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1蚕都上田 常田館製糸所 煙突蚕都上田 常田館製糸所 煙突この煙突に関して2つ、新たに学びがあった。 1つ目はこの煙突は当時、石炭で稼働しており、現在の上田駅とこの煙突のふもとの間にトロッコが通っていたという。当時、物資の輸送は大変重要な役割であった。 2つ目は笠原工業(笠原製糸)が常田館製糸所をこの地に置いた理由は大きく3つあるという。「多くの労働力・都市部や地域内の輸送手段の発達・澄んだ水」である。上田市は当時、人口の8割を超える市民が養蚕業・製糸業に従事していたという。実際、常田館製糸所は2500人の従業員を抱えていた。また、東京・横浜への物資輸送手段が発達していたこと、上田駅と常田館製糸所間にはトロッコが開通していたことから交通が発達していたことがわかる。そして、菅平から流れる澄んだ水を貯水し、水が重要な製糸業に利用していたという。 今2024-02-01
2蚕都上田 常田館製糸所 食堂蚕都上田 常田館製糸所 食堂常田館製糸所の食堂は敷地内に1ヵ所で特に広いわけではなかった。2500人分の3食を毎日用意していたことを思うと驚きだ。この建物の天井は特徴的で、三角屋根であるのだが、てっぺんが外気と接していて、換気扇の役割をしていたという。木造の建物で温かみがあり、当時この小さな食堂が大人数で賑わっている状況をイメージするだけでも上田市が養蚕業・製糸業で盛り上がっていたことがわかる気がした。2024-02-01
3大正二年上田町市街図大正二年上田町市街図測量による地図が作成されるようになったため、方位・縮尺が地図に記入されるようになり、凡例にある地図記号も用いられるようになった。しかし、かなり簡略化された地図だ。地図からは、市街地の周囲は水田や畑が広がっていたことがわかる。 大正期の上田は、養蚕業とその関連産業が隆盛を極めており、市街地北方に「大星川原種桑園」、南方に「鴨池種桑田」などの広大な桑園が見られる。 また、「上田蚕糸専門学校」(現信州大学繊維学部明治44年開校)、「小県蚕業学校」(明治25年開校、大正12年現在の上田東高校の地への移動)も見える。2023-05-06
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