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まとめ~武田信玄武将の起請文〔八三通〕~
写真の起請文は、武田信玄が配下の武将を、下郷(下之郷のこと。以下同じ)諏訪大明神(生島足島神社)へ集めて、信玄に絶対背かぬことを、神前で誓わせたものです。誓いの言葉を牛王紙の裏に書き、血判を押して、差し出させたもので、全国的に有名なものです。 この貴重な文書が生島足島神社に残っていることに歴史的な価値があると感じました。 https://museum.umic.jp/bunkazai/document2/089-1.html 武田信玄と信州は深い関わりがあり、その中でも生島足島神社に信玄がこだわったというのも面白く感じました。そして、信玄についてだけではなく当時の人びとがどのような宗教観や価値観を抱いていたのかを副産物として知ることができ、特定の人物だけでなく、社会がどのように動いていったのか文書から読み解けることにもつながることがわかりました
2023-01-30
2
真田氏最古の文書は信玄からの書状
「其の方年来の忠信、祝着に候。然らば本意の上に於て、諏方(訪)方(形)参百貫并ならびに横田遺跡上条、都合千貫の所これを進じ候。恐々謹言。 天文十九庚戌 七月二日 晴信(花押) 真田弾正忠(幸隆)殿」 この文書が効力を持つことになったため、上田の地にかなりの土地を得ることができたわけでありに幸隆の子昌幸が上田城を築くもととなったともみられる文書であり、その意味でも貴重なものであるとされています。 武田信玄は真田一族と深い関わりをもっていることがわかります。 https://museum.umic.jp/sanada/siryo/sandai/020202.html
2023-01-30
3
向源寺宛武田信玄朱印状
この文書は戦国時代の永禄九年(一五六六)武田信玄が、重臣の三枝〔さいぐさ〕宗四郎昌貞に命じて「武田方の軍勢が向源寺(当時上田原にあった)境内で陣をとることを禁じ、もし命令に背〔そむ〕く者がいたら、子細〔しさい〕(くわしい事情)を申し出るように。」と、向源寺に伝えた朱印状だそうです(資料参照)。 信玄は信濃国へ、幾度か軍勢を出して合戦を繰りかえしています。このようなとき勢力下におさめた地域の主な寺や社を大事に扱うことが、民の心を安定させるために、大切であることを心得ていて、特に寺社に迷惑がかからぬよう、心配りをしていたことを物語る文書として貴重なものです。」 神仏への信仰心がもたらす力は信玄自身が一番実感していたがための行動だったのではないかと考えさせられます。 https://museum.umic.jp/bunkaza
2023-01-30
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武田信玄願文(県宝)
武田信玄は、上杉謙信との戦いに備えて、東信濃の名社生島足島神社に、願文を献げ、今後の戦について深く祈願するところがあったそうな。 これがその願文で、おわりに永禄2年(1559)と記され、信玄自筆のものといわれています。 「謹んで、下之郷諏訪大明神に申し上げます。私(信玄)は、越後の軍勢(謙信をさす)が攻めてくるので、戦うがよいかどうかト(うらな)ったところ”吉”という卦が出ました。そこでこの天の教えに従って出陣いたします。何卒私の軍に勝利を与えられ、長尾景虎(謙信)が逃亡するようお助けをお願いいたします。もし私が凱歌をあげて帰国しましたなら、今年から10カ年間、毎年青銅貨10緡ずつお社のために上納いたします。」 調べて知ったことですが、信玄は戦国大名の中でも占いマニアだ
2023-01-30
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千曲川を駆けた戦国武将
千曲市の上流、佐久・小諸地域は、武田信玄のゆかりの地が多いです。 佐久市新海三社神社は武神が祀られており、信玄が箕輪城攻めをする際、祈願文を奉納したり、川中島合戦前に戦勝祈願した生島足島神社があります。ここの神社は、家内安全、健康長寿、安産祈願などの御利益があり、結婚式を挙げる方もいらっしゃいます。 続いて、甲斐の武田信玄が、越後の上杉謙信と覇を争った、5回、12年にわたる戦いの中で、信玄が戦勝を祈った寺社についてです。 川中島合戦の1回目の戦いは、天文22年(1553)、長野市布施、続いて千曲市八幡で行われ、この「布施の戦い」で信玄は後退する。このとき、上杉謙信が攻略した千曲市荒砥城は、現在史跡公園として整備されています。 3回目は、弘治3年(1557)長野市上野原で行われ、戦の前に、謙信は千
2022-01-26
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