登録リスト(該当:32件)

写真タイトル説明登録日
1マンホール:山ノ内町マンホール:山ノ内町2006/05/04の記録。 山ノ内町の湯田中駅前温泉かえでの前辺りで撮りました。 マンホール蓋に描かれているのは町の花リンゴの実、町の鳥ウグイス、町の木ツガ、町章とのこと。志賀高原の山麓に広がる山ノ内町は温泉資源にも恵まれ、さらには志賀高原が長野オリンピックのアルペン競技の会場にもなりました。旧駅舎に掲げられたオリンピックのポスターもメモリアルなものです。 参考資料:下高井郡山ノ内町のマンホール http://usagigasi1f2.starfree.jp/nagano/yamanoutimati/yamanoutimati.html2024-02-24
2別所線改札前に「峠の釜めし」売店2006/04/24別所線改札前に「峠の釜めし」売店2006/04/242006/04/24の記録。 別所線上田駅の改札前にしばらくおぎのや「峠の釜めし」の売店がありました。いつなくなったか記憶に定かではありません。2024-02-24
3旧飯山駅の様子2009/04/10旧飯山駅の様子2009/04/102009/04/10の記録。 JR飯山駅は北陸新幹線の延伸により、新幹線の駅となり、古い駅舎は取り壊され、新築の立派な駅舎に様変わりしました。雪深い地域のため、周囲には消雪剤が撒かれる影響でレール下の砂利や小屋などが茶色に変色しています。 2009年時点ではまだ新幹線の工事は全くなされていません。古いレトロな駅舎と構内の様子が私の写真に記録されていました。今となっては貴重な地域の記録です。2024-02-11
4リヴィン上田店2008/05/04リヴィン上田店2008/05/042008/05/04の記録。 Wikipediaによると上田西武店がリヴィン(LIVIN)に改称したのは2000年9月とのこと。リヴィン上田店は2009年に閉店しました。リヴィンは総合スーパーながら、店内は前身でもある西武百貨店時代のデパートらしい装いが印象的な店舗でした。営業していた期間、店内を撮影するのははばかられたので私の写真記録の中にはありません。今となっては写真の記録もなく、記憶に残るのみです。 リヴィン跡地には現在ホテルルートインGrand上田駅前(2016年創業)が建っています。都市の変容の痕跡が記憶からも薄れていきますね。 参考資料:Wikipedia「リヴィン」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B32024-02-10
5別所駅別所駅温泉に行く際に取りました2024-01-25
6道の駅 女神の里 たてしな道の駅 女神の里 たてしな蓼科学で通る道の確認へ行った際、時間が余ったので道の駅たてしなへお邪魔しました。地域の方が作られたお野菜がたくさん並んでいました。 その中でも、作業用の箱に入って袋売りされていたリンゴたちがありました。リンゴは11月頃ーちょうど旬になります。 形が不ぞろいであっても味は変わりません。生産者が箱詰めしたりするコストを減らし且つ食品廃棄物を減らす良い取り組みだと感じました。 そんな農家さんたちが多くいる「立科町」をどうやって「蓼科学」に入れて伝えていくか。そんなことを考えながらルート確認をしていました。2022-11-21
7日本農民美術記念看板日本農民美術記念看板令和3年10月14日に設置された記念看板です。上田を拠点に農民美術や児童自由画教育を提唱し、活動の基点となった「日本農民美術研究所」の案内板を設置し、長く後世に語り継ぐという目的で設置しました。設置場所は大屋駅のすぐ近くです。2021-11-22
8ひっそり公園2ひっそり公園2時間 18時 天候 曇り 上田のイオン近くの公園です。比較的ひっそりとしている公園の中では大きな場所です。木陰が多く、とても静かで落ち着いています。座る場所などを置けば自然と人が集まる空間になるのではないでしょうか。2021-05-06
9隠れた古民家風店舗隠れた古民家風店舗時間 16時 天候 晴れ 上田駅前一帯は比較的お店も多く発展している地域ですが、その中でも古民家のような雰囲気のある建物があることに驚きました。先輩がお店で働いているらしくいつかは訪れたいお店のひとつです。2021-05-05
10わたしの海野町商店街わたしの海野町商店街時間 16時 天候 晴れ 私が19年間過ごした商店街です。外見も人も変わりつつありますが、私の愛する地元の街であることにはかわりありません。いまでも素晴らしいお店がたくさんあるのでみなさんぜひ一度はいらしてください。2021-05-05
11旧うえだでんき館旧うえだでんき館ここは僕が小さい頃に閉じてしまった小さな映画館です。あまり記憶はありませんが、とても雰囲気のあるところでした。いまではどうしているのかなと思って覗いてみると、上田駅劇さんが映画を上映していました。最近の映画から昔のなつかしの映画まで幅広くやっています。使われなくなった場所をもう一度価値あるものにして人を呼ぶというのはどの場所でも地域おこしには欠かせないものだと思いました。なおいまではトラウム・ライゼと改名したらしいです。2020-11-18
12上田 道と川の駅で見つけた看板上田 道と川の駅で見つけた看板道路から見える道の駅の奥に進むと川の駅がある。残念ながら川の駅としての機能は台風19号の影響で閉鎖中である。その付近で見つけた看板。台風19号の爪痕が今でも深く残っている。2020-11-17
13崩落した別所線の橋崩落した別所線の橋昨年の豪雨で崩落した別所線の橋の写真。上田駅側から撮影。普段は横のアングルでしか橋を見ることがないため、踏切上から真正面に橋を見るのは新鮮だった。来年の3月には完全に復興するようなので、電車の中からの千曲川の景色も見てみたいと感じる。2020-11-16
14別所温泉駅でお出迎えしてくれるクマ別所温泉駅でお出迎えしてくれるクマ別所温泉駅から出るときは気付きづらいが、手を振ってお出迎えしてくれるクマ。そこそこ大きい。2020-10-21
15生島足島神社生島足島神社下之郷駅付近にある生島足島神社に来ました! 小さい頃に七五三できたことや年明けの初参りにきたこともありました! 記憶に残る鮮明な赤色が印象的です。2020-10-20
16別所温泉遊歩道展望台別所温泉遊歩道展望台別所までなんと自転車で来たのだが、道中長い坂が印象に残っているが登ってきただけにとても見晴らしが良いところが多い! 写真の右側に写る少し低い山地は僕の実家の上田駅方面と塩田方面を見事に遠回りさせているものである。 あれがなければもっとはやく学校に行けるのに・・・!と思った一枚です。2020-10-20
17相染食堂のおそば相染食堂のおそば別所駅から徒歩で数分の場所にある雰囲気のあるお食事処に行きました! おなかペコペコだったため、みんな壁のお品書きに一斉に注目しております笑 なんとお店の方に天ぷらサービスしていただきました! 大満足でした! それはなぜかというと!お店で用意していただける天ぷらそばは温かいそばに天ぷらをのせたもの。僕たちのイメージはかけそばと天ざるでした! それを察してくださったお店の方の配慮は五つ星です!2020-10-20
18ひと区間だけ交通IC可駅ひと区間だけ交通IC可駅こちらは富山県高岡市の主要駅JR高岡駅から南部に向かって走るJR城端線の新高岡駅のホームの写真です。 高岡市を中心に北(氷見市)から高岡駅を結ぶ氷見線、また南部に向かう城端線、富山市や金沢市への接続を可能にしているあいの風富山鉄道などが発着する高岡駅は、市街地中心部にありますが、北陸新幹線はこちらを経由せず、少しいやかなり離れた新設の『新高岡駅』を通過します。 JR線や路面電車が発着する高岡駅周辺は賑わいを見せるも、駅前商店街はシャッター街と化しつつありますが、以前はショッピングセンターと地方都市らしいチェーン店ほどだったいわゆる「駅南」と呼ばれた地帯も北陸新幹線開通から数年を経て『新高岡駅周辺』として地元ならではの店が増え賑わいがうまれました。また、ショッピングセンターの大型増床が2020-07-31
19愛される鉄路(曲尾駅跡)愛される鉄路(曲尾駅跡)植物に半ば埋もれるようにして、たたずむこちらの看板。 曲尾駅の駅名と、その両隣の駅名が刻まれている。 廃止になった後で地元の人々が設置したようである。 当時の遺構が1つもない曲尾駅において、駅がここにあったことを伝える大切な役割を果たしている。2020-07-15
20時代が変われど物流を支え続ける(真田傍陽線真田駅跡)時代が変われど物流を支え続ける(真田傍陽線真田駅跡)道路の脇にひっそりとある、草に覆われた石垣のようなもの。 よく見れば上にはトラックが停め置かれている。 ここは真田傍陽線の2か所ある終点のうちの片方、真田線の真田駅跡。 この石垣は当時のホームである。 人々や貨物が行きかったホームも、現在はトラックの駐車場となって目立たぬ存在となっている。 時代は変わってしまったが、鉄道が廃止となって半世紀が経とうとしている現在でも、地域の物流を支えている。2020-07-15
21駅がないのに「駅前」?(駅前食堂)駅がないのに「駅前」?(駅前食堂)壁一面に貼られた、古ぼけた写真。 そして、ところどころ塗装の剥げた大きなライト。 ここは北本原駅があった場所のそばにある、駅前食堂。 とっくの昔に駅がないのに「駅前」という不思議なお店だ。 壁に飾られた写真は真田傍陽線の現役当時のもので、写っていない範囲にもたくさんあった。 また手前にある大きなライトは実際に電車についていたものなのだそうだ。 値段がかなりお手頃価格で、しかもとても美味しい。 菅平高原への道中にふらりと立ち寄ってみるのもよいかもしれない。2020-07-15
221963年11月の小諸駅前1963年11月の小諸駅前父のアルバムより。1963年昭和39年の小諸駅前。2020-06-29
23役割は変われども(伊勢山トンネル)役割は変われども(伊勢山トンネル)入口が板でふさがれたトンネルが存在する。 真田傍陽線では唯一のトンネルであった、伊勢山トンネルの跡である。 建設時にルート変更が行われた結果、この山をトンネルで貫く険しいルートとなり、工事の難易度が上がってしまった。 そのため、開業当初はトンネル手前の伊勢山駅が終着駅であった。 廃線後は、キノコの養殖場として使用されているようである。2020-06-24
24叢の中で眠る(樋之沢駅跡)叢の中で眠る(樋之沢駅跡)生い茂る野草の中、何かコンクリートの細長いものが見え隠れしている。 ここは、樋之沢駅のホーム跡である。 真田傍陽線が開業した時は唯一、列車の行き違いができる駅であった。 草に覆われていてわかりにくくなっているが、赤い丸の部分にホームが残っていて、黄色の線のようにレールがあった。(レールは現存せず) 今回は夏に近い時期に訪れてしまったため、草の枯れた冬にもう一度訪れてみようと思う。2020-06-24
25堀から鉄路、遊歩道へ(公園前駅跡)堀から鉄路、遊歩道へ(公園前駅跡)切通しの底にある、立派な石のトンネルと低い石積みのホーム。 ここは公園前駅の跡。 元々は上田城の二の丸掘りであったところに、1927年に真田傍陽線が通された。 トンネルに見えるのは上田城址公園への橋で、側面上部には電線を通すための碍子(がいし)も残されている。 廃線後、現在はケヤキ並木遊歩道として整備され、人々の憩いの場所となっている。 城の守りの要から人々の生活の足へ、そして憩いの遊歩道へ。 不思議な人生(土地生?)もあるものだ、と考えた。2020-06-22
26支え続ける、足元で(古レールの車止め)支え続ける、足元で(古レールの車止め)お城のほど近くの月極駐車場。 やけに細長くまっすぐな土地、そして車止めに使われているのはなんと鉄道用のレールだ。 ここも、上田交通真田傍陽線の廃線跡のうち1つである。 電車は上田駅を出てから北へ進路を変え、ここを通ってお城の堀を登って行った。 昔は電車を、今は車を支える存在となった古レール。 半世紀前に、確かにここには鉄道が通っていた。 その歴史の生き証人として、今日も静かに横たわっている。2020-06-22
27長野電鉄の朝陽駅長野電鉄の朝陽駅長野市内を走る長野電鉄の駅である。周囲が住宅地となっているため乗降者数が多く、特急も止まる駅だ。他駅と比べ改修がされていなく古い駅だが歴史あるものとなっている。2020-05-26
28上田駅前上田駅前夕方の上田駅前です。高校生などが学校を終え帰宅しています。居酒屋などが賑わってくる時間帯です。2020-05-26
29姥捨山姥捨山夜の姨捨山です。 姨捨山は、夜景がとても綺麗です。2020-05-26
30寺下駅近くの踏切寺下駅近くの踏切寺下駅近くの踏切。 踏切と坂が混同している場所なため、車などがしっかり一時停止している印象がある。 この写真を撮影する際にちょうど電車が来て、踏切がおりている写真をできた。踏切が下がる音は、状況によって聞こえ方が異なると思う。個人的に、夕暮れ時の踏切の音にエモを僕は感じる。2020-05-26
31寺下駅寺下駅寺下駅は上田電鉄別所線の駅である。 名前の由来は、超誓寺という寺の下に駅があることだそうだ。とてもシンプルで分かりやすいネーミングセンスに、逆に魅力を感じる。地名などまったくもって関係ないという名付けた方の意思を感じる。 そこに、僕は得を感じた。2020-05-26
32橋台風で壊れました。2020-05-25
地図で見る

キーワード

ログイン トップページへ