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12005年の千曲川、洪水被害前の河川敷の森2005年の千曲川、洪水被害前の河川敷の森2005/08/10の記録画像です。私が上田に移り住んだ最初の年が2005年。上田花火大会を見るのもこの時が初めてでした。花火大会が始まる前、川沿いの堤防に多くの市民がシートを敷いて花火が始まるのを待っています。暗い中撮影したのでカメラもややブレています。それはともかく、河川敷に豊かな森が広がっている状況にご注目ください。 2019/10/12、上田をはじめとし長野県の各地は台風19号により甚大な水害に見舞われました。最も衝撃的で象徴的だった被害が別所線鉄橋の崩落です。河川敷に森となっていたこれらの樹木は根こそぎ流され、跡形もなくなっていました。つ洪水の凄まじさを物語る災害でした。これらの画像、災害前の河川敷の状況の記録です。2023-10-14
2常盤街の歴史 昭和45年から昭和49年まで常盤街の歴史 昭和45年から昭和49年まで昭和45年 1   自治会会則が一部変更し、監事2名を置く。 9   「これからの親と子のあり方」の講習会を開く。     講師は上田三中校長黒坂周平氏。 10   西小・三中PTA支部廃品回収を実施、収益金20,884円 11   新上田橋が完成する。 昭和46年 9    敬老会を市老人福祉センターで開く。米寿会員33人出席。 10   常盤町簡易郵便局が開局する。 10   上田市交通安全協会鎌原支会の分会として常盤町分会が設立される。 10   自治会館南側の道路を日曜広場として利用し始める。 12   町婦人部主催で金子康夫さん撮影の8mm映画「常盤町の誕生より今日まで」の上映会を開く。 12   団地南端の交差点(山寺さん宅前)へカーブミラーや「止れ」の交通標識が建つ。 12 2023-08-09
3常盤町の歴史 昭和40年から昭和44年まで常盤町の歴史 昭和40年から昭和44年まで昭和40年 1   新年の賀詞交換を行う。(以後毎年実施している。) 3   太郎山に山火事が発生して4時間余り燃え続け自治会館が消防詰所となり、炊き出しをする。 8   台風のため町内にも被害が発生する。 昭和41年 3   町内道路舗装促進の陳情書を市に提出する。 3   郵便ポスト設置実現の陳情書を上田郵便局へ提出する。 6   急行バスの生塚停車実現の陳情書を川中島バス会社へ提出する。 12  社会部と西小PTA支部共催で「ママポリスさんと語る夕べ」が開かれる。 12  道路簡易舗装第1期工事180mが団地入り口から始まる。 昭和42年 2   山火事が発生し、3時間余り燃え続ける。 3   町内下水路改装(100万円)がしゅん工する。 4   米寿会(初期は老人クラブと称した)2023-08-09
4常盤町の歴史 昭和35年から昭和39年まで常盤町の歴史 昭和35年から昭和39年まで今回の「常盤町の歴史」では、常盤町創立(昭和35年)から平成3年(「常盤町30年のあゆみ」に記載されている範囲)の範囲内を可能な限り記す。内容に関しては私個人が重要な事を抜き出し及び文章を変更して記載すると事実と異なる内容となる危険性があるため、記されている内容をそのまま記載する。尚、該当ページは第3章常盤町30年のあゆみ、第1節常盤町30年の沿革表が記されている77頁~100頁である。文量が多いため、5年毎複数のページに分けて記載する。 昭和35年 12  県企業局より住宅団地造成計画のあることが地元(生塚区)に示される。 昭和36年 2   このころから生塚区及び関係地主の対応が具体化し始め、団地造成委員会を設けたり関係地主大会も開かれ、県や市との交渉・話し合いが頻繁にも2023-08-09
5楽器専門店ブリリアント(福島市)楽器専門店ブリリアント(福島市) ふくしん夢の音楽堂、古関裕而記念館の道路を挟んで向かい側にある楽器店です。ここは、音楽に関係する施設やお店が集まっている場所です。  以前は、近くの別の場所にあり、店舗も狭く知名度も低かったようですが、新しい店舗になり音楽教室なども開くようになりました。コンサートホールの目の前にある楽器店なので、本番直前に寄ることもできて便利だと思います。  福島市の吹奏楽部、管弦楽部の学生たちはお世話になったことがある人も多いのではないでしょうか。学校に来て、修理をしてくれたり新しい商品を見せてくれたりする地域に密接した楽器店です。2021-05-05
6古関裕而記念館古関裕而記念館 福島市出身で福島市名誉市民第1号である大作曲家、古関裕而さんの業績を称え建設されました。全国の小学校の校歌の作曲や、「夏の全国高等学校野球選手権大会の歌」としてつくられた「栄冠は君に輝く」など現在にも残る多くの楽曲を世に残しました。外観は名曲「とんがり帽子」がモチーフになっています。  2020年に放送された連続テレビ小説「エール」の反響は大きく、観光客が古関裕而記念館を訪れたり、撮影セットの展示がされたり、「エール」に合わせてデザインされた路線バスが運行したりと、地域の活性化に繋がったようです。  自分の出身小学校の校歌も古関裕而さんが作曲されたので、「エール」で生涯を知ることができて良かったです。2021-05-05
7ふくしん夢の音楽堂ふくしん夢の音楽堂 福島県内では数少ないコンサートホールであり、パイプオルガンやタイル張りのホールなど本格的な響きの豊かなホールです。クラシックのコンサートや、声楽アンサンブルコンテスト全国大会などに利用されています。  隣には、昨年放送されたNHK連続テレビ小説「エール」の主人公のモデルになった古関裕而さんの功績を記録した古関裕而記念館があります。  2020年9月から、敷地内のユニットハウス内に「エール」に登場した「喫茶バンブー」のセットが展示されています。「エール」が放送されて、地域の人々の古関裕而さんに対する関心がさらに高まったようです。2021-05-05
8山本宣治 高倉・テル 齋藤房雄 記念碑山本宣治 高倉・テル 齋藤房雄 記念碑別所温泉の交番から安楽寺へ向かう途中右手上に、建てられている。 説明板のテキスト 山本宣治 高倉・テル 記念碑について 齋藤 房雄 昭和初期の大恐慌の中、上小(上田・小県)農民組合連合会が結成 され、小作料値下げ、土地取り上げ反対などの運動に立ち上がった。 これよりまえ、上田自由大学の講師として別所に在住していたタカ クラ・テル(高知県出身、文学者、日本共産党衆・参議院議員)は 農民運動・民主主義と社会進歩の運動に指導的役割を果たした。 一九二九年三月一日、上小農民組合連合会は第二回総会にタカクラ の義兄弟にあたる山本宣治(京都府出身、生物学者、労農党代議士 『山宣』)を招く。 この記念講演は「千名を超える聴衆に深い感動を与えた。 この講演から四日後の三月五日、山宣は治安維持法改悪承認の議2020-12-30
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