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1信州蚕糸業遺構、和田峠信州蚕糸業遺構、和田峠下諏訪町と長和町の境界にある和田峠と和田トンネル。現在、国道142号線はバイパスされ新和田トンネルを経由するため、通常迂回しなければ旧和田トンネルを通ることはありません。 この道は国道の旧道であるだけでなく、明治初期に車が通行できるよう勾配を計算して開削された道路です。旧中山道に並走しています。トンネルが開通したのは1933年です。トンネル脇の土手に彫り込まれた道筋の跡があります。これがその開削路です。当時、諏訪方面の生糸はこの和田峠を越え、小県を経由して横浜まで運ばれました。信州蚕糸業遺産として記憶すべき歴史的遺構です。2023-09-23
2信州大学繊維学部講堂(旧上田蚕糸専門学校講堂)信州大学繊維学部講堂(旧上田蚕糸専門学校講堂)当時の上田は、高品質な蚕種・生糸の生産と、三吉米熊らによる人材育成により、近代日本の主要産業であった蚕糸業の発展に大きく貢献し、「蚕都上田」と称された。 この講堂ほとんど改変を受けることなく建築当初の姿を残しており、現存する近代の中・高等教育施設の建造物としては屈指のものだ。2023-05-01
3第十九国立銀行について-5 (八十二銀行)第十九国立銀行について-5 (八十二銀行)八十二銀行上田支店。これまで、上田は生糸業の発展によって栄えたが、第一次世界大戦後に続いた慢性不況と1929(昭和4)年の世界恐慌により生糸価格が崩壊するなど、その繁栄にも暗い影が忍び寄ってきた。このような不況により、当時、県内の最大銀行であった信濃銀行の倒産などが発生し、長野県は「全国一の不況県」と言われるまでになった。このような中、1931(昭和6)年、第十九、六十三銀行が合併し、それぞれの行名の数字を足した呼称である「八十二銀行」が誕生した。2020-06-23
4第十九国立銀行について-1第十九国立銀行について-1第十九国立銀行跡(現在の八十二銀行上田支店)を示す説明文。第十九国立銀行は、1877年(明治10年)、長野県の佐久地方の豪商であった黒沢鷹次郎らを中心に設立され、養蚕、生糸事業を中心に事業を拡大した。明治から昭和の初めに至るまで、長野県はわが国の生糸生産量の約3割を占め、外貨獲得に多大に貢献するが、第十九国立銀行は、金融面において生糸商人を支え続けた。2020-06-16
5大屋停車場碑大屋停車場碑依田社の生糸は世界に通用する生糸であり、その生糸を横浜まで持って行くのに不便だということで、大屋停車場を作ったそうです。3000人の署名と700人の寄附を集め、それを国鉄に請願したことから請願駅とも呼ばれています。 請願駅という証であるため、価値のあるものだと思います。2020-06-15
6大屋駅内の時計大屋駅内の時計以前の投稿にも書いたように、大屋駅は昔蚕の繭から取れる糸を運ぶ駅として利用されていました。 駅内にある時計は対象11年に設置され、修理や改善は行われているものの、今でも時を刻んでいます。 まさに「大きな古時計」です。古い建物や物の存続は難しいと思うのに、今でもこうして残されているのは地域の方の思いがあるからなのではないかと思いました。これらは存続していくべきだと思います。2020-06-15
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