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登録リスト(該当:16件)
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1
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タイトル
説明
登録日
1
上田駅
北陸新幹線、しなの鉄道、別所線が乗り入れる上田市の中心駅です。北口はお城口、南口は温泉口と呼ばれています。真田家の家紋である六文銭が特徴的です。通勤・通学に利用する人、観光に来た人などでにぎわっています。駅前広場の真田幸村の騎馬像が観光客を出迎えてくれます。上田の歴史を感じます。
2024-02-13
2
鉄道輸送の選択肢
これまで上田で走っていた鉄道路線について調べたが、これらは住民の足としての役割だけでなく、野菜や生糸など地域の生産物を輸送する役割を果たしていたことを知った。現在では鉄道輸送のコストの問題から、トラック輸送が主流だ。しかしトラック輸送にもデメリットがあり温室効果ガス排出による環境問題である。鉄道輸送は速く遠くに輸送でき、温室効果ガスの排出も少なくSDGsの観点からも優れている。過去に上田でも貨物列車が走っていたことを知り、鉄道輸送の重要性についても考えることができた。
2024-02-10
3
交通機関を使って上田観光を!
上田市での交通手段は主に車、電車やバスなどの交通機関、タクシーなどがあります。その中でも特に、電車やバスといった交通機関は、たくさんの人々が利用し、日常生活に必要不可欠となっています。 上田市の主な電車には、しなの鉄道と上田電鉄別所線があり、上田電鉄別所線は大学前にも通っているため、長野大学の皆さんも普段から利用しているのではないかと思います。上田電鉄別所線は上田駅から別所温泉駅まで続いており、上田市屈指の観光地である別所温泉に気軽に行くことができます。上田電鉄別所線の車両には、1月1日~30日限定の車両「謹賀新年 HM」、「れいんどりーむ号 HM」、「真田傍陽線開業95周年 HM」「真田傍陽線廃止50周年 HM」、「さなだどりーむ号 HM」などのラッピングが施された特殊車両があり、外見でも楽しむ
2023-01-19
4
6 まとめ
明治~大正時代の文化や生活について調べていて、西洋の文化が取り入れられ現代つながる様々な変化が訪れたことを知り大変興味深く思いました。伝統や文化的特徴が残るというのは、そのもの自体に価値があることの証明なのだと感じました。 上田市も建築や鉄道開発などの点で影響を受けており、養蚕業で発展した街がさらに賑わうことの一助となりました。「蚕都上田」と呼ばれる当時の上田市は、金融業も盛んであり、資料で見てみると街の中の銀行の多さが如実にそれを表しています。製糸業の盛んな街には銀行の数が多いのも大きな特色なのだと思われます。 この探求を通して、上田市の文化的特徴や、当時の観光、産業の発展について深く知ることが出来ました。現在の上田市は、観光都市として発展しているわけではありませんが、こ
2022-02-10
5
5 当時の上田市について
上田市の文化的特徴と言えばやはり「蚕都」として発展した点です。 養蚕業、製糸業を始め関連産業が好況で、桑園も拡大していき、多くの住民が蚕中心の生活をしていたのだと思われます。また、こういった街の繁栄は演劇等の娯楽にも広がり、演芸館・劇場が建つこともありました。さらに、市民の生活用品である酒類・醤油・味噌を扱う店、綿糸・染物を商う店、魚・金物・雑貨を商う店が集まり、上田の町の繁栄を支えていました。 観光の面でも産業の面でも古くからにぎわっていた街であり、また別所温泉などの温泉宿も多くあったため、観光地としても発展していたのではないでしょうか。 信州最古の温泉である別所温泉は明治時代にはすでに年間宿泊、入浴客数が2万人を超えており、大正時代には観光旅館として設立し温泉収入が別所
2022-02-09
6
電化~国営化
昭和2年に富士―身延間、昭和3年には身延―甲府間の全面開通と同時に電化が完了した。この電化により、汽車運行時より約半分の時間で運行できるようになり、2年の間に旅客人数、旅客収入がともに2倍以上になり利用者が電化をどれだけ待ちわびていたかが分かる。 しかし、その後の会社経営は良好でなかった。その主な理由として、沿線の集落人口が多くなかったこと、身延参詣の乗客が予想以上に増加しなかったこと、工事など建設、設備費への投資によって運賃を上げてしまったことが上げられる。それだけでなく東海道線と中央線の接続線としての利用客が予想以上に多くなかったこと、山間部の土砂崩れや暴風雨による線路の補修工事による出費が重なったこと、そして世界恐慌により貨物輸送が伸び悩んだこと、これらの状況が重なっ
2022-02-06
7
上田市「別所線応援プロジェクト」
令和元年台風19号に伴う千曲川欠損により、令和元年10月13日早朝に上田電鉄別所線千曲川橋梁が崩落した。そこでこのプロジェクトを始めると、上田電鉄別所線に対し上田市内外から数多くの鉄道ファンの方々から寄付が集まったそう。 [参考文献・写真] https://www.city.ueda.nagano.jp/site/besshosen/14543.html
2022-02-06
8
1路線だけ生き残った鉄路
長野県上田盆地には始め五つの路線が張り巡らされていた。車社会の進展にともない昭和40年代までに次々と廃止となったが、唯一残ったのが別所線であったという。 しかし、昭和48年、輸送人員の減少を理由に上田交通が廃線を表明した時があった。沿線住民による存続運動が起こり、翌49年、国と県による鉄道軌道欠損補助の公的支援とともに、上田市が3年間の補助金を交付することで、別所線存続が決まった。3年後の昭和52年にも、沿線住民により存続運動が行われたが、この時点では上田交通の営業努力で赤字幅が減少していたため、廃線を免れている。 [参考文献] https://www.mintetsu.or.jp/association/mintetsu/pdf/63_p26_27.pdf [写真] https://www.city.ueda.nagano.jp/site/besshosen/5563.html
2022-02-06
9
身延線の開通
明治38年あたり、以前の富士川鉄道を企画した資産家をはじめ、甲州の資産家らが賛同し、「富士身延鉄道株式会社」を設立した。この計画では以前の、富士市の岩淵から富士川の流域に沿って甲府までというコースから富士宮市大宮地区の経済発展を考え、富士から大宮を通り甲府に向かうルートで計画された。そのため、甲府までの鉄道の用地買収に加えて、先ほども説明した富士馬車鉄道の権利の買収を行なった。 日蓮宗の総本山である身延山参拝を鉄道計画の一つの目的としていたため、富士身延間の工事をまず行った。富士大宮間は問題なく開通された。しかし、大宮から芝川、そしてその北部の工事がはじまると、第一次世界大戦と重なり物価の異常な高騰により、建築資材の調達、用地買収が難しくなっていき、中断を余儀なくされてしま
2022-02-05
10
富士地区の経済発展の成り行き
明治18年、富士地区で富士製紙株式会社の影響により、紙の資源となる富士山麓の木材を効率よく輸送するため、富士市から富士宮市大宮までの「富士馬車鉄道」が開業される。その後さらなる効率化を目指し、大宮から人穴まで富士軌道を開業し、この影響により、富士地区の経済は発展していった。 このころ、鉄道の開通の出願が増えており、この富士地区の鉄道計画に関して資産家らが「富士川鉄道」を設立し、国からの免許が下りたが、日清戦争により経済が悪化し、結局富士川鉄道に対して運行の免許が取り消されてしまった。
2022-02-05
11
4 年表からひもとく
坂井村誌内の年表を一部引用し、特に重要な部分をまとめた。
昭和12年(1937年)
・
盧溝橋事件が勃発。村内の予備兵に召集下令があり、村内に一気に緊張感が流れた。
・銃後後援会(後に奉公会)結成、村防護団結成・応召家庭の農作業奉仕。 ・軍の指示により、初めて防空演習が行われる。 ・国防婦人会結成(全村)、国民精神総動員長野県実行委員会(会長・県知事)坂井村支部(支部長・村長)結成。 ⇒日中全面戦争の開始に伴って始められた、国民の戦争協力を促す官製国民運動。「精動」と略されることもある。1937年(昭和12)8月第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣は「国民精神総動員実施要綱」を閣議決定し、同年10月「挙国一致、尽忠(じんちゅう)報国、堅忍(けんにん)持久」のスローガンのもとに国民精神総動員
2022-01-29
12
JR身延線とは
JR身延線は富士と甲府を結ぶ全長88.4kmを誇る鉄道で、39駅を通る。富士市を起点として、富士山と南アルプスに挟まれた富士川の流域を走り、甲府市を終点とするルートである。 富士駅では東海道新幹線の新富士駅とは接続されていないので、静岡駅から特急「ふじかわ」が運行されてる。この特急「ふじかわ」は静岡駅から東海道線で富士駅まで行き、富士駅から身延線で甲府駅までというルートとなっている。
2022-01-27
13
上田電鉄株式会社の沿革
・大正5年9月17日 丸子鉄道株式会社 設立 ・大正9年1月5日 上田温泉軌道株式会社 設立 ・昭和14年8月30日 商号変更 上田電鉄株式会社 ・昭和18年10月21日 丸子鉄道株式会社と上田電鉄株式会社合併(商号 上田丸子電鉄株式会社) ・昭和44年5月31日 上田丸子電鉄株式会社を上田交通株式会社に商号変更 ・昭和47年6年30日 城下駅を無人化 ・昭和47年7月7日 中塩田駅を無人化 ・昭和61年9月30日 上田原駅無人化 ・平成17年10月3日 上田交通株式会社より分社 上田電鉄株式会社 設立 このように、上田電鉄株式会社は路線の縮小などにより会社規模を小さくしたり、子会社を合併したりと時代によって進化してきた。現在は東急グループの傘下に入っている。 [参考文献・写真] 上田電鉄株式会社ホームページ https://www.uedadentetsu.com/
2022-01-27
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上田駅周辺の変化
今回中心として見ていく上田駅は、1888年(明治21年)に官設鉄道の長野駅-上田駅間の開業に伴い、終着駅として開業した。 いままで様々な線の始発駅や途中駅、終着駅として昔から現在まで活躍している。 上記の画像は2021年(令和3年) 1月26日にGoogle Mapで上田駅周辺を見た状況となっている。現在どのようになっているのかが分かる。 今回発見した1922年(大正11年)の上田市全図では、市役所や小学校・中学校などの主要な建物が上田駅周辺に集まっていることが資料から分かった。 また、上田駅が上田停車場と記載されている。この上田停車場という言葉で調べてみると、上田駅お城口を出てすぐの長野県道162号上田停車場線が出てきて、日本一短い県道とされているという情報を知ることができた。 次に発見した1928年(昭和3年)の大日本職業別明細図
2021-01-27
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茨城県日立市内の常磐線の現地調査
私の地元を走るJR常磐線の現状を調査してきました。 YouTubeに動画を投稿しています。 調査結果なども動画内にまとめてあります。 動画の制作に関しては初心者なので、 作りの甘さはご容赦ください。 また、本来市内の図書館でも調査をする予定でしたが、緊急事態宣言により市内図書館がすべて休館になってしまったため、現地調査を中心にまとめてあります。 URL https://www.youtube.com/watch?v=BFnOuxCnhNA
2021-01-26
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茨城県日立市と常磐線の関係
あえて上田ではなく地元の日立市とそこを通っている常磐線に注目して見ることにした。 昨今では鉄道路線の衰退が全国的にみられる中で常磐線は目立った衰退が見られない。 その理由などを、日立市にある5駅の周辺などを拾いながら自分なりに注目して見ようと思った。 調査方法としては、常磐線に関してすでに自分で持っている知識に、日立市ホームページや図書館などで調べた資料で裏付けをしていくような形にしていきたい。
2020-12-20
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