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1
上田市の活動について
上田市は、これまで地域のために様々な活動をしてきた十思う。それらの活動を切り取ってひとつひとつ紹介していきたいと考えた。 西塩田時報や市のホームページを参照していきたい。
2020-12-21
2
『西塩田時報』第20号(1925年7月1日)2頁
犬に鑑礼をすることを記事にしており、納税人の便宜上各町村長より交付されることが書かれている。少しクスっと笑ってしまった記事であった。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0088.jpg
2020-12-20
3
西塩田時報第4号 大正13年4月1日
村役場の、土木に関する調査の結果や、小学校で入学した生徒の人数などが記載されている。これにより、この時の西塩田の様子や、どれだけの学生が存在していたかを知ることができてとても興味深いと思う。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0022.jpg
2020-12-19
4
卒業生の名簿(『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁)
この記事は西塩田時報に載っていた当時昭和26年3月の卒業生の名前が書かれています。 この記事の面白いところは今では恐らくあり得ないということです。 卒業生の名簿は顔写真が載っていないとしても名前は立派な個人情報です。 今の世の中で例えるならば、新聞にどこの学校を卒業した何組の誰さんと載る訳で様々な親御さんがいる中、このようなことになれば当然のごとくクレームが入るのではないかと思います。 誰でも読むことができる時報に公に個人情報を載せられるのはこの時代だからこそだと思うので、今とは異なるという意味で面白いなと感じました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1124
『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁
2020-12-16
5
思い浮かぶまで『西塩田時報』第109号(1932年12月1日)4頁
この記事はどこか悲しい冬の思いを語られています。 幼いときからの思い出など、冬になると思い出し春が訪れるのを待っています。 ▼この記事は以下から参照できます。 #480
『西塩田時報』第109号(1932年12月1日)4頁
2020-12-15
6
雑草 (『西塩田時報[戦前]』第30号(大正13年12月1日)4頁)
この記事は大正13年12月1日に書かれた記事です。 雑草という題名と季節に惹かれて選びました。12月のはじめという冬の寒さを表しており、水槽の水の色も草の色も変わり冬本番を表した記事になっています。 冬の様子や景色など書かれていてとうじの冬を感じられます。 ▼この記事は以下から参照できます。 #62
『西塩田時報』第13号(1924年12月1日)4頁
2020-12-15
7
家庭心得帖 (『西塩田公報』第69号(1953年6月5日)4頁)
古くなった鏡の手入れや油ビンの洗い方など、日常生活において役立つ様々な情報が書かれている。 また、「ごま汁かけうどん」や「ゆでキャベツのカラシみそ」という美味しそうな料理の作り方まで書かれており、実際に作って食べてみたくなった。非常に読みやすく、家庭に寄り添った記事に興味を持ち採り上げた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1206
『西塩田公報』第69号(1953年6月5日)4頁
2020-12-14
8
ビタミンの話(『西塩田時報』第5号(1946年12月25日)3頁)
ビタミンについて説明している記事である。(一)ビタミンの人体内に於ける役割、(二)ビタミンの種類、(三)主なるビタミンの分布並に缺乏性という3つの小見出しがある。昭和21年12月25日までに見つかっていた主なビタミンの種類や効果が文章や表形式で分かりやすく説明されている。 ビタミンをVと略していることや、昭和21年12月25日までのビタミンについての情報が分かりやすく書かれていて面白いと思ったため、この記事を採り上げた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #973
『西塩田青年団報』第5号(1946年12月25日)3頁
2020-12-14
9
夏の料理『西塩田時報[戦後]』第16号(1948年6月25日)2頁
家庭で作る夏の料理のレシピを紹介した記事。 「いかの桃和え」や「れんこん飯」「エッグのプラントサラダ茄子のサラド」など馴染みのないレシピが紹介されている。 文字を追って工程を想像するだけでも楽しい。 これを参考にすれば昭和の料理を味わうことができるかもしれない。 名前の間違いがペンで直されているのもレアではないだろうか。 ▼この記事は以下から参照できます。
『西塩田時報[戦後]』第16号(1948年6月25日)2頁
2020-12-14
10
入学前の家庭教育に就て(『西塩田時報[戦後]』第1号(1947年1月25日)2頁)
この記事は、親御さん宛に、小学校入学前の子どもに教育しておいてほしいことが書かれている。 親であれば教えているような基本的な内容ではあるが、箇条書きで、マナーから、友達や先生との接し方、家庭での生活に関わることまで、とても細かく書かれていて驚いた。 わたしが小学校に入学するときに「これはできていないとだめ」「せんせいやともだちとはなかよくしなさい」などと教育された覚えがない。当時西塩田地域では記事のように徹底して教育されていたのだろうか。この記事を読んでから、この時代の教育に興味が湧いた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #976
『西塩田時報[戦後]』第1号(1947年1月25日)2頁
2020-12-14
11
吾が村の養蠶業を探る(『西塩田公報』第81号(1954年6月5日)3頁)
私の地元である岡谷市でも蚕業が盛んだったため、この記事に興味を持った。 桑芽が予想外の晩霜のため凍害となったことや、広報部員が飼育所を訪問した際に給桑室から楽しそうな合唱の歌声が流れて来たことなどが書かれており、当時の養蚕業の様子を事細かに知ることができる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1251
『西塩田公報』第81号(1954年6月5日)3頁
2020-12-14
12
禁酒(『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)4頁)
禁酒を勧めている記事である。酒を飲むことで起こる影響が多く書かれている。 一文の終わりが「~ない。」と書かれている文章が多いため、韻を踏んでいるラップ調に見えることと、酒を飲んでだらしなくなった人の様子が想像できるほど、酒による影響が直接的で分かりやすく表現されていて面白いと思ったため、この記事を採り上げた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #4
『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)4頁
2020-12-14
13
緑化運動に寄せて『西塩田時報[戦後]』第14号(1948年4月25日)1頁
緑化運動についての意見が書かれた記事。戦争によって失われた信州の情景の美しさ心の豊かさを説き、気持ちを奮い起こさせている。 『戦いは破壊のみに終つた。』 戦後の景色と人々の思いが伝わってくる最初の一文。 戦後まだ間もない人たちの、緑を、信州を愛する思いに触れ、私たちも今一度、森林問題について関心を向けるべきであると思わせられる。 ▼この記事は以下から参照できます。
『西塩田時報[戦後]』第14号(1948年4月25日)1頁
2020-12-14
14
第一回女性討論會開かる(『西塩田時報[戦後]』第13号(1948年3月25日)3頁)
この記事は、昭和23年3月11日に女性のみが集まって行われた討論会の内容について書かれている。 この記事の面白いところは、当時の女性たちの抱えていた問題や、彼女たちの考えを知ることができるという点である。 特に「結婚上の問題について」という項目から、当時らしい寵愛結婚か見合結婚かという議論や、現代でも増えている結婚の簡略化や結婚費用の問題などについて討論されていたことに対して、興味深く感じられた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1009
『西塩田時報[戦後]』第13号(1948年3月25日)3頁
2020-12-14
15
広告(『西塩田時報』第193号(1939年12月1日)2頁)
1941年に太平洋戦争が開戦することを考えると、まだ随分豊かな広告が流れていたと思い、気になった。誰に向けた広告なのだろうか。 地主が居たことを考えると、その富裕層に向けたものであるかもしれない。戦地の兵隊のためにこれを購入し送るものもいたかもしれない。
2020-12-14
16
皆様と共に(『西塩田青年時報』第1号(1946年8月25日)1頁)
私が気になったのは、この投稿の内容ではなく、この投稿自体に関してである。左下に原稿募集の文字がある。つまり、これは市民投稿によって成り立つ地域誌であるということがわかる。住んでいる人に寄り添った記事作りもさることながら、一緒に作り上げるという意味でこれは非常に有益であると考える。
2020-12-14
17
『西塩田時報』第3号(1923年11月30日)1頁
『弱きものよ、汝の名は農民なり』という題名の、秀三という人の詩のようなものが載せられている。 この詩は、サブタイトルに「~わが農村の人たちへ送る~」とあるように、西塩田の農民の人たちを鼓舞し励ましつつも政府を風刺している。 この記事は、西塩田時報が西塩田の人々に寄り添ったものであることがよくわかる記事で、詩の内容もとてもいい詩だなと感じられるものだった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #9
『西塩田時報』第3号(1923年11月30日)1頁
2020-12-14
18
人間のくひもの(『西塩田時報』第67号(1929年6月1日)4頁)
この記事は「人間のくひもの」という見出しで、恐らく川邊時報を見た人が書いたと思われるものです。 人が食べるものを6つの項目に分けてその特徴と共に書かれています。 この記事では、今で言う五大栄養素のようなものだと思いますが、5番目に「液体をあたへるもの」と書かれているのを見た時に、急に項目の毛色が変わったように感じ面白いなと思いました。 また、最後のそれぞれの項目に当てはめた6つのアドバイスのようなものを見た時には思わずクスッと笑ってしまいました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #294
『西塩田時報』第67号(1929年6月1日)4頁
2020-12-14
19
『西塩田時報』第15号(1925年2月1日)1頁
この記事の主な内容は、補習教育についてである。 現代より前から補習というものがあったことがわかる。 「人間の改良こそ、凡ての改良案の出発点で到着点であらねばなりません。」という文章があり、補習教育がどのような目的であるのか改めて理解できる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #67
『西塩田時報』第15号(1925年2月1日)1頁
2020-12-14
20
西塩田時報
戦後初の創刊。
2020-12-14
21
西塩田時報
配給の欄が存在する。
2020-12-14
22
「西塩田時報」第104号(1956年5月5日)
西塩田時報が廃刊になる最後の刊の、最後のページである。 筆者目線から時報や広報が残ることの意味を考えていて、興味深いものだと思う。
2020-12-14
23
「西塩田時報」戦後 第10号・11号 (1947年11月30日)
日本の敗戦後の復興について語っている。 過ちを認め、反省することで先の未来が待っていると言っていて、マスメディアとして素晴らしいと思った。
2020-12-14
24
『西塩田時報』第3号(1923年11月30日)1頁
『弱きものよ、汝の名は農民なり』という題名の、秀三という人の詩のようなものが載せられている。 この詩は、サブタイトルに「~わが農村の人たちへ送る~」とあるように、西塩田の農民の人たちを鼓舞し励ましつつも政府を風刺している。 この記事は、西塩田時報が西塩田の人々に寄り添ったものであることがよくわかる記事で、詩の内容もとてもいい詩だなと感じられるものだった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #9
『西塩田時報』第3号(1923年11月30日)1頁
2020-12-14
25
祝 成人(『西塩田時報』第78号(1954年2月5日)1貢)
モノクロではあるが成人式の様子として写真が載っていて目にとまった。 日本文化を継承し創造、発展させる責任があることを自覚するように書かれていたり、若い人の元気や良さを失わないようにと書かれている。 今年成人になるので成人としての自覚を持って行動するべきだと感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1231
『西塩田公報』第78号(1954年2月5日)1頁
2020-12-14
26
桑樹栽培法(『西塩田時報』第48号(1927年11月1日)1貢)
蚕都上田と呼ばれるほど蚕業が盛んであった上田であるが、餌となる桑の品質管理の大変さや飼育の苦労さが書かれている。 長野県は春は掃立と呼ばれる附加した蚕を蚕座に移して飼育する作業が遅く、秋は早く寒くなってしまうため成長期間が短い。長ければ長いほど良いため改正する必要がある。 小学校の時に蚕を飼育したことがあるのでこの記事に興味を持った。 ▼この記事は以下から参照できます。 #207
『西塩田時報』第48号(1927年11月1日)1頁
2020-12-14
27
「西塩田時報」第4号(1946年11月25日)1項
日本国憲法が掲載されている。記事の日付からも確認できるだろうが、日本国憲法の公布日は1946年11月3日であるのに対しこの記事は25日の記事だ。つまり当時としてはまだ交付されたばかりの憲法は非常に重要でタイムリーな情報だったのであろうことがわかる。
2020-12-14
28
「西塩田時報」第119号(1933年10月1日)4項
西塩田時報」第119号(1933年10月1日)4項に掲載された記事。中でも「野尻湖遊覧の今昔」という記事は私たちにとっての昔の記事が、その私たちにとっての昔という時系列的な地点から見た昔を考察するという点において非常に面白いものである。
2020-12-14
29
村のトピック (『西塩田公報』第95号(1955年8月5日)4頁)
村のどこで何が行われていたのか、ということはあまり知らないこともあるのではないだろうか。この記事では、村のどこでどんなことがあったのかトピックにまとめられており、分かりやすく知ることができる。 かねてより懸案中だった新型モーターを買ったというトピックもあれば、映画会を行なったり労組県大会に出場といったりした様々な村の様子を知ることができる。中にはユーモアにあふれたトピックもあり、見てみるだけでも面白いのではないかと思う。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1310 『西塩田公報』第95号(1955年8月5日)4頁
2020-12-14
30
民主々義と現代青年の任務(『西塩田時報』第1号(1946年8月25日)3頁)
戦後日本が民主主義を採用することは必然であり、日本独自のデモクラシーを建設して日本の存在意義や世界への貢献としようという記事。 終戦後日本は民主主義国家へとなっていくがアメリカやイギリスの真似ではなく日本独自の天皇を戴く民主主義を建設しなければならないといったような内容が書かれており、国家のアイデンティティというものを考える面白い記事である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #953
『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)3頁
2020-12-14
31
タバコ被害を無くすために(「西塩田時報」第98号(1955年11年5日)1項)
この記事は、タバコの被害に関した記事なのだ。私は、この記事を見て、この時代にもタバコ被害があったということに驚いたからだ。 しかし、このタバコ被害は現代とは少し違く、タバコ栽培と養蚕経営者との問題であった。 時代背景が良くわかる記事でとても面白いと思う。 この記事は以下から参照できます。 #1319
『西塩田公報』第98号(1955年11月5日)1頁
2020-12-14
32
虫牙虫発生と防除法(「西塩田時報」第4号(1946年11月25日)1項
私は、この記事が面白いと思った。この記事には、この時代の農作物情報も載っており、豆牙虫の防除方法まで書いてある。 また、この時代にこの虫のせいで大きな損をしたことも書いてあり、時代背景が良くわかる記事だなと思った。 この記事は以下から参照できます。 #963
『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)1頁
2020-12-14
33
麥の増産に就て(『西塩田時報』第11号(1943年11月10日)1頁)
農會欄での記事。 戦争の影響による食糧不足となっているため、増産させようという内容。 戦争の影響の他に“大東亜戦を勝ち抜く爲にとどんな苦痛も御互に忍んで行きませう。”といった戦争に対する国民の精神をも見て取れる記事であり、大東亜戦争の歴史の一端を知ることができる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #949
『西塩田村公報』第11号(1943年11月10日)1頁
2020-12-14
34
家庭メモ (『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)4頁)
今では衣服にしみを付けてしまったらしみ取りで簡単に取ることができます。しかし、昔の人たちはどうしていたのでしょうか。そのようなことを知ることができるのかこの記事です。 身近にあるもので工夫してどのように生活してきたのか、という家庭の工夫が詰まっています。今の便利になった世の中から見たら、こんなものでこんなことをしていたのかという過去の新たな発見をできる面白い記事なのではないでしょうか。 この家庭メモはしみ取りのほかにも、おいしいイモの食べ方や秋の漬物のレシピなど先人たちの知恵が詰まった記事になっています。いまでも役立つ知恵がたくさん出てくるので、気になるものを探してみるのもいいかもしれません。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1260 『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)4頁
2020-12-14
35
火鉢を圍んで(西塩田時報第4号(1924年4月1日)4頁)
冷 泉という方の「火鉢を圍んで」という作品だと思うが、「幸福な生活・文化生活」について話す二人の会話を記事にしたようなものである。 甲が「幸福な生活・文化生活」についての自分の考えを一方的に話しているようなものであったが、内容も興味深いものであった。また、乙の返答や、最後の会話の終わり部分が面白いなと思った。 ▼この記事は以下から参照できます。 #18
『西塩田時報』第4号(1924年1月1日)4頁
2020-12-14
36
トタン箱育注意要項(『西塩田時報』第127号(1934年6月1日)2頁)
長野県蚕業試験場の試験成績を抜粋し、箱育のメリットやデメリットについてまとめている。 今回選択したものは、蚕の箱育についての記事だが、西塩田時報には、この他にも多くの蚕関連の記事が掲載されており、上田の人々にとって養蚕がいかに大切であったかを感じることができる。 ▼この記事は以下から参照できます。#562
『西塩田時報』第127号(1934年6月1日)2頁
2020-12-14
37
禁酒(西塩田時報第1号(1923年7月1日)4頁)
飲酒している人に対して、飲酒することのデメリット・飲酒している人の特徴などをいくつも挙げ、禁酒をするよう言っているところが面白い。飲酒に対しては、昔も今もあまり変化なく、この記事は現代でも通用すると感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #4
『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)4頁
2020-12-14
38
養狸の将来性と品種の選択について(『西塩田時報』第184号(1939年3月1日)2頁)
養狸という言葉が目に留まった。 毛皮獣の飼育を奨励する記事で、事業を成功させるためには、品種の選択に最も注意を払わなければならないということが書かれている。 毛皮獣飼育が普及した社会的・文化的背景やその終息など、さらに深く掘り下げたくなる記事であると感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。#820
『西塩田時報』第184号(1939年3月1日)2頁
2020-12-14
39
謹んで諸兄の御冥福を祈る(『西塩田時報』第17号(1948年7月25日)3頁)
第二次世界大戦で亡くなった方々の冥福を祈る内容と、国が行った侵略戦争の悔い嘆くと共に平和への道を築くと誓う内容の記事である。また、戦死した上田市に住む人々の名前や死因などが記載されている。 敗北した日本で生き残り、そして戦争の実態を知って悔恨の念を感じながら平和を実現すると心に誓うという凄絶な内容に心を打たれた。 ▼この記事は以下から参照できます。(戦死した方々のリストも以下URLで閲覧可能) #1021
『西塩田時報[戦後]』第17号(1948年7月25日)3頁
2020-12-13
40
君たちは幸福だ(『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)4頁)
ヒコーキという作家か匿名住民が、同年に愛人と心中した有島武郎に影響されて自殺していく若者について語っている。 概要は「信じる人に命まで捧げられる君たちは幸福だ。今まで古い考えを壊していくのが若者であり、文化というやつなのだろう。」という感じなのだが、私には「信じる人に後先考えずに命まで捧げちゃう君たち若者はオメデタイ奴らだな」と皮肉っているように見えた。 このヒコーキという人は様々な記事でこのような皮肉を込めたような記事を書いているので、他の号でも探してみたい。 ▼この記事は以下から確認できます
『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)4頁
2020-12-13
41
禁酒(『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)4頁)
全体がラップ調に感じられるほどテンポが良く、酒を飲むことで起こる様々な弊害を語っていた。最後には禁酒をして、貯金をしよう、と締めくくられるのだが、授業内であったように若者がこのような文章を書いていると思うと、いかに酒で壊れる部分が多く、いかに金銭的余裕がなかったかを伺わせる。 個人的パンチラインは、「ホントに仕様がない仕方がない。一生出世の望みがない。望みがないからやけが出る。~四百四病の其の本も、貧の病の原因も、酒でないとは言はせない。」のあたり。 ▼この記事は以下から確認できます
『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)4頁
2020-12-13
42
産業組合欄(『西塩田時報』第181号(1938年12月12日)2頁)
産業組合からの物価高騰による消費節約を進めるお知らせと、鳥の飼育についてのお知らせが記載された記事である。 記事の中には産卵能力を向上させることのできる餌について書かれており、そんな餌の存在を初めて知ったため、何故産卵能力を向上させることが出来るのか、そのメカニズムについて知りたいと大変興味を持った。 戦前からそんなものがあるということは、現在の養鶏場もこういった特別な餌を用いているかどうか気になったため調べてみたいと思う。 ▼この記事は以下から参照できます。 #806
『西塩田時報』第181号(1938年12月12日)2頁
2020-12-11
43
學校たより(『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)3頁)
保護者の方から小学校児童の体格が良くないといわれたらしく、それに対し学校側が全国平均と比較することで問題ないと回答している記事である。 ここで掲載されている身長・体重・胸囲ともに数字の単位が現在私たちが用いるメートル法とは異なり尺貫法を用いているようだ。以下が私なりに調べて出した数値と現在の全国平均との比較である。 ・身長の単位:分(1分=3.0303㎜) -当時7年生:106㎝(男)105㎝(女) -現在(令和元年)小学1年生:116㎝(男)115㎝(女) ・体重の単位:匁(1匁=3.74g) -当時7年生:17㎏(男)16㎏(女) -現在(令和元年)小学1年生:21㎏(男)20㎏(女) ▼この記事は以下から参照できます。 #7
『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)3頁
2020-12-11
44
皆さん!!風邪に気をつけましょう(『西塩田公報』第102号(1956年3月5日)4頁)
インフルエンザに感染しないように注意を呼び掛ける記事である。当時(昭和31年3月)はまだインフルエンザにかかった人は少ないが寒暖差が激しい春先が危険な時期と明記されている他、インフルエンザ予防について簡単に記されている。 現在は新型コロナウィルスの感染防止のため、日本以外の各国でもマスクを着用する人が増えたが、日本ではマスク着用の習慣が根付いており、感染防止策として以前から広く知られている。当時の西塩田も現在と変わらず、マスク着用が風邪の防止策になると認識されていることに興味を引かれたので、この記事を選んだ。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1338
『西塩田公報』第102号(1956年3月5日)4頁
2020-12-11
45
西塩田時報 第113号
私が二番目に面白いと思ったのはこの記事です。 いもち病について書かれていて、内容としてはイネなどがなってしまう病気とのことでした。 お米は貴重な食料資源だったので当時は新聞の一面を飾るほどの出来事だったのではないかと考えます。
2020-12-10
46
西塩田時報 第107号
私が一番面白いと感じた点は歌のような俳句のようなものが描かれていく事です。秋から冬に移り変わる寒さや機械の力が人間を大きく上回ってしまったことなどその時の感情が手に取るように分かりやすく書かれています。 言い方は違えど現代と思うことはあまり変わらないのだなと感じました。
2020-12-10
47
部落ニュース(『西塩田時報』第132号(1934年11月1日)3頁)
まず目を引いたのは、「部落ニュース」というタイトルである。現代においては差別問題が想起される「部落」という言葉。その言葉が日常の中に生きていた時代の記事ということだ。 タイトルは現代人からすると少し驚くようなものであるが、その中身は今もよく見る、ご近所ニュースといったところである。「○○で工事が行われた」「池に飛び込み人命救助をしたものが表彰された」という内容が続く。 我々を取り巻く社会が変わり、時代が移ろうとも、その中に生きる人々は今も昔も変わらないのだということが感じられた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #585
『西塩田時報』第132号(1934年11月1日)3頁
2020-12-09
48
産業組合で今こそ更正(『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)7頁)
産業組合の推進を、非常に強い語気で訴えている記事である。 「信頼し、協同し、助け合つて前進せよ!」と最初から情熱を感じられる書き出しであるが、産業組合がどのように優れているのか、これまでの社会がどのように不条理であったかということが熱弁されている。強く否定すること、考えを断じてしまうことは現在は「炎上」を恐れ控えられているが、気持ちよく言い切ってしまっている部分にも時代を感じることが出来ると思う。 今では中々見ることの出来ない、執筆者のオピニオンが前面に押し出された記事であったため、興味深く感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #487
『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)7頁
2020-12-09
49
何を意識して暮らすべきか (『西塩田時報』第94号(1931年9月1日)4頁)
この記事では戦前の日本における善良的な意思や美徳について記されている。この記事の面白さは、現代の意識との認識のずれだ。 国家に対しての強い愛国心や服従、また、宗教に対する現代にも通じるであろう考え方など、今との相似点や考えられないような相違といった様相が窺え、非常に興味深い。 この記事から現代思想と戦前の思想を比較してその実態を観察してみると、そこからより深い学習につながるかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #412
『西塩田時報』第94号(1931年9月1日)4頁
2020-12-09
50
抜け切れぬ弊習 村議戦を顧みて (『西塩田時報[戦後]』第5号(1947年5月20日)1頁)
この記事は、地方村初めての民主選挙の不完全性や不足点を列挙しているというものだ。この記事の面白い点は、歴史的な変遷の形を地方の目線から見ているということだ。 選挙制度の整備や選挙運動の問題といった改革直後の甘さを感じさせている点は面白く、また歴史的な目線でも学習になる。女性の候補者の問題も今にも名残を感じる課題として歴史を感じた。 こういった戦後の不安定な状況からいかにして立ち上がっていったのかここからの興味が尽きない素敵な記事である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #989
『西塩田時報[戦後]』第5号(1947年5月20日)1頁
2020-12-09
51
農村の若人に捧ぐ(『西塩田時報』第26号(1926年1月1日)4頁)
この記事は、農村の若人に対して捧げたいことが書かれており、それぞれの段落が「若人よ、」という詩のような始まり方で、若人に投げかけるように書かれている。 今でも若者が重要視されることが多いが、この記事が書かれた当時もやはり若人が注目されているように感じ、そして、若者は村や地域にとっては今も昔もとても大きな存在であると感じられる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #118
『西塩田時報』第26号(1926年1月1日)4頁
2020-12-09
52
公設電話開設に就て(『西塩田時報』第28号(1926年3月1日)1頁)
今では当たり前のように公衆電話がある中で、それもあまり使われなくなり、現代は個々が持つ携帯電話を使用することが多くなった。 しかし、昔は公設電話でさえなく、生活に不便を感じていた村人もいたのではないかということが分かる。 本文には、そんな公設電話開設までの流れや設置してみて思ったことなどが書かれている。 改めて、このような開設があったからこそ今につながっていると思うと、今公衆電話があることは当たり前ではないのではないかと感じる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #123
『西塩田時報』第28号(1926年3月1日)1頁
2020-12-09
53
発刊の辞 (『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)1頁)
『西塩田時報』は西塩田青年団が発行した情報紙である。第1号冒頭の「発刊の辞」で発刊のねらいが述べられている。青年団が年1回発行していた「鉄城」を発展させ、年数回発行の「時報」に発展させたことがわかる。 地域の課題を「深く考え」ること、村民が政治的無関心を脱却し、村の自治にコミットすることの大切さを血気盛んに説いている。 政治的無関心、解決されない課題の山積などは現代と変わりなく、温故知新。むしろここで提起している課題こそ現代の課題であると気づかされる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1
『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)1頁
2020-12-07
54
『西塩田時報』Vol.2(戦後編1946~1956)ページごとの画像
それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 (『西塩田時報』全ての号のページごとの画像リンクHTML記述データは
コチラ
。) #951
『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)1頁
#952
『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)2頁
#953
『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)3頁
#954
『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)4頁
#955
『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁
#956
『西塩田青年団報』第
2020-12-06
55
『西塩田時報』Vol.1(2)(戦前編1933~1943)ページごとの画像
それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 (『西塩田時報』全ての号のページごとの画像リンクHTML記述データは
コチラ
。) #481
『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)1頁
#482
『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)2頁
#483
『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)3頁
#484
『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)4頁
#485
『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)5頁
#486
『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)6頁
2020-12-06
56
『西塩田時報』Vol.1(1)(戦前編1923~1932)ページごとの画像
それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 (『西塩田時報』全ての号のページごとの画像リンクHTML記述データは
コチラ
。) #1
『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)1頁
#2
『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)2頁
#3
『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)3頁
#4
『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)4頁
#5
『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)1頁
#6
『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)2頁
#7
2020-12-06
57
『西塩田時報』Vol.2(戦後編1946~1956年)
『
西塩田時報Vol.2
』(戦後編1946~1956年)
398頁/容量 252MB ダウンロード表示には時間がかかります。 目次からは分割したPDFをダウンロードしていただけます。
<目次> 西塩田村青年団報(1946)第1号~第5号
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11MB 西塩田時報(1947~1948)第1号~第20号
[LINK]
23MB 西塩田時報/公報(1948~1950)第21号~第40号(公報34号~)
2020-11-30
58
『西塩田時報』Vol.1(戦前編1923~1943年)
『
西塩田時報Vol.1
』(戦前編1923~1943年)
918頁/容量 371MB ダウンロード表示には時間がかかります。 目次からは分割したPDFをダウンロードしていただけます。
<目次> 縮刷版・巻頭頁
[LINK]
7MB 西塩田時報(1923~)第1号~第20号
[LINK]
41MB 西塩田時報(1925~)第21号~第40号
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2020-11-23
59
蚕都上田まちあるき2009(1)~西塩田・別所編~
【日時】 2009年9月19日(土) 【ルート】 上田駅温泉口→飯沼(高札場跡、郷蔵、飯沼公民館、古文書保管庫)→カネタの煙突→近代工業百年記念公園→丸子郷土博物館→丸子公園(依水館で昼食)→大屋駅(石碑)→上田駅温泉口 〈内容〉 かつて製糸業のまちとして活況を呈した旧丸子町を中心にまちあるきを行った。飯沼では、幕末・明治期に横浜貿易で活躍した生糸商人の足跡をたどる。その後、器械製糸工場で発展した丸子の史跡・歴史をめぐる。 〈案内人〉 阿部勇氏(上田歴史研究会代表、上田飯沼史学会会員、上田教育委員会) 奥村栄邦氏(上田飯沼史学会会長) 〈制作〉 企画・制
2020-05-24
60
西塩田小、新旧
旧西塩田小学校は現在、さくら国際高校に。今はめずらしい木造校舎の佇まいが実にいい。かつて小津安二郎の映画『一人息子』(1936年)に挿入されたのがこの学校の風景です。その面影は今もあります。 手塚の集落の奥まったところに「日就学校跡」「西塩田小学校跡」を発見。石垣があり、その上が平坦な広い敷地。学校だった面影があります。 西塩田小は最初はこの跡地にあり、後にさくら国際高校の敷地に移り、さらに塩田小学校に移りました。
2020-04-22
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