明治7・8年蚕種焼却(横浜)の写真 (1874)から

明治7・8年蚕種焼却(横浜)の写真 (1874)から

横浜に出荷された大量の蚕種(蚕卵紙)が焼却されるという衝撃的な出来事を写した写真に着目し、その背景を調査しました。
1860年代、ヨーロッパでは、蚕の伝染病「微粒子病」が蔓延しました。この代替品として、健全な蚕種を日本に買い求めたため、蚕種の輸出は増加し、高値で取引されました。ところが、ヨーロッパ各国が蚕病を克服すると需要は減退し、生産過剰となっため、政府は、輸出予定だった蚕種(蚕卵紙)を買収し、一部の優良紙を残して、他はすべて焼却処分したそうです。

【出典】藤本蚕業アーカイブ https://d-commons.net/fujimoto-arch/(2023/1/10)
 史料ID[tf002] 明治7・8年横浜で蚕種焼却の写真 (1874)

登録日:2023-01-10 投稿者:ゆかちゃん
地区コード上田地域(上田市)
ハッシュタグ
(キーワード)
    ライセンスこのライセンスは原作についてあなたに対するクレジットの表示を行う限り、あなたの作品をリミックスし、改変し、あなたの作品を使って新しい作品を作ることを許すものです。これはもっとも懐の広いライセンスです。ライセンスされた資料の流通・利用の最大化のためにお勧めしています。 表示(BY)
    投稿者ゆかちゃん
    管理番号2472
    カテゴリ名藤本史料ピックアップ
    トップにもどる
    地図で見る
    情報を探す
    キーワード
      同じキーワードを持つ記事