークとのこと。 2つ目は高崎市市制100周年記念の貼り紙マンホール。高崎市は1900年に市制を施行し2000年に市制100周年を迎えました。隣の前橋市の市制施行年は高崎よりも早い1892年です。 ちょうどこの時はJR高崎駅東口駅前にヤマダデンキLAB1が建設中でした。 参考資料:高崎市のマンホール http://usagigasi1f2.starfree.jp/gunnma/takasaki/takasaki.html2024-02-11
99豊上モンテリア豊上モンテリア信州の自然酪農牧場で放牧された牛の低温殺菌の牛乳に独自の天然の素材を混ぜたベース、そして四季折々のこだわりの素材を使用した毎日製造、限定販売のジェラート屋さん。豊川モンテリアは第七回信州上田うまいもんスタンプラリーの参加店でもあり、地産地消を推進し上田のみならず信州全体を支える働きをしている飲食店である。2024-02-11
100甘味処 雪屋 Conco甘味処 雪屋 Conco町の中心にありながらひっそりと佇む80年以上年前に建築された三軒長屋古民家。その一軒をリノベーションした古民家甘味処で和モダンなお店である。天神商店街の活性化のため、雪屋Concoでは地元産物の一部を使用している。雪屋は第七回信州上田うまいもんスタンプラリーの参加店であり商工会議所との連携を行い上田の町おこしを支える活動を行っている飲食店である。2024-02-11
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