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デジタルアーカイブを利用しやすくするには
デジタルアーカイブをより多くの人に利用してもらい、使いやすいと感じてもらう 参考 藤本蚕業デジタルコモンズ https://d-commons.net/fujimoto-dc/ 上田市公文書 https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/kobunshokan/ 国立公文書館デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/ デジタルアーカイブ学会 https://digitalarchivejapan.org/ 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/ja/ デジタルアーカイブとは?https://solution.toppan.co.jp/newnormal/contents/digitalarchive_toha.html 内閣府知的財産戦略推進事務局「デジタルアーカイブ活動」のためのガイドラインhttps://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/digitalarchive_suisiniinkai/pdf/guideline_2023.
2024-01-24
2
ああ、感激の優勝旗(『西塩田時報』第204号(1940年10月31日)6頁)
この資料は、上田市営運動場という場所で行われた体育大会の様子を記している。上田市営運動場という場所を調べて見たがどの施設のことを指しているのかがハッキリしなかった。というのも、この運動会が開催された昭和15年(1940年)には上田城跡公園陸上競技場はあったが、当時から陸上競技場という名で呼ばれていたと思われるため(勝俣英吉郎の銅像に記されている碑文に陸上競技場と記されていることから)、運動場という名前で新聞に載せるかどうかが怪しいと判断したためである。この体育大会では現在も競技として残っている100M走や800Mリレーの他に、バトンの代わりに俵を用いたリレーや手榴弾投という現在にはあまり聞かない競技が記されている。 現在の新聞では大会が開催されたことを掲載する際は、結果しか載せないことが多い
2021-12-13
3
卒業生の名簿(『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁)
この記事は西塩田時報に載っていた当時昭和26年3月の卒業生の名前が書かれています。 この記事の面白いところは今では恐らくあり得ないということです。 卒業生の名簿は顔写真が載っていないとしても名前は立派な個人情報です。 今の世の中で例えるならば、新聞にどこの学校を卒業した何組の誰さんと載る訳で様々な親御さんがいる中、このようなことになれば当然のごとくクレームが入るのではないかと思います。 誰でも読むことができる時報に公に個人情報を載せられるのはこの時代だからこそだと思うので、今とは異なるという意味で面白いなと感じました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1124
『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁
2020-12-16
4
人間のくひもの(『西塩田時報』第67号(1929年6月1日)4頁)
この記事は「人間のくひもの」という見出しで、恐らく川邊時報を見た人が書いたと思われるものです。 人が食べるものを6つの項目に分けてその特徴と共に書かれています。 この記事では、今で言う五大栄養素のようなものだと思いますが、5番目に「液体をあたへるもの」と書かれているのを見た時に、急に項目の毛色が変わったように感じ面白いなと思いました。 また、最後のそれぞれの項目に当てはめた6つのアドバイスのようなものを見た時には思わずクスッと笑ってしまいました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #294
『西塩田時報』第67号(1929年6月1日)4頁
2020-12-14
5
謹んで諸兄の御冥福を祈る(『西塩田時報』第17号(1948年7月25日)3頁)
第二次世界大戦で亡くなった方々の冥福を祈る内容と、国が行った侵略戦争の悔い嘆くと共に平和への道を築くと誓う内容の記事である。また、戦死した上田市に住む人々の名前や死因などが記載されている。 敗北した日本で生き残り、そして戦争の実態を知って悔恨の念を感じながら平和を実現すると心に誓うという凄絶な内容に心を打たれた。 ▼この記事は以下から参照できます。(戦死した方々のリストも以下URLで閲覧可能) #1021
『西塩田時報[戦後]』第17号(1948年7月25日)3頁
2020-12-13
6
君たちは幸福だ(『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)4頁)
ヒコーキという作家か匿名住民が、同年に愛人と心中した有島武郎に影響されて自殺していく若者について語っている。 概要は「信じる人に命まで捧げられる君たちは幸福だ。今まで古い考えを壊していくのが若者であり、文化というやつなのだろう。」という感じなのだが、私には「信じる人に後先考えずに命まで捧げちゃう君たち若者はオメデタイ奴らだな」と皮肉っているように見えた。 このヒコーキという人は様々な記事でこのような皮肉を込めたような記事を書いているので、他の号でも探してみたい。 ▼この記事は以下から確認できます
『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)4頁
2020-12-13
7
禁酒(『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)4頁)
全体がラップ調に感じられるほどテンポが良く、酒を飲むことで起こる様々な弊害を語っていた。最後には禁酒をして、貯金をしよう、と締めくくられるのだが、授業内であったように若者がこのような文章を書いていると思うと、いかに酒で壊れる部分が多く、いかに金銭的余裕がなかったかを伺わせる。 個人的パンチラインは、「ホントに仕様がない仕方がない。一生出世の望みがない。望みがないからやけが出る。~四百四病の其の本も、貧の病の原因も、酒でないとは言はせない。」のあたり。 ▼この記事は以下から確認できます
『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)4頁
2020-12-13
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