長野県の中でなぜ上田市が蚕都で有名なのか

日付:1/26 作成者:かい

蚕都上田を調べるために、笠原組常田館製糸所・上田蚕種協業組合・常田館資料館へ行った。その中で、製糸業が上田に進出した時期やなぜ上田であったのかを資料や上田蚕種協業組合のホームページなどを見て上田市が蚕都で栄えた理由を理解することができた。詳しくは記事の説明欄に書いてあるが、上田市は年間降水量が少ない扇状地が存在する盆地であったため栄えたことを理解した。歴史としても長野県で最も早く、蚕種の改良と歩桑による種繭の生産によるものが大きい。この上田市の蚕種の歴史は、上田紬として引き継がれている。上田駅には上田紬がお土産売り場に売られており、商品はどれも味のあるもので、歴史を続けていくだけでなく蚕都上田を全国に発信できると感じた。今まで蚕種業については興味がなかったが、最低でも4年間生活する上田市が蚕種で有名ということを知り、この講義で設けられた課題のためだけでなく、図書館や資料館を回り知識を増やしていきたいと考えた。上田市が蚕種業で盛んであるということを、上田市で暮らす大学生の私たちが全国にアピールしていきたいと感じた。

★クリップ

笠原組常田館製糸所

笠原組常田館製糸所

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明治11年諏訪岡谷で笠原組が製糸業を始め、明治33年に上田へ進出した。


五階鉄筋繭倉庫

五階鉄筋繭倉庫

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長野県内に現存する最古の鉄筋コンクリート造五階建て建築物である。大正14年10月に旧倉庫が出火全焼したため、当時の技術を集結し建て替えられた。


上田蚕種協業組合

上田蚕種協業組合

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養蚕が盛んだった上田盆地は、千曲川とその支流が作る扇状地や河岸段丘が発達し、桑の栽培適地であった。年間降水量が少ないことも蚕の飼育に適していたため、上田盆地は春蚕の産地であった。


常田館資料室

常田館資料室

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長野県での蚕種製造の歴史は上田地方が最も早く、藤本善右衛門家によって寛文の時代に始められたとされている。はじめ奥州産蚕種を仕入れ販売していたものが、次第に奥州へ出向き蚕種製造をするようになり、自家製造へ発展し全国へと販路を広げていった。上田地方が日本一の蚕種製造地帯となった背景としては、蚕種の改良と歩桑による種繭の生産によるものである。


上田紬

上田紬

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上田駅のお土産コーナーに上田紬が売られているコーナーがある。現代の人でも使いやすいようなものになっており、お土産に丁度良いものとなっている。上田が蚕種で有名な所をアピールするポイントとなっているに違いない。


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