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写真タイトル説明登録日
1別所線鉄橋2006/03/19別所線鉄橋2006/03/192006/03/19の記録。 別所線鉄橋のありし日の姿です。当時さりげなく撮った地域の風景でしたが、後からふり返ると今とは違っています。 赤い鉄橋であることが別所線鉄橋のシンボル。この当時は塗り替えられる前でペンキが薄紅色に色褪せていました。さらに2019/10/12、この鉄橋は台風19号の豪雨で一部が崩落しました。崩落以前の「当たり前」に存在していた時の橋の姿です。2024-03-16
2上田市の景観上田市の景観今回私は上田市の現在と過去の写真や街並みを比べてみることで新たな発見や気づきがあるかもしれないと考え、調べてみることにしました。今回参考にさせていただいたのは上田の海野街や上田のスクランブル交差点の過去の写真と現在の上田の写真に写っている場所です。 比べてみたところ海野街は確かに歴史の流れを感じるほど変わっていましたが、スクランブル交差点の写真に写っているは昭和48年の海野街の写真と現在の海野街の風景はほぼ同じでした。昭和48年から変わらない商店街があり続けていることに少し不思議を感じ、なぜ現在の最新鋭のモダンな見た目の商店街にしていないのか疑問に感じたため上田の景観について調べてみることにしました。その結果過去の街並みや景観が保たれている場所の多くはその景観や見た目の良さ守るた2024-01-24
3引越し直後の前川研究室2005/04/05引越し直後の前川研究室2005/04/052005/04/05の記録。 長野大学に赴任して間もない時の研究室の風景です。書架に本を並べ始めました。引越しの段ボール箱の多くが未開封のままです。2024-01-21
4曳家工事中の常田館製糸場曳家工事中の常田館製糸場2009/02/03の記録。笠原工業敷地内にある旧常田館製糸場の建物を曳家工事している時の記録です。笠原工業前の道路の拡幅工事に伴い、道路に接する旧常田館製糸場の建物は取り壊されることになっていました。幸いにも建物は曳家することにより取り壊しを免れました。製糸業の貴重な産業遺産であり、オーナーでもある笠原工業の曳家保全の英断により、貴重な産業遺産が残されたことは長く記憶されるべきことと思い、その記録をここに残しておきます。 後にこれらの建造物は国の重要文化財に指定されました。2024-01-16
5稲わら焼きの風景2013/11/22稲わら焼きの風景2013/11/22戦場の煙ではありません。お間違えなく! 塩田平のため池・舌喰池に近い金井バス停付近の棚田から稲わら焼きの煙が立ち上っています。棚田の段々の土手、集落の風景が煙に遮られ、さんさんと降り注ぐ陽光に煙が映えています。22世紀に残したい稲わら焼きのイチオシ風景です。2023-12-22
6稲わら焼きの風景2013/10/04稲わら焼きの風景2013/10/04稲わら焼きの風景。収穫の秋、稲刈りが済んだ後の田んぼで普通に見られる光景です。田んぼの稲を焼く風習は昔から連綿と続いていたと思われますが、農業の機械化や地域の都市化が進んだ現代において、ここ塩田平の稲わら焼きの風景はかけがえのないものです。各所に煙が立ち上り、この季節ならではの風情を醸し出しています。2023-12-22
7塩吹池塩吹池上田市保野にある大きなため池。訪れた日(2023年11月23日)には、工事中ということで水が抜かれて、工事車両が入っていた。水が無い分、より池が大きい印象を受けた。また、近くには石祠のようなものが設置されていた。なんのためのものなのかは分からないが、降水の少ない地域なので、雨を降らせる神様のようなものが祀られているのかな、と勝手に思った。とっても広い池なので、水が張られていたらより良い風景が楽しめたのかもしれない。2023-11-28
8共有池(ともいけ)と上平池(うわだいらいけ)共有池(ともいけ)と上平池(うわだいらいけ)どちらも舞田駅、舞田公民館付近に存在するため池。かつては鯉が養殖されていたらしい。天気がいい日に来たので、水面に周りの風景が反射してとても良い景色を見ることができた。2023-11-28
9上田の色上田の色少し前の夏頃の上田塩田平の写真です。 太陽が沈んだ直後のこの風景はとても素敵な財産だと感じた。また田畑が並んでいるからこそここまで見晴らしがいい場所が生まれる。これを見るときが一番落ち着く時間だと思う。2023-11-16
10田んぼに稲藁、秋の風景田んぼに稲藁、秋の風景今年2023年は春から10月頃まで30℃台の暑い日々が続いたかと思うと、いきなり晩秋のような寒い日々に一転しました。これは10/24の朝の風景。収穫後の田んぼに稲藁が整然と並ぶいい風景! 機械化が進んだ田んぼに手作業でしつらえた稲藁がこのように並ぶ風景は全国的にもめずらしくなりました。22世紀に残したい風景です。 奥の方に奇岩「岩鼻」が見えますが、わかりますか?2023-10-24
11上田蚕種:蚕種製造の現場・雄雌鑑別上田蚕種:蚕種製造の現場・雄雌鑑別かつての日本の基幹産業・蚕糸業を支えた蚕種製造業。6/15、上田蚕種株式会社で養蚕農家から集荷した繭から蛹を取り出し、雄雌を鑑別する作業が行われました。その貴重な作業風景を学生と映像記録、これからネット等へ出していきます。2023-06-16
12黄砂の風景黄砂の風景信州上田の早春の風景。3/18の午後、遠くがかすんでいます。黄砂の影響です。2023-03-11
1322世紀に残したい上田の風景:わらボッチと稲わら焼き22世紀に残したい上田の風景:わらボッチと稲わら焼き上田に暮らして以来、かけがえのないこの地域の風景として心に刻まれたのが塩田平のわらボッチと稲わら焼きの風景です。2007/11/03、塩田平で撮った風景を載せておきます。 茨城や山形でもこのような原初的なわらぼっちと稲わら焼きの風景は見たことがありません。機械化による大規模な営農でなく、手作業による昔からの営農の姿がこの風景に顕れています。ちなみにわらボッチはこの地域では「にょっ」と呼ぶらしい。円錐形をなしたわらボッチが整然と立ち並ぶこの地域の無形的な文化形態は美しく、絵になります。 稲わら焼きは条例によって禁止されている県もあります。秋になるとそこかしこで稲わら焼きの煙が立ち上ります。いつまでこのような風景を見続けることができるのか。わらぼっちと言い、稲わら焼きの煙と言い、心の中に眠2023-02-25
14LIVIN上田店2007/12/30LIVIN上田店2007/12/30上田市のホテルルートインGrand上田駅前が建っている場所にはLIVIN上田店がありました。LIVINは西友系列の店舗です。2007/12/30に記録した写真があるので掲載しておきます。この建物が取り壊される時の風景を記録した写真もあるのですが、いつだったか、今は探し出せません。2023-02-25
15別所温泉 北向観音境内からの風景別所温泉 北向観音境内からの風景北向観音境内からの風景。高所にあるお寺なので、とても美しい風景を見ることができました。2022-10-23
16別所温泉 相染橋別所温泉 相染橋別所温泉街に架かる橋。緑が多い風景や周りの建物が淡い色味なのに対して、赤色の橋が印象に残ります。下を流れる小川も綺麗です。2022-10-23
17茨城ならでは、イガグリの風景茨城ならでは、イガグリの風景かすみがうら市(出島村→霞ヶ浦町)は、かつては日本一の栗の産地でしたが、その後は生産量が減少し、六次産業に励む笠間市に首位の座を奪われて久しくなります。 かすみがうら市の私の家のすぐ隣にその後植えられた栗の木があり、ちょうどいがぐりがなっていました。いがぐり。茨城の風景です。見た目が美しく、ついつい手に取ってみたくなりますが、触れたら痛いぞ。2022-07-06
18土浦駅周辺の風景土浦駅周辺の風景土浦駅と駅周辺が大きく変化したのは私が記憶している期間では3回あります。1回目は1985年の筑波万博に向けて駅ビルが建て替えられた時。2回目は駅前再開発でウララビルが建った時。1997年頃です。イトーヨーカド―がウララビルに移転オープン。この時に高層マンション、ソリッドタワーが建ちました。2回目はアルカス土浦(土浦市立図書館)が建った時。2018年頃。その前後、駅ビルもAtreに代わり、周辺にマンションが数棟建ちました。 そして今の土浦駅周辺の都市景観がある。お世辞にも美しいとは言いかねますが、それでも過去の記憶と重ねると隔世の感がします。2022-07-06
19古い本が並ぶ風景、つい手にしてみたくなる本は?古い本が並ぶ風景、つい手にしてみたくなる本は?藤本蚕業歴史館は1908年に創業した藤本蚕業の文書・書籍を収蔵する文書館です。ロッカー33基に膨大な社内文書が分類整理されています。そのロッカーの上に並べられた本の横並び感がいい。年代が総じて古い。大正期から昭和期にかけてのものが多い。蚕種製造企業でありながら、本の雑多さにまず目が行きます。 私たちが知らない大正期、昭和戦前期などの本はまさにタイムカプセル。ここにその時代を引き出す情報が詰まっているのかと思うと興味をそそられます。 これらの本の背表紙を眺めてみて、あなたがついつい手にしてみたくなる本、ありますか?2022-07-06
20塩田平の麦秋塩田平の麦秋6/19の夕方、塩田平の麦畑の風景が印象的でした。この時刻より1時間ほど前に大雨が降ったらしく、遠くに見える山々も空気遠近法で描いたかのような柔和な見え方をしています。収穫の麦秋ですネ。2022-06-19
21田園風景田園風景この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。2022-02-05
22戸隠神社戸隠神社急峻な山容と、裾野を潤す豊かな水が、 古くから農耕民に仰がれ、 水をつかさどる神・九頭龍が棲む所とあがめられていた戸隠山。 鎌倉時代の仏書「阿娑縛抄(あさばしょう)」には、 849年、戸隠山を開山した行者・学問が窟の中で祈念して 九頭一尾の龍が現れたことが記されています。 その後は、多くの修験者が入り、 信仰と修験者のメッカとして栄えた神域・戸隠。 その名残は今も、戸隠古道や戸隠神社、宿坊にみられ、 毎年春から秋にかけて全国から講仲間が大勢この地を訪れ、 代々継がれてきた御神楽、祭りの数々が献奏されます。 戸隠奥社2021-05-16
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