西塩田時報から見るラジオ放送の普及についての考察
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1925年ラジオ放送が開始され、我が国の現状や問題点、将来性や、欧米諸国との比較について言及されていました。上田地域でもラジオ放送が聞けるようなり、西塩田時報からも当時の様子が記されていました。この後急速にラジオ放送が普及していくのですが、その背景について、考察していく。

では、まず簡単にラジオ放送が普及していった歴史をおさらいする。1988年にヘルツが電磁波を確認して、1920年にアメリカでラジオ放送が始まりました。日本でも、それから5年がたつと、ついに東京放送局がラジオ放送を開始して、電波文化が到来しました。

1925年8月に発行された西塩田時報では無線通信分野における、我が国の現状や問題点、将来性や、欧米諸国との比較について言及されていました。詳しく説明すると、従来日本でも無線技術を兵器工場などでの軍用利用にとどめる形で利用してきていたが、秘匿されていました。国民の科学思想の普及を図る目的もあり、この技術が公開され、さきがけとして東京放送局でラジオ放送が開始されました。
この年、長野県でも1か所放送局開設が許可され、年中に上田市の多くの地域でもラジオ放送が聞くことができることが記されていました。

しかしながら、当初、ラジオ放送を聞くためのレシーバーや大型のロードスピーカーは非常に高価で誰にでも買えるものではありませんでした。そのため、当時の時報でも大型のスピーカーを村で一つ購入して住民たちで聞くことを推奨していました。
ではなぜこのような状況からラジオ放送は普及したのかいくつか考察してみました。

大きく分けて、2つの要因があったのではないかと考えました。

先ほどもご覧になった通り、長野市で放送局が開設されたのちに、上田市にも放送局が開設したことが西塩田時報に記載されていました。これにより、25円程度先ほどの1/4程度で放送が聞けるようになるとも伝えられており、このような状況が全国各地で起こっていたことが推測されます。また、機械性能の改良により、受信機の値段も低下することも普及につながると考えました。他にもかなり推測になりますが、特需景気による好景気も、受信機を手に取ることに影響した可能性も考えました。

次に戦争の影響です。当時、満州事変などもあり、新聞よりも、いち早く戦争の情報を得られるラジオに関心が高まったのではないかと考えられます。実際に西塩田時報で時系列を追って、過去の記事を探した時にも、刊行日に空きがあり、著しく変化する戦時状況をとらえるには新聞は適していなかっただろうなと考えていました。その上、政府は当時、国防強化の面からラジオ放送を聞くことを推奨し、ラジオを聞くことは国策に協力することと強く発信してあおっていたことも要因の一つだと考えました。
また、政府にとって、ラジオは戦争で懸念される民意のコントロールにも役立っていのではないかと考えました。

以上の考察により、ラジオは急速に普及したと推察しました。