「義民の里」を標榜する青木村は、「平成の合併」に対し敢然と自立の道を選択しました。これにより、小県郡にたった一つ村が残りました。小県郡には、明治初頭に160余の村がありましたが、それから140年を経て僅か一つしかない状況になっています。全国には190余の村がありますが、その一つになったのです。
私たちの研究会は、「なぜ青木村は自立の道を選んだのか」、それを知りたくて青木村を研究しました。その結果、この村が「義民の里」を誇りにする理由、明治以後も反骨精神を発揮して、『青木時報』を発刊し、戦前戦後の小作争議など農民運動にリーダーシップを握ったこと、自由律俳人栗林一石路を世に送り出し、全国村長会長を担ったこと、全国義民サミットを立ち上げたことなどが分かってきました。
また、名湯田沢・沓掛温泉もあり、国宝大法寺三重塔・県宝日吉神社などたくさんの文化財もあり、教育・福祉においても他の市に負けない先進性があることも分かりました。村民が自立の道を選んだ理由が納得できました。
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投稿者 | 上田小県近現代史研究会 |
管理番号 | 582 |
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カテゴリ名 | 文書記録 |
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