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1富士山の恐ろしさ富士山の恐ろしさ私は静岡県出身で富士山を見て生活していた。富士山は昔から富岳百景などで有名である。世界中からも人気で外国人観光客が多く来て、世界遺産にもなった。しかし、災害が多い今そこで私は富士山の恐ろしい面を調べることにした。恐ろしい面を知り、今後どのように富士山と関わっていくかを考えた。 参考資料 葛飾北斎 画『富岳百景 3編』二,永楽屋東四郎[ほか],天保5-6 [1834-1835] 序. 国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/8942998 富士市「フリー写真素材集」 https://www.city.fuji.shizuoka.jp/page/gazou/fmervo000001dsro.html 山梨県 編『富士山の自然界』,山梨県,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/983213 富士市 富士山の噴火史について https://www.city.fuji.shizuoka.jp/safety/c0107/fmervo000000oxtb.html2024-01-24
2戦前と現在の学校教育戦前と現在の学校教育探求のねらい 過去と現在では学校の授業形態などは異なっていると考えるが、教育の目的・内容は変わらないものであるので、過去と現在の学校教育を比較し、その時代の背景について考察し、理解することを目的としている。2024-01-24
3群馬県と長野県の養蚕の違い群馬県と長野県の養蚕の違い群馬県と長野県の両県はどちらも養蚕が盛んに行われているため、どのような違いがあるのかについて調べました。2024-01-24
4クレープリー アンクレープリー アンクレープリーアンでヘーゼルナッツチョコクリーム、バナナ、バニラアイスがトッピングされたショコラバナーヌのクレープを食べた。 ガレットには上田市殿城産の蕎麦粉を使用しており、クレープにはフランス産の小麦粉を使用している。 生地がもちもちでとっても美味しかった2024-01-24
5豊上モンテリア豊上モンテリア長野大学から徒歩10分ほどの距離にある豊上モンテリアでジェラートバームを食べた。 信州の自然酪農牧場で放牧された牛の低温殺菌の牛乳に独自の天然素材を混ぜたベース、そして四季折々のこだわりの素材を使用した毎日製造、限定販売のジェラードだそう。 季節ごとに季節のフレーバーがあり楽しむことができる。2024-01-24
6刀屋刀屋上田駅から徒歩10分ほどに位置している蕎麦屋 刀屋 でもりそばを食べた。 「刀屋」は昭和36年創業の老舗蕎麦屋です。 こちらの「刀屋」というお店の名前は先祖が刀鍛冶であったことに由来しているそうです。 もりそばをいただき、ボリュームがあり、蕎麦自体にもこしがあって食べごたえがありました。2024-01-24
7越後の伝説についての考察(『越後の国雪の伝説〔正〕』鈴木直著 昭和十七年七月二十二日発行)越後の伝説についての考察(『越後の国雪の伝説〔正〕』鈴木直著 昭和十七年七月二十二日発行)越後の国雪の伝説〔正〕に収録されている23の伝説の中の4つについて、それがなぜ生じたのかという自分なりの考察をおこないました。 *越後の国雪の伝説〔正〕とは、越後に古くから伝わる伝説のうち、雪に関するもののみをピックアップして収録した本です。なお、地域としては中・下越の中でも比較的豪雪な地帯の話が中心的です。 1,茂助地蔵 《あらすじ》 昔、一人の旅人がいた。宿屋を出発して目的地へと歩いていたが、天候は最悪で、顔を前に向けることも困難なほどの吹雪だった。そして、その途中で偶然にも一人の女性に遭遇し、自分の家に泊まっていくことを勧められる。旅人は女についていくことにし、彼女の家で手厚いもてなしを受けた。数日後、旅人は死体となって発見された。死因は凍死であり、近くの村の村人は旅人は雪2024-01-24
8上田紬上田紬長野県の上田市、飯田市、松本市、岡山市、駒ケ根市周辺などで生産されている絹織物の総称を「信州紬」という。 信州紬の種類として上田紬、飯田紬、伊那紬、松本紬の四種類ある。上田市の上田紬とは江戸時代に信州紬の中で最も有名だった紬の着物である。昔は愛染系の縞柄が基調の着物だったため、「上田縞」とも呼ばれていた。特徴として縞と格子柄で丈夫でしなやかな風合いである。 この上田紬の織りを体験できる場所として「織りの休日俱楽部」がある。そこではストールが作れる。一ヵ月に一回と開催日が少なく、参加費も一万二千円と高めではある。 このような体験は上田市に限らず、他の地域でも行われていることが分かった。 上田紬についてもう少し詳しく調べてみた。 生糸に適さない屑繭を真綿にし、 真綿からつむいだ紬糸2024-01-23
9まとめまとめここまで戦後の上田の学習環境の変化を概観してきた。戦後の上田の学校を調べた所感として、戦後と現代で学生に求める理想像に重なる点が多々見受けられると考えた。学習環境を整える中で頻繁に「自由な学習環境」「個人の関心を尊重すること」が説かれており、このことから戦後は画一的な教育方針よりも、個人の裁量に合わせた柔軟性の高い教育環境を構築しようと奮起していたと考察した。このような観点は現代にも通ずるものがあり、個人の特性を活かし、のびのびと学ぶことができることを重んじる価値観は今も昔も変わらないのだと調べ学習を通して実感した。 なお、現代の学習方針と比較した見解として、現代では外国語学習を推進したり、個人の特性を重んじたキャリア教育がなされていたりすることから、現代では特に「多様性が2024-01-23
10組合立中學校設立研究会生まる組合立中學校設立研究会生まる研究環境の改良を図るため、当時上田市では組合立中學校の設立が検討されていた。合同での校舎を設立することで、学生の学習環境に様々な効果がもたらされることを期待していた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1235 『西塩田公報』第80号(1954年3月5日)1頁2024-01-23
11學校だより學校だより当時は時報に學校だよりが記載されており、学校でどのような行事が行われるかを知ることができた。 ここでは11月の行事について説明されている。 記事を読むと、当時は陸上競技会が珠算競技会が開かれており、幾名の生徒が表彰されている。また、籠球大会や珠算検定会での表彰者が記載されている。 これらのことから、現代で言う部活動のような取り組みが戦後でもなされており、学校での座学から逸脱した様々な機会が設けられていたのではないかと考えた。 また、小学校の行事内容を確認すると、「産業文化祭に児童の図学工作品を出品する」「校内音楽会」などが行われていたことが読み取れる。他にも、小学校での映画鑑賞などの機会が設けられていることが分かった。 記事の内容から、小学校でも机上での学びに囚われない多様な2024-01-23
12子どもたちが過ごしやすい環境子どもたちが過ごしやすい環境神畑公園 私は子どもたちの居場所、子育て支援、地域づくりについて探求したいと考えた。 日中は多くの子どもたちの居場所となっており、子どもたちが過ごしやすい環境となっている。 すぐ近くには、神畑公園多目的グラウンドやゲートボール場となっており、子どもからお年寄りまで様々な世代が訪れる憩いの場となっている。見渡しがよく、自然に囲まれた神畑公園は子育てをする方々にとって大切な場である。2024-01-23
13生島足島神社生島足島神社生島足島神社を初めて見に行きました。 赤い鳥居がとても大きく、圧倒されました。 神社の内殿は平成10年9月に「県宝」に指定されたそうです。 信濃屈指の古社は、一度は訪れてみる価値があると思います。2024-01-23
14学校水泳における変化学校水泳における変化現在と以前の学校環境、特に水泳に変化があるかを調査する。 西塩田時報にある水泳についての記載で、海に囲まれた国である日本の国民として泳げないのは恥ずかしいとある。ストレートな言い方であるが、日本国民には水泳は必須であることを表現している。ここから水泳が生命に関する重要な運動であることは現在と同じ認識だと思う。 また当時の夏休みの水泳は午前と午後の部に分かれており、なるべく短い時間で寒いと感じたらすぐに泳ぐのをやめることが書かれている。水泳の時間を一時間を制限して管理するのではなく、自己管理を促しているのではないかと思う。自己管理の面では、他にも空腹時に水泳を行わないことや頭まで水につけること等の子供達自身が意識して行うことが記載されている。 以上の記事から、学校水泳は過去でも2024-01-23
15上田地域の高校の蚕産業についての歴史上田地域の高校の蚕産業についての歴史上田市にある上田東高等学校。旧小県蚕業学校とも言い、農業課程・林業課程・蚕業課程がありました。 学校の校内には蚕業学校時代をしのぶ、しだれ桑が植えられています。さらに、爆撃の際に黒ずみになった欅の痕跡が今も残っています。 そして、この学校の有名な人といえば鈴木敏文さんです。 鈴木敏文さんは、坂城町の生まれで、小県蚕業学校の出身です。また、セブンーイレブンの元社長でもあります。鈴木社長は、創立120周年の時には「変化対応」というメッセージを贈っており、今でも石碑に刻まれています。 創立130周年では、新型コロナウイルスの影響でオンライン開催になりましたが、実際に貴重なお話を聞かせていただきました。 その際、「この学校はとても長い歴史があります。」と言い、実際に学生時代に経験したことを2024-01-23
16上田市千本桜まつり上田市千本桜まつり第20回(2023年)の桜まつりの画像です。 上田城は天正11年(1583)真田昌幸によって築城され、天正13年(1585)第一次上田合戦・慶長5年(1600)第二次上田合戦の二度にわたり徳川の大軍を退けたことで知られています。廃城後は公園となり、現在に至っています。春には約1000本の桜が咲き誇る桜の名所です。 城として使われなくなっても、現在まで、市民の憩いの場として残っていることがすごいと感じました。2024-01-23
17上田城紅葉祭り上田城紅葉祭り上田城を彩る美しい紅葉と屋台などのグルメを楽しんだ。 春の桜とは違う顔を見ることができる。 上田城に行き、季節を感じることが出来た。 夜にはライトアップもされ、観光地として、にぎわっていた。2024-01-23
18生島足島神社生島足島神社生島足島神社の鳥居です。 式年祭として、御柱祭が6年に一度、寅年・申年の4月中旬に催行される。この祭は、諏訪神が諏訪に向かう途中で当地に留まった際、生島・足島両神に対して御柱を奉ったのが由来です。 御本殿は神池に囲まれた神島の中にまわりを老樹に囲まれて建っています。御扉の奥には御室と呼ばれる内殿(室町期建立)があり、内殿には床板がなく大地そのものが御神体(御霊代)として祀られています。現在の社殿は昭和15年に国費をもって竣工したものです。内殿は平成10年9月「県宝」に指定されました。 駅から近いため、だれでも訪れやすいと感じました。2024-01-23
19地域に伝わる逸話地域に伝わる逸話舌喰池を訪れた時の写真です。 結構前の写真ですが,当時はもう少し水位があったようです。 人々の信仰心は恐ろしいと感じた。 このような話は他地域でも存在するはずである。   だからこそ,調査し続け後世に伝えていくことが重要だ!2024-01-23
20デジタルアーカイブデジタルアーカイブデジタルアーカイブを知っている人が少ないので、実物を記録・保存するより良いところは何か。多くの人に利用してもらうためにできることはあるか考えました。 デジタルアーカイブは、公文書・書籍・芸術作品などをデジタル化して保存、公開します。今回は、①国立公文書館デジタルアーカイブ ②Col Base ③NHKアーカイブス を閲覧しました。 ①国立公文書館 ・言語は日本語、英語。中国語や韓国語も加えて欲しい。サイトの文字全体も大きくできる。 ・TOPページには、ジャンルが6つ挙げられていて、選びやすい。検索もできる。 ・ジャンルを一つ選ぶと、該当する資料が並ぶ。資料名と読み仮名、資料の画像も表示されるので、見やすい。表示方法を変えると、資料の説明も加わる。選んだ資料を拡大しても、細かい文字が鮮明に見える。(上2024-01-22
21上田城近くのカフェ上田城近くのカフェ上田城近くにあるカフェを訪れました。 上田市でカフェを探していたところ、上田城近くにとても素敵なカフェを見つけました。 今回はガレットとクレープをいただきました。 とてもおいしかったです、また訪れたいです。2024-01-22
22じまんやきじまんやき人生で3回目のじまんやきです。 1度目は長野に初めて引っ越してきた際に、じまんやきが有名であると聞いたため食べに行きました。 2度目はゼミのフィールドワークで先生がメンバーに振る舞ってくれました。 そして今回は一度もじまんやきを食べたことがないという友達にぜひ食べてもらいたいと思い、食べに行きました。 とても美味しくて安いため何度でも食べたいです。2024-01-22
23神社神社神社 海野町商店街の中に突如現れた神社 冬の受験の時期に見に行ったため、合格祈願がされていました。 商店街の中に神社があることは、他の地域にはない珍しいものだと思います。 そのため、これからも大切に守っていくべきだと感じました。2024-01-22
24旧上田市立図書館旧上田市立図書館旧上田市立図書館 信州上田学の農民美術の授業でお話しされていた 旧上田市立図書館を見に行ってきました。 初め旧上田市立図書館を見かけた時、教会かなとかんちがいしていました。 洋風な美しい建物だったため、図書館であると気がつきませんでした。 現代には少し珍しい建物で、白い壁に赤色がとても映えていました。2024-01-22
25上田城 二の丸橋 線路上田城 二の丸橋 線路上田城にある二の丸橋の下はかつて線路が通っていたそうです。 電車が通っていれば、上田城の美しい自然の景色を見ることができるためとても楽しそうだと感じました。 ぜひ今でも電車が通っていて欲しかったなと思う限りです。 上田城は春には桜が綺麗なので電車の中から見てみたかったです。 二の丸橋は今でも趣がありました、2024-01-22
26上田 そば・うどん上田 そば・うどん蕎麦が有名な長野県 そばを食べるために上田の町を歩きながら蕎麦屋さんがしました。 とても有名なお店らしく、店主の方も気さくにお話ししてくださいました。 私が食べたのは、天ぷらうどん 店主の方が説明してくださり、天ぷらには上田市で採れた山菜やピーマンなどが使われているそうです。 美味しいご飯を食べることができ、上田市について理解を深めることができました。2024-01-22
27伝説のワイン「ヴィランジュ・ドゥ・ベッショ」伝説のワイン「ヴィランジュ・ドゥ・ベッショ」2011/04/22の記録。 マンズワインが製造販売している(いた?)伝説のワイン「ヴィランジュ・ドゥ・ベッショ」。赤ワイン(ルージュ)と白ワイン(ブラン)とがあります。「塩田平契約栽培善光寺種100%」と銘打っています。当時、上田市中野にある若林醸造のお店で購入しました。久しぶりにこのワインを賞味したいのですが、今もあるのでしょうか? 「ヴィランジュ」と書くといかにもフランス語の意味ありげな名前に見えますが、実は別所温泉の地名にもなっている「比蘭樹」にちなみ、ネーミングを洒落たものです。現在の「あいそめの湯」の前にバス停の名前として「比蘭樹」が残っています。遠い美味ワインの記憶も甦ってきます。2024-01-21
28イトーヨーカドー上田店閉店売りつくし2011/04/05イトーヨーカドー上田店閉店売りつくし2011/04/052011/04/05の記録。 上田市のイトーヨーカドーはアリオ上田店に移転する以前は、上田駅前にありました。2011/04/10に閉店するまで33年間営業を続けてきました。閉店前に催されていた「閉店売りつくし」の記録も今となっては貴重な地域の記憶の記録です。2024-01-21
292011年3月「新生上田市5周年」2011年3月「新生上田市5周年」2011/03/22の記録。 平成の大合併により、新生上田市がスタートしたのが2006年3月6日。それまでの上田市は丸子町、真田町、武石村と対等合併し、新たな上田市となりました。 2011年3月、上田市役所には「祝・新生上田市5周年」の垂れ幕が掛けられていました。この旧市庁舎は現在は新庁舎になっています。変わる前の市役所の姿の記録ともなっています。2024-01-21
30長野大学卒業式の様子2011/03/19長野大学卒業式の様子2011/03/192011/03/19の記録。 2010年度の卒業式は上田城跡公園内にあった旧上田市民会館で催されました。新しい市民会館でもある「サントミューゼ」が開館するまでは旧市民会館が卒業式会場として使われていました。「ナショナルテレビ」の緞帳が施設の歴史を物語っています。 卒業式直前の3月11日、東日本大震災が起こり、その影響を受けた卒業生もいました。司会者の脇のスクリーンにパソコン要約筆記による情報が表示されています。この年度の長野大学学長は野原光先生、企業情報学部長は高橋進先生でした。画像で記録を再現することによりそれもはっきりと確認できます。13年前の2011年が現在に蘇ってきます。2024-01-21
31引越し直後の前川研究室2005/04/05引越し直後の前川研究室2005/04/052005/04/05の記録。 長野大学に赴任して間もない時の研究室の風景です。書架に本を並べ始めました。引越しの段ボール箱の多くが未開封のままです。2024-01-21
322005年度長野大学入学式2005/04/042005年度長野大学入学式2005/04/042005/04/04の記録。 2005年度の長野大学の入学式。当時、入学式は体育館で行われていました。健常者だけでなく障がいの学生も対等に学べることを補償するバリアフリーの大学らしく、パソコン要約筆記による情報補償がなされている点にもご注目ください(ステージに向かって左奥)。入学会場の出口にはサークル活動などの勧誘で学生たちが会場から出てくる新入生を待っていました。生協学生委員会STAFFあんずによる「新入生歓迎企画 友達100人できるかな?」も毎年開催されていました。2024-01-21
33上田天満宮上田天満宮 上田駅近くの高架下にある小さな天満宮。ご本尊は菅原道真の座像で江戸時代中期に作られたとされている。  1894(明治27)年に初代上田駅長の上村条治郎が旧高田藩が歴代所有していた天神様を譲り受け祀った。 1950(昭和25)年に上田駅拡張に伴ってここへ移動させられた。  菅原道真公を祀っているため、合格祈願などのご利益があるが、受験前にも関わらす参拝者は誰もいなかった。穴場スポットのようだ。近くには真田十勇士の筧十蔵のモニュメントがある。2024-01-20
34紺屋町 八幡神社紺屋町 八幡神社 上田市中央西にある神社。境内には小さな公園もある。  市指定の文化財に指定さている「紺野町八幡社絵馬」が奉納されていた。現在は上田市立博物館に展示されている。 1688(貞享8)年、徳川綱吉が世を収めていたこの時代に当時の上田藩主、仙石政明らによって奉納された大絵馬である。高さは102㎝、幅160cmの大きさを誇り、黒と白の大鷹が描かれている。長谷川派の作者によるもの。 この神社は上田城から見て鬼門の方向にあるため、当時から上田城主に手厚く保護されていたようだ。 近くにはスーパーやホームセンター、喫茶店があるため買い物やお茶ついでにいらしてほしい。2024-01-20
35諏訪湖の御神渡り2008諏訪湖の御神渡り20082008/02/02の記録。 「御神渡り(おみわたり)」は冬の諏訪湖に起こる自然現象です。湖面が氷結し、氷が割れて筋状の隆起ができます。それを古来から神が渡った跡「御神渡り」と言い伝えられてきました。御神渡りができる年もあればできない年もあります。 この年2008年には御神渡りが出来ました。大学での仕事が終わった後、諏訪湖に行き、日暮れる前に御神渡りを見ることができました。その翌日には雪が降り、御神渡りは雪に埋もれたものと思われます。私が唯一目撃できた貴重な御神渡りの記録です。御神渡りはできましたが、場所によっては湖面は凍結しておらず、冬鳥たちは凍結しない湖面に集まっていました。2024-01-17
36麺将 武士麺将 武士上田駅を出てすぐのところに麺将武士というラーメン屋さんがある。駅からすぐのところにあるためアクセスが良く、ふらっとおなかがすいたときに立ち寄ることができるのがこのお店の良いところだ。 ラーメンは種類がいろいろあるためこのみの味を選ぶことができるし、どれもおいしい。デザートにあるプリンも絶品である。私はバイト後の電車の待ち時間などによく利用させてもらっている。一人でも入りやすいためぜひ行ってみてはいかがだろうか2024-01-17
37白湯拉麺 こうや白湯拉麺 こうやこうやというラーメン屋さんを訪れた。 上田駅から少し歩いたところにあり、アクセスはいいほうだろう。 こじんまりとしたお店だが人がいない日を見たことがなく、地域に愛されているラーメン屋さんのようだ。 かくいう私もこうやのラーメンに魅了されてしまった一人である。ラーメンも油そばも絶品なのでお近くに用事等あった際はぜひ行ってみてはいかがだろうか。2024-01-17
38森文森文柳町にあるカフェ森文へお邪魔させていただいた。 風情があり落ち着く雰囲気のお座敷に通していただき、ショーケースの中に並んだケーキを見ながら食べたいものを選ぶのにとえもわくわくしたのを覚えている。私は友達の一押しであるガトーショコラをいただくことにした。 甘いチョコレートの味が口の中に広がり幸せな気持ちになった。甘いものだから口直しにとお茶まで出していただいた。柳町に行った際はぜひお立ち寄りしてみてはどうだろうか。2024-01-17
39はすみふぁーむ&ワイナリーカフェはすみふぁーむ&ワイナリーカフェ柳町にあるはすみふぁーむ&ワイナリーカフェさんを訪れた。店内は清潔感がありおしゃれな空間だった。私はまだワインを嗜める歳ではないためお食事だけいただいた。 カレーやキッシュ等のメニューがあったが、私はキッシュをいただいた。旬で取れたてのこだわり野菜がふんだんに使われたキッシュのプレートはとても味わい深いものだった。柳町に行かれた際はぜひ立ち寄ってみてはいかがだろうか。2024-01-17
40別所 北向観音別所 北向観音北向観音は別所にあり、昔から厄除観音として地域の人からの信仰を集めた神社である。長野市にある善光寺と向かい合うよう北を向いている様子からその名がついたそう。 私はこの神社をとても素敵だと思うのだが、そこから見える景色のほうにより心を奪われてしまった。すこし高い位置にある神社からは上田の町が一望できるのだ。よく見れば上田駅の方までも見渡すことができる。きれいな空気を吸って、きれいな景色を見て、リフレッシュするのに最適な場所だろう。2024-01-17
41崖沿い・千曲川沿い道路の記録2007崖沿い・千曲川沿い道路の記録20072007/10/25の記録。 上田市・千曲川右岸の岩鼻から坂城町に抜ける県道77号線は、絶壁のような崖沿いに展開していました。一部、崖の崩落などもあり、2007年頃はその修復工事が行われていました。 現在この区間は通行禁止となり、国道18号線がバイパスされて岩鼻の岩盤を貫通するトンネルを抜けて坂城町側につながる安全なルートに代替されました。2024-01-16
42マンホール:松本市マンホール:松本市2009/02/01の記録。 松本市のマンホールの絵柄は松本てまりです。円形のマンホール蓋に円形の松本てまりが大小いくつも重ねて描かれた楽しいデザインになっています。円の中に円を入れ子にしたデザインセンスのよさ。他の市町村のように花や木などをあしらわないシンプルさもセンスがよい。全国に誇るマンホールデザインの傑作ではないかと思います。2024-01-16
43マンホール:御代田町マンホール:御代田町2009/02/06の記録。御代田町のマンホールは中央に町の花「ヤマユリ」を描き、周囲にもヤマユリを配しています。「公下」は公共下水道の略。とてもシンプルなマンホールのデザイン。2024-01-16
44マンホール:小諸市マンホール:小諸市2009/02/06の記録。小諸市のマンホールは小諸城址・懐古園の三の門、背景に浅間山が描かれ、周囲に市の花「コモロスミレ」、市の木「ウメ」が配されています。 もう一つのマンホールには中央に市の花「コモロスミレ」、全体に市の木「ウメ」が配されています。2024-01-16
45大屋駅・旧駅舎の記録大屋駅・旧駅舎の記録2009/02/06の記録。しなの鉄道・大屋駅の旧駅舎は建て替えにより2023年に取り壊されました。過去の駅舎がどのようなものであったのかを私の画像で再現しました。 大屋駅は信越本線開通後の1896年、諏訪地方からの生糸輸送のために、諏訪地方の業者等の請願により新設された駅です。蚕糸王国長野県の蚕糸業の歴史を刻んだ近代化産業遺産です。取り壊し前の駅とその周辺がどのような様子であったのかを画像クリップでもご参照ください。2024-01-16
46曳家工事中の常田館製糸場曳家工事中の常田館製糸場2009/02/03の記録。笠原工業敷地内にある旧常田館製糸場の建物を曳家工事している時の記録です。笠原工業前の道路の拡幅工事に伴い、道路に接する旧常田館製糸場の建物は取り壊されることになっていました。幸いにも建物は曳家することにより取り壊しを免れました。製糸業の貴重な産業遺産であり、オーナーでもある笠原工業の曳家保全の英断により、貴重な産業遺産が残されたことは長く記憶されるべきことと思い、その記録をここに残しておきます。 後にこれらの建造物は国の重要文化財に指定されました。2024-01-16
47軽井沢:日陰に残る雪の痕跡軽井沢:日陰に残る雪の痕跡2009/02/06の軽井沢。雲場池の地面にはうっすらと粉雪をまぶしたように乗っていました。空気は一段と冷たく身が引き締まる思いがします。天気もよく、池沿いの棒杭が地面に影をつくっていたのが印象に残りました。影のところだけ雪が解けず影と同じ形の痕跡となっているのが面白い。軽井沢ならではの光景です。2024-01-16
48炭焼き小屋炭焼き小屋2009/02/07、塩田平にある前山寺付近を訪れた際、あじさい小道の入口にある炭焼き小屋に目がとまりました。昔当たり前だった暮らしの痕跡が少なくなる中、冬の仕事だった炭焼きの小屋の石積みが今も残っているのはたいへん貴重です。2024-01-16
49塩田平で発見、猫瓦では?塩田平で発見、猫瓦では?塩田平の前山寺近くのところでふと目にとまったこの瓦。猫瓦ではないでしょうか? むろんこの地域、旧「西塩田村」も蚕種製造、養蚕は盛んだったわけで、まだまだ猫瓦が残っている可能性があります。 蚕種製造が盛んだった塩尻地区、特に上塩尻に猫瓦が多く残っていますが、塩田平にもあるのですね。昔の画像を何気なく見ていたらパッと目にとまりました。思いがけない発見です。(2009/02/07記録)2024-01-16
50黒坂周平先生像黒坂周平先生像塩田平の前山寺近くに「黒坂周平先生像」が設置されています。黒坂周平先生(1913-2003)の功績をたたえ、平成9年(1997年)「黒坂周平先生頌徳事業発起人」「同実行委員会」が建立したものです。平成7年(1995年)建立の「筆塚之記」もあります。地域史研究に大きな功績を残され、数多くの方々から尊敬を受けたことが伝わってきます。(2009/02/07記録)2024-01-16
51純白の浅間山純白の浅間山毎年、年末年始には茨城に帰省するため、上信越道を上田から茨城に移動するのが恒例でした。そのたびに進行方向左手にある浅間山を眺めることを繰り返し、また同時にその時々の浅間山の景観をデジカメ画像に記録してきました。 そういえば、純白の浅間山を見たことは滅多になかったかもしれないと思い出しました。山頂付近は強風に雪が除かれるため、たいていは雪の下に地肌が見えています。この時のような純白の浅間山はめずらしい!(2006/12/31記録)2024-01-16
52活火山としての浅間山活火山としての浅間山この辺りは小諸から御代田の辺り。浅間サンラインから眺める浅間山。周辺に広がるこの広大な浅間山麓から眺望する浅間山の雄大さもさることながら、上空にたなびくように見える白いものにもご注目を! これは雲ではありません。浅間山の火口から噴き出す煙です。2005年頃は火山活動が少しあり、火口が活性化していました。さすがに活火山ならではの光景です。(2005/05/21記録)2024-01-16
53御代田に迫る浅間山御代田に迫る浅間山浅間山の存在感を最も感じさせるのが御代田町かもしれません。地図を見ると御代田町は南北に細長く、その北端は浅間山の山頂とその峰に接しています。鬼押出から望む雄大な浅間山の見事さとはまた別な浅間山の雄大さを堪能させてくれます。(2023/08/03記録)2024-01-16
54富士山と見まごう浅間山富士山と見まごう浅間山群馬県は群馬県でも前橋付近から望む浅間山はお馴染みの浅間山にあらず。ほぼ富士山です。円錐状の見事な形状。とても浅間山には見えません。前橋周辺の皆様はこれが浅間山の普通の姿と思いこんでいるのではないでしょうか。(2009/12/29記録)2024-01-16
55浅間山の変容? なだらかな稜線浅間山の変容? なだらかな稜線浅間山の見え方の面白さ。上信越道を上田方面から軽井沢方面に移動しています。小諸付近で先ほどまで眼前に現れていた形状のふくよかな肉まんはここに来ると「あれ?どこにあるの?」という感じになります。肉まん形状を特徴づけていた幾本もの縦筋はつい左手の一部に過ぎなかったことがわかりました。その背景になだらかにのびる稜線の美しさ。肉まんがまるで潰れて平板になったかのようです。東側の浅間山から高峰山、湯の丸山、烏帽子岳とパノラマ展開する上信越高原国立公園の山々の疎ら感も実に素晴らしい。ひとつながりになったアルプスとはまるで違い相互独立の山々。(2010/12/31記録)2024-01-16
56浅間山の眺望、肉まん、それともUFO?浅間山の眺望、肉まん、それともUFO?長野県側から見える浅間山の山容は変幻自在。上信越道の小諸市付近から見える浅間山は手前の山の背後に隠れてその頭部のみが見えます。幾筋もある細い谷筋に特徴があります。丸まった異様な物体。まるで肉まんが大自然の中に鎮座しているかのごとく。見方によってはUFOにも見えます。(2010/12/31記録)2024-01-16
57鬼押出から望む浅間山鬼押出から望む浅間山長野県側から見える浅間山の反対側の群馬県側から見た浅間山の眺望。浅間山の全容が裾野まで見通せる浅間山の眺望は雄大です。長野県から見て馴染んだ同じ山とは思えないぐらい。山を見るたび、その見え方は局所的に見える相対的なものに過ぎないことを何よりも実感させてくれます。(2008/07/06の記録)2024-01-16
58眞田神社眞田神社眞田神社は上田城本丸跡に位置していて、真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。なかでも松平家は真田氏、仙石氏のあと、江戸時代の中期から明治時代の廃藩に至るまで、七代で160年以上上田城主であり続けました。そのため、眞田神社は松平(しょうへい)神社と称されていました。 @上田市二の丸1-122024-01-15
59上田の歴史や農民美術を知る!上田の歴史や農民美術を知る!こんにちは。初めましてやまもとと申します。 福井県出身で、せっかく上田市に来たため、上田市の歴史や魅力、農民美術についてを知りたいと考えています。 よろしくお願いいたします! 画像は上田城で撮影したものです。2024-01-13
60公共交通機関でのキャッシュレス化公共交通機関でのキャッシュレス化上田市内の公共交通機関でのキャッシュレス化が進んでいる。日々の生活をより快適にする事業だと思う。上田市の公式HPで調べてみると、10%引きでチャージできるサービスがあるらしい。非常にお得だ。また、決済サービスを選んで支払えるシステムなので、支払いがクレジットカード決済に限定されていない。これは学生にも使いやすいと思われる。2024-01-13
61コミュニティ通貨「もん」コミュニティ通貨「もん」「まちのコイン」という株式会社カヤックが開発した地域の「人と人」や「人とお店」のつながりを生み出す地域通貨を使い、地域の発展などを目的とする実証実験が行われているそうだ。こういった新たな取り組みを行う力が上田にはあるのだと思った。新たな取り組みを、他の地域でも行うには何が必要なのか気になった。2024-01-13
62塩田城跡塩田城跡塩田平の南方にそびえる独鈷山の一支脈である弘法山の北山麓にあり、塩田平を一望できる位置にある。鎌倉時代に北条義政が鎌倉から塩田の地に入ったときに居城として築いたといわれているもの。 現在はあじさいの名所として知られ、6月下旬ごろからの見頃には満開のあじさいを見ることができる。 実際に訪れてみて、山の中腹にあるこの石碑から見る眺めは非常に広大だった。北条氏が当時ここから塩田平を眺めていた風景が浮かんでくるような、そんな景色であった。2024-01-11
63塩野神社塩野神社平安期より続く歴史ある神社で、楼閣造りと呼ばれる二階建ての拝殿が、とても非日常感を感じられる歴史的建造物だ。 周辺は深い森に囲まれ、境内へと入ると、一層神秘的な空間が広がっている。2024-01-11
64千本桜祭り千本桜祭り上田城跡公園で行われる千本桜祭りに行った。 天正11年、真田昌幸により築城された上田城。春には1000本の桜が咲き誇る桜の名所だ。 桜が満開に咲き誇り、春と上田城を同時に楽しめる場所だ。桜の多さに圧巻される。屋台も多く並び、とても賑わっていた。四季のある日本を楽しめるイベントだ。2024-01-09
65日本遺産 北向き観音堂日本遺産 北向き観音堂日本遺産シリーズの講義を通して北向き観音堂を訪れた。 北向観⾳堂は、平安時代初期に慈覚⼤師円仁(えん にん)が開いた霊場。本尊は千⼿観⾳菩薩(せんじゅか んのんぼさつ)。北向きの本堂は全国でもほとんど例 が無く、南向きの善光寺本堂と相対している。「来 世往⽣」を願う善光寺と「両参り」し、ここで「現 世利益」を祈ることで御利益があるとされる。北向観音からまちを一望でき、見晴らしがとても良かった。北向観音堂の裏にある壁一面の苔が美しく、思わず写真を撮ってしまった。2024-01-09
66日本遺産 長福寺銅像菩薩立像日本遺産 長福寺銅像菩薩立像日本遺産シリーズの講義で長福寺銅像菩薩立像を訪れた。 ⻑福寺銅造菩薩⽴像は、⻑福寺「信州夢殿」の本尊。 アルカイックスマイルを特徴とする、像⾼36.7cmの⼩ ⾦銅仏で、7世紀後半の⽩鳳時代の作品と考えられる。 もとは上⾼井郡⼩布施町の旧家に伝わるものだっ たが、昭和13年(1938)に⻑福寺に移された。境内には、平和を願うなかよし地蔵や生まれてこれなかった子どもを供養する水子神社などもあった。長福寺はすごく広々としていて、庭園もきれいだった。今の時期は、植物が枯れていたが春になればきれいな姿が見れるのではないかと感じた。実際に菩薩立像を見ることができず残念だった。2024-01-09
67日本遺産 生島足島神社日本遺産 生島足島神社日本遺産シリーズの講義を通して、生島足島神社に訪れた。 生島足島神社本殿は、生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社。生島大神・足島大神の二柱の神は、日本の真ん中に鎮座して、万物を生み育て、国中を満ち足らしめ給う日本国土の守護神として崇められてきました。実際に訪問した時、七五三やお宮参りで来ていたり、妊婦さんもいて、安産祈願や育成発展の祈願に適した神社なのだと感じた。また、全体の真っ赤な見た目が美しく、神秘的だと感じた。2024-01-09
68家庭メモ ( 『西塩田公報』第45号(1951年1月1日)4頁)家庭メモ ( 『西塩田公報』第45号(1951年1月1日)4頁)この記事では日常生活の豆知識のような内容が書かれていて面白いと感じました。昔はお茶に含まれるカフェインをテインと呼んでいたことも分かります。 この知識を家庭内で知っていれば、食事も気を付けて作ったり食べたりできるでしょう。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1118 『西塩田公報』第45号(1951年1月1日)4頁 2024-01-08
69生活改善に就て (『西塩田時報』第10号(1924年10月1日)2頁)生活改善に就て (『西塩田時報』第10号(1924年10月1日)2頁) 昔の人たちがどのように節約してるのか掲載されています。昔ならではの男女の役割についても書かれています。  現代とは違った節約方法が書かれていて面白いと感じました。生活の仕方までも強制される世の中であったのは現代では考えられません。 ▼この記事は以下から参照できます。 #50『西塩田時報』第10号(1924年10月1日)2頁  2024-01-08
70生島足島神社生島足島神社太古より国土の鎮守と仰がれ、国の真ん中あたりに祀られる大八洲(日本列島)の神、 ”生島大神”と”足島大神”が鎮座している。 歴代の上田城主の北条氏、武田氏、真田氏などからも厚く崇敬されたという。 夏至には東鳥居から朝日が昇り、冬至には西鳥居に夕日が沈む神秘的なスポットでもある。 朱色の立派な建造物(本殿は県宝に指定されている)が印象的だ。 神社とは少し離れた位置にある大鳥居は来訪者の目印となっている。 境内はそこまで広くないので回りやすい。 七五三や神前挙式などに選ばれる神社なので、タイミングが合うとより幸福感を 味わうことのできる場所である。 大地と太陽を結ぶと言われる所以を是非体感しに訪れてみてほしい。2024-01-02
71大雪の上田2017/01/21大雪の上田2017/01/21上田はあまり雪は降りません。この日2017/01/21はめずらしく大雪になりました。まるで雪国。除雪車が除雪している光景には滅多に出会えません! とても貴重な大雪の記録です。2024-01-02
72別所線『真田丸』ラッピング2017/01/05別所線『真田丸』ラッピング2017/01/05NHK大河ドラマで『真田丸』が放送されたのは2016年1月~12月のこと。当時、上田市内には『真田丸』の広報媒体が多数ありました。別所線のラッピング車両もその一つ。2017/01/05の時点ではまだ『真田丸』ラッピング車両が走っていました。2024-01-02
73「生涯備忘録」テンプレートご利用ください「生涯備忘録」テンプレートご利用ください▲「生涯備忘録」テンプレート(Excelファイル) 生まれてからこれまでの間にいつ何があったか、どこへ行ったか、その頃何をしていたか、何を考えていたか、どう成長したかをシームレスに記録できるExcelの「生涯備忘録」テンプレートを公開しました。生まれた日から100歳の誕生日の辺りまで約36,500日のデータ行が入力済です。 ★使い方 上のExcelファイルをダウンロードしてお使いください。1日目の生年月日に自分の生年月日を1980/05/01のように入力します。満100歳までの備忘録テーブルが自動的に作成されます。左半分の項目は自動記述項目です。関数と式が設定されているので値を入力しないでください。右半分の項目に必要事項を入力します。 <自動記述項目> ①日目(生誕日が起算日の連番、生まれてから何日目?) =上セル+1 ②年 =TEXT(F2,2023-12-27
74上田城跡上田城跡真田昌幸によって築かれた上田城。 この城は真田氏が「関ヶ原の戦い」を含む、二度にわたって、徳川の大軍を追い払った実践経験のある城として有名である。 廃城となったが、現在でも本丸と二の丸には土塁、石垣、堀跡がある。 また、本丸の三基の櫓は昔の姿をとどめており、観覧が可能である(有料)。 堀跡の周りを一周できるように道が整備されており、観光しやすい文化財である。 敷地内や周辺には”真田神社”や”市立博物館”、”児童遊園地”などがあるので 歴史の理解を深めたい方や家族連れなど幅広い方々に楽しんでいただけると考える。 上田市では最も有名な文化財であり、観光スポットであるので まだ訪れたことのない方には是非歴史の一部を体感しに出かけてもらいたい。2023-12-26
75長野大学前にあったセブンイレブン2005年前後長野大学前にあったセブンイレブン2005年前後長野大学の前にセブンイレブンがありました。 <写真・上から順に> ①2005/04/27の記録 ②2005/05/18の記録 ③2005/12/15の記録 ④2006/03/29の記録 たまたま私のデジカメ画像に記録されていたものです。大学からは地の利がよく大変重宝しましたが、閉店となってから久しくなります。現在はカーショップに代わっています。 別所線大学前駅周辺、長野大学周辺にはコンビニが数店あり、栄枯盛衰を繰り返しています。セブンイレブン、ファミマ、ローソンなどコンビニ業界の競合も激しいことに加え、大学は夏休み、春休みなどの期間が長く、コンビニを営業するには売り上げが少ない期間が長く続くことも大学前立地のハンディになったのではないでしょうか。 私が当時書いた記事があるのでご紹介します。 ★2023-12-24
76美ヶ原・遠景美ヶ原・遠景千曲川近くから美ヶ原を遠望しています。 深田久弥が日本百名山の一つに挙げた美ヶ原。他の名山と異なり、山頂が尖った山容をしていません。非常に緩やかにわずかに丘になっているように見えるところが山頂です。テレビ塔が何本も立っていることもシンボリックです。山頂にテレビ塔、こんなユニークな山はどこにもありません。山頂のとんがりがない代わりに、これ以上ない山頂の目印となっています。2023-12-24
77りんどうりんどう長野県花りんどうです。濃い青紫色の花びらがこの上なく美しい。 この個体は2013年9月、松本で開催されたサイトウキネンフェスティバルの最終日を飾るGigで来場者に配られたもの。 長野大学の大学祭は長野県のシンボル・りんどうにちなんで「りんどう祭」とネーミングされています。2023-12-23
78旧西塩田小学校校舎(さくら国際高校)2013/11/22旧西塩田小学校校舎(さくら国際高校)2013/11/22さくら国際高校 旧西塩田小学校の校舎は、小津安二郎監督の映画『一人息子』(1936年)でも使われた「絵になる風景」です。その校舎が現在もなお残っています。しかもさくら国際高校の現役の校舎です。2023-12-22
79稲わら焼きの風景2013/10/04稲わら焼きの風景2013/10/04稲わら焼きの風景。収穫の秋、稲刈りが済んだ後の田んぼで普通に見られる光景です。田んぼの稲を焼く風習は昔から連綿と続いていたと思われますが、農業の機械化や地域の都市化が進んだ現代において、ここ塩田平の稲わら焼きの風景はかけがえのないものです。各所に煙が立ち上り、この季節ならではの風情を醸し出しています。2023-12-22
80保明水保明水 保命水と呼ばれるこの井戸は1881(明治14)年に海禅寺の湧き水を地下の木簡で柳町に引いたものである。当時の生活用水、非常用水として利用された。  1922(大正12)年には上田市に上水道が開設されたが、市内には良質な飲料水が少なかったため、町民の負担で修理改修を行い管理されてきた。  それから約30年後の1949(昭和24)年、上田市で全域で断水してしまう事故があった。その際には前肢の水源として活躍した。  現在は生活用水としては利用されず、井戸のみが形として残っている。  信州の水50選にも選ばれるほど水質がきれいで、運が良ければカニがみられるかもしれない。2023-12-21
81水かけ地蔵水かけ地蔵 旧街道でもある柳町商店街の入り口付近にちんまりとたたずむ一体のお地蔵様。すぐ近くにある湧き水を柄杓ですくい、お地蔵様にかけると縁結びのご利益があるようだ。 この湧き水は明治時代初期に海禅寺の境内から柳町まで地中に敷いた木管を流れてくる「保命水」だという。  隣の石碑には江戸時代の俳人である加舎白雄が柳町で詠んだ句が彫られている。白雄は上田藩主の次男である。 「白壁に 百筋あまり 柳かな」2023-12-21
82超誓寺超誓寺 超誓寺は上田市神畑にある浄土宗系の寺院。京都府にある御末寺を総本山としている。御本尊は阿弥陀如来三尊像。  この寺の由来は、大永年間(1520年代)に足利将軍に仕えていた浦和式部大輔が神畑の山中にあった庵に篭り出家し、超誓道俊と名乗ったことから始まる。深く村人に慕われていた道俊であったが、亡くなると庵、尊像共に参拝する人も減り次第に荒れ果ていった。これを悲しんだ村人は永禄11(1568)年の神畑のこの地に、超誓寺を建立した。ちなみに、この年は織田信長が足利義昭を擁して上洛した年でもある。  境内には宗派を超えてお薬師様と親しまれた薬師如来像が安置されているお堂や武田信玄が川中島合戦に祈願したといわれているお堂もある。  寺下駅からも近く参拝は比較的容易。4月頃の夜になると桜の木がライトア2023-12-21
83生島足島神社生島足島神社駅が近く、駐車場も広いため訪れやすく、地域の方々から愛されている神社であると感じた。実際、平日に訪れたにも関わらず、10人以上に参拝客がいて驚いた。2023-12-21
84泥宮大神と上窪池泥宮大神と上窪池 上田市本郷にある泥宮大神は、非常に珍しい泥を御神体とした神社である。古くから泥、つまり大地は稲などの作物を育ててくれる存在として崇められてていた。日本全国様々なものを御神体とする神社があるが、泥をご神体とした神社は多くはない。  本来は生島足島神社が建立された際に、その時の死者の魂を遺すためとして作られた社である。なお、生島足島神社が創建された年代はわかっていないため、この泥宮大神が建てられた時期も不明ということになる。  もともとは「諏訪大明神」という名で呼ばれていたが、1790(寛政2)年、松平定信が幕府の財政を引き締め立て直しを図った時代に「泥宮」の愛称で親しまれるようになった。  この神社の東側には上窪池という溜池があり、私が訪れた際にはサギのような白くて大きな鳥も見られ2023-12-21
85生島足島神社生島足島神社2023年11月に撮影した生島足島神社の鳥居である。 生島足島神社は御神体が「大地」というとても珍しい神社である。鳥居や境内の建物は赤が印象的であり、美しい景観だった。 生島足島神社では毎年夏に祇園祭が行われているという。今年は直接祇園祭を見ることはできなかったが、来年はぜひ訪れてみたい。2023-12-21
86Excelで「生涯備忘録」のすすめExcelで「生涯備忘録」のすすめ生まれてからこれまでの間にいつ何があったか、どこへ行ったか、その頃何をしていたか、何を考えていたか、どう成長したかがシームレスにわかるといい。スマホで撮った画像やビデオやその時にゲットした資料なども紐づけできるといい。 仮に人生100年とすると日数は約36,500日。Excelでデータ作成すると、それがいとも簡単にコントロールできます。そんなことで「生涯備忘録」を作ってみました。誕生日を起算日とし1行=1日で下方向に3万6千行のデータを作ります。カラムは任意で。一番の柱は年月日です。他は全部年月日の属性。 1行目に生誕日を入力。 2行目には数式 =一つ上のセル+1 を書きます。これで日付が1カウントアップします。このセルを下方向コピー(フィル)すると100年人生の日付入力が全て完了します。とても簡単です。 私2023-12-20
87チャイナウ!チャイナウ!12月5日から一週間ほど、中国の雲南省へ行ってきました。というわけで、テーマはチャイナウ!としました。 チャイナ・ナウ。の略です。 帰国して約一週間、疲れからか風邪を引き、中国への色んな振り返りができないまま寝ていましたが、そろそろ思い出が褪せる前に想い出を綴っていきます。 雲南省の中の、昆明・大理・麗江の3か所に行ってきました。上海空港から乗り換えで向かう場所にあり、少数民族で出来ている場所になります。多様性が社会全体の雰囲気であり、その点日本人も浮くことなく受け入れてもらえました。 中国の投稿用に別ページを用意する予定ですが、ひとまず、私の備忘録として、ここに残しておこうと思います。 私の感想:ご飯がめっちゃおいしかった。です(笑) 文化の違いはあれど、ご飯がおいしいのが私に2023-12-18
88糸の町こもろプロジェクト糸の町こもろプロジェクト2023年10月29日に糸の町こもろプロジェクトの講演会に参加してきました。 内容は坂本氏による津軽三味線演奏、鈴木講師による小諸の地下水の解説、餐場家探訪、製糸場跡地めぐりなどを行いました。2023-12-18
89信濃国分寺の瓦信濃国分寺の瓦左に烏天狗、右に天狗をかたどった瓦がありました。 天狗はご存じの方も多いと思いますが一般的に赤い顔、高い鼻、翼を持った神あるいは妖怪です。古くから山間部は異界とされ、そこで発生した様々な現象を天狗によるものだとしていました。 烏天狗は烏のような嘴、翼を持つ神あるいは妖怪です。源義経に剣術を教えたのは鞍馬山の烏天狗と言われています。 どちらも寺に入る邪気から守るために設置されているようです。 こういった魔除けの意味を込めて建築物に生物や神、妖怪などをかたどったものをつくるという文化は非常に興味深いです。信濃国分寺ではこのような「瓦」の形で表現されているのでなかなか珍しいと感じました。調べても詳細は出てこなかったのですが、像などではなく瓦という形をとったのか気になりました。2023-12-17
904年間の大学生活で学んだこと。4年間の大学生活で学んだこと。大学生活最後の後期課程の前川ゼミの振り返りで、9月以降自分が考えたり、見たり、思ったりしたことを書いた。 大学院試のために、時間を割いてきたが、院試のために頑張っていたことが、自分の振り返りになっているとも感じれた。 卒業を前にして、いろいろ自分らしく動いてみたが、まだ「私の考え」で止まってしまっているところが多くあるため、さらに一歩進んで、エビデンスをしっかりとつけて学びの幅が広がるようにしたいと思う。2023-12-15
91論説“一九五六年”の課題(『西塩田公報』第100号(1956年1月1日)1頁)論説“一九五六年”の課題(『西塩田公報』第100号(1956年1月1日)1頁)今年は農業経営のかわりめだから、気を抜いていてはいけないと忠告している。新年一発目の新聞で酒に酔っててもいいが、今後のことをしっかり考えてほしいといわれ、気持ちの引き締まる思いがした。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1327 『西塩田公報』第100号(1956年1月1日)1頁2023-12-14
92おかっぱ頭のすすめおかっぱ頭のすすめまだ小さい女の子の髪型はおかっぱにした方が親が切るとき楽だし、衛生的にもよいと書かれている。2023-12-14
93木造惟仙和尚坐像・木造恵仁和尚坐像木造惟仙和尚坐像・木造恵仁和尚坐像安楽寺の境内の伝芳堂に、惟仙と開山二世幼牛恵仁の等身大の僧侶の「頂相」が並んで祀られている。 没後、お弟子さん達が慕い造立したもの。 安楽寺が鎌倉と同水準の禅宗文化を受容し、「信州の学海」として、 修行僧を多数輩出していたことが分かる貴重な文化財である。 実際に見ると大変造りが細かく、お弟子さん達の腕の良さが伺える。 八角三重塔を参拝する順路の途中に祀られているので一緒にご覧いただきたい。2023-12-14
94安楽寺 八角三重塔安楽寺 八角三重塔安楽寺は信州最古の禅寺。 境内の奥にたたずむ塔は日本で唯一の木造八角塔で、長野県で最初に国宝に指定された。 塔は本来、お釈迦様の遺骨を奉安したものだが、中世以降は特定の人物や戦死者の 供養の建てられたものが多いため、恐らくこの塔も北条氏の供養塔として建てられたものと考えられる。 一見四重塔に見えるのだが、一番下の屋根は「裳階」と言われており、ひさしに相当するので数えないそう。 本堂のある位置から入場料を払い、木々の間に整備された階段を数十段と上っていくと その塔はある。 造りがとにかく細かく、あの湾曲した木はどのようにして切り出したのかと 考えさせられる。 八角ともなると立体的かつ厚さを感じ、圧倒された。 塔に着くまでにかなり階段を上るので ご高齢の方や身体に不自由がある方だと2023-12-14
95前山寺前山寺空海が開き、鎌倉時代に長秀上人が発展させた前山寺。 塩田北条氏の祈願寺となった。 境内に入ると空気感が一気に変わる。 本堂は立派なかやぶき屋根。 三重塔は二層三層にやりかけの部分があるが、不調和が無く「未完成の完成塔」と言われている。 境内内にある鐘は世界観に没入する観光客に時刻を伝える。 山の中にあり、車がないとアクセスが難しいと感じるが、 藤の名所とも言われているので是非一度空気感を味わいに訪れてもらいたい。2023-12-14
96上田市の観光対策上田市の観光対策上田市には上田城があり、春には上田城千本桜まつりが開催されます。ご当地グルメや特産品も販売され飲食スペースで味わったり持ち帰ったりできます。2023-12-14
97上田市の歴史を活かした観光上田市の歴史を活かした観光上田市は歴史に関するものが多く残っており、上田城では 花見や祭りが年に何度か開催されます2023-12-14
98火の元注意火の元注意当時の人々にとって火という存在は生活に必要不可欠なもので、うまく利用していました。しかし家などは木で造られ、燃えやすい環境で暮らしていたの事実です。もちろん火事も起こっていたでしょう。この記事はそんなことに警鐘を鳴らしている記事です。 また個人的には四月が一番火事が多いということがなぜなのか気になりました。 現在とさほど火事の原因に差はないことも分かりました。 当時の人々は火事をどうやって消火していたか気になります。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1260 『西塩田公報』第4号(大正25年12月1日)166頁2023-12-13
99勝利は何処へ勝利は何処へこの記事の特異な点は、謹賀新年のあいさつの記事のすぐ後にあることです。これはあくまで私の推測ですが、あいさつをしている暇などなく、当時日本の世の中で起きていた、いろいろな社会問題を危惧しているのではないかと思います。 さらにこの記事は、自己実現が大事であるという戦時の中であると少し嫌悪的である考えを話しているようにも見え、検閲が厳しかった当時の記事では珍しかったのではと思います。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1260 『西塩田公報』第4号(1924年4月1日)21頁2023-12-12
100学校だより(『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁)学校だより(『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁)アニメなどのイメージから昭和にはおかっぱの女の子がいたというのは想像していたが、ここまで多くの子がおかっぱにしており、学校からもおかっぱが推奨されていたことに驚いた。2023-12-12
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