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1主食類盗難予防に就て(『西塩田時報』[戦後]第30号 1949年9月20日)主食類盗難予防に就て(『西塩田時報』[戦後]第30号 1949年9月20日)この時代でもまだお米は貴重なものであったことが分かった。盗んでいくものがお金ではなく、お米を盗んでいる所が今の時代には全く見当がつかないところで面白さを感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1063 『西塩田時報[戦後]』第30号(1949年9月20日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1063.jpg2022-12-26
2なぜ金を政府へ(『西塩田時報』第188号 1939年7月1日)なぜ金を政府へ(『西塩田時報』第188号 1939年7月1日)金を納めさせる理由として日本で使われている「お札」では海外との取引が出来ないということが書かれている。 当時はそれを理解していなかった人も多かったのかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #843 『西塩田時報』第189号(1939年8月1日)1頁 (恐らく表記ミスで189号になっているが正しくは188号) https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0843.jpg2022-12-26
3夢を読む夢を読む時代背景が伺える言葉選びと病弱な青年が活字によって人々の夢について語る部分がとても興味深かった。2022-12-25
4上田を知ってもらうには上田を知ってもらうには前回上田の「魅力」を伝えたいという言葉では魅力という単語が漠然と過ぎていて、別の単語を選ぶことにした。 今回のゼミでは私自身が上田について知ってほしいものが上田の「観光産業」についてのものが多かったため、上田の「魅力」を伝えたいという趣旨から、上田の「観光産業」について知ってほしいという趣旨へと変えた。根っこの考え方である上田の魅力を伝えたいという考え方自体は変わらないが、魅力の内容をとり具体的にした。 それに加え、上田のPRにはなにかインパクトのある単語で上田を紹介すると良いとのことで、○○な町上田、と言えるなにかを現在探し中。2022-12-25
5不況に對する意見表示(『西塩田時報』第82号(1930年9月1日)1頁)不況に對する意見表示(『西塩田時報』第82号(1930年9月1日)1頁)この時代の景気や社会情勢が顕著に示されていてこの文だけで不況であったことが読み取れる部分が面白いと思った。 農民は節約をせざるを得ない状況にあり、生活が非常に苦しい状況であったことがわかった。また、この状況に対して消費節約、生活改善を促す内容ばかりであり、政治的な対応はされていなかったということも読み取れた。2022-12-24
6シベリアの想いで(『西塩田時報[戦後]』第24号3頁)シベリアの想いで(『西塩田時報[戦後]』第24号3頁)ロシアの捕虜として満洲からシベリアに送られた人が書いた記事である。 シベリア送りになった捕虜は辛い目にあったんだろうなと悲惨な状況を想像して読んだが、想像していたものとは違い心温まる話だった。捕虜になった人々の悲惨な話はよくニュース等で聞くが、この記事のような温かい話は聞いたことも読んだこともなかったので新鮮だった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1043 『西塩田時報[戦後]』第24号(1949年3月25日)3頁2022-12-23
7米の節約!勝利の一歩(『西塩田時報』第198号1項)米の節約!勝利の一歩(『西塩田時報』第198号1項)日中戦争時、東京などの都市だけでなく、地方でも節米運動が行なわれていたことが分かる記事である。白米ではなく、麺類や七分づき米、雑穀米を代用として食べるように書かれている。戦時中、栄養不足にならないために栄養豊富である雑穀米などを食べていたのだと考えていたが、日本の物資不足も要因の一つであったことが分かった。 また、「勝利への第一歩」という言葉から、国民の戦争意欲を高めようとしていることがうかがえる。戦時中という時代背景を強く実感できる記事のタイトルだと感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #879 『西塩田時報』第198号(1940年5月1日)1頁2022-12-23
812月22日分 調査まとめ12月22日分 調査まとめ上田城の築城・歴史 「日本一の兵」真田幸村を輩出した真田氏は、現在の上田市真田町の周辺を拠点として活動していた。上田城の築城が開始されたのは1583年のことで、真田幸村の父である真田昌幸によって築城が開始された。当時徳川家康に仕えていた昌幸は、その援助を受けながら築城をしていた。しかし、北条と手を組もうとする徳川から土地の受領を要請された際にこれを拒否。徳川と断絶した昌幸は、上杉家に助力を求め次男の幸村を人質に差し出す。これにより、上杉方から戦力と築城の支援を受けた。上田城が一旦の完成を迎えた1585年、家康は鳥居元忠らを真田領に進軍させ「第一次上田合戦」が始まった。およそ1万の軍勢で進軍してきた徳川軍を昌幸は謀略を用いて少数の軍勢で撃退した。時は流れて関ヶ原の戦い最中の1600年、家康の息2022-12-22
9課題ゼミ 第3回課題ゼミ 第3回どのようなイベントを作る? 地域でのイベント例:上塩尻まちあるき 概要:上塩尻に現存する歴史的建築物を見て回る ・人数はおおよそ30人前後で上塩尻在住の方も多かった。 ・建築や上塩尻地域に詳しい方が参加し、建築物や地域の歴史を解説することでなぜ価値があるのかを参加者が理解できていた。 大型のイベントを開くには大きな知名度や多くの人を引く「魅力」が必要 小型のイベント→地域外の人を集客するのは難しい だが地域内の人ならば? 小型のイベントは大型に比べて、内容を細分化できる。 小型ならイベントの頻度を高めることができる。 地域の方に地域の価値を伝えるには具体的な内容が必要 また多くの地域の方に知ってもらうにはイベントを継続することが大切 「小規模で持続的なイベント」 地域の方に地域の2022-12-22
10d-commons.net考察 その5 「記事」と「マイサイト」 言葉の融和d-commons.net考察 その5 「記事」と「マイサイト」 言葉の融和前回に引き続き、UIの考察についてである。 前回 d-commons.net考察 その4 デザインと迷子 このd-commons.netでは、記事の投稿者名をクリックすると「〇〇のサイト(所謂マイサイト。〇〇には投稿者名が入る)」という場所へ飛ぶ。 マイサイトでは、投稿者の成果物が閲覧可能であり、アーカイブとしての役割を持つ。 個人的には「〇〇のサイト」の「サイト」という表記は一瞬で理解しにくく、自分がどこへ飛んでしまったのか分からなくなると感じた。少なくとも、自分が初めて投稿者名をクリックした時、信州上田デジタルマップではなく別のサイトへ飛んでしまったのかと混乱した事がある。 (別ウィンドウで表示されたため余計に混乱したという事情もある) これは「サイト」という言葉と「アーカイ2022-12-22
11歴史的事象が想像されて来る。アイヌ式土器(『西塩田時報』第7号(1924年7月1日)1頁)歴史的事象が想像されて来る。アイヌ式土器(『西塩田時報』第7号(1924年7月1日)1頁)上田とアイヌに古代の繋がりがあるとは思わなかったので、西塩田時報に「アイヌ」という言葉が出てくるだけで驚きだった。しかも、上田地域からアイヌ式土器が発掘されているというのだから、更に驚いた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #37 『西塩田時報』第7号(1924年7月1日)1頁2022-12-22
12幼女児おかっぱすすめ(『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁)幼女児おかっぱすすめ(『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁)学校便りのようなものに、運動するときや勉強するときに邪魔にならないために髪型をおかっぱにすることを進めている記事がありました。 昔の女の子はおかっぱのイメージがありますが、こんな理由でおかっぱの子が多かったのかなと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0364.jpg2022-12-21
13上田elaboration上田elaboration探求テーマ「上田のシンボルの普及+若年層に対するアプローチ」 私が上田探検隊や自らの目で見てきた上田の魅力は、歴史的な建造物に身近に触れられるという点である。しかしながら、それに気づいている人は限りなく少なく思える。そんな上田市と地元の松本市を比較した時に、松本も上田と似た魅力を持ち合わせている。だが、松本に住んでいると頻繁に歴史に触れたくなる。それはなぜなのか考えた時に、松本城という圧倒的なシンボルの魅力に隠されていると考えた。もちろん天守閣があり、存在感が凄まじいことは大前提として、それだけで、地元の人々が訪れているとは思えない。では、観光客だけでなく地元市民も頻繁に訪れる理由は何か。調べれば一瞬で訳が分かった。それは、多種多様な四季折々のイベントである。春は夜桜会、光2022-12-21
14出張が多い出張が多い群馬や茨城など、遠方まで出張が多かったようです。社長自らも出かけたみたいです。2022-12-17
15test蚕糸試験場 蚕糸の森公園test蚕糸試験場 蚕糸の森公園蚕糸試験場 蚕糸の森公園 子供時代に蚕糸試験場(東京杉並区)が近所にあり、 すでに廃墟となっていて不思議なところだと思っていました。 春蚕繭繰糸試験成績一覧表 藤本蚕業デジタル資料館 https://d-commons.net/fujimoto-index/?c=&p=11876 近代化と国際規格と日本の関係性、 国際規格の導入と変遷は絹糸が最初ではないか? 以前自動車業界にいて国際規格からSDGsに変遷していった過程から、 規格の重要性が正義や善につながっていて基本なるのは美学ではないか?と考えています。 naganuma2022-12-17
16上田市の農業上田市の農業上田市は自然が沢山あるという印象を持つ人が多いだろう。しかし自然は豊かだが農業は盛んではない。農家はいるが高齢者であったり農業はしていても商売につながっていなかったりすることが多い。また農地はあるが農業をしていないという人もいる。我が家もこのパターンに当てはまる。 農業放棄地が発生する問題はいくつかの原因があると考えられる。高齢化による農家の減少や農業では稼いでいくことが難しく廃業してしまうなどがあげられる。 上田市で実際に農地をどのように活用しているかを調べる。シャトー・メルシャン椀子ワイナリーや稲倉の棚田や農園として商売をしている農家などを調べてみる。 上田市でどのような農地活用が行われているのか。上田市でよく育てられている作物、またそれらをどうやって利益に結びつけて2022-12-15
17課題ゼミ 探求テーマ課題ゼミ 探求テーマ地域の魅力を伝える方法 ①探求テーマ 地域の魅力を伝える方法 ②テーマの理由 今回のゼミでの上田探検を通して、上田の魅力に多く触れることができた。上田にも地域ならではの土地や文化があり、価値があるものが多かった。しかし地元の人たちがそういった価値や魅力を知らない人が多くいたことが衝撃だった。僕の地元では魚の養殖として様々な魚を育成していたが、そもそもその魚の養殖をしていること自体知らない人がそもそもだった。そういったことから地域の魅力や価値をつなげられるような手段を探りたいと考えた。 ③目標・探求方法 今回の探求の目標は、「地域の魅力を伝える手段を模索し、地域の価値を伝えていく」だ。 探求の方法は、これまで自分の地元の地域や上田の地域、ほかの地域での広報活動について調べ、良2022-12-15
18探求テーマ1探求テーマ1探求テーマ(タイトル) 上田市と真田について elaboration課題の提起 上田市はなぜ真田にこだわるのか なぜそうなのか(仮説) 1、「真田」は全国的に有名で細かい説明が不要という事。かっこいいイメージ(?)が強く、“真田幸村”、“不落城”というような名前だけで一定数のファンを獲得できるから。 2、「真田」というブランドが確立されているので、産業などを成長させる労力、資金を抑えられる。(もともと有名なものは周知してもらう手間が必要ない。) 3, 真田幸村にあやかっている 何を探求するか 真田について 探求の目標(何を明らかにするか) 真田をアピールすることで起こるメリット、デメリット どのように探求するか 上田市民にアンケートを取り、意味内容の共通性と相違性を検討し、分類と分析をする。 週間計画(2022-12-15
19D.W.Griffithと小津安二郎の インターテクスト的連関(2020)D.W.Griffithと小津安二郎の インターテクスト的連関(2020)研究発表「D.W.Griffithと小津安二郎のインターテクスト的連関」 (2020/09/27 日本映像学会第46回大会 研究発表/研究A2) 【研究概要】 D. W. Griffith(1875-1948)の初期作品には、小津安二郎(1903-1963)のそれと極めてよく似たシステムが同定できる。小津がアメリカ映画、とりわけ Ernst Lubitsch の強い影響を受けていたことはよく指摘されている。しかしながら小津に最も類似した特徴を備えているのは Griffith の初期作品である。この点、先行研究では指摘されることがなかった。本研究ではGriffith作品、小津作品における人物の動きに沿った移動空間の分節、動きの分節が極めて共通性が高いことを実証した。 こうした特徴を備えた作品は映画初期において見られるものの、トーキー期においては類例を見出せない。特に小津のトーキー期における《動きの連続=時間2022-12-12
20BFI:世界映画史上、最も偉大な映画2022BFI:世界映画史上、最も偉大な映画2022▲BFIホームページからの部分転載 英国のBFI(British Film Institute)が発行する映画専門誌『Sight and Sound』が10年に一度選定する「世界映画史上、最も偉大な映画」(The Greatest Films of All Time)の2022年の選定結果が発表されました。 ▼The Greatest Films of All Time https://www.bfi.org.uk/sight-and-sound/greatest-films-all-time シャンタル・アッケルマン監督の『ジャンヌ・ディエルマン』(1975)が第1位に。これは驚異的なチョイスです。世界映画史上、そこまでの高い知名度も評価も得ていなかったアッケルマンが、しかもその一作品が選ばれたことが驚異です。映画監督は圧倒的に男性優位で女性監督はごく少数です(旧来「女流」監督と呼んできたのは男性中心の捉え方から発生した偏見的な呼び方か?)。多様性とLGBTが全世2022-12-12
21d-commons.net考察 その4 デザインと迷子d-commons.net考察 その4 デザインと迷子初めて信州上田デジタルマップを使った時の感想は「自分の現在地が分かりにくい」だった。 d-commons.netでは、トップページである親サイトと特定のユーザーの成果物を閲覧できる子サイト(以下マイサイト)で分類されており、親サイトから登録されている記事を検索し、気になった投稿者の成果物をもっと見たい場合はマイサイトへ飛ぶ、というのが主な流れである。流れとしては分かりやすいものだが、まだ洗練されていない部分は幾つか存在し、分かりにくさや混乱を産んでいるように思える。 例えば、記事から投稿者名をクリックすると、別タブで投稿者のマイサイトが表示される。この動作はごく自然のものだが、問題は親サイトとマイサイトのUIやデザインが統一されており、区別がつきにくい事である。 これにより、マイサイトへジャンプ2022-12-09
22塩尻小学校学習支援の様子②塩尻小学校学習支援の様子②11月25日(金)に実施した塩尻小学校3年生の学習支援の様子です。今回は地域探検の写真を「塩尻小まなびサイト」に投稿しようという内容で実施しました。3年生の児童は8日(金)に秋和の地域探検を行ったのですが、chromebookが外で使えず、児童自身は写真が撮れなかったということで、今回は地元の方が撮影してくださった写真を使って投稿してもらいました。 グループごとに地域探検を行ったということで、そのグループごとに探検した場所の写真を投稿してもらったのですが、1人に任せっきりにするのではなく、グループ全員で文章などを考えている姿がとても印象的でした。途中で投稿のページが消えてしまい1からやり直すことになってしまったグループもありましたが、何とか1グループ1件投稿することができたので良かったです。 私自身も児2022-12-09
23木長野に来てから山と木の多さにかなり驚いた。地元は平地で田んぼや畑なアドが多く見られた。それに比べ、長野は360°どこを見渡しても山の風景が広がっている。木もどこにでも生えている。木々の中に入ってみるのもよいと思った。2022-12-05
24空長野に引っ越してきてから、毎日星空がきれいなことに感動する。特に上田は晴天の日が多く、星をみるには絶好の地域だと思う。スマホでは星空をきれいに写すことができなかったため、月の写真にした。2022-12-05
25蚕の蛹:活用考察①蚕の蛹:活用考察①この写真は無印良品で販売されている、コオロギを練り込んだせんべいです。 私自身は食べたことはありませんが、コオロギの味があまりしなかったり見た目もマイルドで手に取りやすいという評判を聞いたことがあります。 信州で昆虫食が誕生した歴史として、冬場のタンパク質として食べられていたことが由来だと言われているため、見た目の問題を改善できればスーパーフードになり得るだろうと考えています。2022-12-05
2611/21 神川小地域学習支援③ 投稿した写真の紹介11/21 神川小地域学習支援③ 投稿した写真の紹介全3回ある授業の3回目です。 11月7日に「神川まなびあいひろば」に記事を書き投稿してもらったものをクラス内で発表してもらいました。 何件か投稿した人も多かったのですが、時間が限られていたので今回は1人1つ記事を選んでみんなにお気に入りの場所やものを紹介してもらいました。 私が担当したクラスでは全員に発表してもらいましたが、発表をする人はどこでどんな写真を撮ったのか、どんなところがお気に入りなのかなど、自分が伝えたい情報や思いを発表を聴いている人に一生懸命伝えようとしている児童が多かったのがとても良かったなと思います。 発表が終わった後に質問・感想タイムを設けたのですが、質問や感想を積極的に言いたいという児童が多く、探究的な学びができていると感じました。 25人ほどの発表を聴きましたが、そ2022-11-21
27柳町柳町歴史ある街並みが続いており、建物一つ一つに風情を感じられます。かつては参勤交代や、佐渡金山の金の通路としてにぎわいました。現在はこの古き良き町並みを保存する取り組みも行われていて、上田の歴史が残された観光名所にもなっています。柳町は町全体が白壁の建物が多く、また家々の屋根や軒の高低差が少なく、高さがそろった整然とした町並みも見所です。2022-12-05
28生糸の輸送方法とルート生糸の輸送方法とルート長野県や群馬県で盛んだった生糸ですが、その多くは海外輸出となっていました。より高効率な輸送を実現するべく建設されたのが、画像にある信越線です。江戸時代は東京に至るまで3日かかっていたのが、同線の開通によって4時間程度にまで短縮され、日本の外貨獲得の柱であった生糸・蚕種の大量輸出に一役買っていました。2022-12-05
29愛染かつら愛染かつら北向観音境内に生育するカツラの巨木です。推定の樹齢は300年以上、600年から650年、1000年以上などの諸説があります。神仏が一時的に姿を現したカツラと言われる霊木で、円仁(えんにん)と千手観音にまつわる伝説が残されている。この木が知られるようになったのは川口松太郎の小説「愛染かつら」であり、後にヒットした恋愛ドラマの映画によってこの木も「愛染カツラ」と呼ばれるようになりました。2022-12-04
30温泉薬師瑠璃殿温泉薬師瑠璃殿温泉薬師瑠璃殿は北向観音の境内にある薬師堂であり、建物は崖にへばりつくように建てられていました。瑠璃殿という名称は薬師如来の「瑠璃光如来」から来ているが、温泉の薬効と薬師如来の病苦から人々を救うというご利益が結びついた温泉薬師信仰のためである。以前は大師湯の西隣にあったとされるが、寛保二年(1741)湯川の氾濫によって今の場所に移され、文化六年(1809)に現在の形に再建された。 土台が意外と細いにもかかわらずしっかりと立っていて、周りには大きな木に囲まれていた。その木の中のひとつに上田市の文化財である愛染カツラ(あいぜんかつら)もありました。2022-12-04
31市街地方面の寺院、神社市街地方面の寺院、神社やはり城下町らしく、この地を治めた真田氏に縁あるものが多い。欧州ではキリスト教、東洋で仏教、そして日本の神道。古来より信仰というものは人々の生活の隣にあるものだった。信仰のあり方はその地域の生活のあり方ともいえる。歴史を紐解くうえで貴重な材料となり得るものである。(今回キリスト教を取り上げなかったのは、ここいら一帯はキリシタンが現れた時期が遅かったと考えられるためである。)2022-12-04
32高市神社高市神社海野町の通りにある神社。祭神は「大国主(オオクニヌシ)神」、「事代主(コトシロヌシ)神」。大国主神は大黒天、事代主神は恵比寿神として七福神にも数えられる。 この神社は海野町の商いの神様である。 境内には「運の石」という石があり、開運と悪運除けがご利益。真田昌幸が上田城築城の折に白鳥神社から霊力宿る石を授かった。それがこの神社のご神体。そして、その石に縁ある石を高野山から持ってきて運の石とした。2022-12-04
33車をDIY車をDIY2022.12.01 愛車コペンは2002年製。なんと、私の一つ下。とんでもなく古い車。 ハンドルはとてつもなく重いし、ブレーキの効きも最新車と比べると悪い。もっというと、近くにものがあってもアラームで知らせてくれることもない。そんな、私の愛車はステレオが付いているのだが音は鳴らない。故障している。 というわけで、ステレオ部分を有効活用しようと人生初の車をDIY。 カバーを裏から外し、ネジを外し、ステレオを取る。その空いた部分に新しく物置兼USB兼スマホホルダーをはめていく。 一番苦戦したのは配線。USBの電気を車から持ってくるのだが、いかんせん素人の私には何が何だかわからない。 てことで、友人召喚。友人に電話し教えてもらいながら配線を繋いだ。(簡単に書いているが理解するのに1時間かかった) ちなみに、さすま2022-12-02
34野口健野口健私が登山を始めたきっかけである野口健さんをご紹介。私は佐賀県の講演会に行ったことがきっかけで野口健さんを知った。当時、私は小学校2年生(7歳)。兄に連れられ、講演会に行った。なんか、おじさんが喋ってるな〜と思っていたが、一枚の写真に目を奪われた。 その写真がエベレストでの写真。 ネットで『野口健、エベレスト』と検索すると出てくるその写真が今でも忘れられない。 真っ白な雪と輝く太陽。寒そうなのになんだか暑そう。そんな写真。 エベレストでは無臭。昼は雪を被りたくなるほど暑く、夜は指が凍りそうなほど寒い。そんな話をされていた。常に死と隣り合わせ。昨日まで仲良く話していた韓国人が次の日には亡くなったという知らせを受けることも。 話していること全てが異世界。興味を惹かれないわけがない。 2022-12-01
35信州で養蚕が盛んなワケ信州で養蚕が盛んなワケ なぜ長野県で養蚕が盛んになったのだろうか。  蚕を育てるには桑の葉が必要だ。その桑を栽培するのに信州の山がちな土地は適していたのだ。日当たりがよく、水はけがよいという条件が揃っていたため桑の栽培が進み養蚕業の発展につながった。2022-12-01
36鐘紡工場跡地鐘紡工場跡地アリオに展示されていた鐘紡工場の写真。かつて鐘紡工場が存在した広大な跡地には現在アリオやサントミューゼがある。2022-12-01
37上田市と大正ロマン上田市と大正ロマン上田市には柳町以外にも旧常田館製糸場、上田蚕種会館、信州大学繊維学部講堂など蚕都を感じさせる建築物が多く残っている。また、市には、このような建物以外にも別所温泉周辺の旅館や施設、またみすずあめの飯島商店、上塩尻など「大正ロマン」あふれる街並みが多く顕在しており、最近では上田を紹介する際にも「大正ロマン」というワードが使われているように感じる。これを活かし、町のデザインや都市開発につながってほしいと考える。2022-11-30
38柳町柳町この街道は「上田市における蚕を活かした都市開発」で述べた歴史的建築物の転換がほかの街道よりも顕著に表れている場所である。その背景として柳町にはかつて栄えていた小宮山製糸があったことが考えられる。町のパン屋さんをはじめとした、歴史的な家屋を改装した店舗が多く風情を残した景色は、歴史を感じることができる上田ならではの発展、街づくりにつながっていくのではないかと考える。2022-11-30
39上田市における蚕を活かした都市開発上田市における蚕を活かした都市開発上田市の景観形成における蚕の役割として、蚕都としての歴史性を重視するというものがある。上田市の景観計画の一部として、かつて栄えていた城下町や養蚕が盛んであった地域周辺の家屋、並びに歴史的資産や街並みの保全をしながら活用することを都市計画の一部に組み込んでいる。特に、建築物や工作物においては蚕室造りといった伝統的な様式の建築物を継承または意匠することを景観における基準としている。また、色彩においても蚕都としての風情を感じることができる落ち着いた色調を求めている。2022-11-30
40蚕種上田③ 旧馬場藤四郎邸蚕種上田③ 旧馬場藤四郎邸今回は旧馬場藤四郎邸についてだ。 この住宅も養蚕業に関わっており、特徴的なのはこの住宅の瓦に家紋がついている点だ。また敷地内に蔵があることからも分かる通り、家がかなり発展していたことが分かる。このことから養蚕業を起点とし、栄えていたことが分かる。2022-11-30
41蚕種上田① 藤本蚕業歴史館見学蚕種上田① 藤本蚕業歴史館見学「蚕種上田」の探求を行う。まず上田にある蚕業に関わってきた歴史的な建造物を見学し、魅力を見聞し、成果を報告する。 今回見学したのは藤本蚕業歴史館だ。この歴史館にはかつて上田で行われていた養蚕業に関する資料が多く保存されている。具体的な資料を見つけたい際にも資料概要が載せられている本があり、養蚕業の歴史を知りたい方にはもってこいな施設だ。2022-11-30
42上田が蚕が有名な理由とは上田が蚕が有名な理由とは上田は養蚕業が盛んです。理由として様々な要因があると思います。まずは、気候の面です。上田は蚕を育てやすい気候をしていると分かりました。また、上田の蚕が歴史を持っているだけではなくて、上田の蚕が世界を救っていると言うことも分かりました。  さらに、養蚕業が盛んであったと分かる痕跡として、上田紬という織物もあります。上田紬という上田の地名がつくほどに栄えていたそうです。  富岡製糸場が製糸工場としては有名ですが、上田にも今でも製糸場が残っています。これは、とても珍しく全国で見ても数カ所にしかありません。  上田が蚕の都として有名であるのは、養蚕業が栄えていたことや、その痕跡が未だに残っていることが大きいと思いました。2022-11-30
43志”まん焼き志”まん焼き昭和初期から開店している富士アイス。 店名の由来である富士山は日本一を自慢しているから、そして長野県で初めてアイスクリームを売り出したことからこの名前になりました。しかし、志”まん焼きの「志」になぜ濁点がつくかはわかっていません。 今川焼きと同様の原料を用いて焼成されても形状が異なると様々な呼称があり、全国各地で同様な食品が作られています。大判焼きのように志”まん焼きもその一つです。2022-11-30
44長野で盛んなジャム作り長野で盛んなジャム作り日本で初めてジャムをつくったのは、明治10年。 東京の新宿にあった勧農局で、そのいちごジャムを試売したそうです。 企業としての始まりは、その4年後、1881年(明治14年)のことで、長野県人により缶詰のいちごジャムがつくられました。 以来、長野県はジャムづくりが盛んになりました。 上田で有名な、みすゞ飴本舗さんや、ツルヤスーパーさんで種類豊富なジャムが売られています。 長野特産のブルーベリーやあんずがおすすめです!2022-11-30
45桑折における養蚕業②桑折における養蚕業②現在桑折町では製糸業は営まれていません。しかし、いくつか名残りのある場所を発見したのでそれについて述べていきます。 まず、桑折町における養蚕業①で触れた郡是製糸工場ですが平成15年に建物が解体された後、東日本大震災の災害公営住宅が建てられています。郡是製糸工場時代の面影は庭園の一角にある「多行松」のみになってしまいましたが、「桑折町蚕糸記念公園」と名を付け、養蚕業によって繫栄した歴史を伝え、町民や来訪者の交流の場になることを願って新たに公園として再生されました。また、桑折町の伊達崎と呼ばれる地区にはかつて養蚕家だった大きな家が見られる他、桑折町の本町通りにある商店街には繭を取り扱う問屋である蚕問屋が今でも残されています。そして、実際に私が通っていた醸芳中学校では校章に桑の葉が2022-11-30
46上塩尻における養蚕業②上塩尻における養蚕業②本来常田製糸場を訪れるつもりだったのですが閉館時間が過ぎてしまい、「手織り上田紬小岩井工房」に向かいました。西上田駅から国道のそばを通り、小道に入った先にありました。遅い時間に訪れたのにも関わらず、ご丁寧に案内してもらい、二階にある機織り機も見学させてもらいました。 上田紬は結城紬(茨城県結城市を中心)と大島紬(鹿児島県奄美大島の奄美市名瀬地区を中心)に並ぶ日本三大紬に選ばれており、丈夫かつしなやかで縦糸と横糸の重なりによって多様な柄や色合いを生み出すのが特徴とされています。 入ってすぐ左側には買い物ができるスペースがとられています。そこで様々な話をお聞きしましたが、中でも小岩井工房の方が考えられたという「りんご染め」の上田紬がとても興味深かったです。りんごの品種と媒染の2022-11-30
47そばが有名なワケそばが有名なワケ長野県といえば信州そばというほどに、そばは長野県の代表的な郷土食です。 郷土食として根付いたのは、やはり各地でそばが栽培されてきたことにあります。 冷涼な気候や狭い土地など、米や小麦が栽培しづらい高冷地に適した農産物として育てられてきたのがそばでした。 そのはじまりを調べると、多く登場するのが山岳修験道の開祖で、奈良時代に活躍した役小角(えんのおづぬ)です。 役小角ら修行僧が携行食としていたそばの実を村人に伝え、栽培方法とともに広がったという伝説が各地に残ります。 昼夜の寒暖差が大きい長野県では、澱粉がしっかりと熟成したおいしいそばを育てることができます。 そばは、主にそば粉と水からつくられるものです。 そして茹であがったそばは冷えたたっぷりの水でぎゅっと締められます。 いま2022-11-30
48養蚕国神社養蚕国神社養蚕国神社は大星神社と一緒になっていて、敷地は広かったですが、養蚕国神社の建造は小さめでした。説明文がわかりやすく書かれており、どのうなことがあったのかがすぐわかりました。 1937年(昭和12年)、上小蚕糸業界の尊崇神ときて蚕影神社の建立を決議しました。 竣工は昭和16年4月28日で、同時に遷宮奉祝祭が執り行われました。以後、関係者によって例年蚕糸祭が開かれています。2022-11-30
49感染対策ばっちり感染対策ばっちり 眞田神社を訪れたときにお参りしようとしたら、鐘を自分で揺らして鳴らすのではなく、手をかざすことによって鳴らすという画期的なものを見つけました。お賽銭箱の上に3つ並んでいたので、順番を待つ時間も短縮され、一石二鳥です。  本当は動画を掲載したかったのですが、うまくいきませんでした。。。2022-11-30
50観光地としての塩田地域観光地としての塩田地域 無言館のそばにある山王山公園にあった看板。  私は今回初めて塩田地域を歩いてみたが、かなり多くの標識や看板があり、道順を調べずとも観光施設などの目的地まで容易に向かうことができた。看板は方向と距離のみがわかるようなシンプルなものだが、英語の表記やイラストもあって外国人観光客にも配慮がなされていた。このような看板の設置は、塩田平が日本遺産に指定されたことで外国人観光客の増加が予想されるためと考えられる。  塩田地域は観光資源や遺産、文化芸術施設が多く存在するが、それらは目立たない場所にあったりそれぞれの距離が遠かったりして、個人で車を利用せずに巡るには少し不便だった。だがこのような観光客向けの看板の設置は、塩田平を初めて訪れた私のような人の不安を解消させてくれる良い存在であり2022-11-30
51別所線再生支援の取り組み②別所線再生支援の取り組み② 別所線では温泉駅前に移転した日帰り温泉施設あいそめの湯に併せ、別所線往復乗車券と入浴券をセットにしたお得な切符を販売されています。他にも一日フリーきっぷ、外湯入浴券付き切符、別所線・信州上田レイライン線電車・バスフリーきっぷなどがあります。 また、別所線の上田駅から別所線までの11.6㎞のうち、下之郷から別所温泉まではまるでレイラインに沿っているかのように見えることから、信州上田レイライン線の時刻表が上田駅にも張られている様子を見かけました。 地域の特性を最大限に活かすための鉄道の運営が盛んにされており、それが地域活性化や別所線再生支援にもつながっていくと思います。2023-01-22
52檻の俳句館檻の俳句館 前山寺まで向かう途中の道にあった俳句を展示するギャラリー「檻の俳句館」。  訪れた日は閉まっていて、建物には蜘蛛の巣が張っていて開放している日があるようには見えなかった。気になったため、向かい側にある上田紬を取り扱う「藤本」というお店で話を伺ったところ、店員の方も俳句館が開いているところはしばらく見ていないらしい。  古い古民家を利用したようなこじんまりとした建物だが、窓からのぞいてみると俳句数点とそれをイメージしたような美術作品が展示されていて、ぜひいつか中に入って見てみたい。  隣には槐多庵というギャラリーもあったがこちらも開館している様子はなく、うまく活用できていないのが大変残念だった。せっかくこだわりの詰まった興味深い建物なので、無言館や残照館と合わせて塩田地域でよ2022-11-30
53前山寺前山寺 真言宗のお寺である前山寺。  マツやサクラなどの並木が両側をおおう約150メートルの参道は、昭和54年に上田市文化財保護条例により市指定記念物に指定された。山に向かって参道を進むと、色あせた木でできた風情漂う門が出迎える。門をくぐった先には国の重要文化財に指定されている三重塔がそびえ立ち、戦国時代から伝わる建築美を間近で楽しむことができた。  入山料は一般・大学生200円。2022-11-30
54別所線再生支援の取り組み①別所線再生支援の取り組み① 別所線の車内や上田駅、別所温泉駅などでは、子ども達の応援の声を見かけることが多く実際に小学生が別所線にのって、地域交流をしている様子を感じます。  駅長による車内のハーモニカ演奏や貸し切りライブなどが行われその際の感想が上田駅にはられている様子を見ることが出来ました。別所線の100周年の際には、SNSにテレビに人気のハラミちゃんが祝福するピアノ演奏を披露していただいたそうです。音楽を通して別所線を応援したり、地域の人々がつながったりしている様子が見えとても温かい気持ちになりました。小さなことでも地域の方々が別所線を大事にしている様子が見えて愛されていることを感じることが出来ました。2022-11-30
55サントミューゼサントミューゼサントミューゼのサントは、かつて蚕都として栄えた上田市の歴史と、日本一の晴天率を誇るため、太陽が燦々と、さらには文化・まち・人を育てるという3つの目標が込められている。 ミューゼはミュージアムからの造語である。2022-11-30
56上田の蚕業上田の蚕業長野県上田市では、かつては蚕業が盛んな地域であった。それを象徴するのが常田館製糸場である。この製糸場は明治33年創業の歴史ある建造物である。当時の養蚕業は日本の近代化の原動力であり、様々な箇所で利用されていた。この施設では、室温度、通風、乾燥などを整えることで、一年を通して平均的に生糸を生産することが可能となっていた。 木造5階建繭倉庫、鉄筋コンクリート5階建倉庫群などは、国指定重要文化財に指定されている。2022-11-30
57四階繭倉庫四階繭倉庫干繭倉として建てられた。東西には窓が一つもなく、通し柱がなく繭の保管や作業に考慮した造りになっています。壁に雨がかからないように、各界部分に下屋がついていました。2022-11-30
58蚕の神様蚕の神様蚕やさなぎ、繭までをかじり荒らす鼠は養蚕を悩ませてきました。鼠駆除のために猫を飼う一方、蚕が良い繭を作ってくれるように猫にまつわる様々な祈願をしました。上田地域周辺では「唐猫さま」と呼ばれていたり、「猫瓦」と呼ばれる猫耳状の二つの角が出ている屋根もあるそうです。 常田館製糸場内の展示にも四匹の猫を見つけました。現在身近な存在である猫が神様として祀られていることが興味深かったです。2022-11-30
59びんぐしの湯 湯さん館びんぐしの湯 湯さん館2022.11.28 2日連続でびんぐしの湯へ。 なんとこの日で7日連続サウナ&温泉♨️ この日サウナに入ると、前日に会った人が。 お互い軽く会釈。 このまま通い続けたら一体いつ話しかけられるのかなー。とかどうでもいいことを考えつつ熱さを我慢。 一回目入った時と二回目入った時では桧の香りに若干の差があった。 ちなみに、私は気がつかなかったが長野大学の学長もこの日いたらしい。 学校の悪口言ってなかったかなー。ヒヤヒヤ。2022-11-30
60安楽寺八角三重塔安楽寺八角三重塔安楽寺と八角三重塔です。八角三重塔に行くまでは、池や木がある道を歩きますが、雰囲気がよかったです。2022-11-30
61上田紬について上田紬について上田紬は結城・大島紬に並ぶ三大紬として江戸時代から称されていた。上田で蚕種の製造がはじまり、生糸にできなかったまゆ、くずまゆを紬の原料にしていた。良質であったため紬織りが盛んになったのだ。今回訪れたのは藤本さんである。こちらは上田東高校から近くの工房だ。浴衣なども織っていて現在も上田紬の魅力を発信している。私自身過去に小岩井公房さんで機織り体験をさせていただいた。とても難しく、職人の多大な労力を要するものであった。そこでお話を聞いたのが、上田紬を後世まで伝えていきたいが、職人不足が問題だとおっしゃっていた。上田にたくさんあった工房も今では2件である。一時期は日本の蚕業を支えていた蚕都上田がこのように衰退してきている。私たち学生が上田紬を使って何か発信できたらなと思う。2022-11-29
62猫瓦猫瓦蚕種で栄えた上塩尻地区では猫瓦というものが多く見られます。 猫瓦とは、名前の通り猫の顔のような形をしておりおまじないとして、屋根につけたものだと言われています。 養蚕農家などによく見られていて、蚕を狙うネズミを寄せ付けないように猫瓦がつけられたそう。 現在でも、上塩尻地域で見ることが出来ます。2022-11-29
63ストーブストーブ2022.11.29 蓼科高校に教育支援へ。 長野の学校は冬になるとストーブが設置されるらしい。今ではエアコンの設置も増えてきたみたいだが、蓼科高校では写真のようなストーブが。 雪国だなぁ、という感じがする。 上には桶に水が張ってありなんだろう?と思い聞いてみると加湿器の役割を果たしているらしい。ストーブの熱が桶に伝わり水が蒸発していた。 去年、徳島県の祖谷のかずら橋に行った時ストーブの上にやかんが置いてあったのを思い出す。お店のおばちゃんがそこからコップに麦茶を注ぎ出してくれた。麦茶の温度はちょうどよかったのを覚えている。2022-11-29
64上塩尻まちあるき:西側の板壁上塩尻まちあるき:西側の板壁上塩尻は千曲川下流域(西方向)から吹き込む風が強いため、桑の葉に付く蚕の害虫であるカイコノウジバエを吹き飛ばすため質のよい桑が取れることが蚕種製造に適していたと言われています。実際にどの程度、西風が強いのかはわかりませんが、風が強かったことを物語っているのが建物の西側の壁一面に張られた板壁です。岩井小路にあるこの馬場邸の建物に西壁の板壁が残っています。風に吹きつけられると漆喰壁が傷むらしく、板壁で覆ってそれを防いでいるということです。 この板壁は景観的にも特色があり、写真集『民家の風貌』(小林昌人著、1994年)にも馬場家のこの板塀の景観が収録されています。2022-11-29
65上塩尻まちあるき:家々の庭上塩尻まちあるき:家々の庭上塩尻まちあるきで訪問できた蚕種製造民家の家々に共通することは、立派な庭を備えていること。母屋は蚕種製造に適した蚕室を備えているため、大きく細長い構造をしている点に特色があります。その前面には庭があり、母屋の構造に沿う形で細長く庭が広がっています。馬場小路の旧馬場邸、清水卓爾邸は共に屋敷の構造が特に類似していました。もう一つの特色は庭の手入れが行き届いていること。庭木の剪定など庭の維持には手間がかかります。こうした庭を備え、かつその手入れが行き届いた姿の庭にすることがその屋敷のステータスでもあるこの地域の文化ではないかと思います。2022-11-29
66上塩尻まちあるき:石垣上塩尻まちあるき:石垣上塩尻まちあるきで改めて参加者が注目したものが見事な石垣群です。上塩尻の大村は北国街道に沿い、かつ、山麓の傾斜地に位置しています。傾斜地に展開する家々には段差があり、それぞれの家々はお城の石垣を思わせるような見事な石垣が築かれています。蔵の土台などにも礎石があり、それぞれに特徴があります。背後の太郎山山系から切り出された緑色凝灰岩が多く使われているらしい。これらの石垣の多くは、かつて高遠の石工が築いたとも聞いています。生半可なまた聞き情報ではなく、その歴史的背景などしっかりと調査する必要があると改めて認識をしました。2022-11-29
67蚕養国神社②蚕養国神社②蚕養国神社で行われた行事の様子がホームページで公開されていて、とても興味深かったです。 関心のある方は、ぜひ見てみてください。2022-11-28
68常田館製糸場常田館製糸場常田館製糸場に行ってきました。 かわいいクラフトや貴重な資料などが展示されており、大変興味深かったです。 私は古い建物が好きなので、とても楽しかったです。2022-11-28
69上田の蚕業について③上田の蚕業について③上田の蚕業について記された記録には、工女の消費活動についても以下のような記述があります。 工場の休日は日頃の長時間労働から解放された工女にとっては楽しいひとときで、小間物屋に寄って化粧品や小物を求めたり、呉服屋で普段着を買ったりしました。おやつの鯛焼きは工女に人気があり、休日や工場の開業前になると店先に行列ができるほどでした。(中略)常田館などのような大きな工場になると、呉服屋や小間物屋などが出張して郷里へのお土産を売りました。(「上田市誌 近現代編(2) 蚕都上田の栄光」135、136ページ上田市誌編さん委員会 平成15年3月1日信毎書籍印刷株式会社より) 既婚でもなく、子どもでもない、大人の労働者である工女たちの消費行動は羽振りが良いように感じられます。加えて、結婚前に、経済力と自由がある2022-11-28
70上田の蚕業について②上田の蚕業について②上田の蚕業について記した記録には、工女の労働待遇について以下のような記述があります。 糸引きは手の器用さが求められることから繰糸の仕事は主に女性が行い、製糸工場で働く人の9割以上は女性で、男性は1割にも満たなかったそうです。製糸工場が盛んになるにつれ労働力を確保するため各工場が工女募集に力を入れるようになり、金銭面の事情から、前貸し金を用意できる大きい工場が有利でした。工女の8割ほどは16~26歳の義務教育終了から結婚前の人たちだったため、勤続年数によって、針箱・鏡台・ちりめん羽織などが出され、長期勤続者になると結婚するときの嫁入り道具が揃うほどでした。工場では休日を利用して、花見や温泉へ連れて行ったり、工場が落語・浪花節・義太夫などを聞かせる慰安会をすることもありました。楽しいひ2022-11-28
71蚕養国神社①蚕養国神社①上田市内には「蚕」の名がつく神社が7社ある。 その中で、蚕が繭になる直前の大きさと同じ大きさの女神像が安置されている蚕養国神社に行ってきた。 昭和12年に上小蚕糸同盟会は蚕糸業界の尊崇神として蚕影神社の建立を決議したが、具体的には上田大星神社の摂社蚕養国神社の増営をすることとなった。工事が完了したのは昭和16年6月28日で、同時に遷奉祝祭が執り行われた。以後関係者によって例年蚕糸祭が開かれている。2022-11-27
72常田館製糸場見学まとめ常田館製糸場見学まとめ常田館製糸場を見学させて頂いて改めて、蚕糸業、製糸業について興味を持つことができました。常田館製糸場の施設15棟のうち7棟は重要文化財、他の施設は上田市指定文化財に指定されており、貴重な建物であることが感じられました。 分かったこととして、建物の至る所に繭を守るための工夫がされていると感じました。その中でも国内唯一の木造五階繭倉庫は存在感があり、繭を守るため扉が四重になっているそうです。長い歴史の中で最善の工夫がされてきたから、ここまで建物が残り、製糸業が続いているのだと思いました。そして養蚕業、製糸業が上田の発展を支えてきたのだと感じました。 今回は予約をとっていなかったので、五階繭倉庫の中は見学することはできませんでしたが、団体で見学する際は予約をとって、ガイドをしてもらい、2022-11-26
73二十四の瞳二十四の瞳2022/03/01 二十四の瞳の舞台。小豆島へ。 小豆島というと私が思い浮かぶのは「オリーブ」「二十四の瞳」「昔の車のCM」。小学校の頃からいつか行きたいな~。と思っていた。 小豆島に入ってすぐに、二十四の瞳の像が。 うわ~、ホンモノだ。写真で見てたやつ!となり小豆島に来たんだな~と実感した。 その後、車で小豆島を回り念願の「二十四の瞳映画村」へ! しかし、なんとコロナウイルスの影響で臨時閉館していた。行きたくてたまらなかった私はすき間から映画村をたくさん覗いた。 二十四の瞳映画村がしまっていてショックを受けたのかなと思いながら、この日の日記を見ると 「二十四の瞳映画村にいくと臨時休館していた。また小豆島に来る理由ができた。ラッキー!」(当時の日記より) と書いてあった。 いや、、どん2022-11-25
74びんぐしの湯びんぐしの湯2022/11/23 2ヶ月ぶりにびんぐしの湯へ。 びんぐしの湯は上田市と上山田温泉の中間地点にある温泉。10月1日~11月18日まで改修工事をしていたため長い期間来ることができなかった。11月19日にリニューアルオープンするということで楽しみにしていた。 もともと非常に綺麗な施設だったためどこをリニューアルするんだろうと思いながら向かった。 私が気づいた中で大きく変わったと思うところは「サウナ」と「森林浴テラスと展望テラス」。 特にサウナは全面ヒノキで張り替えられていた。新しい木の香りがする非常に綺麗なサウナに入ることができた。 他にもレストラン、大広間に移設したキッズコーナーなどがリニューアルしている。 この機会に是非。2022-11-25
75中間まとめ中間まとめ上田に触れて感じたことは二つあった。自分が感じていた以上に「良い街」だったことと直接見てみなければわからないような魅力があったことだ。僕は探検の内容を決める際、パンフレットを参考にルートを決めたのだが正直上田市の魅力に対して、半信半疑なところが大きかった。しかし実際に足を運んでみると、昔ながらの街並みや上田の歴史を感じられる場所が多くあった。特に上田地域の凄みを感じたのは残されている歴史資料の多さだ。僕が住んでいた地域ではここまで多くの資料は存在していなかったと思います。上田市公文書館やマルチメディアセンターなど、資料を補完する施設が多くあり、ほかの地域と比べて歴史的な魅力が特に多いと感じた。具体的には養蚕業や地域に伝わる郷土料理、政治に関する文献などが残っており、特に養蚕2022-11-24
76日光東照宮日光東照宮栃木県、日光東照宮へ。 人生で一度はいきたかった日光の紅葉。 秋になると写真で見ては遠いなと思っていたが空き時間ができたため見に行った。 観光客がとても多く賑わっていたが、 少し道を外れると静かに紅葉をみることができた。日光の紅葉はとにかく強い赤だった。 自身2回目の日光だったが、とても感動した。前回は5月で今回は11月。 きせつによって感じ方は大きく違う。2022-11-22
77現時点での登録者数の推移現時点での登録者数の推移先週は予定が立て込んでおり動画の投稿はできませんでした。 ですが先週の研究報告での動画によって登録者数がかなりの数増加したので(その動画については先週の研究報告をご覧ください。)、その経緯をメモ書き程度ですが残しておきます。 投稿日 11/13 登録者数127 11/14 147 11/15 170 11/16 200 11/17 215 11/18 240 11/21 256 この報告を記入している時点で過去48時間で3016回再生、総再生時間1195時間というこれまでにない数字になっています。 今後の課題としてこの数字を維持できるか、また維持できなかったとしても最低限のマイナスに留められるかが挙げられます。2022-11-21
78蓼科高校学習支援中間報告蓼科高校学習支援中間報告これまで蓼科高校で「蓼科学を通して自分の興味関心を外部に発信し、『成功体験』を得る」という目的のもと、全10回、これまで6回の授業を行った。授業内容は以下の通り。 1 9 月 26 日 校内ミニ探検 自分の興味を地域に向ける導入体験 2 10 月 3 日 立科町を探ろう 立科町の情報ゲット 3 10 月 17 日 立科町探検隊 Part1 4 10 月 24 日 立科町探検隊 Part2 5 11 月 7 日 探検を記事にして伝える 1 6 11 月 14 日 立科町探検隊 Part3 7 11 月 28 日 探検を記事にして伝える 2 8 12 月 5 日 クイズ作成 9 12 月 12 日 クイズ大会リハーサル 10 12 月 19 日 立科町クイズ大会(立科小)  全3回フィールドワークで長門牧場・蓼科第二牧場・芦田宿・道の駅・権現の湯に訪問をした。  3回のフィールドワークを通して、生徒の立科町に対する興味の関心は全体的に薄いという2022-11-21
79コミュニティスクールコミュニティスクール埼玉県の方へ用事があり行った際、ある中学校の門に写真のような横断幕がかかっていました。 コミュニティスクールとは、学校内だけではなく保護者はもちろん、学校外の地域の方と繋がりを持って学校運営をしていく学校のことです。 長野県にも独自のコミュニティスクールなどは存在しますが、これほど大きな横断幕を掲げている学校を私は見たことがありませんでした。 実際、この学校がどんな取り組みをされているかは分かりませんが、「コミュニティスクールである」という情報をこれだけ大々的に掲げられるのは素敵だなあと感じました。 そして、長野県を離れても、学校の取り組みのことへ意識が向いている自分がいたことにも驚きました。 これからも様々な取り組みに視野を向けていきたいと思います。2022-11-21
80長岡天幡宮長岡天幡宮2022/02/23 京都府長岡八幡宮。 日頃、他人に見せることはほとんどないが御朱印帳の裏に書いている日記を書いてみる。 2022.2.23 京都「長岡天満宮」 太宰府天満宮と同じ、菅原道真公が祀られている。境内までの道のりは大きく異なるが、中は似たものが多かった。 本殿の隣の飛梅・牛の像。 ふと昔のことを思い出し、感傷に浸る。 おじいちゃんといろんな所に行ったな。キジマとか天満宮も、白糸の滝も。 「いつでも楽しそうに」 これからも続ける。2022-11-19
81今治タオル今治タオル2022/02/25 愛媛県今治市へ。 急にどこの紹介をしているんだと思われそうだが、日付を見てほしい。これから、投稿する写真は春休みに四国、中国地方を回った思い出。日付もバラバラだが、思い出しながら書いていく。 この今治タオルカフェは非常にシンプルなデザインで良い空間だった。ここでは、今治タオルを使用したヘアバンドを2つ購入。(母と妹に) 値段は2000円弱だった気がする。 今治タオルは説明不要かもしれないが今治タオル工業組合が製造するタオルのことで実は1つのメーカーというわけではない。認定されると今治タオルブランド認定され有名な赤・白・青のタグがつく。 ちなみに私の使っているタオルは今治タオルと佐賀県のタオル美術館のものである。2つとも吸水性が非常に高く肌触りもよい。おすすめ。2022-11-18
8210/31 塩尻小学習支援10/31 塩尻小学習支援10月31日に塩尻小学校の児童がデジタルマップ「塩尻小まなびサイト」に記事を投稿するお手伝いをしてきました。 今回はサポートとして参加したので教室の後ろの方で見守っていましたが、どんどんと記事を書き多い人は5件ほど投稿できていて驚きました。 普段から少しクロームブックを使っているとのことだったのですが、ローマ字でどんどん文字を入力していっている児童が多かった印象です。 みんなその場で天井の写真を撮ったので同じような写真ばかりになっていましたが、その中でもしっかり説明文を書いている児童が何人もいました。 児童からは「これから地域探検や写真を撮るときにこのサイトを使ってみたい」という声もあり、今後に活かせる学習の支援ができたのではないかなと思います。 次の神川小の学習支援を行うにあたり参2022-10-31
83d-commons.net考察 その3「記事まとめ機能」d-commons.net考察 その3「記事まとめ機能」先日のd-commons.net研修会アンケートに、以下の意見が上がった。 ・授業ごとや単元ごとにトピックを作成できる機能 ・クラスを作れる機能、その時間ごとに投稿できる機能(授業ごとできるように)→後にすぐにフィードバックができるように ・1年1組などクラスを分ける機能。 ※教員向けd-commons.net(eduスクウェア)の研修会 アンケート結果 この回答についてよくよく考えてみると、d-commons.netには複数の人が投稿した記事を簡単かつ見やすくまとめる機能が存在しない。 例えば、「マイテーマ」で自分の記事を連ねる事は可能だが、他者の記事を一緒くたにすることはできない。 一応、他者の記事を一緒にまとめるだけなら現時点でも可能である。 記事のURLを貼り付けて投稿すればある程度のま2022-11-17
84上田探索 中間まとめ上田探索 中間まとめ2日間に渡り、西部地域と街中を探索した。上田市は相対的に文化的な雰囲気と若者を対象とした近代的な雰囲気を兼ね持つ素晴らしい地域だなと確信した。地域の人たちが、意図的にその歴史から成る文化を守り提供してくれているのだなということが、実際に足を運び、その文化に触れることで強くそれらを感じることが出来た。具体的には、その文化がある場所の周りを開拓せず、所有・保護し、その土地の説明の看板などが立てかけられ、見る人によく伝わるような工夫が様々な形で現れていた。上田市は過去を現存させ、後世に伝えていくための必要不可欠な地域であるということが分かった。この過去を伝える工夫や、大切にする気持ちなどを地元の地域へ持ち帰りたいと思った。2022-11-17
85上田探索 中間まとめ上田探索 中間まとめ今回2日間のまちなかと西部地域探索を通して。まず、まちなかには地元に愛されているお店や観光客が訪れるスポットがあった。このようなお店が町おこしになり地域を盛り上げるきっかけになっていることがわかった。次に西部地域では、昔からの歴史的なものがたくさん残っていた。町や道を守るためのお守り的存在だったため今も大事に残されていることがわかった。 上田市は長野市や松本市と違って魅力に欠ける市なのでここでしかできないこと(体験、イベント、地域の特性を活かした施設)を行っていくべきだと考えた。2022-11-17
86中間まとめ中間まとめ西部地域散策には行っていないが、別所方面には行った。 自然が美しく歴史を感じさせる街並みや建造物が多かったので落ち着いた雰囲気をしていた。2022-11-17
87上田の食文化⑤ 〜蕎麦編〜上田の食文化⑤ 〜蕎麦編〜長野県自体がそばで有名ですが、特に上田のそばは「田舎盛り」と呼ばれる盛りの多さが有名です。確かに自分が食べに行った時も、一人前を頼みましたが結構多いと感じました。 また、東御市がクルミで有名なため、くるみだれのそばや、クルミおはぎもセットで頼むのもよく見られます。 (関係ないですが、このだし巻き卵が、普段は甘めのだし巻きは絶対食べないのですが、これは甘味が優しくて食べやすかったです。)2022-11-17
88eiabolation中間まとめeiabolation中間まとめ西部地域と別所温泉付近を散策してきました。西部地域の方面は訪れることが少なく、どういったスポットや歴史的なものがあるのかを知らなかったのですが、調べたり歩いている途中での発見がありました。別所温泉付近は初めて行ったのですが、歴史的景観や温泉や歴史のある建造物などたくさんのスポットがありました。2022-11-15
89蚕神の像蚕神の像かつて日本の蚕種・製糸業をリードした上田の玄関口らしく、上田駅のエントランス前には、故中村直人画伯から贈られた「蚕神像」が飾られている。2022-11-14
90佐藤家住宅等見学会2022/10/29(藤本蚕業プロジェクト主催)[終了]佐藤家住宅等見学会2022/10/29(藤本蚕業プロジェクト主催)[終了]令和4年度長野県地域発元気づくり支援金事業「藤本蚕業資源活用事業」 佐藤家住宅・旧佐藤宗家/藤本蚕業歴史館見学会 蚕種の里とも呼ばれた上田市上塩尻に残る全国的にも希少な蚕種製造施設/蚕種製造民家を見学し、建物に触れながら建築上の特色や歴史的背景などを学び、地域づくりに活かしていきます。見学会の様子をデジタルアーカイブ化し、全国に向けても情報発信する機会とします。 【見学内容】佐藤家住宅(三ツ引)(2021年国登録有形文化財登録)、旧佐藤宗家(蚕室2 棟と邸宅跡)、藤本蚕業歴史館(旧藤本蚕業社屋)を見学。藤本蚕業歴史館展示室を事前開放。 【日時】2022 年 10 月 29 日(土) 14:00~16:00 雨天決行 (歴史館の事前見学 13:00~) 【場所】藤本蚕業歴史館に集合(長野県上田市上塩尻 248)駐車場あり 【主催】藤本蚕業プロジェ2022-11-14
91d-commons.net考察 その2「方法はあるがやり方が分からない機能」d-commons.net考察 その2「方法はあるがやり方が分からない機能」以前行ったd-commons.net研修会アンケートに「複数の画像を投稿するやり方が分からない」といった意見があった。 ※教員向けd-commons.net(eduスクウェア)の研修会 アンケート結果 この意見を読んだ際「やっぱり」という感想を抱いた。 画像選択の方法自体は存在する。Ctrlキーを押しながら投稿したい画像をクリックすることで複数選択が可能である。 しかし、この方法はPCの扱いに慣れている人には常識かもしれないが、扱い慣れていない人には分からないだろう。同じ疑問を抱く利用者は、今後も出てくると思われる。 (複数の画像を一括で投稿し、かつ備考欄も設けてある「クリップファイル機能」が存在する。クリップファイルはとても便利な機能だが、登録方法がやや複雑である。 ※2022-11-14
92ハート型の模様があるの猫ハート型の模様があるの猫先日アリオ上田の近くを歩いていたところ、ハート型の模様がある猫を見つけました。とても可愛らしかったです。2022-11-14
93union plusunion plus上田市にある猫パンやアイス、ベーグルなどを販売しているお店です。他にも店内にはインテリアも販売しており、とてもおしゃれなお店です。外にはテラス席もあり、トースターで焼いたベーガリーがとても美味しかったです。2022-11-14
9411/7 神川小地域学習支援② 「神川まなびあいひろば」記事投稿11/7 神川小地域学習支援② 「神川まなびあいひろば」記事投稿全3回ある授業の2回目です。 10月27日の地域探検で撮ってきた写真を「神川まなびあいひろば」に投稿する学習支援を行いました。 私はサイトの説明から、記事の書き方、投稿の仕方まで説明をしましたが、塩尻小の時とは違い説明する側は初めてだったので、小学生に理解してもらえるように説明する事への難しさを感じました。 最初はみんなで一緒に記事を書いていたのですが、やり方がわかってからはどんどんと記事を書いていて、中には2.3件記事を書き投稿している児童もいました。 クロームブックにまだ不慣れな様子でしたが、手書き機能や音声機能を使いながら時間いっぱい取り組んでくれていました。 他のクラスメイトや他のクラスの人の投稿を見ながら友達と話をしたりと面白がって取り組んでいる様子が見受けられました。 11月21日に2022-11-07
95モアイ像モアイ像なぜか上田にはモアイ像がいっぱいいる気が。 町中の居酒屋さん?の前でモアイを発見。 上田東高校前のファミマにもモアイが! 調べてみたら上田だけじゃなくて長野県的にたくさんいるみたいでした。 なぜなのかを調べたかったのですが理由については不明です。世界遺産になっているイースター島のモアイ像の設立理由も謎のままのようなのでちょっと似ているなと思いました。2022-11-13
96なくなった長野県庁東庁舎なくなった長野県庁東庁舎長野県庁にかつて東庁舎がありました。県庁の真ん前の道路に面して建っていました。築年数は知りませんが、相当に年季が入った建物でした。 1枚目の写真は2007/06/15に撮ったもの。どのような建物だったかがよくわかります。3階建です。 2枚目の写真は先日2022/11/11に撮ったもの。建物は完全になくなり、跡地は駐輪場になっていました。ちなみに現時点(2022/11/12)時点でGoogleMapを見ると長野県庁東庁舎がまだ描かれています。 3枚目は本庁舎。道路側の東庁舎がなくなったおかげで庁舎側面がこの上なくよく見えています。2022-11-12
97上田探検隊中間まとめ上田探検隊中間まとめ今まで存在自体は知っていたが行ったことが無かった場所に行き新たな発見が沢山あった。自分が上田市民でありながら上田市について全く詳しくないのだと思った。そのため、これからもっと上田市について興味を持って向き合っていきたいと考えた。2022-11-12
98d-commons.net考察 その1「SNS化が求められている?」d-commons.net考察 その1「SNS化が求められている?」先日のアンケート結果の中で、このような要望が複数上がった。 ・地域と共有する機能 ・いいね等のアクションボタン ・コメント機能 ※教員向けd-commons.net(eduスクウェア)の研修会 アンケート結果 以上の要望の共通点は、投稿者と閲覧者に繋がりを作る機能、即ちSNSの機能である。コメント欄やいいねボタン等は、ツイッターやインスタグラムに搭載されているスタンダードな機能であり、これらが無くては他者と結びつくことはできない。今回のアンケートでは、コメント欄の設置を求む声が多かった。 SNSが一般化した今日に適するためにも、学習という観点からもSNS機能は有用だと考えられ、実装が求められる。 SNS機能の実装によるメリットは、以下のとおりである。 1、投稿者と閲覧者の2022-11-12
99上田市マルチメディア情報センターを学生と見学上田市マルチメディア情報センターを学生と見学11/10、1年生の課題発見ゼミの課題発見「上田のelaboration」の一環で上田市マルチメディア情報センターを見学しました。この施設が開所したのは1995年、それから約四半世紀が過ぎ、社会の状況も大きく変化しました。開所当時、次世代産業としてもてはやされたマルチメディアは現代においては「DX」として語られる段階へとパラダイムシフトしました。施設名自体がその歴史を物語っています。建物の前に植えられた欅の黄葉が眼前に迫って印象的でした。植樹当時は低かった樹木が成長した景観美もまた施設の歴史を物語っています。 見学では施設内の施設見学の他、同館収蔵のSBC(信越放送)制作による1964-65年の記録映像などを鑑賞しました。アーカイブ映像が次世代の地域の歴史認識の情報源となることも改めて実感をしました。2022-11-12
100塩尻小学校学習支援の様子➀塩尻小学校学習支援の様子➀10月31日(月)の塩尻小学校3年生を対象に実施したデジタルマップの学習支援の様子です。肖像権の関係で写真はぼかしてありますが、実施してみて感じたこととしては、時間が短いながらも児童1人1人が記事を1件投稿することができていて、とても良かったです。タイトルや説明文に何を入力するか悩んでいた子も多かった印象でしたが、実施する中で少しでも面白さを知ってもらえたのではないかと思います。 また、私自身児童の前でデジタルマップの使い方などを説明することが初めてで、実際行っている中でも上手く進行できなかった部分もあったと思いますが、こうしてデジタルマップを使った学習の面白さを児童に伝える機会を作っていただくことができ、私にとっても良い機会となりました。2022-11-11
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