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管理番号写真タイトル説明登録日
112春宮神楽殿に新調大注連縄春宮神楽殿に新調大注連縄下諏訪町第一区の若者を中心とした有志でつくる春遊会(中村智彦会長)は12月19日、諏訪大社下社春宮に新調した大注連縄を奉納した。同会が奉納するのは5回目で、会員は約30人。以前は総区内の中高年有志でつくる「浮島会」が制作を担っていたが、1997年から春遊会が引き継いだ。製作は春宮駐車場の一角の作業テントで10月31日から開始していた。長さは約6,3m、重さ約350kg。稲わらは約700束が使われた。2022-03-13
92春宮前の公衆トイレ春宮前の公衆トイレ令和3(2021)年に春宮鳥居の南側に完成した公衆トイレ。2022-03-24
91矢木町会館と矢木神社矢木町会館と矢木神社矢木町会館と矢木神社。かつてはこの西の春宮大門通り一帯は矢木の馬場と呼ばれ、金刺氏一族が流鏑馬を競ったところだと伝えられている。武田信玄はその儀式の断絶を惜しみ、再興のために舞童に対して装束を寄進しているという。2022-03-24
90春宮大門南の大灯篭春宮大門南の大灯篭高遠系の石工(横川村の山田金右ヱ門の子、平蔵)の作と刻まれている。文政12(1829)年に作られ、6mの高さがある。当時、灯籠に火が入ると諏訪湖からも見え、人々はこの灯火を目印にしたと伝えられている。2022-03-24
89春宮神楽殿春宮神楽殿天和(てんな)年間(1681~84)に諏訪藩が寄進したものと伝わるが、大社の建物の中では改修が何度も行われており、最近での改修は昭和11(1936)年だった。そのため国の重要文化財には指定されていない。2022-03-19
88春宮・筒粥殿春宮・筒粥殿神楽殿に向かって左側の建物で、1月14日夜半から15日早朝にかけて筒がゆの神事が執り行われる。2022-03-24
87春宮境内の若宮社と上諏訪社春宮境内の若宮社と上諏訪社春宮境内の上諏訪社と若宮社である。2022-03-24
86春宮境内の子安社春宮境内の子安社案内板には「子安社 御祭神・高志沼河媛命(コシノヌナカワヒメノミコト) お諏訪さまのお母神である高志沼河媛命をお祀りする。昔からお産の守り神として親しまれ、底の抜けた柄杓は水が通りやすいようにお産も楽にと願いを込めて奉納されたものである・」と紹介されている。高志は越で、糸魚川の神様で、かつては翡翠の原産地をおさめていたと伝えられている。このためか大社ではおみくじに従来の御籤とは別に「翡翠みくじ」という名前の御籤が置かれるようになった。神社も少しずつ変化している。2022-03-24
85春宮境内の御宝殿用材春宮境内の御宝殿用材諏訪大社の神様は、諏訪大社式年造営御柱大祭、いわゆる御柱年に修築の神殿にご遷座になる。この建築用材は下諏訪町東山田地区が奉納することになっていて、写真はその御用材の一部が春宮境内に展示されているところである。室町時代の記録では、新築の宝殿を7年間風雨にさらし清めてから遷座し、旧殿を解体新築、また7年を経てから遷座、という形式だったとされているが、江戸時代に入ってから新築した建物にご遷座するように変わったという。2022-03-24
84下馬橋下馬橋御手洗(みたらし)川に架けられた屋根付きの反り橋で、その形から俗に太鼓橋ともよばれる。天正(1578)年の造営帳に記録があると言い、元文年間(1736~41)に修築したと伝わる。切り妻造りで簡素な内にも力強さを具えている。下社の内で最も古い建造物とされている。昔はここで下乗・下馬・籠や馬から降り、身を清めて参拝した。大社の遷座祭の時には、神の御神輿に限ってこの橋を渡る。現在は一般庶民が堂々と車に乗って昔の参道を行く姿を見ると時代の流れをつくづくを考えさせられる。2022-03-24
82御柱館よいさ御柱館よいさ春宮の南、砥川沿いに諏訪の祭り(御柱祭)文化に触れる空間として、「おんばしら館よいさ」が開館している。140インチの大画面で描く御柱映像、御柱経路模型、騎馬行列の衣装や道具の展示、長持ちの展示、さらに木落し体験ができるコーナーも設置されている。2022-03-24
79医王渡橋と砥川医王渡橋と砥川春宮の西、砥川にかかる医王渡橋。「医王」とは薬師如来の異称と言われる。春宮の別当寺が観照寺で、その本尊が薬師如来であり、その地の渡るという意味で付けられた名称と言われている。医王渡橋の架け替えられた時の写真や砥川が氾濫した時の写真もあるので比較しながら見ていただきたい。2022-03-24
77浮島・夏越の大祓浮島・夏越の大祓春宮の西を流れる砥川の川中の小島は浮島と呼ばれる。 どんな大出水にも流されないことから「下社七不思議」のひとつに数えられている。この浮島に祓戸の大神を祀る浮島社は祀られていて、6月30日の夏越の祓には茅の輪が置かれて善男善女が神事の後茅の輪くぐりをする風景が見られる。2022-03-24
76浮島社浮島社浮島社。春宮の西を流れる砥川の川中の小島は浮島と呼ばれる。どんな大出水にも流されないことから「下社七不思議のひとつに数えられている。この浮島に祓戸の大神を祀る浮島社は祀られていて、6月30日の夏越の祓には茅の輪が置かれて善男善女が神事の後茅の輪くぐりをする風景が見られる。2022-03-24
74明新館明新館第一区明新館。春宮大門に面しているので、古い写真に様々な形で記録が残されている。「明新館」で検索しその変遷を見ていただきたい。2022-03-24
64万治の石仏万治の石仏昔、近在の人々は「浮島の阿弥陀様」と言いお参りをしていた。(№558で下ノ原の念仏講が行われていたころの写真を合わせてみていただきたい。) 江戸時代五代藩主忠林(ただとき)が、各村に命じて画かせた諏訪藩主手元絵図(東山田の図)には「えぼし岩」とある。また三代藩主忠晴が春宮の大鳥居建立の時、石工がノミを入れたとき血が流れ出たので阿弥陀如来を掘り祀った話も残されている。この石仏が世に知られるようになったのは故岡本太郎画伯が絶賛してからと言われる。「万治の石仏」の呼び名もそのころからと言われる。一方年号や願主の名が彫られていることや胸にみられる太陽・月・雲などの模様や逆卍などから江戸初期の木喰弾誓上人とも関係があると考える人もいる。2022-03-19
59筒がゆ神事筒がゆ神事諏訪大社下社春宮、神楽殿に向かって左に筒粥殿がある。毎年1月14日夜半から15日早朝にかけて筒粥の神事が執り行われ大釜の中に米と小豆・水、それに15センチほどに切ったアシの筒44本を入れ、中央の石の囲炉裏で一晩中炊き続ける。朝、アシの筒を取り出し、一本一本の筒に入った小豆粥の状態で、その年の農作物43種の豊凶を占い、最後の一本でその年一年間の吉凶を占う。この神の占いに誤りはないと、下社七不思議のひとつに数えられている。昔は上社でも行っていたというが現在は下社のみで行われている。2022-03-19
56東山田屯所・山花東山田屯所・山花法泉寺の角の交差点に、東山田第七分団屯所が福沢川の左岸に、道を挟んで西側に食事処「山花」がある。この道は急ぎの旅人などが春宮東で中山道をそれ、東山田を通り西山田(中村)を経て今井から中山道に入った近道で、塩尻道ともよばれていた。参勤交代に合わないための間道として御岳山の行者などが多く利用したという。2022-03-19
47御作田社御作田社旧中山道沿いにある御作田社のお田植祭の風景。春宮横の浮島社で夏越の祓が行われる同じ日の6月30日に行われる。写真は鳥居前、2坪ほどの田んぼでの御田植、御田植の前の舞の様子である。 かつては№10・11・12・74の写真の時代は、秋宮境内横の水田で祭りが行われていたと聞く。古式は旧暦6月30日だったものだが、田植え後わずかひと月で穂が実るという、「御作田の早苗」として下社の七不思議に数えられている。諏訪明神は農業神であり、このあらたかな米作りこそ明神様の本領発揮とでも言えそうである。2022-03-19
46春宮大門鳥居前春宮大門鳥居前他の写真と比較して時代の変化を見ていただきたい。2022-03-19
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