上田紬について

日付: 作成者:ももか

上田紬が過去と現在でどのようなものに変化していったのかまとめていく。 上田紬を後世に残していくためにどのような取り組みが行われているのかまとめる。

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上田紬について

上田紬について

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なぜその探求テーマを選んだのか
テーマを考える最中、上田紬のイベントが最近あったことを思い出したことがきっかけだ。またメンバー全員が服が好きということもあって上田紬に興味関心があったためこのテーマに設定した。

何を探求しアウトプットするのか
上田紬の歴史や庶民的なものから高級品に変化するまでの過程を調べ、どのようにしたら現代の若者にとって身近になるかを考える。

具体的にどのような資料を調べるのか
インターネットのサイトや可能であれば上田紬の工房に足を運び実物を実際に見てみる。また先生から送って頂いた上田市立博物館図録を参照する。


上田紬とは

上田紬とは

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紬とは、紬糸を平織りにした絹織物で作られた着物のことである。
上田紬は大島紬・結城紬と並ぶ日本の三大紬として知られている。
絹特有の光沢を持つ生糸とは違い、紬糸で織られた生地は落ち着いた光沢と凹凸のある表面が独特の風合いを醸し出している。
作り手の減少により希少価値が高まっているが丈夫で軽く、値段に関係なく基本的には街着の扱いとされている。そのため、普段着やちょっとしたおしゃれ着におすすめな着物。

参考文献

https://docs.google.com/document/d/1xn4eb17SZiy6jdQkwIaHX_4cSMqIi7j1lhCLMud9r7s/edit
https://www.city.ueda.nagano.jp/site/kankojoho/5580.html

https://ichiri-mall.jp/shop/c/cAB/#:~:text=%E7%B4%AC%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E7%B4%AC%E7%B3%B8%E3%82%92,%E3%81%AB%E6%9F%94%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%8F%E9%A6%B4%E6%9F%93%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

https://www.city.ueda.nagano.jp/site/kankojoho/5580.html


上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~江戸時代から戦前~

上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~江戸時代から戦前~

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古代から中世にかけて信濃の織物として知られていたのは、麻布であった。(中略)紬は屑繭等を原料として地機で織れたから、原料生産地がそのまま織物生産地となり得た。しかもそれは商品としてよりも、農村で自家用として織られている場合が多かった。
紬は、江戸時代の庶民に許された唯一の絹織物であった。

上小地方の蚕糸業は江戸中期を過ぎる頃から、1つは養種製造、もう一方は生糸生産へと重点が移っていった。江戸中期にすぐれた繰糸技術が取り入れられ、良質の生糸が生産されるようになった。その結果蚕種・生糸の生産で十分な利益を挙げることができるのであれば、手間のかかる機織をする必要はない。このようにして幕末期に近づくに従って、上小地方の上田紬・上田縞の生産は減少していった。

さらに安政6年横浜開港以来外国貿易の影響で生糸の値段が高騰して、絹織物に使われていた生糸の大部分が輸出に集中した。そのため、絹織物は衰退の悲運に見舞われ、江戸時代の盛大さが失われた。


参考文献
『郷土の工芸 上田紬』上田市立博物館


上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~戦後以降~

上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~戦後以降~

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第二次世界大戦以後の上田紬
終戦後、まだ衣類が欠乏していた頃、商工省は京都のコブラン機とともに上田紬など数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。
などの数種を、技術保存織物として自由商品に指定した。農家の家内生産によって、ほそぼそ自家用を織りだす程度であって、絹紬が機業として再開していく機会が、なかなか熟さないでいた。このとき昭和24~5年頃から、神科出身で元蒙古自治政府最高顧問をされた故金井章次氏は、軍放出の真綿を利用して糸を紡ぐことを提唱、農村副業による手織りのなかから紬織りの再興を考えた。草木染の紬織りを現代に生かそうと苦心をされる一方、草木染料や媒染材の化学研究をされて、生産量の増大や、新販路の開拓のことに努力をはらわれた。江戸時代からの上田縞・上田紬の名声は、特有の風合や柄模様にもあったが、その核心は、布地の丈夫なこと、本藍染と草木染の特色ある染色法で、色があせないで堅牢なことにあったので、この研究を復興への第一条件とされて、その改善工夫に尽くされたのであった。このような指導のもとに、原始的な草木染に科学のメスに加え、ヨモギ・キキョウ・月見草・イタドリ・山ウルシ・ザクロ・クルミ・ウメなどから粉末染料の製造に成功した。この草木染の研究に対して、昭和26年度文部省民間助成費として2万5千円が交付されるなど、特産繊維品としての上田紬の将来に、ようやく曙光が輝きだしたのである。
昭和31年には経済の飛躍的成長で、その需要も拡大し、生活の落書きの中から生まれた和服復活の波に乗って、久しぶりによみがえったのである。
しかし、手織り紬は全体的に生産量が少ないため、高級品となった。

参考文献
『郷土の工芸 上田紬』上田市立博物館


上田紬について~小岩井紬工房~

上田紬について~小岩井紬工房~

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小岩井紬工房
地元特産品を活かし上田紬のブランド価値向上をめざす
多くの工房が手織から力織機へいこうするなかにあって「手織りに徹する」という信念をもつ小岩井紬工房。
「上田の特産品を利用して、上田らしさがアピールできる紬をつくりたい」という思いを抱き続け、構想から3年以上を費やして生み出した新商品は「林檎染」と名付けられた。その名の通りに使用するのは林檎の樹皮で、すべて上田産。経糸、緯糸ともに100%の草木染めは珍しいという。「改善の余地はまだまだある。もっと突き詰めて行かないと、味や深みはでません」と現状に満足することはない。小岩井さんの頭の中には、すでに別の特産品を活かした新商品のアイデアがあるという。「これからも、上田らしさにこだわって、上田紬の価値を高めたい」と前向きだ。

林檎染め 品種の違いで染め上がりの色が変化する
1.剪定 リンゴの木の内側まで太陽の光が届くようにするために不要な林檎の木(枝)を切り落とす作業
2.気の皮を削る
 ふじ オレンジみがかってる 信濃ゴールド 白っぽいいろ
 (気の部分は薪ストーブをやっている人にあげている)
3.乾かす
4.煮出し袋に樹皮をいれる(樹皮は糸と同じくらいの量をつかう)
5.水をため、樹皮をその中にいれる
6.水を沸騰させながらよくまぜる
7.沸騰させたら冷ます
8.糸を入れ、均等に液につける
9.沸騰させながら1時間ほどかけて染める
10.媒染する (金属物質を媒体にして染料を繊維に定着させる工程)
11.媒染液に20分ほど糸をいれる
12.媒染後に糸をよく水洗いする
13.再び染色する
14.最後によく洗う

小岩井良馬さんのYouTubeより


上田紬×町歩きイベント実行委員会

上田紬×町歩きイベント実行委員会

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上田紬×街歩きイベント実行委員
大学生が実行委員となり、上田紬を着て柳町や上田城跡公園で街歩きをするイベントを開催している。

こういった上田紬が現代の日常に溶け込むよう様々な取り組みが数多く行われている。特に若者に向けての着付けのイベントや、上田紬が使われた小物などの販売が多い。若者をターゲットにすることで質の良い紬の良さがSNSなどで広まり、良い宣伝効果になるだろう。しかしまだまだ上田紬の認知度は低い。認知度をあげるには、実際その質の良さや繊細な作りを肌身で感じてもらえることがやはり大きいと考える。ゆえに着付けのイベントは普段味わえないことが楽しめる貴重なイベントだと感じる。また一回きりで終わるのではなく、リピートしてもらうことも大切だ。例えば二度目以降の参加で着付けの料金割引サービスなど、もう一度体験したくなるような取り組みを考えることも効果的だと感じる。今後上田の伝統的な工芸品である上田紬の良さをさらに多くの人に知ってもらい、さらなる上田紬の発展に期待したい。


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