上田とのつながり
お墓は、上田駅から歩いて20分ばかりにある呈蓮寺さんにあります。曾祖父の代から上田を離れているので、全く縁はありませんでした。ただ本籍地が長野県にあるということぐらい。母が父と結婚する時に、京都から身上調査的なつもりで、祖母と上田に来たことがあったそうです。もう60年ほど前のこと、関西から長野って今でも距離感ありますが、そんな時代によくもまあ!と思います。どなたかに、会ってそこのおうちの方なら大丈夫みたいな(なんの太鼓判やねん?と突っ込みたくなりますが・・・)ことを聞いて帰ってきたようです。
私が学生の頃、父が車で大事故を起こしたり、(車が丈夫だったため無傷でした)経営している印刷会社の業績が厳しくなった時期がありました。アルバイト先の方に紹介していただいた占い師の方に観ていただいたところ、父は先祖供養をすべき相があるのに、それをしていない。きちんと供養するようにしなさいと言われました。変なものを買わされたりはしないし、鑑定料もお支払いしなかったかもですが、そのまま父母に伝えました。それまで母に言わせると寺社仏閣を訪ねても、心ここにあらず、自分はキリスト教だとYMCAのボランティア活動は熱心にしていましたが、その時は弱気になっていたのか?ではお墓を探しに行こうと上田行きが決まったのでした。お寺のことは、おそらく叔母のはるさんなど親戚に聞いたのだと思います。祖父母は、どちらもそういうことに無頓着な人で、夫婦仲もよろしくなかったので。
初めて上田に着いたのは、もう薄暗くなりかけの夕方だったと思います。呈蓮寺さんの墓所はかなり広いのですが、教えられもしていないのに、なぜかススッと足が向かった先に鈴木家の墓所が見つかりました。その後、毎年のように、上田にお墓参りをするのが恒例行事になっていました。父の運転、私が東京に勤めていた時は、上田で合流、関西に帰って免許を取ってからは交替で運転してなど、主に車でしたが、父の最後の上田行きは、名古屋経由で電車でも行きました。
こうして通い続けるうちに、父がお墓を立てることになり、疎遠だった祖父が亡くなった時、そこに埋葬することになりました。献体を申し出ていた祖父は、お墓など要らないと思ってたようですが、先祖とのつながりを途切れさせないためにも、そうすることになりました。
父方の親戚は大変喜んでくださったようですが、父の弟妹は、不仲だった祖母方について、父の行いを責めていたようです。父も本意ではなかったかと思いますが、長男の務めと考えていたようです。分らないなりにもお経をあげたり、御参りをしたり、そのうち事業も楽ではないもののなんとかやっていけるようになったと思います。先祖供養大切だよというのは、私も実感しています。
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投稿者 | スピカ85 |
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