| 写真 | タイトル | 説明 | 登録日 |
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1 | | 塩田平の民話や伝説について まとめ | 塩田平の民話は、現場に行って体験しないと気づかないこともあると思った。例えば、前山塩野神社の伝説の拝殿に彫刻された龍が出てくる話は、文だけを見て、龍は一匹だけなのかなと思って読んでしまったのだが、実際に前山塩野神社を見てみると、龍は複数彫られている。(写真参照)そのことから、目玉をくり抜かれた龍はどれだったのか。はたまた複数いたのではないか。と色々考えることができるため、現場に行かないと分からない面白みが塩田平の民話にはあると感じた。したがって、塩田平の民話に興味を持った際には、ぜひ民話の現地に行って体験してみることをおすすめする。また、縁結びの美欄樹の話など、インターネット上で紹介されていない民話が塩田平には存在していたことが分かった。加えて、自分が調べた限りでも、塩田平 | 2024-01-26 |
2 | | 西塩田時報から見る ラジオ放送の普及 | 1925年ラジオ放送が開始され、我が国の現状や問題点、将来性や、欧米諸国との比較について言及されていました。上田地域でもラジオ放送が聞けるようなり、西塩田時報からも当時の様子が記されていました。この後急速にラジオ放送が普及していくのですが、その背景について、考察していく。
| 2024-01-24 |
3 | | 信州シルクストーリー《千曲川流域編》 | シルクロード長野ネットワークが「信州シルクロード」の観光資源、産業遺産を広く知っていただくために作成した冊子。物語を活用して信州シルクロードのより一層の観 光資源の意味付け、魅力ある観光地の創造を目指して作成した。
●内容(目次)
小諸 小諸のシルクストーリー
小諸のシルクスポット 酢久商店、氷風穴
上田 上田のシルクストーリー
上田のシルクスポット 信州大学繊維学部講堂、旧常田館製糸場
松代 松代のシルクストーリー
松代のシルクスポット 旧横田家住宅、松代まち歩きセンター
須坂 須坂のシルクストーリー
須坂のシルクスポット 須坂クラシック美術館、臥竜公園
温泉街にもシルクストーリー? 別所温泉
別所温泉のシルクスポット 倉澤家蚕室、氷沢風穴
その他のシル | 2023-10-16 |
4 | | 蚕都上田ものがたり~歴史のとびら~ |
今から約百年前、日本は世界の蚕糸王国であり、蚕糸業は外貨獲得の中心産業でした。
この産業において、長野県は日本の蚕糸王国でしたし、上田はその長野県の蚕都でした。
(『蚕都上田ものがたり』前文)
制作・発行 蚕都上田プロジェクト「蚕都上田ものがたり」編さんチーム
発行日 2012年3月30日 | 2023-10-05 |
5 | | 蚕都上田年表 |
歴史を学ぶ楽しさを知っていただく「はじめの一歩」として、「蚕都」の歴史・文化に関わる「年表」をご用意しました。様々な「ものがたり」を紡ぎだす歴史をあなたも発見してみませんか?
(年表解説文から編集)
参考資料『上田市誌』他
制作・発行 蚕都上田プロジェクト
発行日 2012年3月30日 | 2023-10-05 |
6 | | 蚕都上田マップ2【上小地域】 | 「上小(じょうしょう)」は上田小県の略称です。当初の上田市はエリアが小さく「蚕都上田」は「上田小県」を意味していました。「塩尻地区」「塩田地区」「旧丸子町」などが該当します。
小県(ちいさがた)は蚕都上田を支える後背地域であった。千曲川沿岸では養蚕とともに蚕種製造業が発達した。丸子町は岡谷、須坂と並ぶ製糸都市に成長した。
(マップ解説文から編集)
基図『小県郡及上田市地図』(信濃教育会小県上田部会, 1930年)
制作 蚕都上田プロジェクトマップ部会
発行日 2010年3月31日 | 2023-10-05 |
7 | | 蚕都上田マップ1【市街地】 |
城下町であった上田は北国街道の宿場町でもあった。江戸時代後期以降の蚕種業、製糸業の発達によって市制を施行した上田市(1919年~)は蚕都と呼ばれるようになった。
(マップ解説文から編集)
基図『上田市全図』(上田市役所, 1928年)
制作 蚕都上田プロジェクトマップ部会
発行日 2010年3月31日 | 2023-10-05 |
8 | | 真田氏最古の文書は信玄からの書状 | 「其の方年来の忠信、祝着に候。然らば本意の上に於て、諏方(訪)方(形)参百貫并ならびに横田遺跡上条、都合千貫の所これを進じ候。恐々謹言。
天文十九庚戌
七月二日 晴信(花押)
真田弾正忠(幸隆)殿」
この文書が効力を持つことになったため、上田の地にかなりの土地を得ることができたわけでありに幸隆の子昌幸が上田城を築くもととなったともみられる文書であり、その意味でも貴重なものであるとされています。
武田信玄は真田一族と深い関わりをもっていることがわかります。
https://museum.umic.jp/sanada/siryo/sandai/020202.html | 2023-01-30 |
9 | | 向源寺宛武田信玄朱印状 | この文書は戦国時代の永禄九年(一五六六)武田信玄が、重臣の三枝〔さいぐさ〕宗四郎昌貞に命じて「武田方の軍勢が向源寺(当時上田原にあった)境内で陣をとることを禁じ、もし命令に背〔そむ〕く者がいたら、子細〔しさい〕(くわしい事情)を申し出るように。」と、向源寺に伝えた朱印状だそうです(資料参照)。
信玄は信濃国へ、幾度か軍勢を出して合戦を繰りかえしています。このようなとき勢力下におさめた地域の主な寺や社を大事に扱うことが、民の心を安定させるために、大切であることを心得ていて、特に寺社に迷惑がかからぬよう、心配りをしていたことを物語る文書として貴重なものです。」
神仏への信仰心がもたらす力は信玄自身が一番実感していたがための行動だったのではないかと考えさせられます。
https://museum.umic.jp/bunkaza | 2023-01-30 |
10 | | 塩田から見る | 私は信州上田学の授業を通じて、塩田の地域の発展に必要なことを自分なりに考えました。 | 2023-01-26 |
11 | | 上田マルチメディア情報センター振り返り | | 2022-11-17 |
12 | | 上田探検隊・中間まとめ | 私は、2日間の上田の体験を通して、上田の今まで知らなかった数多くの魅力に気付くことができました。私は、探検前は、上田は「真田丸がいた」というイメージが強く、逆にそれ以外の印象があまりありませんでした。しかし、真田丸以外の歴史も深く、その歴史に基づいた数多くの歴史的建造物にあふれているということに気付きました。まだ未発見である上田の魅力も多いと思うので、もっと上田について知りたいと思うようになりました。 | 2022-11-07 |
13 | | 地域の魅力発信サイトの事例 | 信州上田デジタルマップにて自分の地域を紹介した際に、工夫された発信サイト・メディアであったり、気軽に普段の生活風景を投稿し発信することが、地域の活性化に必要なことではないかと考えたため、このような地域の魅力発信サイトを行っている事例を調べて、今後地元の発信力につなげたいと思ったため、このテーマに設定した。6つの事例をWordにまとめた。 | 2022-08-09 |
14 | | 『埋もれた歴史』自費出版の労作 | 今から3年ぐらい前になるのかな?
ふだんは翻訳のお仕事をされている東郷えりかさんが歴史の探求で上田市に来られてその時にお話をお聞きし、上田市教育委員会にご案内しました。その探究成果を『埋もれた歴史』という書籍にまとめられました。それが2年前の2020年です。
書籍の表紙の写真にご注目ください。馬に乗る人物が最後の上田藩主松平忠礼です。その傍に佇む方が東郷さんの高祖父の方になります。この方は「門倉伝次郎[LINK]」です。『上田市史・下巻[LINK]』(1940年、1238~1239頁)に記されています。
幕末、上田藩上屋敷は隅田川に面した浅草瓦町、幕府の御蔵のすぐ隣にありました(「 | 2022-05-08 |
15 | | 上田小県の感染症に関する情報源泉ピックアップ | 『上田小県における感染症の歴史』 発刊記念研究発表会(2022/03/26)およびブックレット内容に関連する一次資料の一部を以下にピックアップします。
★私共の村(『塩尻時報』第14号1920/03/11)
★トラホーム予防に就て(『塩尻時報』第14号1920/03/11)
★第二章 近代上田のはじまり/第四節 新しい生活環境へ
一 病気と対策
二 予防・衛生の普及
三 病院と医師・保健所
(『上田市誌 第14巻 近現代編(1)「新しい社会を求めて」』66~72頁)2002年10月)
★加美畑神社の疱瘡社(『神畑村誌』163,260頁)
★川辺村の赤痢1914年(『神畑村誌』163 | 2022-04-03 |
16 | | デジタルコモンズが拓く地域資料のデジタルアーカイブ化 | ▲デジタルアーカ犬
前川道博 d-commonsプロジェクト/長野大学
【1】消費する知識から活用する知識へのパラダイムシフト
知識消費型社会から知識循環型社会へのパラダイムシフトが今世界中で起きています。これまでの社会では知識を書籍や講座などから受け取るものが知識、学問分野の権威が提供する知識、それを獲得することが学習と思い込まれてきた傾向があります。知識の源泉の一つは、それ以上は遡れない情報源、つまり一次資料にあります。書籍や講座は研究者などが咀嚼・編纂した二次情報に過ぎず、受け手は普通それを受け売り(消費)することぐらいしかできませんでした。さらにはデジタルな手段が当たり前に使えるようになったことにより、知識とは活 | 2022-03-13 |
17 | | 第28号『上田小県における感染症の歴史』 | 上田小県近現代史研究会ブックレット第28号『上田小県における感染症の歴史』
【編著・発行】上田小県近現代史研究会
【発行】2021年12月10日
【定価】600円(税別)上田市内の書店でお買い求めください。
パンデミック(世界的大流行)はこれまでも幾度となく立ち現れ、先人たちもその度に脅かされてきました。多くの命が奪われ、社会活動に支障をきたしました。しかし、その都度全力で立ち向かい、できる限りの対策を講じて乗りこえようとしてきました。なす術もないと思われた時でさえ絶望せず、しばしば神仏に疫病退散を祈り続けました。(略)
もう一度各章にわたり取り上げたテーマについて、明らかにできた教訓や課題、厳しい条件の中でも命や暮らし、さらには文化を守るための人々の努力があったことを確認してみましょう。( | 2022-03-13 |
18 | | 当研究会発行のブックレット バックナンバー | 号によっては品切れがあります。上田市内の書店でお買い求めください。または上田小県近現代史研究会事務局へお申込みください(下記に住所記載)。
号数 ブックレットタイトル 著者 発行年月
1 『深町広子と上田自由大学』上原民恵[著] 1995.03,2000[改訂]【品切れ】
2 『上田小県地方に空襲があった』新津新生[著] 1996.07,2005[改訂]【品切れ】
2 『上田小県地方に空襲があった 増補改訂版』新津新生[著] 2005.07【品切れ】
3 『信州の鎌倉 別所温泉―歴史と文化―』上田小県近現代史研究会[編] 1997.10,1998[改訂]【品切れ】
4 『金 | 2022-03-06 |
19 | | 満州移民② | こちらの記事は先ほど紹介した小林信悟さんの満州での生活を記したものである。
これを見る限り、渡った先では農耕班として農業をしており、食事に関しても毎日白いお米を食べることができたり、週一でカレーを食べていたりと充実しているように見えた。休日に関しては、月に2~3回と現代と比べればとても少なく感じた。こちらの資料も実際の生活状況が伺える貴重な資料であると感じた。 | 2022-01-27 |
20 | | 満州移民① | こちらの記事は満州移民として満州へ行った小林信悟さんの話についてである。
当時長野県から満州移民として満州と渡った人数が約31000人で一位だという。第二位の山形県が15000人弱であるからダントツのトップである。
この記事ではここ上田から満州とへの経路で起きた出来事が詳細に語られている。このような詳細な資料は現在体験された方が減少していっているため非常に貴重な資料であると感じるとともに、その生々しさがひしひしと伝わってきた。 | 2022-01-27 |
21 | | 壮行會 | こちらの記事は小學校での行事を示した記事である。
今と少し異なるところが5月27日と3月10日に行われた行事だ。
5月27日には海軍記念日として登山を、3月10日には陸軍記念日として記念講話を行っている。これらはどちらも軍を重んじた行事であり、小學校からこのようなことが行われていたと言うことを生の資料から受け取ることができた。
記事はこちらから
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0078.jpg | 2022-01-25 |
22 | | 勤儉週間 | こちらの記事は勤儉週間についての記事である。
勤儉とはよく働き、倹約することの意である。戦地にいる兵隊が苦労しているから私たちもきちんと働き倹約しようという意味を込めてのものだと考察した。
標語である「今日の勤儉 明日の極楽」や「家を興して国を富ませ」等は当時の考えを体現したものだと感じた。
また「一銭を笑ふものは一銭に泣く」という標語が個人的に気に入った。今も昔もお金は大事。
記事はこちらから
1枚目:https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0058.jpg
2枚目:https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0153.jpg | 2022-01-25 |
23 | | 徴兵 | こちらの記事は徴兵検査の結果についての記事である。やはり戦争ということで徴兵についての記事は多く見受けられた。徴兵検査の結果や徴兵適齢届の存在、また、小学校で兵士の壮行会が行われていたり徴兵検査の心得等々多様なものを発見することができた。
一つ疑問に思ったは、1枚目と2枚目からわかる通り、徴兵令が出されており届出をしないと罰せられるのにも関わらず、結果として31名中10名(6名が無名とあるため16人までの可能性あり)という少し低めな合格率であることだ。徴兵として集められても合格できなかった人は一体何をして過ごすこととなるのだろうか。
記事はこちらから
1枚目:https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0006.jpg
2枚目:https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0016.jpg
3枚目:https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0060.jpg
4枚 | 2022-01-25 |
24 | | 現役兵 | この記事は塩田の村における現役兵を示したものである。
大勢の方の名前が記されているが、私が疑問に思ったのは左側に書かれている「海軍」についてだ。筆者は横須賀という文字から神奈川に配属された兵だと考察をした。なんとなく海がある県の方が適していると感じているが、長野県は海無し県であるのにも関わらず海軍に任命されるのが少し疑問に思った。
記事はこちらから
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0003.jpg | 2022-01-25 |
25 | | 信州は山の国 | 信州も信濃も、ほとんどいまと同じ長野県のことだと、初めて知りました。
信濃の地名は、山国の地形から「段差」を意味する古語である「科」「級」(しな)に由来しているとされ、名付けられ方で分かるとおり、坂と峠の多い県です。
長野県は、四方八方を2,000~3,000m級の山々に囲まれたまさに山国。県面積は、1万3,562.23平方キロメートル。(境界未明含む)全国第4位の広さです。
総人口は206万5,359人 (2,018年7月1日時点)ですが、
人口密度は1平方キロメートルあたり152.3人で、全国で下から9番目と少ないことも、山国の特徴。
県のほぼ全域が標高500メートル以上、
可住地面積の割合が低く、また人口密度(1平方キロメートルあたり)も152.3人と全国で第38位にランクインするぐらい少ないなど、山国の特徴が顕著に出ています。
特に、妙高山(2,454 | 2022-01-24 |
26 | | 上田藩の死者数、正福寺の千人塚 | 千曲川流域には、「戌の満水」の流死者供養塔が幾つも残されている。それには2種類ある。一つは、多くの犠牲者を出した現地に建てられたもの、もう一つはたくさんの流死者が流れ着いて埋葬された場所に建てられたものだ。千曲川の上流では、上畑村(佐久穂町・248人)小諸城下(小諸市・507人)所沢川流域の金井村(東御市・130人)田中宿・常田村(東御市・68人)などで多くの流死者を出した。そして、まず大量に流れ着いたのが、上田だった。
「千曲川も上田まで来ると、流れが緩やかになる。上流から流されてきた死体が上田に流れ着いた。上田藩主の命令で段丘上の秋和の正福寺の門前に引き上げ、埋葬して、後に碑を建てた。それが千人塚と呼ばれている。また正福寺境内には石造地蔵尊があり、縁者がたくさん亡くなっ | 2022-01-24 |
27 | | 小林昌人「蚕業の先駆者を輩出した上田市上塩尻の集落と民家」1990 | 【左】テキストコード化版 【右】『信濃』誌記事コピー
蚕種製造の中心地であった上田市上塩尻の歴史的・文化財的価値について言及した論文は小林昌人氏(1931~2001、長野県松本市生まれ)の「蚕業の先駆者を輩出した上田市上塩尻の集落と民家」(1990)が最初ではないかと思われる。
ここにその論文を転載し、諸活動の参考にしていただきたい。『信濃』誌記事はコピーでは読みにくいため、テキストコード化も行った。
所載:『信濃』第42巻第1号 pp.23~35 信濃史学会 1990 年1 月
テキストコード化・文書整形:長野大学前川道博研究室 2018 年09 月13 日 | 2022-01-18 |
28 | | 備忘メモ 塩尻地区/上塩尻・過去の調査研究 | 蚕種製造の中心地であった上塩尻(上田市上塩尻)については、過去30年以上にわたり学術的な調査研究、地域づくりに向けた調査研究が取り組まれてきた経緯がある。惜しまれることにそれらは主体が異なり、断続的であることが共通した傾向である。
2018年8月時点で、過去における調査研究をリストアップし、それぞれの調査研究の内容を概観した。 | 2022-01-18 |
29 | | キュレーションモデルによる地域資料のアーカイブ化(2021) | 【PDF左】研究発表説明資料 【PDF右】研究発表予稿
前川道博/キュレーションモデルによる地域資料のデジタルアーカイブ化~MALUI連携に向けた学習者中心のアプローチ~
デジタルアーカイブ学会第6回研究大会 2021/04/23
前川道博(長野大学)
▼研究の概要
地域資料のデジタルアーカイブ化は、知識循環型社会の進展において極めて重要な課題である。学習者が必要とする知識・情報源に思うがままにアクセスし、参照データを活用して学習成果を公開する学習をここでは「キュレーションモデル」と呼ぶことにする。MALUI連携はその支援策として期待されるものであるが、制度的な壁、慣習的諸条件により連携にすら至れないのが実情である。本研究で提起するキュレーションモデルは、学習者が主体となり、MALUIが収蔵 | 2021-04-23 |
30 | | 塩尻村大字上塩尻字壱丁田全図(地籍図[旧公図]) | 小県郡上塩尻村大字上塩尻之内 第七番字壱丁田全図
(上田市税務課所蔵)
塩尻村大字上塩尻(かみしおじり)字壱丁田(いっちょうだ)の地籍図である(現在は上田市上塩尻)。
字壱町田は現在の塩尻保育園の辺り、塩尻小学校と北陸新幹線に挟まれた区画、国道18号線の上塩尻交差点の北西側の区画である。
地籍図は1889年(明治22年)の市制町村制施行に伴い、上田町大字常磐城(旧常磐城村)の地籍図として1890年頃作成したものと思われるが、年代の記載がないため確認できない。 | 2021-03-22 |
31 | | 塩尻村大字上塩尻字信福寺/宮田全図(地籍図[旧公図]) | 小県郡上塩尻村大字上塩尻之内 第六番字真福寺 第七番字宮田 全図
(上田市税務課所蔵)
塩尻村大字上塩尻(かみしおじり)字信福寺(しんぷくじ)/宮田(みやた)の地籍図である(現在は上田市上塩尻)。
字信福寺、字宮田は区画が小さいことから合体した全図となっている。藤本蚕業歴史館から南に150mほど下った辺りの区画である。かつては水田であったが、現在は宅地化している。
なお、「上田市文化財マップ」に字信福寺にあった「上塩尻板碑」の解説がある。
地籍図は1889年(明治22年)の市制町村制施行に伴い、上田町大字常磐城(旧常磐城村)の地籍図として1890年作成したものと思われるが、年代の記載がないため確認できない。 | 2021-03-22 |
32 | | 上田と沼津の比較 | 現在住んでいる、長野県上田市と、僕の地元である静岡県沼津市を比較し、両者の良い点、悪い点をまとめたPowerpointのスライドです。 | 2021-01-14 |
33 | | 議事書類綴(1919/大正8年 別所村) | 下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。
▼上田市公文書館資料情報
議事書類綴
ぎじしょるいつづり
請求番号 01-T08-01-13389
文書の種類 旧役場文書
地域 別所村
作成年度(和暦) 大正8年
作成年度(西暦) 1919
作成部課 別所村役場
保存場所 上田市公文書館
概要
大正8年度歳入出予算、村長退職報告、鉄道敷設に関する意見書、温泉浴槽改修調査書、別所村臨時温泉工事委員規程、大正7年事務報告ほか
→上田市公文書館目録検索システムの当該資料情報
この資料は | 2021-01-13 |
34 | | 村会書類(1919/大正8年 泉田村) | 下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。
▼上田市公文書館資料情報
村会書類
そんかいしょるい
請求番号 01-T08-01-1220
文書の種類 旧役場文書
地域 泉田村
作成年度(和暦) 大正8年
作成年度(西暦) 1919
作成部課 泉田村役場
保存場所 上田市公文書館
概要
渡船場費郡費補助稟請の件、上田市松本間鉄道施設に関する意見書提出の件ほか議事録
→上田市公文書館目録検索システムの当該資料情報
この資料は上田市公文書館収蔵のものをデジタル化し(非公開部分を除く) | 2021-01-13 |
35 | | 村会書類(1917/大正6年 泉田村) | 下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。
▼上田市公文書館資料情報
村会書類
そんかいしょるい
請求番号 01-T06-01-1216
文書の種類 旧役場文書
地域 泉田村
作成年度(和暦) 大正6年
作成年度(西暦) 1917
作成部課 泉田村役場
保存場所 上田市公文書館
概要
鉄道停車場位置に関する意見書ほか議事録
→上田市公文書館目録検索システムの当該資料情報
この資料は上田市公文書館収蔵のものをデジタル化し(非公開部分を除く)、長野大学前川研究室が上田市に歴史公文書等 | 2021-01-13 |
36 | | 鉄道 道路 河川 橋梁(1898/明治31年 城下村) | 下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。
▼上田市公文書館資料情報
鉄道 道路 河川 橋梁
てつどう どうろ かせん きょうりょう
請求番号 01-M31-01-2109
文書の種類 旧役場文書
地域 城下村
作成年度(和暦) 明治31年
作成年度(西暦) 1898
作成部課 城下村役場
保存場所 上田市公文書館
概要
株式会社京釜鉄道株式申込 鉄道敷設の影響調査通知 里道修繕の件 郡補助道編入願
備考
明治34年まで 図面(彩色)あり。裏表紙なし
→上田市公文書館目録検索 | 2021-01-13 |
37 | | 別所線路ニ関スル書綴(1893/明治26年 川辺村) | 下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。
▼上田市公文書館資料情報
別所線路ニ関スル書綴
べっしょせんろにかんするしょつづり
請求番号 01-M26-01-136
文書の種類 旧役場文書
地域 川辺村
作成年度(和暦) 明治26年
作成年度(西暦) 1893
作成部課
保存場所 上田市公文書館
概要
上田原より神畑に至る里道開削に要する土地収用に関する資料・里道開削潰地小前調査表・別所線橋梁目論見帳ほか
→上田市公文書館目録検索システムの当該資料情報
この資料は上田市 | 2021-01-12 |
38 | | 上田市大字常磐城字生塚全図(地籍図 1921年 ) | 上田市大字常磐城第弐拾参番字生塚全図(上田市税務課所蔵)
調製 1890年(明治23年)12月
複製 1921年(大正10年)12月
製図者/測量士 馬場亀松(上田市役所地理主任)
曲尺 壱分ヲ以テ一間トス
サイズ:A1版より小さい(A1版の台紙に貼付されている)
上田市大字常磐城(ときわぎ)字生塚(うぶつか)の地籍図である(現在は上田市常磐城四丁目)。地籍図は1889年(明治22年)の市制町村制施行に伴い、上田町大字常磐城(旧常磐城村)の地籍図として1890年作成したものを、1919年(大正8年)、上田町の市政施行に伴い、上田市に書き改めたものである。基本的には1890年と同じである。
★上田市大字常磐城第弐拾参番字生塚全図(PDF)1.1MB
| 2021-01-11 |
39 | | 小県郡城下村大字小牧全図(地籍図1890年) | 小県郡城下村大字小牧全図(上田市税務課所蔵)
調製 1890年(明治23年)5月
縮尺 3,000分の1
サイズ:A1版より小さい(A1版の台紙に貼付されている)
城下村大字小牧(地籍図作成当時、現上田市小牧)の「地籍図」を基に作成した地図。
図版は上田市税務課所蔵の当該地籍図の複写図版を合成し作成したものである。
(データ編纂:長野大学前川研究室)
★小県郡上田町全図(PDF)1.2MB
★小県郡上田町全図(高精細JPEG画像)18420×13080ピクセル 115MB
| 2021-01-11 |
40 | | 小県郡上田町全図(1901~1910年頃) | 小県郡上田町全図(上田市税務課所蔵)
制作年代:1901~1910年頃
縮尺12,000分の1
サイズ:A1版より小さい(A1版の台紙に貼付されている)
上田町(地籍図作成当時)全域の「地籍図」を基に町全図として作成した地図。上田町各地の字が一瞥できる。
制作年代は不詳ながら、「上田尋常男子小学校」(1901~1922)、「小県蚕業学校」(権現坂上の時代 1900~1922)が記されている。また上田蚕糸専門学校(1910~1951)は記されていないことから1901~1910年(明治34~43年)の間の地図と推定される。
図版は上田市税務課所蔵の当該地図の複写図版を合成し作成したものである。
(データ編纂:長野大学前川研究室)
★小県郡上田町全図(PDF)1.3MB
| 2021-01-10 |
41 | | 『西塩田時報』Vol.2(戦後編1946~1956)ページごとの画像 | それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。
(『西塩田時報』全ての号のページごとの画像リンクHTML記述データはコチラ。)
#951 『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)1頁
#952 『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)2頁
#953 『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)3頁
#954 『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)4頁
#955 『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁
#956 『西塩田青年団報』第 | 2020-12-06 |
42 | | 『西塩田時報』Vol.1(2)(戦前編1933~1943)ページごとの画像 | それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。
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#481 『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)1頁
#482 『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)2頁
#483 『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)3頁
#484 『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)4頁
#485 『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)5頁
#486 『西塩田時報』第110号(1933年1月1日)6頁 | 2020-12-06 |
43 | | 『西塩田時報』Vol.1(1)(戦前編1923~1932)ページごとの画像 | それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。
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#1 『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)1頁
#2 『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)2頁
#3 『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)3頁
#4 『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)4頁
#5 『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)1頁
#6 『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)2頁
#7 | 2020-12-06 |
44 | | 『西塩田時報』Vol.2(戦後編1946~1956年) |
398頁/容量 252MB
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<目次>
西塩田村青年団報(1946)第1号~第5号[LINK] 11MB
西塩田時報(1947~1948)第1号~第20号[LINK] 23MB
西塩田時報/公報(1948~1950)第21号~第40号(公報34号~) | 2020-11-30 |
45 | | 『西塩田時報』Vol.1(戦前編1923~1943年) |
918頁/容量 371MB
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<目次>
縮刷版・巻頭頁[LINK] 7MB
西塩田時報(1923~)第1号~第20号[LINK] 41MB
西塩田時報(1925~)第21号~第40号[LINK] | 2020-11-23 |
46 | | 上田市街明細図(1922年 大正11年) | 上田市街明細図
1922年(大正11年)12月26日発行
発行所 東京交通社
サイズ 81.0cm×54.5cm
上田市が1919年、市制施行して間もない1922年(大正11年)の中心市街地を中心とした地図に事業者の位置を克明に記載した地図である。裏面には上田市の事業者名一覧を記してある。蚕都上田と呼ばれるほどに蚕糸業で興隆した当時の上田市の状況を仔細に知ることができる。
本資料は、滝沢主税氏が編纂した『上田老舗図鑑』(2004年)の版下に使用した地図の実物をコピーしたものである。
★上田市街明細図(1922年)表裏分割収録PDF 表面地図と裏面事業者名一覧を8ページに分割して収録 53MB
サイズが大きな地図のため、PDF版を用意しました。
★上田市街明細図(1 | 2020-10-07 |
47 | | 〼屋 宮原庄右衛門(日本博覧図1897所載) | 『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「〼屋 宮原庄右衛門」はその一つである。
〼屋 宮原庄右衛門は現在のますや旅館(青木村田沢温泉)である。 | 2020-09-25 |
48 | | 日本三所信濃長谷観世音全図(日本博覧図1897所載) | 『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「日本三所信濃長谷観世音全図」(長谷寺)はその一つである。 | 2020-09-25 |
49 | | 延喜式内子檀嶺神社境内全図(日本博覧図1897所載) | 『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「延喜式内子檀嶺神社境内全図」はその一つである。 | 2020-09-25 |
50 | | 西内村 斎藤弥惣太(日本博覧図1897所載) | 『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「西内村 斎藤弥惣太」はその一つである。 | 2020-09-25 |
51 | | 呉服太物商 瀬川清兵衛(日本博覧図1897所載) | 『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「呉服太物商 瀬川清兵衛」はその一つである。 | 2020-09-25 |
52 | | 松平神社之図(日本博覧図1897所載) | 『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「松平神社之図」はその一つである。 | 2020-09-25 |
53 | | 丸山平八郎邸宅(日本博覧図1897所載) | 『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「丸山平八郎邸宅」はその一つである。 | 2020-09-25 |
54 | | 常磐城 西構山向源寺(日本博覧図1897所載) | 『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「常磐城 西構山向源寺」はその一つである。 | 2020-09-25 |
55 | | 大輪精舎之図(日本博覧図1897所載) | 『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「大輪精舎之図」はその一つである。
タイトルには「長野県信濃国 大輪精舎之図 小県郡上田町」と記されている。
大輪寺(大輪精舎)は、真田昌幸による上田築城に伴い、砥石城の麓の畑山から移されたと伝えられている。大輪寺には真田昌幸の妻寒松院の墓がある。
参考資料:『上田市誌』第9巻「真田氏と上田城」2002年 | 2020-09-25 |
56 | | 信濃蚕種組合事務所外部及内部之図(日本博覧図1897所載) | 『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「信濃蚕種組合事務所外部及内部之図」はその一つである。
信濃蚕種組合は1889年(明治22年)、藤本善右衛門(塩尻村)、工藤善助(丸子村)、田中忠七(上田町)、倉島弥平(神川村)、佐藤郡三(県村)の5人が発起人となって上田小県全域の蚕種製造家と販売業者が一緒になって結成した。良質の蚕種の製造と販売を保つため、蚕病検査、種繭の処理法、採桑の規定を設けて組合員に遵守させた。組合長の藤本善右衛門らは長野県に検査所を設ける運動を起こし、国会にも要請し1897年(明治30年)、蚕種検査法が成立した。その結果1898年(明治31年)、小県郡蚕種同業組合が設立された。1897 | 2020-09-24 |
57 | | 蚕種製造酒類醸造 沓掛権右衛門(日本博覧図1897所載) | 『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「沓掛権右衛門」(旧塩尻村下塩尻)はその一つである。
沓掛権右衛門は、沓掛家当主が代々受け継いできた世襲名である。
図版「沓掛権右衛門」のタイトルには「蚕種製造酒類醸造」と添えられている。図からは1897年当時は手前が蚕種製造所、その奥が酒類醸造所であったことがわかる。現在は種類醸造所となり、建物は殆どが建て替わっている。図右端の建物のみ現在の建物と形状がほぼ一致する。ただし敷地の後方には虚空蔵山の裾野が迫っており、この図に描かれたような広大な姿であったかどうかは検証がいる。
なお、図版中のアルファベット記述は全てヘ | 2020-09-24 |
58 | | 佐藤尾之七邸宅(日本博覧図1897所載) | 『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「佐藤尾之七邸宅」(旧塩尻村上塩尻)はその一つである。
佐藤尾之七(さとうおのしち)家は、江戸時代から上塩尻村(現在の上田市上塩尻)で代々蚕種製造業を営んできた佐藤本家の分家に当たる。1727(享保12)年、本家から分家し六代嘉平次を襲名して上塩尻村の庄屋を営んでいた。尾之七は佐藤本家の当主であった藤本善右衛門縄葛(つなね 1815-1890)の四男で、分家の佐藤嘉平次家の養子となった。尾之七は1908年、佐藤本家を宗家とする佐藤一族が共同出資して発足させた藤本蚕業合名会社の設立に中心的に関わった。大正期、上田蚕種株式会社の社長となり、蚕種業界の | 2020-09-23 |
59 | | 藤本善右衛門邸宅(日本博覧図1897所載) | 『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「藤本善右衛門邸宅」はその一つである。
藤本善右衛門(ふじもとぜんえもん)は江戸時代から上塩尻村(現在の上田市上塩尻)で代々蚕種製造業を営んできた佐藤本家当主の世襲名である。昌信(まさのぶ 1773-1822)に始まり、保右(やすすけ 1793-1865)、縄葛(つなね 1815-1890)、信汎(のぶひろ 1850-1905)が藤本善右衛門を襲名した。
「藤本善右衛門邸宅」は、佐藤本家の邸宅である。佐藤本家は「藤本」を屋号としていた。1897年当時の当主は信汎(のぶひろ、1850~1905)である。
邸宅跡は現在は更地となったが、藥井門(1932頃再建)、外塀が残っている。
〔図版は上田市立博物館所 | 2020-09-17 |
60 | | 『蚕種同業組合沿革史草稿』大正7・8年頃 | 歴史を開ける扉。タイムカプセルと言ってもいい。
2017/06/03、上田蚕種を訪問しました。その際に、手塚社長からこんな史料があると見せていただいたのが『蚕種同業組合沿革史』です。「長野県小県郡蚕種同業組合沿革史草稿」がタイトル。前編・中編・後編・続編と4分冊になっています。
「大正七年九月三十日 長野県小県郡蚕種同業組合 組長 中島精一」と記されています。1918年…と言えば、上田町が市制を施行する1919年の前年に当たります。蚕都上田が全盛を迎えた時代と言ってもいいでしょう。
史料の中味は見ていませんが、しっかりとした装丁の文書であるにもかかわらず「草稿」と題されているのは、「望ムラクハ訂誤ノ行クベキモノアラバ請フ垂教忌憚ナカランコトヲ」と末文に記されているように、「誤謬があればはばかるこ | 2020-07-18 |
61 | | 『上田市史・下巻』2/2(1940年)画像データ | ページ番号(画像データの連番)は表紙からの通し番号になっています。それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。
647ページ 第四章 諸官衙
648ページ
649ページ
650ページ
651ページ
652ページ
653ページ
654ページ
| 2020-06-28 |
62 | | 『上田市史・上巻』2/2(1940年)画像データ | ページ番号は表紙からの通し番号になっています。それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。
653ページ 第八章 民政
654ページ
655ページ
656ページ
657ページ
658ページ
659ページ
660ページ
661 | 2020-06-28 |
63 | | 『上田老舗図鑑』(滝澤主税編)画像データ | ページ番号は表紙からの通し番号になっています。それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。
1ページ 表紙
2ページ
3ページ
4ページ 目次
5ページ 監修のことば
6ページ
7ページ 上田老舗図鑑 序文
8ページ
| 2020-06-28 |
64 | | 『上田市史・上巻』1/2(1940年)画像データ | ページ番号は表紙からの通し番号になっています。それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。
1ページ 表紙
2ページ 序
3ページ
4ページ 緒言
5ページ
6ページ 編集の経過
7ページ
8ページ 目次
| 2020-06-28 |
65 | | 『上田市史・下巻』2/2(1940年)画像データ | ページ番号(画像の連番)は表紙からの通し番号になっています。それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。
1ページ 表紙
2ページ 目次
3ページ
4ページ
5ページ
6ページ
7ページ
8ページ
9 | 2020-06-28 |
66 | | 『上田市誌』(全31巻 2004年)目次 | 『上田市誌』全31巻
発行:2002~2004年
編集者:上田市誌編さん委員会
発行者:上田市、上田市誌刊行会
以下から各巻の目次と奥付が参照できます。なお、対象の「上田市」は2006年の合併以前の旧上田市が対象です。
第01巻 自然編(1)上田の地質と土壌
第02巻 自然編(2)上田の気象と川や湖
第03巻 自然編(3)上田の動物と植物
第04巻 歴史編(1)上田盆地のあけぼの
第05巻 歴史編(2)上田の弥生・古墳時代
| 2020-06-27 |
67 | | 『信濃蚕糸業史・下巻』(1937年) |
『信濃蚕糸業史・下巻』(1937年)1602頁/容量 213MB
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★ 目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次>
製糸篇
第一章 総論
第二章 江戸時代信州各地に於ける製糸業の発達
第三章 開港以後の製糸業
第四章 日清戦争より世界大戦に至る時代
第五章 大正時代
第六章 現代
第七章 製糸技術の変遷
第八章 経営史
第九章 皇室と信州蚕糸業
第十章 本県製糸業者の米国視察と米国絹業者の入信
第十一章 生糸貿易に関する史料
<奥付>
昭和十二年六月一日
昭和十二年六月五日 | 2020-06-24 |
68 | | 『信濃蚕糸業史・中巻』(1937年) |
『信濃蚕糸業史・中巻』(1937年)1258頁/容量 89MB
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★ 目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次>
蚕種篇
第一章 蚕種製造業の発達
第二章 蚕種販売
第三章 蚕種業の奨励
第四章 蚕種業に関する組合の起源及其変遷
第五章 江戸時代に於ける蚕種に関する法規の変遷
第六章 明治時代に於ける蚕種規則の変遷
第七章 蚕種検査
第八章 きょうそ駆除
第九章 蚕業取締事務機関の変遷
第十章 国立原蚕種製造所松本支所設置の沿革
第十一章 蚕品種の変遷附蚕品種整理に関する | 2020-06-24 |
69 | | 『信濃蚕糸業史・上巻』(1937年) |
『信濃蚕糸業史・上巻』(1937年)1077頁/容量 129MB
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★ 目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次>
栽桑篇
第一章 桑園の期限及発達
第二章 桑品種の変遷
第三章 桑苗生産の変遷
第四章 栽培法の桑栽培法
第五章 桑樹仕立法の変遷
第六章 桑園肥料
第七章 歩桑々園の発達
第八章 夏秋蚕専用桑園の期限及発達
第九章 桑葉売買
第十章 桑園災害
第十一章 桑園の消長
第十二章 桑園経済
第十三章 桑園改善に関する本県当局の施設
第十四章 桑園の分布
第 | 2020-06-21 |
70 | | 『上田市史・下巻』(1940年) |
<目次>
(第二紀 自上田築城至廃藩置県)
第二篇 第二篇藩政時代(続)[LINK]
第四篇 自明示維新当時至廃藩置県迄[LINK]
第三紀 自廃藩置県至上田市政施行迄
第一篇 廃藩置県 | 2020-06-21 |
71 | | 『上田市史・上巻』(1940年) |
1110頁/容量 232MB
下の画像を選ぶとPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。
★ 目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次>
上田市の地理的概観及市内大小字名表
【第一紀】
第一篇 上代の上田地方[LINK]
第二篇 奈良時代の上田地方[LINK]
第三篇 平安時代の上田地方 | 2020-06-21 |
72 | | 『ふるさと上田の地名』(滝澤主税著) |
<奥付>
発行日 1999年2月11日
著者 滝澤主税
発行所 長野県地名研究所 | 2020-06-21 |
73 | | 『上田老舗図鑑』(滝澤主税編) |
<主な収録史料>
長野県地誌草案(1877 明治10)
上田街諸名家一覧表(1891 明治24)
上田市別所 田沢 沓掛 温泉 温泉電車案内並ニ塩尻 全図(1922 大正11)
上田市街宅地軽便地図(1924 大正13)
『信州民報』掲載上田の老舗( 1955 昭和30~)
<奥付>
上田老舗図鑑改訂版
編者 滝澤主税
監修 小山一平
発行 長野県地名研究所
発行日 2004(平 | 2020-06-21 |
74 | | 小県蚕業学校(『上田市史』下巻1940) | 上田市史・下巻(1940)687~689頁
(目次位置)
第三篇 上田町勢の発展
第五章 教育
第二節 中等教育
三、小県蚕業学校 | 2020-06-19 |
75 | | 大輪寺(『上田市史』下巻1940) | 上田市史・下巻(1940)1102~1105頁
(目次位置)
社寺古跡及人物誌
第一篇 社寺
第二章 寺院
第二節 禅宗
大輪寺 | 2020-06-19 |
76 | | 『蚕糸王国信州ものがたり』 | 『蚕糸王国信州ものがたり』
共著:前川道博
信濃毎日新聞社
2016年10月出版
分担執筆者:阿部勇[編著]、伊坪達郎、高林千幸、小野一英、桂木恵、山浦直人、前川道博
ISBN-13: 978-4784072934
【購入はAmazonで】
→『蚕糸王国信州ものがたり』で検索 | 2020-05-25 |