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2158ネット展示:藤本善右衛門が残したものネット展示:藤本善右衛門が残したもの日本一の蚕種製造の地・信州上田を知る上で欠かせない最も重要な人物の一人が藤本善右衛門縄葛(ふじもと ぜんえもん つなね)です。蚕種製造の中心地であった上塩尻村(現在の上田市上塩尻)にはそれぞれの家々が蚕種製造を営み、その中でも佐藤本家は代々が優れた蚕種製造家となり、当主は藤本善右衛門を名乗ってきました。 いったい縄葛(1815~1890)とはどのような人物だったのか、資料からその実像をさぐってみたい。2021-01-20
1067上塩尻文庫蔵上塩尻文庫蔵2017/09/26、長野県上田市の塩尻公民館に併設されている「上塩尻文書蔵」に潜入させていただきました。嘉永年間以後の文書が保管されています。希少なものは江戸期の地図など。上塩尻の歴史を解き明かすのに欠かせない資料(史料)の他、つい最近までの自治会の文書も保管されています。 目にする資料に接するたび、その時代に跳躍したかのようなワクワク感が沸き起こり、文書蔵=タイムカプセル体験の醍醐味を感じました。 ここに保管されている資料の他にも、上塩尻には藤本蚕業歴史館の他、個々人のお宅に私蔵されている資料があると聞いています。 東北大学の長谷部弘氏は「上塩尻には公私にわたる歴史資料が歴史学研究史上まれにみるほど大量かつ集中的に残されて」いると書いています(長谷部弘他著『近世日本の地域社会と共同2020-07-18
1066歴博の「上塩尻」蚕種製造に関する展示歴博の「上塩尻」蚕種製造に関する展示2017/10/15、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館(歴博)を訪れてきました。目的は、上塩尻の蚕種製造に関わる展示を見学するためです。展示場所は第三展示室の「知識と技術」のコーナーです。 「蚕を飼う」「養蚕技術の普及」「桑の葉の収集」「『蚕書の里』上塩尻村」「商品と技術と風雅の交流」「繭の歴年標本」「世界に知られた日本の養蚕技術」というパネル構成です。このうち、「繭の歴年標本」は奥州本場蚕種の梁川の展示。他は全て上塩尻です。 資料として展示されているものは次のとおりです。 ・清水金左衛門『養蚕教弘録』1847 ・清水金左衛門『養蚕乾湿計用方』メガルカヤを利用した養蚕乾湿計 ・座間神社句合わせ ・いははな集 1800年 ・「いははな集」参加村と蚕種の行商先 など。 展示は杉仁氏の著作『近世の地域と2020-07-18
1065藤本善右衛門縄葛の『続錦雑誌』藤本善右衛門縄葛の『続錦雑誌』類まれな蚕種製造家の一人、藤本善右衛門縄葛(つなね)(1815~1890)は、明治10年頃に隠居してから亡くなるまでの十数年間にわたり、『続錦雑誌』(しょくきんざっし)(全89冊)を記し残しています。 『続錦雑誌』隠居時代の教養ある学びの綴りと言ってもいい。現在で言う生涯学習です。さらに今風に言うなら「学習ポートフォリオ」です。知的関心が多方面に及び、その内容は博物学的に多様です。その多くは何らかの書から書き写したもののように見えます。絵の表現力にも感心します。当時の蚕種製造家は蚕種製造技術にたけているだけでなく、豊かな教養も身に付けていることが求められていました。杉仁氏の研究書『近世の地域と村落文化』(2001年)では、上塩尻村の蚕種製造家たちと村落文化についての言及がされています。豊かな教2020-07-18
1061上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する2018/08/18、上田市上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する会を開きました。長野大学前川研究室、上塩尻自治会、上塩尻今昔の会の連携で実施したものです。地元上塩尻の方々を中心に、建築や歴史文化の専門の方などが加わり20名ほどが参加しました。 幕末から近代にかけて日本の産業を牽引した蚕糸業の中でも、長野県は蚕糸王国と呼ばれるほどに近代日本の殖産興業に貢献をしました。その中で上田小県は蚕都上田と呼ばれ、その中心地の一つでした。とりわけ上塩尻を中心とした塩尻地区は蚕種製造の一大中心地となり、江戸時代から幾人もの優れた蚕種製造家を輩出した他、各家が蚕種製造業を営んでいました。その当時の蚕種製造民家は現在もなお数多く残り、「蚕種製造民家群」という全国的にも稀有な歴史的景観地区となっています。 2020-07-18
23上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する2018/08/18、上田市上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する会を開きました。長野大学前川研究室、上塩尻自治会、上塩尻今昔の会の連携で実施したものです。地元上塩尻の方々を中心に、建築や歴史文化の専門の方などが加わり20名ほどが参加しました。暑いとは言え、連日の猛暑からは解放されたように秋めいた爽やかさが感じられる一日となりました。

全国的にも稀有な蚕種製造民家群

幕末から近代にかけて日本の産業を牽引した蚕糸業の中でも、長野県は蚕糸王国と呼ばれるほどに近代日本の殖産興業に貢献をしました。その中で上田小県は蚕都上田と呼ばれ、その中心地の一つでした。とりわけ上塩尻を中心とした塩尻地区は蚕種製造の一大中心地となり、江戸時代から幾人もの優れた蚕種製造家を輩出した他、各家が蚕種製造業を営んで
2020-05-10
1秋和の文庫蔵を訪ねる秋和の文庫蔵を訪ねる2/17、地元の方々と学生と秋和文庫蔵を訪ねました。 秋和は蚕種製造の中心地であった塩尻村の中で、上塩尻、下塩尻と共に蚕種製造が営まれ、蚕都上田の興隆にも大きく貢献した一地域です。そうした近代の地域の背景を知る上でも地元の古い資料は欠かせないものです。 いくつか手にした文書は「明治十八年 祭典諸事記載帳」「明治三十年度 人夫賃金支払帳 塩尻村秋和土木委員」「明治十年第三月 秋和学校貸附金証書」「明治十三年金銀出納簿 一月ヨリ 秋和学校」などなど。少し手に取っただけでもまるでタイムカプセルから地域の埋もれた歴史に陽光が当てられたかのような感興がありました。 これらの資料をどうするか。それが問題です。地元の資料は地元の力でともかくも目録化に着手するのが第一との課題を共有しました。2020-04-22
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