大正・昭和初期における教育の特色(情報通信文化論)

日付: 作成者:かなむ

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はじめに

私は、大正・昭和初期における教育の特色について調べていきたいと思う。西塩田時報の学校行事などについて書かれた記事を参照して、当時どのような教育が行われていたのかを解き明かしていく。また、当時、軍国主義となっていった日本だが、教育にはどのような影響が及ぼされたのかなども詳しく見ていきたい。


皆勤賞(1928)

皆勤賞(1928)

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1928年の西塩田村の学校における、皆勤賞に関する記事である。この記事を見て、当時から学校を休まないことを表彰する文化があることが分かった。また、25%もの生徒が1年間皆勤賞というところを見て、現在よりもはるかに高い数値に驚いた。おそらく当時は、今よりも学校を休んではならないという風潮が強かったのであろう。もしくは、外で遊ぶことが多かったから体が強かったのだろうか。

#234 「西塩田時報」第54号(1928年5月1日)2頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns04_041to060.pdf


尺貫法からメートル法へ(1933)

尺貫法からメートル法へ(1933)

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 メートル法に関するプリントを、生徒の各家庭に配布したという記事である。この記事の翌年の1934年に、日本従来の尺貫法が廃止され、メートル法が取り入れられた。これまで使ってきた単位を、使わないようにしなければならないと考えると、当時の学生はとても苦労しただろう。教育において、使用する単位を変えるということはとても大変なことだ。

#507 「西塩田時報」第114号(1933年5月1日)3頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns07_101to120.pdf


防空講習(1937)

防空講習(1937)

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1937年7月7日に当時の上田中学校で、防空に関する講演があったと書いてある。防空とは敵の空中からの攻撃から身を守ることである。1937年7月7日は日中戦争が開戦した日であり、当時の学校にも戦争に対する緊迫感が漂っていたことが予測される。

#738 「西塩田時報」第165号(1937年8月1日)2頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns10_161to180.pdf


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