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1まとめまとめ地元富士・富士宮地域を対象として、初めは「宗教」にスポットを当て「富士宮駅1番線ホーム」を知りJR身延線に興味が湧き探究した。ただ資料を探るにも、デジタルアーカイブのようなパソコンで資料を閲覧することが対象地域では不可能で、探究には現地へ赴く(情報収入場所として富士市・富士宮の図書館へ行った)ことが欠かせなかったのは難点であり、同時にデジタル化の利点を身をもって痛感した。今回のテーマは地元の私でもほとんど聞いたことのないような歴史であり、静岡・甲府間の移動をする人にはぜひ常識的に知って欲しい知識であったので、今後もこの情報が残ることを期待する。 以下、参照 遠藤秀男 2009『懐かしの富士宮 -写真集-』羽衣出版 沢田正彦 1994『富士川舟運と身延線』富士宮市(2,3,4番目の記事の写真の出典2022-02-06
2身延線の開通身延線の開通明治38年あたり、以前の富士川鉄道を企画した資産家をはじめ、甲州の資産家らが賛同し、「富士身延鉄道株式会社」を設立した。この計画では以前の、富士市の岩淵から富士川の流域に沿って甲府までというコースから富士宮市大宮地区の経済発展を考え、富士から大宮を通り甲府に向かうルートで計画された。そのため、甲府までの鉄道の用地買収に加えて、先ほども説明した富士馬車鉄道の権利の買収を行なった。 日蓮宗の総本山である身延山参拝を鉄道計画の一つの目的としていたため、富士身延間の工事をまず行った。富士大宮間は問題なく開通された。しかし、大宮から芝川、そしてその北部の工事がはじまると、第一次世界大戦と重なり物価の異常な高騰により、建築資材の調達、用地買収が難しくなっていき、中断を余儀なくされてしま2022-02-05
3富士地区の経済発展の成り行き富士地区の経済発展の成り行き明治18年、富士地区で富士製紙株式会社の影響により、紙の資源となる富士山麓の木材を効率よく輸送するため、富士市から富士宮市大宮までの「富士馬車鉄道」が開業される。その後さらなる効率化を目指し、大宮から人穴まで富士軌道を開業し、この影響により、富士地区の経済は発展していった。 このころ、鉄道の開通の出願が増えており、この富士地区の鉄道計画に関して資産家らが「富士川鉄道」を設立し、国からの免許が下りたが、日清戦争により経済が悪化し、結局富士川鉄道に対して運行の免許が取り消されてしまった。2022-02-05
4潤井川潤井川静岡県にある富士宮市及び富士市を流れる川。桜並木と富士山をセットとした景勝地としても知られ、「潤井川桜並木」の地点名(富士宮市)で環境省公開の「富士山がある風景100選」に選定されています。小さい頃よくこの川にいるカモに餌をあげていました。懐かしいです。2021-05-03
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