当時の新聞・資料からアジア・太平洋戦争を振り返る

日付: 作成者:水色

当時の人々は、どのような考え、視点で戦争を見ていたのか。当時の思想がどのようにして生まれたのか。新聞、資料などの一次資料から考察する。

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米の節約!勝利の一歩(『西塩田時報』第198号1項)

米の節約!勝利の一歩(『西塩田時報』第198号1項)

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日中戦争時、東京などの都市だけでなく、地方でも節米運動が行なわれていたことが分かる記事である。白米ではなく、麺類や七分づき米、雑穀米を代用として食べるように書かれている。戦時中、栄養不足にならないために栄養豊富である雑穀米などを食べていたのだと考えていたが、日本の物資不足も要因の一つであったことが分かった。
また、「勝利への第一歩」という言葉から、国民の戦争意欲を高めようとしていることがうかがえる。戦時中という時代背景を強く実感できる記事のタイトルだと感じた。

▼この記事は以下から参照できます。
#879 『西塩田時報』第198号(1940年5月1日)1頁


大東亜戦争完遂映画会(『西塩田村公報』第5号4項)

大東亜戦争完遂映画会(『西塩田村公報』第5号4項)

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農村でも映画会を開き、戦果を伝え、国民の団結力と忠誠心を強めていたと考えると、いかにマスメディアが戦争に利用されていたかが分かる。
上映されていたものはおそらく大本営の戦果発表だと思われる。そのアーカイブはNHKの戦争証言アーカイブス、戦時録音資料で参照できる。
この記事が書かれた当時(1942年5月22日)は、日本軍が優勢であったとされる。アジア・太平洋戦争の転換期であるミッドウェー海戦はこの新聞が発行されて約2週間後に起こる。

NHK「戦争証言アーカイブ 戦時記録資料 勝利の記録」
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/sp/list.cgi?cat=kiroku
2023年1月25日閲覧

▼この記事は以下から参照できます。
#930 『西塩田村公報』第5号(1942年5月22日)4頁


桑皮生産増強に就て(『西塩田村公報』第5号2項)

桑皮生産増強に就て(『西塩田村公報』第5号2項)

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桑皮生産の増強についての記事である。上田は桑栽培の適作地であったことから桑が多く栽培されていた。
蚕の餌として生産していたと考えていたが、戦時中は繊維資源としても生産していたようである。

また、「東亜共栄圏」という言葉が多く使われている。
日本政府がスローガンとして使っていただけでなく、日常でも「東亜共栄圏」という言葉が使われていたことが分かる。

▼この記事は以下から参照できます。
#928 『西塩田村公報』第5号(1942年5月22日)2頁


ペグーの大臥像に見入る皇軍勇士(『ビルマ作戰 : 大東亜戰史』)

ペグーの大臥像に見入る皇軍勇士(『ビルマ作戰 : 大東亜戰史』)

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ビルマ(ミャンマー)に侵攻した日本軍が、ペグー(バゴー)の寝仏を見ている写真。
この写真が載っている本には、進軍している様子や戦っている様子、町の状況等の写真が多い。そのため、この写真のように戦いに関係のないものが載っていることに違和感を覚えた。
観光できるほど、英軍に圧勝であると伝えるためだろうか。それとも、ただ単純に近況報告をしているだけなのだろうか。様々な考察ができる。

▼この写真が掲載されている書籍は以下から参照できます。
国立国会図書館デジタルコレクション 『ビルマ作戰 : 大東亜戰史』,同盟通信社,1942年


『昭和国民読本』(1939)

『昭和国民読本』(1939)

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明治から昭和初期(1939)までの出来事や歴史がまとめられた書籍である。
出来事が事細かにまとめられていることが目次から推測できる。
当時(戦時中)の国民の思想を知るのに重要な資料として活用できそうだと思った。

▼この資料は以下から参照できます。
『昭和国民読本』(1939)


戦時版の新聞①

戦時版の新聞①

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選民思想をかき立たせるような書き方をしている記事であるように感じる。
情報媒体が限られていた時代であるため、このような偏った情報でも疑いようもなく受け入れられていたのだろうか。

参考サイト
【戦後75年】戦時中の中部日本新聞をPDFで読んでみよう
2023年1月31日閲覧

▼この資料は以下から参照できます。
『中部日本戦時版』「我等の身体 これぞ日本人の優秀性」(昭和19年3月2日)


戦時版の新聞②

戦時版の新聞②

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バチカン市国について書かれた記事である。しかし、内容は敵国(アメリカ、イギリス)に対する批判である。
現代の世界史とは違った視点から歴史を見ることができ、興味深く感じた。

参考サイト
【戦後75年】戦時中の中部日本新聞をPDFで読んでみよう
2023年1月31日閲覧

▼この資料は以下から参照できます。
『中部日本戦時版』「戦争と闘ふヴアチカン 非道へ法王の睨み」(昭和19年3月16日)


戦時版の新聞③「プロパガンダ映画」とまとめ

戦時版の新聞③「プロパガンダ映画」とまとめ

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映画までもプロパガンダとして利用されていたことが分かる記事である。
イギリス領インドの青年を日本人(岡倉天心等)が助けるといった内容であると書かれている。
実際の人物までもプロパガンダ映画で使われていたことに驚いた。
岡倉天心の「東洋は一つ」という言葉を都合よく解釈し、戦争に利用したように感じる。

参考サイト
【戦後75年】戦時中の中部日本新聞をPDFで読んでみよう
2023年1月31日閲覧


▼この資料は以下から参照できます。
『中部日本戦時版』「東洋は一つなり 映画物語『ベンガルの嵐』」(昭和19年7月23日)


まとめ
戦時中の新聞や書籍を調べ、情報の影響力の強さを再認識した。
新聞やラジオ、映画等によって、当時の日本人は偏った思想に誘導されていたのだと考察できる。

情報媒体が限られていた戦時中とは異なり、現代は数多くの情報媒体が利用できる。
しかし、情報媒体が多いからこそ他者の偏った情報を受け取り、自分自身も気づかないうちに偏った思想に誘導されているかもしれない。
一次資料に触れ、自分自身で考察する力や情報の取捨選択をする力を身につける重要性を改めて考えるきっかけになった。


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