長谷寺

長谷寺長谷寺長谷寺

 上田市真田町長の真田地区には、「長谷寺」と呼ばれるお寺がある。長谷寺には、珍しい形の門をくぐりぬけることで、到着することができる。春には、しだれ桜が満開に咲き誇り、お寺との調和が美しい景観を生み出すのが特徴である。また、長谷寺の裏へすすむと上田市指定文化財(史跡)に指定されている真田幸隆・昌幸の墓がある。ここで、真田幸隆と真田昌幸の人物像についてその概要を説明する。
 真田幸隆(幸綱)は、かの有名な真田信繁の祖父にあたる。1541年の神川合戦により、上野(群馬県)に逃れており、その後は、武田信玄に従い信州先方衆として活躍するのである。また、1551年に砥石城の攻略に成功したことで知られている。
 真田昌幸は、1575年の長篠合戦で兄の信綱・正輝が戦死したことから、真田家の家督を継ぐことになったのである。そんな中で、1585年には上田城を築城し、1575年と1600年の二度の上田合戦では、徳川の大軍を退けたという真田氏の功績に大きく関わった人物だ。しかし、天下分け目の戦いとして知られる関ケ原の戦いを前に、真田氏2代の間では、「犬伏の別れ」と呼ばれる話し合いが行われた。兄である信幸は徳川家康が率いる東軍に、昌幸とその子である信繁(幸村)は石田三成が率いる西軍につくことが決められた。結果的に、西軍の大敗により、昌幸と信繁(幸村)は現在の和歌山県の高野山九度山に配流され、そこで蟄居生活を送ることになったのである。そして、真田昌幸は、その地で生涯を終えることになる。
 真田幸隆公と真田昌幸公のお墓は、赤い策を開閉することにより、中へ入ることができるようになっており、柵の色が赤いのは、真田氏の赤備えを意識してのことだろうかと考えた。
ーーーーーーー
【参考】
立て札「上田市指定文化財(史跡)真田幸隆・昌幸の墓」
上田市教育委員会「市指定史跡 真田幸隆・昌幸の墓」

登録日:2025-01-27 投稿者:がっちゃん
地区コード真田地域(上田市)
ハッシュタグ
(キーワード)
ライセンスこのライセンスは原作についてあなたに対するクレジットの表示を行う限り、あなたの作品をリミックスし、改変し、あなたの作品を使って新しい作品を作ることを許すものです。これはもっとも懐の広いライセンスです。ライセンスされた資料の流通・利用の最大化のためにお勧めしています。 表示(BY)
投稿者がっちゃん
管理番号5
カテゴリ名私の地域探究2024