上田は昔から「蚕都」とよばれてきましたが、蚕糸業が消滅しようとする今日、蚕糸業とはどういう産業であったのかすら忘れられようとしています。そこで本書は、蚕糸業が近代日本の屋台骨を支えてきた産業であること、その蚕糸業において長野県は「蚕糸王国」とよばれてきたがそれが間違いのない事実であることを統計で示し、その「蚕糸王国長野県」において上田が「蚕都」を称するのも妥当であることを説明しました。
日本には「蚕都」を称する都市はかなりあるけれど、その中でも上田は蚕糸業の教育研究の日本の中心地であり、金融機関が長野県内の半分以上を占める時代があったこと、人口の急増は全国・長野県のそれをはるか上にあったこと、蚕種では全国トップ、養蚕・製糸でも上位にあったこと、商業都市としての繁栄、私鉄交通機関のネットワークの完成、文化面でも全国的なレベルを持っていた、など枚挙にいとまがありません。
さらに本書は、それではそれが何故可能であったのかにまで踏み込んで考察しました。
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投稿者 | 上田小県近現代史研究会 |
管理番号 | 581 |
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カテゴリ名 | 文書記録 |
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