2代松平忠愛と尼ヶ淵

2代松平忠愛と尼ヶ淵

 上田城南側に切り立つ崖の下段には、横に長く敷き詰められた石垣がある。この石垣は、松平忠愛(ただざね)が築造したものだ。享保17年(1732)に大雨で増水した千曲川がこの崖面を大きく削ったため、護岸工事を行ったそうだ。(戌の満水)
 上田城南側の芝生広場を訪れた際に感じてほしいのは、江戸時代にはその地に広場はなく、尼が淵という千曲川の分流が流れていたということだ。そのため、崖面を見ることができている我々は貴重な体験をしている。そして、下段の石垣は強固に見えるが、敵が登ってくるのをを防ぐために築かれたのではないことも知ってほしい。
 二度の上田合戦や大坂の陣で名を轟かせた真田氏の居城であったからこそ、忠愛は、南櫓、西櫓を崩れささせたくなかったのだろうと私は思った。
 

登録日:2023-10-23 投稿者:コスモス
地区コード上田地域(上田市)
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