登録リスト(該当:18件)

写真タイトル説明登録日
1蚕都上田マップ2【上小地域】蚕都上田マップ2【上小地域】「上小(じょうしょう)」は上田小県の略称です。当初の上田市はエリアが小さく「蚕都上田」は「上田小県」を意味していました。「塩尻地区」「塩田地区」「旧丸子町」などが該当します。 小県(ちいさがた)は蚕都上田を支える後背地域であった。千曲川沿岸では養蚕とともに蚕種製造業が発達した。丸子町は岡谷、須坂と並ぶ製糸都市に成長した。 (マップ解説文から編集) 基図『小県郡及上田市地図』(信濃教育会小県上田部会, 1930年) 制作 蚕都上田プロジェクトマップ部会 発行日 2010年3月31日2023-10-05
2小諸市温古記小諸市温古記これは小諸温古記というもので、佐久群大井庄小諸城主領主城代の譜について説明されている。城中にある多数の建物について解説されている。また信濃国を囲む10ヵ国の群境が記されている。 https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03OD06222059002023-02-08
3向源寺宛武田信玄朱印状向源寺宛武田信玄朱印状この文書は戦国時代の永禄九年(一五六六)武田信玄が、重臣の三枝〔さいぐさ〕宗四郎昌貞に命じて「武田方の軍勢が向源寺(当時上田原にあった)境内で陣をとることを禁じ、もし命令に背〔そむ〕く者がいたら、子細〔しさい〕(くわしい事情)を申し出るように。」と、向源寺に伝えた朱印状だそうです(資料参照)。 信玄は信濃国へ、幾度か軍勢を出して合戦を繰りかえしています。このようなとき勢力下におさめた地域の主な寺や社を大事に扱うことが、民の心を安定させるために、大切であることを心得ていて、特に寺社に迷惑がかからぬよう、心配りをしていたことを物語る文書として貴重なものです。」 神仏への信仰心がもたらす力は信玄自身が一番実感していたがための行動だったのではないかと考えさせられます。 https://museum.umic.jp/bunkaza2023-01-30
4武田信玄願文(県宝)武田信玄願文(県宝) 武田信玄は、上杉謙信との戦いに備えて、東信濃の名社生島足島神社に、願文を献げ、今後の戦について深く祈願するところがあったそうな。  これがその願文で、おわりに永禄2年(1559)と記され、信玄自筆のものといわれています。 「謹んで、下之郷諏訪大明神に申し上げます。私(信玄)は、越後の軍勢(謙信をさす)が攻めてくるので、戦うがよいかどうかト(うらな)ったところ”吉”という卦が出ました。そこでこの天の教えに従って出陣いたします。何卒私の軍に勝利を与えられ、長尾景虎(謙信)が逃亡するようお助けをお願いいたします。もし私が凱歌をあげて帰国しましたなら、今年から10カ年間、毎年青銅貨10緡ずつお社のために上納いたします。」 調べて知ったことですが、信玄は戦国大名の中でも占いマニアだ2023-01-30
5第28号『上田小県における感染症の歴史』第28号『上田小県における感染症の歴史』上田小県近現代史研究会ブックレット第28号『上田小県における感染症の歴史』 【編著・発行】上田小県近現代史研究会 【発行】2021年12月10日 【定価】600円(税別)上田市内の書店でお買い求めください。  パンデミック(世界的大流行)はこれまでも幾度となく立ち現れ、先人たちもその度に脅かされてきました。多くの命が奪われ、社会活動に支障をきたしました。しかし、その都度全力で立ち向かい、できる限りの対策を講じて乗りこえようとしてきました。なす術もないと思われた時でさえ絶望せず、しばしば神仏に疫病退散を祈り続けました。(略)  もう一度各章にわたり取り上げたテーマについて、明らかにできた教訓や課題、厳しい条件の中でも命や暮らし、さらには文化を守るための人々の努力があったことを確認してみましょう。(2022-03-13
6信州は山の国信州は山の国信州も信濃も、ほとんどいまと同じ長野県のことだと、初めて知りました。 信濃の地名は、山国の地形から「段差」を意味する古語である「科」「級」(しな)に由来しているとされ、名付けられ方で分かるとおり、坂と峠の多い県です。 長野県は、四方八方を2,000~3,000m級の山々に囲まれたまさに山国。県面積は、1万3,562.23平方キロメートル。(境界未明含む)全国第4位の広さです。 総人口は206万5,359人 (2,018年7月1日時点)ですが、 人口密度は1平方キロメートルあたり152.3人で、全国で下から9番目と少ないことも、山国の特徴。 県のほぼ全域が標高500メートル以上、 可住地面積の割合が低く、また人口密度(1平方キロメートルあたり)も152.3人と全国で第38位にランクインするぐらい少ないなど、山国の特徴が顕著に出ています。 特に、妙高山(2,4542022-01-24
7小林昌人「蚕業の先駆者を輩出した上田市上塩尻の集落と民家」1990小林昌人「蚕業の先駆者を輩出した上田市上塩尻の集落と民家」1990【左】テキストコード化版 【右】『信濃』誌記事コピー 蚕種製造の中心地であった上田市上塩尻の歴史的・文化財的価値について言及した論文は小林昌人氏(1931~2001、長野県松本市生まれ)の「蚕業の先駆者を輩出した上田市上塩尻の集落と民家」(1990)が最初ではないかと思われる。 ここにその論文を転載し、諸活動の参考にしていただきたい。『信濃』誌記事はコピーでは読みにくいため、テキストコード化も行った。 所載:『信濃』第42巻第1号 pp.23~35 信濃史学会 1990 年1 月 テキストコード化・文書整形:長野大学前川道博研究室 2018 年09 月13 日2022-01-18
8日本三所信濃長谷観世音全図(日本博覧図1897所載)日本三所信濃長谷観世音全図(日本博覧図1897所載)『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「日本三所信濃長谷観世音全図」(長谷寺)はその一つである。2020-09-25
9大輪精舎之図(日本博覧図1897所載)大輪精舎之図(日本博覧図1897所載)『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「大輪精舎之図」はその一つである。 タイトルには「長野県信濃国 大輪精舎之図 小県郡上田町」と記されている。 大輪寺(大輪精舎)は、真田昌幸による上田築城に伴い、砥石城の麓の畑山から移されたと伝えられている。大輪寺には真田昌幸の妻寒松院の墓がある。 参考資料:『上田市誌』第9巻「真田氏と上田城」2002年2020-09-25
10信濃蚕種組合事務所外部及内部之図(日本博覧図1897所載)信濃蚕種組合事務所外部及内部之図(日本博覧図1897所載)『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「信濃蚕種組合事務所外部及内部之図」はその一つである。 信濃蚕種組合は1889年(明治22年)、藤本善右衛門(塩尻村)、工藤善助(丸子村)、田中忠七(上田町)、倉島弥平(神川村)、佐藤郡三(県村)の5人が発起人となって上田小県全域の蚕種製造家と販売業者が一緒になって結成した。良質の蚕種の製造と販売を保つため、蚕病検査、種繭の処理法、採桑の規定を設けて組合員に遵守させた。組合長の藤本善右衛門らは長野県に検査所を設ける運動を起こし、国会にも要請し1897年(明治30年)、蚕種検査法が成立した。その結果1898年(明治31年)、小県郡蚕種同業組合が設立された。18972020-09-24
11『上田市史・上巻』1/2(1940年)画像データ『上田市史・上巻』1/2(1940年)画像データページ番号は表紙からの通し番号になっています。それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 1ページ 表紙 2ページ 序 3ページ 4ページ 緒言 5ページ 6ページ 編集の経過 7ページ 8ページ 目次 2020-06-28
12『上田市誌』(全31巻 2004年)目次『上田市誌』(全31巻 2004年)目次『上田市誌』全31巻 発行:2002~2004年 編集者:上田市誌編さん委員会 発行者:上田市、上田市誌刊行会 以下から各巻の目次と奥付が参照できます。なお、対象の「上田市」は2006年の合併以前の旧上田市が対象です。 第01巻 自然編(1)上田の地質と土壌 第02巻 自然編(2)上田の気象と川や湖 第03巻 自然編(3)上田の動物と植物 第04巻 歴史編(1)上田盆地のあけぼの 第05巻 歴史編(2)上田の弥生・古墳時代 2020-06-27
13『信濃蚕糸業史・下巻』(1937年)『信濃蚕糸業史・下巻』(1937年) <目次> 製糸篇  第一章 総論  第二章 江戸時代信州各地に於ける製糸業の発達  第三章 開港以後の製糸業  第四章 日清戦争より世界大戦に至る時代  第五章 大正時代  第六章 現代  第七章 製糸技術の変遷  第八章 経営史  第九章 皇室と信州蚕糸業  第十章 本県製糸業者の米国視察と米国絹業者の入信  第十一章 生糸貿易に関する史料 <奥付> 昭和十二年六月一日 昭和十二年六月五日2020-06-24
14『信濃蚕糸業史・中巻』(1937年)『信濃蚕糸業史・中巻』(1937年) <目次> 蚕種篇  第一章 蚕種製造業の発達  第二章 蚕種販売  第三章 蚕種業の奨励  第四章 蚕種業に関する組合の起源及其変遷  第五章 江戸時代に於ける蚕種に関する法規の変遷  第六章 明治時代に於ける蚕種規則の変遷  第七章 蚕種検査  第八章 きょうそ駆除  第九章 蚕業取締事務機関の変遷  第十章 国立原蚕種製造所松本支所設置の沿革  第十一章 蚕品種の変遷附蚕品種整理に関する2020-06-24
15『信濃蚕糸業史・上巻』(1937年)『信濃蚕糸業史・上巻』(1937年) <目次> 栽桑篇  第一章 桑園の期限及発達  第二章 桑品種の変遷  第三章 桑苗生産の変遷  第四章 栽培法の桑栽培法  第五章 桑樹仕立法の変遷  第六章 桑園肥料  第七章 歩桑々園の発達  第八章 夏秋蚕専用桑園の期限及発達  第九章 桑葉売買  第十章 桑園災害  第十一章 桑園の消長  第十二章 桑園経済  第十三章 桑園改善に関する本県当局の施設  第十四章 桑園の分布  第2020-06-21
16『上田市史・下巻』(1940年)『上田市史・下巻』(1940年)

上田市史・下巻』(1940年)

1352頁/容量 234MB ダウンロード表示には時間がかかります。 目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次> (第二紀 自上田築城至廃藩置県)  第二篇 第二篇藩政時代(続)[LINK]  第四篇 自明示維新当時至廃藩置県迄[LINK] 第三紀 自廃藩置県至上田市政施行迄  第一篇 廃藩置県
2020-06-21
17『上田市史・上巻』(1940年)『上田市史・上巻』(1940年)

上田市史・上巻』(1940年)

1110頁/容量 232MB 下の画像を選ぶとPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。 目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次> 上田市の地理的概観及市内大小字名表 【第一紀】 第一篇 上代の上田地方[LINK] 第二篇 奈良時代の上田地方[LINK] 第三篇 平安時代の上田地方
2020-06-21
18『蚕糸王国信州ものがたり』『蚕糸王国信州ものがたり』『蚕糸王国信州ものがたり』 共著:前川道博 信濃毎日新聞社 2016年10月出版 分担執筆者:阿部勇[編著]、伊坪達郎、高林千幸、小野一英、桂木恵、山浦直人、前川道博 ISBN-13: 978-4784072934 【購入はAmazonで】『蚕糸王国信州ものがたり』で検索2020-05-25
地図で見る


ログイン トップページへ