授業で西塩田時報を斜め読みした際に、「ビタミンの話」という記事に目がとまり、当時の人々の健康状態と関連付けて記事を一つ書いた。
せっかくならばさらにしっかり読み、かつての上田の食生活のことを知りたいと思った。
西塩田時報に改めて目を通し、「西塩田時報に見る食生活」というテーマで、特に工夫を感じたものや時代の流れを感じたものなどを数記事紹介する。
▼資料出典元
#1 『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)1頁
『西塩田時報』第1号が1923年7月1日に発行されてから8年4ヶ月、記念すべき初掲載レシピは、たくあんであった。
漬け込みの方法、その際の注意点、美味しい大根の選び方などが記載されている。
7ヶ月以上の保存を想定した「から漬け」では、塩を一度に三升(約5.67kg)も使ったという。さぞ塩からくて保存のきくたくあんだったことだろう。
▼資料出典元
#420 『西塩田時報』第96号(1931年11月1日)4頁
第169号(1937年12月25日)の辺りから急に戦争ムードに突入し、「戦線」「陸軍」「兵隊さん」などととてもレシピどころではない言葉が並んでいた『西塩田時報』であったが、その中に一つほっこりする記事を一つ見つけた。
「尋二西」とあること、この記事が小学校便りであることから、おそらく書き手は10歳以下であろう。そんな子供が、母の頼みを聞いて、妹と思われる「やい子」と一緒にご飯を炊き、茹でたとうもろこしを妹と二人で食べるという内容である。
発行された当時にも、この記事を読んで心が癒された人は多かっただろう。
▼資料出典元
#792 『西塩田時報』第178号(1938年9月10日)2頁
見出しに惹かれ読むと、想像より重い内容であった。私の本来のテーマからは少しばかり脱線しているかもしれないが、紹介させていただく。
敗戦にからめ、「武士は食わねど高楊枝」「腹が減っては戦ができぬ」といういわば真逆ともいえる二つのことわざに言及し、食の大切さを語る。
人間らしさとは何かを問うこの文章からは何とも言えない悲壮感が伝わってくる。敗戦後1年3ヶ月ほど経過した段階では、相変わらぬ絶望感がまだ日本中に漂っていたのだろう。
▼資料出典元
#964 『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)2頁
シチュー、カレー、うどん。これら3つはどれも、現在でも親しまれている、冬にぴったりな料理である。しかしレシピの内容を見てみると、シチューでは鮭のかわり、カレーでは肉のかわりにイナゴやサナギを使うという。
一方の南瓜うどんの項には「暖かい変った野菜ウドンができて面白い」とあるが、魚や肉の代わりとしてイナゴやサナギを用いていたことの方が、文化として余程興味深いと感じた。
▼資料出典元
#1074 『西塩田時報[戦後]』第33号(1949年12月20日)4頁
食生活に関する記事を探すことを主眼に置いて西塩田時報を最後まで読んでみたが、探していたジャンル以外の記事であっても、少し目を通してみると案外面白く感じる言い回しなどが見つかり、意外と楽しく読めた。
また、通して読んだことによる発見として、戦前の記事では栽培法や家畜の育て方についてのものが多く、レシピは漬物などシンプルなものばかりであったが、戦後の記事ではそれらに加えて多少凝ったレシピについての記事もみられるようになった。
それまでは日持ちさせるための工夫であったレシピが、時代とともにさらに幅広い食事を楽しむためのものに変化していったことの表れだろうか。
掲載されている中には現在でも食べられているようなレシピもあったが、当時の人々がみな、時報に掲載されているような十分な食事を摂れていたわけではないと思う。
別の機会があれば、時報には掲載されないような食事はどういったものであったかについても調べてみたい。
▼資料出典元
#1346 『西塩田公報』第104号(1956年5月5日)4頁