上田市の芸術文化のひとつととして山本鼎と農民美術ついて調べた。また、近代建築として旧上田市立図書館と飯島商店を調べてまとめた。
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上田市立博物館 山本鼎コレクション
上田市立博物館(サントミューゼ)の常設展示、山本鼎コレクションを訪れた。上田に来るまで山本鼎のことを知らなかったが、信州上田学を通して学んだり、コレクションを実際に見たことで様々なことを知ることができた。
まず一つ目に、山本は農民美術を確立させた人物だということだ。上田市立美術館には実際の工芸品の図面や完成品を展示しており、細部まで見ることができた。農民への教育や独動的な作品作りの過程を知ることができてとても興味深かった。
山本が多く残したものとして版画があった。また、油絵も残されている。展示場の壁によって飾られている作品のジャンルが異なり、一人の人物の展示場とは思えないほど多様で魅力的な作品を見ることができた。

この作品は1920年に発表された、山本鼎の代表的な版画作品である。
彼は10代のほとんどを木版工房で過ごし、その後創作版画家として注目を集めるようになった。プルトンヌとはフランスのブルターニュ地方の女性のことで,フランス留学をしていた際、山本は田舎びたつつましやかな若いブルターニュの女性を,大きくモニュメンタルに描いている。
帰国後は農便美術運動の活動が本格化し、この「ブルトンヌ」以降、版画の制作をほぼやめてしまったという。

山本鼎は、1919(大正8)年の暮れに神川小学校の一室を借りて「農民美術練習所」を開所する。農閑期に行われたこの講習は、男性は主に木彫を、女性は主に刺繍や染織などを行うもので、彫刻家などが講師を担当していた。
農民美術にとってデザインは最も重要な要素として早くから意識され、自然の草花使って構成の学習を行い、クッションやテーブル掛け、木箱や鉢などのデザインの発案を行っていた。
(参考、写真:サントミューゼHP)

旧上田市立図書館は、大正2年(1913)に、上田男子小学校同窓会が一般市民の寄付を集め、同4年に明治記念館として建設したものだ。
建物の外観は、明治期の建築にはみられない新しい表現を取っており、長野県を代表する大正期の近代建築といえる。流れるような自由曲線を特徴とするアール・ヌーヴォーの影響をとどめる建築は県内では少ない。旧上田市立図書館の場合はマンサード屋根の曲線や長楕円形の装飾などからドイツ系のアール・ヌーヴォーの影響を受けた建築と考えられる。
(参考、写真:上田市デジタルアーカイブポータルサイト)

飯島商店は、みすゞ飴本舗として今も上田駅前で営業をしている。
店舗棟は大正13年の木造建築で、外壁に「石目地」と呼ばれる表面をざらざらに仕上げる壁塗りをしているため、まるで石造りの建物のように見える。石目地造りの店舗棟は、和洋折衷の時代だった大正モダニズムをよく表してる。
昭和中期になり、道路拡幅と同時に進められた商店街近代化事業によって、当時の美しい建物は惜しくも次々に取り壊されてしまった。飯島商店の店舗は上田駅前に唯一残った、大正モダニズムを今に伝える貴重な建築遺産だ。
(参考、写真:みすゞ飴本舗HP)