上田はなぜ蚕種の中心地になったか

日付: 作成者:ミッチー

蚕都上田と呼ばれた上田小県の特色は基幹産業が製糸でも養蚕でもなく「蚕種」(カイコの卵)であったことである。なぜ上田小県が蚕種の中心地になったかを資料やデータをひもときながら探る。

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『蚕かひの学』藤本善右衛門保右著1841

『蚕かひの学』藤本善右衛門保右著1841

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▼蚕かひの学(デジタルアーカイブ資料)
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11D0/WJJS05U/2000515100/2000515100100050?dtl=all
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

藤本善右衛門保右(やすすけ 1793-1865)が残した養蚕技術書。1841年(天保12年)に著し改版を重ねました。息子の縄葛もその改訂に携わったのではないかと推察をします。「信州地域史料アーカイブ」に収録された『蚕かひの学』はネットに公開された希少な一次資料です。

蚕種製造家は、蚕種を製造するだけでなく、教養に優れていることが蚕種の信用の保障となり、蚕種を販売しながら養蚕技術書を販促ツールとして活用したことがわかります。


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