突然ですが、皆さんは銭湯に行ったことはありますか?
銭湯というと、富士山の壁画が描かれた、東京の大きな下町銭湯を思い浮かべる人が多いと思います。ここでいう銭湯とは、法律で定められた一般公衆浴場のことです。
ここ上田市にも、地域に根付いた街のお風呂屋さん、銭湯が2軒あります。ですが最盛期には、なんと24軒もの銭湯がありました。昔は市街地ではお風呂のある家庭は一般的ではなく、農村部のお百姓さんの家、どこかの大富豪の社長さんの家など、限られた家庭にしかありませんでした。そこで、「浴場業(銭湯)」という一つの業種が確立されたんですね。今回はこれまでの調査のまとめとして、「銭湯の分布から見る地域の考察」を題として、上田市の銭湯の現状とともに記していきます。
◎上田市の銭湯の現状
下に上田市の銭湯軒数の遷移をあらわした。銭湯の最盛期は一般に戦後と戦前の二回あるとされているが、戦前の正確なデータは入手できなかったため、戦後である昭和7年の24軒を最盛期として捉える。24軒あった銭湯は年代が経過するにつれ減少していき、平成24年に中央3丁目(松原町)の「竹の湯」廃業後、現在は常田3丁目(日の出町)の「宮桜の湯」と中央4丁目(柳町)の「柳の湯」の2軒(写真1)のみが営業中である。今回この2軒の銭湯に2022年10月から2024年1月にかけて数回入浴し、そのうち協力を得られた「宮桜の湯」を対象として聞き取り調査をおこなった。
・上田市銭湯軒数の推移
年 西暦 軒数 備考
昭和7年 1932 24
昭和27年 1952 21
昭和60年 1985 16 島の湯(1986)廃業
平成7年 1996 10 みどりの湯(1990)・棗の湯(1992)廃業
平成12年 2000 5
平成14年 2002 4 だるまの湯廃業(2000~2002)
平成19年 2007 3 浮世の湯廃業
平成24年 2012 2 竹の湯廃業
(昭和7年、平成14年、平成19年のデータは「鎌原の歴史」から、昭和27年、昭和60年、平成7年、平成12年のデータは「史的ニ上田」から、平成24年のデータは聞き取り調査による)
「宮桜の湯」は、1905(明治38)年頃創業の100年以上続く上田市で一番古い銭湯である。信州大学繊維学部正門の近傍にあり、営業時間は15時から22時、定休日は月曜日で燃料は廃木材を使用している。薬湯として、1月1日にはレモン風呂、6月5日には菖蒲湯(多くの銭湯では5月5日に菖蒲湯を実施するが、菖蒲を入手する関係で1ヶ月遅く実施)、12月22日(冬至)には柚子湯、同じく12月中にはりんご風呂を実施している。「柳の湯」は、昭和初期創業の銭湯である。上田駅前の目抜き通りを北上した柳町の矢出沢川沿いにあり、営業時間は15時から20時、定休日は金曜日で燃料は重油を使用している。上田市では毎月26日を「風呂の日」として、利用促進のために補助金を出しこの2浴場を無料で開放している。2012年3月31日まで営業していた松原町の「竹の湯」は、営業当時から番台を高座に見立て「銭湯寄席」などの多くのイベントをしていたが、廃業後の今もイベント会場として利用されている。イベントの際に入場したが、営業当時の面影を強く残しており、往時の銭湯の特徴を見ることができる。
◎銭湯の分布から見る地域の考察
上田市街地の銭湯の分布(最盛期)を先投稿に示した「史的ニ上田」を参考として、GISアプリを使用し国土地理院の地理院地図にプロットした(青印は営業中、赤印は廃業)。
これを見ると、上田駅北側の海野町に代表されるような中心市街地や、三好町や北国街道沿いの地区の中心市街地から少し外れた地域にまとまった銭湯の分布があることが分かる。「みどりの湯」や「丸の湯」といった銭湯は新興住宅街に位置しており、団地や住宅街の建設によって需要が増加し設置に至ったと推測できる。「宮桜の湯」経営者への聞き込みによれば、銭湯が営業していくためには①継続的な利用者がいること、②後継者がいること、の二点であると話していた。①について、『史的ニ上田』に掲載されていた5軒の銭湯のうち、松原町の「竹の湯」を除く銭湯はすべて中心市街地から少し外れた場所に位置していた。「だるまの湯」のあった川原柳や、特に北国街道沿いの柳町、紺屋町、鎌原などは古くからの風呂なし一戸建て住宅が多く存在しており、そういった点で比較的近年まで残っていたようである。しかし最近はそうした風呂なし住宅で生活する人物の高齢化やデイサービスの利用により利用者が減少し、現在営業中の「柳の湯」でもお客さんがめっきり少なくなったと話していた。一方で中心市街地に位置していた銭湯は、古くからの住宅が取り壊されビル等が立ち再開発がおこなわれたことで、日常的な利用者の減少に歯止めがかからなかったようである。つまり、駅に近接していることは銭湯の存続にとってあまり影響しないということがこの例から読み取れる。また②について、『史的ニ上田』に掲載されていた5軒の銭湯のうち、後継者がいたのが「竹の湯」「宮桜の湯」「柳の湯」であることが聞き取り調査で判明した。「だるまの湯」では息子さんがいたものの別職に、「浮世の湯」では娘さんしかいなかったことから後継者がいなかったようである。残った3軒は早い段階で引き継いだことですぐには廃業の危機にさらされなかった。「竹の湯」はその後息子さんが別職についたためやむなく廃業した。現在は柳の湯には後継者はおらず、現経営者の引退後は廃業してしまう可能性が高い。「宮桜の湯」の現経営者は、「私たちの銭湯は後継者がいたからたまたま残っていただけで、とっくにやめていたかもしれない」と話していた。
これらの聞き取り調査や銭湯の分布から、海野町などの市街地では近年空洞化が進み一戸建て住宅の戸数が減少していること、少し外れた市街地である旧北国街道沿いでは高齢者が増加していることなどが考察できる。
いかがでしたでしょうか。銭湯は今や「地域住民の公衆衛生を支える」という保健衛生的役割から、「生活を寄り豊かなものにする」という娯楽的役割が強くなっています。こうした銭湯を、いかに「常連さん」や「銭湯ファン」だけのものにさせないかが今後の銭湯の命運を握っていると私は思います。近年失われつつある「地域の個性」を、自営業の店、ここでは「銭湯」をテーマとして扱い、その存在の重要性を説いてきました。銭湯の歴史を知り、そこから地域を知り、地域について考える、「手段」のひとつであると思っています。これからもこの調査は続きますが、ひとつのまとめとして今回は語らせていただきました。皆さんも、身近なところにあるものを、視点を変えて見つめ直すことをおすすめします!
地区コード | 上田地域(上田市) |
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管理番号 | 5 |
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カテゴリ名 | 地域めぐり・まちあるき |
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