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登録リスト(該当:25件)
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タイトル
説明
登録日
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上田市の歴史を活かした観光
海野町についてです。 この街は、江戸時代の旅籠づくりの建物と明治時代以降の養蚕が盛んな頃に建てれた家々が今も大切に保管されています。養蚕づくりに適した伝統的な造りをしており、1986年には「日本の道百選」に、 1987年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され重要な文化財となっています。
2024-02-13
2
上田紬の歴史<繁栄>
今回は上田紬がいつどうやって繁栄していったのかをまとめました。 上田紬は400年ほど前に戦国武将の1人して名高い真田昌幸が上田城が築いた時に、地場産業として奨励された真田家が麻つくった「真田織」が元になっています。 その後、上田地域の気候や風土が向いていたということもあり、蚕種業や養蚕業が盛んに行われ、現在の上田紬が形成され、江戸中期には京都や江戸の多くの人々に愛用され、日本三大紬の1つとなりました。
2023-02-01
3
上田市における蚕を活かした都市開発
上田市の景観形成における蚕の役割として、蚕都としての歴史性を重視するというものがある。上田市の景観計画の一部として、かつて栄えていた城下町や養蚕が盛んであった地域周辺の家屋、並びに歴史的資産や街並みの保全をしながら活用することを都市計画の一部に組み込んでいる。特に、建築物や工作物においては蚕室造りといった伝統的な様式の建築物を継承または意匠することを景観における基準としている。また、色彩においても蚕都としての風情を感じることができる落ち着いた色調を求めている。
2022-11-30
4
昭和の残り香を巡る~②上田遊郭跡編~
「昭和の残り香を巡る」第二弾は上田遊郭跡です。 古地図には上田遊郭という土地が残されています。 今回はその跡地を巡ります。 上田郵便局を抜けた旧花園周辺。細い道の多い住宅街の中に急に車二台がすれ違えるような広い道が現れます。 そこが遊郭の目抜き通りです。 今は閑静な住宅街となっていますが、昭和五年発行の「全国遊郭案内」では日本有数の養蚕地であり、遊女が130人にも及ぶ発展を見せた遊郭であったと記されています。 名残といえば、当時からあった神社と電柱に残る新地という文字のみですが、急に広い道になるのは意味があるものだったみたいです。
2022-10-25
5
長野県の蚕の歴史
今回、私は、上田市と岡谷市の養蚕と製糸産業の歴史について調査をした。このテーマにしようと考えた理由は、上田市と岡谷市で蚕にまつわる歴史があったからだ。私の地元の岡谷市は、かつて製糸産業が盛んだった。そして、上田市は、「蚕都」と呼ばれるように、養蚕の地であった背景がある。養蚕と製糸という、蚕によって結びつけられたテーマを元に、今回は、調査結果を述べていく。 はじめに、上田市の養蚕についてだ。蚕種製造・養蚕は、寛文の時代 (1661~1673) に始まった。蚕の飼育をする上で、気候が適していたため、春に育成していたようだ。一方、岡谷市の製糸は、幕末から明治にかけて盛んになっていった。「近代国家」への転換のための、外貨の獲得に、岡谷市の製糸産業は大きな貢献をしたようだ。 上田市で、養蚕が盛んになっ
2022-08-05
6
喜光堂の桑の葉ほうじ
喜光堂さんで信州上田のお茶『桑の葉ほうじ』を買いました。養蚕業が盛んだった頃、桑の葉は蚕の餌とされていました。その桑の葉を喜光堂さんの技術で焙煎されたのが桑の葉ほうじです。 実際に飲んでみると、甘いものにもしょっぱいものにもよく合い、美味しかったです。 桑の葉ほうじは健康に良く、便秘や高血糖に効果があるそうです。 お茶の他にも、抹茶ソフトクリームやほうじ茶ソフトクリームも美味しいのでぜひ食べてみてください。
2022-05-10
7
みすゞ飴本舗 飯島商店で歴史を感じる
上田駅から徒歩3分程度にある、みすゞ飴本舗 飯島商店 上田本店に初めて行ってきました。 本店は大正モダンな雰囲気で、みすず飴やジャムが販売されていました。みすず飴の他にも大正時代のものと思われる道具、花岡塗という上田市特有の漆工芸品が展示されていました。 ショーケースにはみすず飴が展示されており、宝石のような輝きを放っていました。上田市民ですが、みすず飴がこんなに綺麗なものだとは思っていなかったので驚きでした。 本店を出て少し歩いたところに分店がありました。分店は明治時代に養蚕業が栄えていた頃、上田駅から出荷される蚕の繭を一次集積用に建てられた繭蔵だそうです。この建物は貴重な国民的財産として大切にされています。 分店でもみすず飴やジャムを購入できます。 みすず飴本舗専用の駐車場
2022-05-10
8
6 まとめ
明治~大正時代の文化や生活について調べていて、西洋の文化が取り入れられ現代つながる様々な変化が訪れたことを知り大変興味深く思いました。伝統や文化的特徴が残るというのは、そのもの自体に価値があることの証明なのだと感じました。 上田市も建築や鉄道開発などの点で影響を受けており、養蚕業で発展した街がさらに賑わうことの一助となりました。「蚕都上田」と呼ばれる当時の上田市は、金融業も盛んであり、資料で見てみると街の中の銀行の多さが如実にそれを表しています。製糸業の盛んな街には銀行の数が多いのも大きな特色なのだと思われます。 この探求を通して、上田市の文化的特徴や、当時の観光、産業の発展について深く知ることが出来ました。現在の上田市は、観光都市として発展しているわけではありませんが、こ
2022-02-10
9
常田館製糸場
明治33年(1990)創業の機械製糸工場。 国指定重要文化財 製糸に関連する施設15棟が現存しており、そのうち明治から大正時代にかけて建てられた7棟が平成24年に国の重要文化財に指定される。 蚕種で栄えていた上田の養蚕を製糸で支えていた。 養蚕・製糸・紬糸・機織り・教育など蚕糸業にまつわる種々の活動が総合的な発展を遂げて「蚕都上田」と呼ばれるまで成長する。
2022-02-09
10
上田の産業の歴史(間違えて消したので再掲載)
【動機】 上田市には養蚕や観光業など、特徴的な産業が多く、それらがどのようにして発展していったのか気になったから。 【調べ方】 上田市の産業の発展について図書館の資料や公文書館を利用して調べていく。
2022-02-08
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5 当時の上田市について
上田市の文化的特徴と言えばやはり「蚕都」として発展した点です。 養蚕業、製糸業を始め関連産業が好況で、桑園も拡大していき、多くの住民が蚕中心の生活をしていたのだと思われます。また、こういった街の繁栄は演劇等の娯楽にも広がり、演芸館・劇場が建つこともありました。さらに、市民の生活用品である酒類・醤油・味噌を扱う店、綿糸・染物を商う店、魚・金物・雑貨を商う店が集まり、上田の町の繁栄を支えていました。 観光の面でも産業の面でも古くからにぎわっていた街であり、また別所温泉などの温泉宿も多くあったため、観光地としても発展していたのではないでしょうか。 信州最古の温泉である別所温泉は明治時代にはすでに年間宿泊、入浴客数が2万人を超えており、大正時代には観光旅館として設立し温泉収入が別所
2022-02-09
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4 上田市の建築物
明治、大正から機能を失わず現在まで残り続けている上田市の建物を身近なところから探してみました。 旧宣教師館、上田蚕種協業組合事務所棟、大家駅、飯島商店、別所温泉など数多くあり、この時代から存在する産業や文化を読み解くことが出来ます。 私たちが利用する上田駅も明治21年に開業されたものであり、駅や店が多い街の庶民の生活は非常に賑わっていたのだと思われます。 また、上田市は養蚕業で発展を遂げた地域です。観光、文化、特産品の面でもそれは大きく影響していると思います。
2022-02-09
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上田藩主としての松平忠固
出典:横浜市「横浜港の歴史(変遷図、年表)」https://www.google.com/url?sa=i&url=https%3A%2F%2Fwww.city.yokohama.lg.jp%2Fkanko-bunka%2Fminato%2Ftaikan%2Fmanabu%2Frekishi%2Fhistory0.html&psig=AOvVaw2ehsoQQMOejw2Wg80v6XoR&ust=1644781455506000&source=images&cd=vfe&ved=2ahUKEwjptbDE9vr1AhWdTPUHHbouAioQr4kDegUIARC_AQ 上田藩主としても忠固は養蚕・生糸・絹織物産業を振興し、生糸を日本の代表的輸出品へと押し上げた。条約調印前から生糸輸出の準備をし、老中から失脚した後も横浜開港に備え生糸輸出に注力した。生糸輸出の先駆けとなったのはやはり上田藩だった。 しかし、忠固は横浜開港から三か月後の1859年7月1日に死去してしまう。 忠固の先見の明に感服すると同時に、後世でいいように言われ続けたのはこの早世による部分もあるのではないかとも思う。
2022-02-08
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松平忠固とは
松平忠固(1812年~1859年)は上田藩の第6代藩主(上田城主に直すと真田昌幸から数えて11代目)で、日米和親条約と日米修好通商条約の調印時に老中を務めた人物である。最初の老中就任時は「忠優(ただます)」という名で、二度目の時は「忠固(ただかた)」に改名している。 忠固は終始一貫して開国と交易を主張し、徳川斉昭や井伊直弼と対立しながらも二つの条約の調印を断行した。その一方で、養蚕業を推進して海外輸出の地盤を固め、日本経済の礎を築いた。
2022-02-08
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上田蚕種協業組合事務棟
大正5年地元の蚕糸業の関係者たちによって設立したのが上田蚕種株式会社だった。現在の事務棟・採卵室など主要な建物が翌6年に完成した。その後、昭和45年から現在の社名となった。最盛期には22万箱の蚕種をこの組合から出荷していた。この場所は養蚕業を支えた歴史ある建物。 「参考文献」 https://museum.umic.jp/bunkazai/document/dot25.html
2022-02-08
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2.上田市の蚕の歴史
信州上田では江戸時代から蚕の卵の生産で栄え、その後も養蚕、製糸業などさまざまな発展を遂げていき全国から「蚕都上田」と呼ばれるようになりました。 しかし、現在は様々な理由から蚕糸業は全国で衰退し、風前の灯火となっています。 衰退している蚕糸業ですが、上田地域でもまだ蚕糸業は残っています。 上田地域で有名な蚕関連の会社は常田館製糸場という会社。明治33年(1900年)に創業された製糸工場です。 蚕糸業は大きく分けて蚕種業、養蚕業、製糸業の3つに分けられ、蚕の卵を生産し、質を高める「蚕種業」、蚕を成虫まで育ててそれを管理する「養蚕業」、蚕の繭から糸を取り生糸に加工する「製糸業」に分かれます。 次の記事では蚕という虫について解説していきます。 今の若い人は蚕という虫に接点が全くないので少
2022-02-02
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ため池の歴史②
ため池は農業用水を確保するためだけに使われていたと思っていたが、歴史を遡るとそれ以外にも利用されてきた歴史があった。 例として挙げられるのは食用鯉の養殖である。塩田地域のため池は水温が高く、養蚕が盛んであったことから、鯉の餌としてたんぱく質の豊富な蚕の蛹が多く採れた。このような地域特徴から鯉の養殖に使われてたが、1980年代末には鯉の養殖は衰退し、今はフナの養殖に非常に少数のため池が使われているだけである。 〈参考文献〉 長野県上田市塩田地域におけるため池群の維持管理と存続 https://www.geoenv.tsukuba.ac.jp/~chicho/nenpo/43/08.pdf
2022-01-26
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上田の蚕種業
【上田の養蚕業】 江戸の末期から昭和にかけ、全国一の養蚕地帯でった長野県。特に上田地方は千曲川から広がる桑の栽培に適した地形と降水量の少ない養蚕に適した気候、そして蚕種の改良から日本一の蚕種製造地帯であった。中でも上田盆地は春蚕の生産地であり、松本盆地の夏秋蚕と対比されていた歴史がある。 【上田の蚕種の歴史】 -蚕種の始まり- 長野県では上田地方がいち早く、藤本善右衛門家によって1661年~1673年に蚕種製造がはじめらた。 上田地方の蚕種製造は ①奥州産蚕種を仕入れ販売(仕入種) ②奥州へ出向き蚕種製造(手作種) ③自家製造(地種) と順を追って成長し全国に販路を広げていく。 -蚕種製造が盛んになった背景- ① 江戸時代、経済が発達による養蚕業や織物業の奨励 ② 蚕種・養蚕・製糸の分業化 この
2021-12-22
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上田市の養蚕業の発展と今
なぜその探求テーマを選んだのか 1年生の時、常田館製糸場を訪れ、蚕の製造方法や過去から現在までどのようにして衰退していく養蚕業を守り続けてきたかを学び興味を持った。 何を探求しアウトプット化するか 蚕の衰退原因とそれをどのようにして解決するかを探求し、常田館製糸場のように蚕を使った現代アートを作り、現代に繋げるといった活動などをどのように広めるかの案を考える。 具体的にどのような資料を調べるか 上田市公文書館ネットなどの資料や実際に聞いた話を参考に様々な視点から調べる。
2021-12-21
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上田市と岡谷市における蚕業の比較 まとめ
私は、上田市と岡谷市の蚕糸業の比較として、蚕糸業における様々な施設についてまとめた。その中で理解した相違点や共通点、蚕の今後の展望についてまとめる。 ・相違点 同じ蚕糸業で栄えた上田市と岡谷市だが、上田市は「上田蚕種協業組合事務棟」や「常田館製糸場」の現存から養蚕業や製糸業を行っていたことがわかる。一方で岡谷は、「岡谷蚕糸博物館」に展示されている多数の繰糸機や「宮坂製糸所」の現存から製糸業で栄えたといえる。 ・共通点 岡谷市の工女さんは、1910年には岡谷の人口2万3000人に対して、工女さん1万5000人と65%を占めていた。その後、1930年には岡谷の人口7万6500人に対して、工女さん3万4500人と45%を占めており、工女さん達は岡谷市の支えとなっていた。工女さんは10代半ばから20代前半の若い女性で、重要な
2021-02-10
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上田蚕種協業組合事務棟
「上田蚕種協業組合事務棟」は、大正6年から現在(2021年1月)にわたり蚕種製造を行っている会社である。当時は1万4000坪もの敷地があったそうだ。最盛期の昭和40年代には、46億の蚕種の製造販売を誇り、現在は2000万の蚕種を製造している。 蚕種には様々な種類があるが、ここでは日本産と中国産を掛け合わせて、より強い種を生み出している。そして、薬の刺激を与えて約12日後に孵化させる「人工孵化法」を用いて、蚕種を孵化させている。3、4枚目は蚕種の洗い場や、繭をカットして中から蛹を取り出す機械の写真だ。蚕糸業が衰退する中、現役で養蚕を続けている会社があり、尚且つ見学も可能であるというのは、上田が「蚕都」であるからこそできる貴重な体験だと考える。 参考URL:
上田蚕種協業組合事務
2021-01-27
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高崎だるま
群馬県ではだるまが有名である。どこのお店や家に行っても大小様々でデザインも豊富なだるまが飾られている。 ○だるまの歴史○ だるまの発祥の地は群馬県の高崎市の少林山達磨寺だといわれている。高崎のだるまはもともと「富岡だるま」と呼ばれ親しまれてきた。しかし昭和30年に富岡が高崎市と合併し富岡村の名前が消えて以来、「高崎だるま」「縁起だるま」「副だるま」などの呼び名が付いた。だるまは江戸の人々が疫病から逃れるために、祈り、まじないを信じて作ったと考えられている。当時疱瘡が子どもの間で流行り、この病気は赤色を嫌うとされていたことから、早く治るようにとだるまには赤色に塗られた。疫病の予防法が見つかったことにより、だるまは農作祈願のための縁起物として買い求められるように変化した。特に群馬
2021-01-26
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生糸はどこから来たのか
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ (参考資料:原町問屋日記 trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/2000515100/2000515100100040/ht039211) 「原町問屋日記」という資料が見つかった。この資料には上田の生糸について書いてある。 この資料から、生糸が上田に来た歴史などが書かれており、上田の生糸は外国からも人気で生糸の輸出が上田を潤していたことが分かる。また、生糸はもちろん、養蚕、製糸の発展が上田地域に欠かせないものだということが分かる。製糸が発展した上田地域の環境の中で上田紬が作られ、発展していったことが分かる。
2021-01-26
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『蚕かひの学』藤本善右衛門保右著1841
▼蚕かひの学(デジタルアーカイブ資料)
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11D0/WJJS05U/2000515100/2000515100100050?dtl=all
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 藤本善右衛門保右(やすすけ 1793-1865)が残した養蚕技術書。1841年(天保12年)に著し改版を重ねました。息子の縄葛もその改訂に携わったのではないかと推察をします。「信州地域史料アーカイブ」に収録された『蚕かひの学』はネットに公開された希少な一次資料です。 蚕種製造家は、蚕種を製造するだけでなく、教養に優れていることが蚕種の信用の保障となり、蚕種を販売しながら養蚕技術書を販促ツールとして活用したことがわかります。
2021-01-20
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歴博の「上塩尻」蚕種製造に関する展示
2017/10/15、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館(歴博)を訪れてきました。目的は、上塩尻の蚕種製造に関わる展示を見学するためです。展示場所は第三展示室の「知識と技術」のコーナーです。 「蚕を飼う」「養蚕技術の普及」「桑の葉の収集」「『蚕書の里』上塩尻村」「商品と技術と風雅の交流」「繭の歴年標本」「世界に知られた日本の養蚕技術」というパネル構成です。このうち、「繭の歴年標本」は奥州本場蚕種の梁川の展示。他は全て上塩尻です。 資料として展示されているものは次のとおりです。 ・清水金左衛門『養蚕教弘録』1847 ・清水金左衛門『養蚕乾湿計用方』メガルカヤを利用した養蚕乾湿計 ・座間神社句合わせ ・いははな集 1800年 ・「いははな集」参加村と蚕種の行商先 など。 展示は杉仁氏の著作『近世の地域と
2020-07-18
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