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1戦前と戦後の北海道新聞における文化の移り変わり戦前と戦後の北海道新聞における文化の移り変わりまず初めに何故北海道新聞で文化の移り変わりを調べたかったのかというと西塩田時報で様々な大正から昭和にかけての記事を閲覧していた際に自分の地元ではどのように変化していったのか素直に興味を持ったからだ。 そこで今回は現代の北海道新聞と昔の戦前の新聞を用いて文化をそれぞれ比較しようと思う。 比較する新聞の年は1942年と2020年だ。北海道新聞は1942年に創刊された。1942年といえば日本は第二次世界大戦中であり、アメリカと戦っていた時期であった。実際の記事を見てみるとそれが伺える。下方に「アメリカの焦燥」と書かれた項目がある。当時の日本がアメリカを牽制していたのが分かる。さらに、「戰」や「諸勅令」といった今となっては使われなくなった漢字や表現が使われている。ここからも北海道での戦時中の緊張感が伝2024-01-25
2小学校便り『西塩田時報』第101号(昭和7年4月1日)2頁小学校便り『西塩田時報』第101号(昭和7年4月1日)2頁学校の出席に関して書かれている この記事は以下から参照出来ます 『西塩田時報』第101号(昭和7年4月1日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns07_101to120.pdf2023-12-12
3上海より『西塩田時報』第101号(昭和7年4月1日)1頁上海より『西塩田時報』第101号(昭和7年4月1日)1頁上海からの手紙 この記事は以下から参照出来ます 『西塩田時報』第101号(昭和7年4月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns07_101to120.pdf2023-12-12
4学校だより(『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁)学校だより(『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁)アニメなどのイメージから昭和にはおかっぱの女の子がいたというのは想像していたが、ここまで多くの子がおかっぱにしており、学校からもおかっぱが推奨されていたことに驚いた。2023-12-12
5道路で遊ばないように道路で遊ばないように昭和25年4月5日の西塩田広報第1項の記事。交通取締法が改正されて、その変更点、注意すべき点が掲載され、自転車や歩行者、さらには保護者の子供に対する注意事項まで書かれていた。  「事故を防ぐために」という項目で、荷牛馬車についての注意点は細かく書かれているのに、一番危険だと考えられる自動車について書かれていないのは変に感じて面白いと思った。もちろん、自動車が当時はまだ、全然普及していなかったからだと思うが、現代の交通のメインの1つである自動車についての注意点が書かれていないことに私は違和感を感じた。 参照元 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns15_post021to040.pdf 2023-12-11
6村民運動会プログラム村民運動会プログラム昭和24年10月20日の西塩田時報第3項での記事。同年11月3日に行われる村民運動会の開催プログラムが掲載されていた。 その内容を見てみると、リレーやマラソンなど今でもよく行われているようなものもあるが、ドヂョーつかみや女子仕度競争などユニークなものもあった。特に、「自轉車(自転車)徐行」は何を採点基準に競うのか謎に思えたので面白いと感じた。 参照元 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns15_post021to040.pdf 2023-12-11
7入学前の家庭教育に就て 西塩田時報入学前の家庭教育に就て 西塩田時報入学前に家庭内で教育してほしいことについて友達のことや先生を怖がらないように教育してほしいといったことが書かれており、今の新聞ではないので珍しく面白いと感じた。 西塩田時報 戦後 昭和22年1月25日 第1号2頁2023-12-11
8成人の日に成人の日に来年二十歳のつどいがあるので、興味を持ちました。 約70年前からこの行事があるのは驚きです。 成人代表で三人の感想と心構えが載っています。 いつまでも十代でいたい、無責任が許されない立場になり不安だ、という気持ちは同じですが、今の自分より考えがしっかりしていて、大人の印象を受けました。 記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』昭和28年2月5日第65号⑵2023-12-11
9食べる楽しみ食べる工風食べる楽しみ食べる工風現在、インターネットを使うことで、食べたいものがあれば検索してレシピを知れたり、使いたい材料を検索すればそれを使った料理を紹介してくれたりします。今でも雑誌や新聞でレシピが紹介されていることがあります。 この記事でも、鰯のたたき上げの作り方を紹介しています。材料や作り方以上に、アドバイスがたくさん載っていて親しみやすい記事だと思います。 記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』昭和24年1月25日第22号⑶2023-12-11
10映画上映遅延の話(『西塩田広報』第68号昭和28年5月5日)映画上映遅延の話(『西塩田広報』第68号昭和28年5月5日)映画館での上映時間が一時間ほど遅延したときの内容です。現代の映画で遅延する事はほとんどないし、遅延したとしても、記事になることはないので、当時の映画の貴重さ、珍しさを感じられる面白い内容でした。2023-12-10
11部落通信(「西塩田時報」戦後第1号 昭和22年1月25日)部落通信(「西塩田時報」戦後第1号 昭和22年1月25日)村で行われた会議の日付と内容が書かれている。一般の方にも西塩田時報を通して情報が共有されたと考えられる。2023-12-10
12伝染病の発生状況についいて(「西塩田時報」戦後第18号 昭和23年9月25日)伝染病の発生状況についいて(「西塩田時報」戦後第18号 昭和23年9月25日)記事の右下に伝染病の発生状況が載っている。具体的な数字を知ることは感染予防の促進にもつながる。2023-12-10
13入学前の家庭教育に就て(西塩田時報 第1号昭和22年1月25日)入学前の家庭教育に就て(西塩田時報 第1号昭和22年1月25日)この記事には、入学前に家庭教育でやってほしいことが記載されていれています。具体的には、家庭や友達、先生、学習、身体的なしつけについてなどの項目に分けて、詳しく述べられていました。 私は、この記事の中の「性格は、家庭の育て方一つで決まるので生まれつきなどではない」という表現に時代の違いを感じます。このような言い切った表現に対して、負の感情を抱く現代人が多くいるのではないかと考えました。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第1号(昭和22年1月25日) https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns14_post001to020.pdf2023-12-06
14村のトピック村のトピック村での些細な出来事を取りあげられている。お祭りや講演などのイベントから、火の用心といった注意喚起まで、町中の出来事が掲載されている。 現在の広報と似ている部分であり、何年経っても続いているのが面白いと思った。 「西塩田公報」昭和26年6月10日 https://www.mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/vol2.pdf2023-02-08
15農事メモ農事メモ農業で大切になるポイントや注意すること、栽培方法などがメモとしてまとめられている。 「馬鈴薯の収穫は必ず乾燥した時に実施して下さい」など、農業初めての人でも読んだら分かりやすく、ここまで詳しく説明する広報は見たことがないため、面白いと感じた。 「西塩田公報」第59号 昭和27年7月5日 https://www.mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/vol2.pdf2023-02-08
16子供はしつけ第一 服従の習慣から――(『西塩田時報』(1930)第81号(昭和5年8月1日)3頁)子供はしつけ第一 服従の習慣から――(『西塩田時報』(1930)第81号(昭和5年8月1日)3頁)子どものしつけについて書かれた記事です。子どもが言うことを聞くのは親が習慣をつけているかどうかだと、子どもの心のあり方を述べながら説明しています。 ▼この記事は以下から参照できます。 #349 『西塩田時報』第81号(1930年8月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0349.jpg2022-12-26
17生活雑記(『西塩田時報』(1954)第82号(昭和7月3日)3頁)生活雑記(『西塩田時報』(1954)第82号(昭和7月3日)3頁)日常の様子が描かれた雑記です。朝からご飯をつくり、主人を送り出し、洗濯をして…とせわしなく家事や畑仕事をこなす女性の姿が描かれています。 新聞をゆっくり読む暇もない様子の女性から、ひとときと書いたのはなぜかなと考えてしまいます。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1255 『西塩田公報』第82号(1954年7月5日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1255.jpg2022-12-26
18家庭メモ(『西塩田広報』第77号)家庭メモ(『西塩田広報』第77号)料理や衛生管理に必要なものについて今では様々な便利なものが普及し、それを買えばよいが当時はそういったものがなかったので身近にあるもので工夫されてきたことが記されている。 ♯1230 「西塩田広報」(昭和29年)4ページ2022-12-26
19昭和27年(1952)の殺人事件(『西塩田時報』第73号)昭和27年(1952)の殺人事件(『西塩田時報』第73号)西塩田広報第73号より 加害者の住所が朝鮮でしたので、てっきり異邦人の犯罪かと思いましたら、当時の朝鮮のこの地区は日本領土でした。強盗内容も千円とありますが、当時の相場としては約5倍ほどだそうです。(間違っていたらすみません)時代背景がわかる記事ですので取り上げさせていただきました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第73号(1952年7月3日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns17_post061to080.pdf2022-12-26
20運動のシーズン!(『西塩田時報』第70号(昭和4年9月1日)3頁)運動のシーズン!(『西塩田時報』第70号(昭和4年9月1日)3頁)運動促進を喚起する内容の記事である。まず「ゴム底足袋」というワードのインパクトがすごかった。また百年程度で足袋からいまの靴に進化していることにも驚いた。現在の新聞にあるような小さな広告だが面白さを感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #305『西塩田時報』第70号(1929年9月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0305.jpg2022-12-26
21お盆用必需品は自分の店で!(『西塩田時報』第69号(昭和4年8月1日)3頁)お盆用必需品は自分の店で!(『西塩田時報』第69号(昭和4年8月1日)3頁)お盆に必要なものは組合でそろえてくださいという内容の広告の記事だが、現在のCMを文面にしたらこうなるのかなと想像もできて面白い。また、「組合」「配給」も当時の様子を想像できて興味深かった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #301『西塩田時報』第69号(1929年8月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0301.jpg2022-12-26
22さばとにしんの調理法さばとにしんの調理法西塩田時報には、「家庭メモ(家庭欄)」というコーナーがあり、ここでは家庭の豆知識を読むことができます。 昭和24年と古い記事なのですが旬の魚のレシピとしてサバとニシンが紹介されていました。 ぜひ皆さんも作ってみてはいかがでしょうか? この記事は以下より読めます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns16_post041to060.pdf2022-12-26
23子供の主食子供の主食記事にて、昭和28年頃子供のパン食が増えている状況やそこから懸念される栄養面の解説、また、当時のパンの値段等が記されています。 学校給食でもパンが多く取り扱われる昨今、パンが主流でなかった昔の記事を見返してみると、当時のパンへの認識等も感じ取れて面白いです。 この記事は以下より参照出来ます https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns17_post061to080.pdf2022-12-26
24みんな輪になれみんな輪になれこの曲が発売されたのは昭和16年8月とされている。当時の踊りと言えば盆踊りが主流とされていたが軍歌に振り付けを付けて子供たちに教えていた人たちがいたそうだ。まさに軍国世界の音頭である。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田村公報』第7号(1943年3月30日)6頁 2022-12-25
25ああ、感激の優勝旗(『西塩田時報』第204号(1940年10月31日)6頁)ああ、感激の優勝旗(『西塩田時報』第204号(1940年10月31日)6頁)この資料は、上田市営運動場という場所で行われた体育大会の様子を記している。上田市営運動場という場所を調べて見たがどの施設のことを指しているのかがハッキリしなかった。というのも、この運動会が開催された昭和15年(1940年)には上田城跡公園陸上競技場はあったが、当時から陸上競技場という名で呼ばれていたと思われるため(勝俣英吉郎の銅像に記されている碑文に陸上競技場と記されていることから)、運動場という名前で新聞に載せるかどうかが怪しいと判断したためである。この体育大会では現在も競技として残っている100M走や800Mリレーの他に、バトンの代わりに俵を用いたリレーや手榴弾投という現在にはあまり聞かない競技が記されている。 現在の新聞では大会が開催されたことを掲載する際は、結果しか載せないことが多い2021-12-13
26昭和二年度西塩田青年団歳入予算(『西塩田時報』第190号(1927年6月1日 4項)))昭和二年度西塩田青年団歳入予算(『西塩田時報』第190号(1927年6月1日 4項)))昭和2年度の青年団の予算が書いてある。 当時はまだ円の価値が低いために、現在よりも格段に小さい数だが、計算方法は現在と一緒である。2021-01-28
27私の『西塩田時報』面白記事ピックアップ②私の『西塩田時報』面白記事ピックアップ②『ムシ歯予防デー(昭和12年6月1日)』通しp732 『ムシ歯予防デー(昭和12年6月1日)』についての私の意見を述べる。『歯の衛生と農村保健運動とは重大な関係を持つて居ります。』という書き出しにインパクトを感じ選んだ。現在の「歯と口の健康習慣」(6月4日~10日)はこの虫歯予防デーが元である。私は予防医療が浸透した時代に生まれたが、予防医療の発達以前はどのような取組み・姿勢だったのか興味がある。当該記事では『病は口より入る』の諺や『私達の病気は口から入つていくと言つてもいい位で、言はば病気の通路みたいなものと言へる』と、概念的に理解しやすいような記述が見られる。2021-01-10
28私の『西塩田時報』面白記事ピックアップ①私の『西塩田時報』面白記事ピックアップ①『部落ニュース(昭和12年5月7日)』通しp727~728 私が面白いと思ったのは『部落ニュース(昭和12年5月7日)』だ。部落ごとのあらゆる事柄が記録されている。現在でいう町内会単位での出来事が書かれていることにたいへん驚いた。というのも、決定事項や行事に関する事柄についての記録は現在であれば町内会・自治会で共有される枠を超えることは少ないからである。そういった比較的クローズドな記録が西塩田全域で共有されていることに、地域ネットワークとしての西塩田時報の範囲の広さを感じた。また、昭和12年(1937年)当時は戦時下ということで、女性の連帯組織の活動がたいへん多かったのだと分かる。「倉野」の欄には、「女子消防組」や「パン講習」の記録がある。いずれも戦時下での空襲対策や食糧確保の一環としての講習会であろ2021-01-10
29卒業生の名簿(『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁)卒業生の名簿(『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁)この記事は西塩田時報に載っていた当時昭和26年3月の卒業生の名前が書かれています。 この記事の面白いところは今では恐らくあり得ないということです。 卒業生の名簿は顔写真が載っていないとしても名前は立派な個人情報です。 今の世の中で例えるならば、新聞にどこの学校を卒業した何組の誰さんと載る訳で様々な親御さんがいる中、このようなことになれば当然のごとくクレームが入るのではないかと思います。 誰でも読むことができる時報に公に個人情報を載せられるのはこの時代だからこそだと思うので、今とは異なるという意味で面白いなと感じました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1124 『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁2020-12-16
30ビタミンの話(『西塩田時報』第5号(1946年12月25日)3頁)ビタミンの話(『西塩田時報』第5号(1946年12月25日)3頁)ビタミンについて説明している記事である。(一)ビタミンの人体内に於ける役割、(二)ビタミンの種類、(三)主なるビタミンの分布並に缺乏性という3つの小見出しがある。昭和21年12月25日までに見つかっていた主なビタミンの種類や効果が文章や表形式で分かりやすく説明されている。 ビタミンをVと略していることや、昭和21年12月25日までのビタミンについての情報が分かりやすく書かれていて面白いと思ったため、この記事を採り上げた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #973 『西塩田青年団報』第5号(1946年12月25日)3頁2020-12-14
31夏の料理『西塩田時報[戦後]』第16号(1948年6月25日)2頁夏の料理『西塩田時報[戦後]』第16号(1948年6月25日)2頁家庭で作る夏の料理のレシピを紹介した記事。 「いかの桃和え」や「れんこん飯」「エッグのプラントサラダ茄子のサラド」など馴染みのないレシピが紹介されている。 文字を追って工程を想像するだけでも楽しい。 これを参考にすれば昭和の料理を味わうことができるかもしれない。 名前の間違いがペンで直されているのもレアではないだろうか。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報[戦後]』第16号(1948年6月25日)2頁2020-12-14
32第一回女性討論會開かる(『西塩田時報[戦後]』第13号(1948年3月25日)3頁)第一回女性討論會開かる(『西塩田時報[戦後]』第13号(1948年3月25日)3頁)この記事は、昭和23年3月11日に女性のみが集まって行われた討論会の内容について書かれている。 この記事の面白いところは、当時の女性たちの抱えていた問題や、彼女たちの考えを知ることができるという点である。 特に「結婚上の問題について」という項目から、当時らしい寵愛結婚か見合結婚かという議論や、現代でも増えている結婚の簡略化や結婚費用の問題などについて討論されていたことに対して、興味深く感じられた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1009 『西塩田時報[戦後]』第13号(1948年3月25日)3頁2020-12-14
33皆さん!!風邪に気をつけましょう(『西塩田公報』第102号(1956年3月5日)4頁)皆さん!!風邪に気をつけましょう(『西塩田公報』第102号(1956年3月5日)4頁)インフルエンザに感染しないように注意を呼び掛ける記事である。当時(昭和31年3月)はまだインフルエンザにかかった人は少ないが寒暖差が激しい春先が危険な時期と明記されている他、インフルエンザ予防について簡単に記されている。 現在は新型コロナウィルスの感染防止のため、日本以外の各国でもマスクを着用する人が増えたが、日本ではマスク着用の習慣が根付いており、感染防止策として以前から広く知られている。当時の西塩田も現在と変わらず、マスク着用が風邪の防止策になると認識されていることに興味を引かれたので、この記事を選んだ。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1338 『西塩田公報』第102号(1956年3月5日)4頁2020-12-11
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