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登録リスト(該当:25件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
信濃国分寺
太陽が登る場所、信濃国分寺 しなの鉄道の信濃国分寺駅から雰囲気のある道を歩いてたどり着きます。
2024-02-13
2
信濃国分寺
信濃国分寺は、天平13年の国分寺建立の詔により、上田に建てられた。信濃国分寺は、承平8年に平将門と平貞盛の戦いで焼失した歴史がある。上田地域の雨が少なく太陽が出る気候も国分寺の建設地に選ばれた理由の一つとされている。
2024-02-11
3
信濃国分寺跡
信濃国分寺跡は、平将門の乱により消失した当時の国分寺が立っていたとされる場所である。昭和38年から46年にかけて行われた7回の発掘調査では、僧寺や尼寺が並ぶ伽藍配置と瓦、陶器などの遺物が発掘されている。全国の国分寺においても僧寺と尼寺が近接して建設されることは稀であり、10世紀頃の国分寺衰退の痕跡も確認できるなど歴史的価値の大きい遺産である。現在は、史跡公園として整備されている。 上田市が地元でありながら国分寺跡まで、足を延ばす機会がなかった。行くことがあっても道路沿いまでで、線路を挟んだ向こうにも続いていることを知らず驚いた。併設されている信濃国分寺資料館では、発掘時の釘や瓦を見ることができ当時の歴史を知ることができる。また、安楽寺八角三重塔の模型もあり細部まで構造を確認するこ
2024-01-30
4
石造多宝塔
信濃国分寺石造多宝塔は、現在の多宝塔は屋根や塔身の一部に窪みがみられる。これは、削り取った粉を飲むと「病気が治る」や「お守りとするとよい」などの信仰から、民衆が削り取ったものとされる。各部の様式、手法などから鎌倉時代の造立と推定される。全国的にも石造による多宝塔は少ないが、上田市には常楽寺含め二つの多宝塔が現存しており貴重なものである。 三重塔などなどの複数の歴史的価値のある建物が存在していることは知っていたが、その細部まで見ることは無かった。国分寺と共に一体感や壮大さを体感でき、良い経験となった。平日に行ったため、人が少なくゆっくり見ることができ良かった
2024-01-30
5
信濃国分寺
信濃国分寺は、741年に発せられた国分寺建立の詔により建立された。当時の国分寺は、平将門の乱において消失したと伝えられており、この事件を機に現在の位置に再建されたとされている。現在の信濃国分寺は天台宗の寺院で、本尊は薬師如来である。境内は天平の伽藍の北側、⼀段高い場所にかつての僧寺と主軸線を合わせて整備されている。 信濃国分寺には、八日堂縁日に際に行くのがほとんどで行く機会はなかった。縁日の際に行くため、人が多く境内をしっかり見たことが無かった。本堂のほか石造多宝塔や三重塔など、多くの歴史的価値がある建物が残る場所であると理解できた。
2024-01-30
6
信濃国分寺三重塔
寺伝では、1197年に源頼朝が善光寺参詣の掃途、寺の製退を憂い、塔の復興を命じたといわれている。 建築様式から、室町時代に建立されたものと推定される。 「和様」の外観で落ち着いた雰囲気がある。 本堂の隣に建てられており、三重塔なので高く迫力がある。
2024-01-28
7
信濃国分寺本堂
信濃国分寺本堂は、天台宗の寺院で、本堂は薬師寺と呼ばれる。 県宝に指定されている。「国やすらかに人たのしみ、災いをのぞき福いたる」という聖武天皇の741年の勅願により建てられた。 しなの鉄道の信濃国分寺駅から徒歩5分で行くことができる。 秋の紅葉が綺麗な時期に行くのがおすすめである。
2024-01-28
8
信濃国分寺
信濃国分寺は奈良時代に建立された寺であり長い歴史を持ちます。三重塔は国の重要文化財に指定されています。 1月には500年以上続いている伝統行事である「八日堂縁日」があり、多くの人でにぎわいます。八日堂縁日では、疫病や災難を避けて福を招くといわれる護符である蘇民将来符を手に入れることができます。
2024-01-25
9
信濃国分寺・三重塔
信濃国分寺は、薬師如来を安置する本堂をはじめとした堂塔伽藍がそろい、1月8日の縁日にちなんだ「八日堂のお薬師さん」の名で近在の信仰を集めている。 そして信濃国分寺三重塔は、日本遺産に登録されており建久8(1197)年に源頼朝が善光寺参詣の帰途、寺の衰退を憂い、塔の復興を命じた。建築様式は、「和様」の外観となっている。
2024-01-25
10
信濃国分寺三重塔
寺伝では1197年に源頼朝が善光寺参詣の帰途、寺の衰退を憂い、塔の復興を命じたという。建築様式から、室町時代に建立されたものと推定され、「和様」の外観は堂々と落ち着いた雰囲気を呈している。 周りに住宅や道路が多くあったが、生島足島神社と違って信濃国分寺は、お寺に近づくにつれ景観が古風になり、落ち着いたものになっているように感じた。生島足島神社も地域に根差している神社だが、信濃国分寺は上記のような繋がりで町と調和していたように感じた。
2024-01-25
11
安楽寺八角三重塔
安楽寺八角三重塔は、中国から伝わった「禅宗様」で造られた、現存する日本唯一の木造八角三重塔で、長野県の「国宝第一号」である。かつては「四重塔」とされていた。禅宗寺院であるにも関わらず一層内部に大日如来像が安置されている。 周囲を緑に囲まれ、落ち着いた雰囲気を感じさせていた。周りに住宅や道路のある、生島足島神社や信濃国分寺とは違い、周りにそのようなものが比較的少ないため、より落ち着いた雰囲気に感じたのだと思った。
2024-01-25
12
信濃国分寺
信濃国分寺本堂は文永12年に起工、万延元年に竣工され、彫刻・絵様は江戸時代末期の特徴が表れている。住宅街の中にあり、訪問した時は人があまりおらず静かな雰囲気だった。思っていたよりも大きく立派で本堂だけでなく周りの石畳や石造からも歴史を感じた。三重塔の前には紅葉が見られ、とても映えていた。上田地域の、雨が少なく太陽が出る気候も国分寺の建設地に選ばれた理由のひとつと考えられる。日本遺産のストーリーにある「太陽」というワードに関連する文化財であると考える。
2024-01-25
13
信濃国分寺の瓦
左に烏天狗、右に天狗をかたどった瓦がありました。 天狗はご存じの方も多いと思いますが一般的に赤い顔、高い鼻、翼を持った神あるいは妖怪です。古くから山間部は異界とされ、そこで発生した様々な現象を天狗によるものだとしていました。 烏天狗は烏のような嘴、翼を持つ神あるいは妖怪です。源義経に剣術を教えたのは鞍馬山の烏天狗と言われています。 どちらも寺に入る邪気から守るために設置されているようです。 こういった魔除けの意味を込めて建築物に生物や神、妖怪などをかたどったものをつくるという文化は非常に興味深いです。信濃国分寺ではこのような「瓦」の形で表現されているのでなかなか珍しいと感じました。調べても詳細は出てこなかったのですが、像などではなく瓦という形をとったのか気になりました。
2023-12-17
14
中井遺跡
田地にある遺跡。 発掘された出土品は信濃国分寺資料館にあるようです。
2023-11-30
15
信濃国分寺
寺伝では、1197年に源頼朝が善光寺参拝の帰りに寺の衰退を憂い、塔の復興を命じたとされている。建築様式から室町時代に建立されたと推測され、「和様」の外観をしている。第一層の大日如来が安置されている仏壇の鏡天井を囲む「如意頭文」は「禅宗様」の建物で用いられているものである。 駐車場が境内のすぐ側にあったが、そこまでの道が細く、車では少し通りにくいと感じた。境内の周りの民家も雰囲気あるつくりの家が多く、地域になじんでいる印象であった。境内の中には、小さな寺院が多くあったが、本堂とのつながりがあまりよく分からなかったので、どのような関連性があるのか説明が欲しいと感じた。 信濃国分寺の建立は推定室町中期で、昭和7年から解体修理が行われた。その時に、三重塔古心柱も取り換えが行われ、その柱が
2023-11-30
16
信濃国分寺
信濃国分寺は、奈良時代に建てられました。 境内にある三重塔は、現存する国分寺の塔の中で最も古いものです。 信濃国分寺は静かな感じで、歴史だけでなく自然も感じられる場所です。
2023-11-26
17
信濃国分寺史跡公園
国分寺史跡公園は実は国分寺の遺構を埋め戻して作られた。 5,5ヘクタールもある。写真を撮り忘れてしまったが信濃国分寺にも訪れた。 信濃国分寺は聖武天皇の勅願によって741年に建てられたとても歴史のあるお寺。 信濃国分寺は薬師如来を安置する本堂をはじめとした堂塔伽藍がそろっている。縁日も開かれており人や屋台でにぎわっていた。その他にも節分などの行事も開かれていて多くの人が訪れている。 三重塔は国指定の重要文化財にもなっている。 信濃国分寺は信濃の国の鎮国道場だった。 歴史が深く三重塔などは江戸末期のものとされている。 蘇民将来のお守りは家々の息災安穏と繁栄を願う。
2023-11-21
18
1信濃国分寺(重要文化財)
奈良時代に建立された天台宗の寺院。承平の乱で燃えてなくなってしまったが室町時代に今の場所に再建された。蘇民将来符という疫病や災難を避けて福を招くといわれる護符 が有名で、正月の縁日にのみ手に入れることができる。 お寺は無料で参拝することができるが、信濃国分寺資料館は小中学性60円、学生180円、一般250円の入館料が必要。
2023-07-27
19
上田自由大学を彷彿させる旧山越脩蔵宅
1921年、上田で「信濃自由大学」(後に上田自由大学)が始まってから約100年が経過しました。当時の神川村の青年だった山越脩蔵、金井正らが始めた上田自由大学は「学ぶとは何か」「自由とは何か」といった時代を超えた根源的な問いかけを現代に対しても投げかけています。 今日8/23、たまたま信濃国分寺の周辺を訪れました。上田自由大学の主要メンバーの一人、山越脩蔵(1894-1990)の生家が現在も残っています。その屋敷の広大さは外塀の大きさからもうかがい知れます。しっかりと綺麗に保全されていることに感心をしました。道路側から見える手前は増築された建物。山越脩蔵が暮らしていた時代の母屋はその奥にあります。 現在はバックパッカーが宿泊できる宿として運営されていることを知りました。歴史的な建造物をこのような形で保全・
2022-08-23
20
信濃国分寺 三重塔
室町期の建築様式で、外部は和様を主とした和唐折衷様式、内部は純唐様式です。高さは約20メートルで、国の重要文化財に指定されています。
2020-07-13
21
信濃国分寺 本堂
この本堂(薬師堂)は江戸末期の建造で、東北信では善光寺につぐ規模だそうです。長野県の県宝にも指定されていることもあり、見応え抜群でした。
2020-07-13
22
信濃国分寺仁王門
国道18号線に面した信濃国分寺へいざなうシンボルで、昭和53年の建立だが、江戸期の仁王像を安置しています。
2020-07-13
23
生島足島神社 山宮社
東山の麓から、10分ほどなだらかな山道を登っていくと、密やかに生島足島神社の山宮社があります。 ここは、生島足島神ではなく諏訪大社の神様を祀ってあるらしく、山中に山宮社を置くことで、里にある生島足島神社との間に、山と里でエネルギー循環が起きることを意図したようです。 神道では、万物に神々の意識が宿るとする「八百万の神」の思想を大切にしていますが、昔の人は、自然に対して畏敬の念を抱き、山に神聖なものを見出していたのですね。 この山宮社は、先日、日本遺産に認定されたレイライン(生島足島神社〜信濃国分寺へと続く光の筋)の中心に位置します。 皆さん、ぜひ、行かれてみてください!
2020-06-29
24
信濃国分寺跡地
信濃国分寺跡地。 藤の花が美しく、季節によって様々な顔を見せてくれる。
2020-05-23
25
信濃国分寺
歴史の長いお寺。 1月8日には八日堂縁日が行われる。
2020-05-23
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