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3463
別所線鉄橋2006/03/19
2006/03/19の記録。 別所線鉄橋のありし日の姿です。当時さりげなく撮った地域の風景でしたが、後からふり返ると今とは違っています。 赤い鉄橋であることが別所線鉄橋のシンボル。この当時は塗り替えられる前でペンキが薄紅色に色褪せていました。さらに2019/10/12、この鉄橋は台風19号の豪雨で一部が崩落しました。崩落以前の「当たり前」に存在していた時の橋の姿です。
2024-03-16
3461
上田ブルー、色即是空
2005/11/01の記録。 上田に移り住んだ2005年。強烈に印象づけられたのが空の限りない青さです。これを私は「上田ブルー」と呼んできました。 「空色」とは「水色」のこと。イタリア語では「アズーリ」と言います。サッカーのイタリア代表はアズーリ色のユニフォームを着て、チームそのものも「アズーリ」の呼び名で親しまれています。イタリアのアズーリは日本の空色よりもより濃い。しかし上田の空色はもっと濃い。濃いどころかディープブルーと言っても過言ではありません。 関東地方に暮らすと空は普通水色をしています。このようなブルーは望めません。「色即是空」不思議に言い得て妙です。
2024-03-02
3460
22世紀に残したい風景:稲わら焼きと「にお」
2005/11/02の記録。 私が上田に移り住んだ最初の年2005年。長野大学周辺の塩田平の景観に触れて一番心の虜になったのが稲わら焼きと「にお」の風景です。「にお」とは藁を円錐状に束ねたものの呼び方です。この呼び方自体、一般にも馴染みがありません。地元の方に呼び方を尋ねても知っている方は殆どいませんでした。 特に秋になると稲刈りの済んだ塩田平の田圃のあちこちから煙が立ち上り、風になびかれて横に流されて行きます。煙のたなびく風景に郷愁を感じ、いつまでこの風景を見ることができるのだろうかと思うと、愛おしく、かけがえのないものに感じられて心惹かれてきました。 稲わら焼きは地域によっては環境等に影響があるから禁止条例が出されているところもあります。また稲作は機械化が進み、このような昔ながらの農業が
2024-03-02
3458
上田西小で「子ども地域探検隊」学習支援
★みんなでつくる西部地域デジタルマップ/子ども地域探検隊2023
https://d-commons.net/seibu?c=1261 2/28(水)上田市立西小学校で5年1組が総合学習で取り組んできた「地域探検」の画像記録から子どもたちそれぞれが自分のイチオシをネットにアウトプットする学習を学生、地元の「西部地域まちづくりの会」の方々と支援してきました。 地域の探検をしたのは7月の暑い日と1月の雪が降った日。子どもたちは自分のタブレットPCを持って、探検先の様子を画像に収めてきました。この日はそのまとめとなるふり返り学習の日。西部地域まちづくりの会が開設している『みんなでつくる西部地域デジタルマップ』に子どもたちが投稿しました。自分たちの探究をネットに公開して地域の人々なども見てもらえるようにしました。これまで大人たちが投稿し
2024-02-29
3456
企業情報学部1期生のオリ合宿2007/04/20
2007/04/20の記録。 企業情報学部が2007年度に新設され、学部の1期生が入学したのがその年の4月。長野大学の私立時代、毎年新入生歓迎のオリエンテーション合宿(略して「オリ合宿」)が1泊2日の日程で行われていました。2007年度のオリ合宿は環境ツーリズム学部と合同で松代、小布施を見学し、菅平に宿泊、翌日は菅平湿原を見学しました。現在の在学生にかつて「オリ合宿」があったことを伝承するのは、当時の体験もし、画像記録もある私から伝えることかな?と思い、画像記録をいくつか載せてみました。 大学から2学部の新入生約200名がバスで見学先に移動。松代で松代城跡(海津城跡)、続いて城跡のすぐ隣にあった池田満寿夫美術館(現在はなし)を見学。おぎのや長野店(これも現在はなし)で昼食をとり、その後、小布施へ。続きの
2024-02-27
3455
マンホール:山ノ内町
2006/05/04の記録。 山ノ内町の湯田中駅前温泉かえでの前辺りで撮りました。 マンホール蓋に描かれているのは町の花リンゴの実、町の鳥ウグイス、町の木ツガ、町章とのこと。志賀高原の山麓に広がる山ノ内町は温泉資源にも恵まれ、さらには志賀高原が長野オリンピックのアルペン競技の会場にもなりました。旧駅舎に掲げられたオリンピックのポスターもメモリアルなものです。 参考資料:下高井郡山ノ内町のマンホール http://usagigasi1f2.starfree.jp/nagano/yamanoutimati/yamanoutimati.html
2024-02-24
3454
別所線改札前に「峠の釜めし」売店2006/04/24
2006/04/24の記録。 別所線上田駅の改札前にしばらくおぎのや「峠の釜めし」の売店がありました。いつなくなったか記憶に定かではありません。
2024-02-24
3453
中央二丁目交差点2005/08/07
2005/08/07の記録。 上田市の中心市街地の一番の中心、中央二丁目交差点。当時、さりげなく撮っていたスナップ写真が残っていました。海野町商店街の七夕まつり準備中の時の記録です。「わかまつや」、スーパー「やおふく」があることにご注目ください。その隣の建物には「テナント募集」の貼り紙が貼ってあります。目の前にある「甲州屋」さんはそのまま。商店街の変遷が激しいことを物語っています。
2024-02-23
3452
長野大学の広告看板2019/04/14
2019/04/14の記録。 魚民などが入っているJR上田駅前近くのビルの上に大きな広告塔があります。この頃は「公立大学法人 長野大学」の広告が大々的に掲げられていました。「地域を考え? 未来を創造する!」というコピーが書かれています。長野大学が公立化したのは2017年4月のこと。この時は公立化から既に2年経過しています。折りしもこの日4/14は桜が満開でした。
2024-02-21
3451
上田・4月の雪2019/04/10
2019/04/10午後3時の記録。 これはめずらしい。上田はもともと冬でも降雪は少ないのですが。何と4月に雪が降りました。2024年に画像を見て、この記録を発見しました。寒冷地でもある上田では4月の降雪は稀にあります。
2024-02-21
3450
上田城千本桜まつりポスター2019/04/07
2019/04/07の記録。 JR上田駅前に毎春恒例のイベント「上田城千本桜まつり」(4/6→21)のポスターが貼られていました。その年どんなポスターだったかも今となっては簡単にふり返れません。この年のポスター、貴重な記録です。大型の広告幕も。この年は上越高田の「第94回観桜会」と観光広報もコラボしていたようです。上田市と上越市が姉妹都市とは。2024年の今になって気づきました。 毎年の千本桜まつり、今年も楽しみです。
2024-02-21
3449
塩田平観光マップ(上田駅構内)今昔2005→2024
写真上:信州の鎌倉と周辺の図(2005/05/04の記録) 写真下:日本遺産・信州上田・塩田平(2024/02/03の記録) 上田駅構内のしなの鉄道改札出入り口に面したコンコースの壁に塩田平の大きな観光マップが掲げられています。塩田平が日本遺産「レイラインがつなぐ『太陽と大地の聖地』」に選ばれてしばらく経ってから「日本遺産」マップにリニューアルされました。 レトロ感たっぷりの「信州の鎌倉」マップが今となっては貴重な記録です。このマップ、デザインは古い時代様式のものです。退色もしています。あるいは退色したように装ったデザインかもしれません。一見したところ相当に年季が入ったもののように見えますが、新幹線や上田大橋が描かれてもいることから推察すると上田大橋開通後の2000年頃に観光PRのために掲げられたものではないかと
2024-02-19
3448
「生涯学習のまちうえだ」2005/04/16
2005/04/16の記録。 上田城跡のお城下、ハローワークの近くの沿道に「誰もが豊かに生きる 『生涯学習のまち うえだ』をめざして 平成12年12月18日議決宣言 上田市・上田市教育委員会」と書かれた横断幕が掲げられていました。 上田市で生涯学習が盛んなことはその後に知ることになりましたが、こういう宣言文がどのような意味や効果をもたらすだろうかということは、この横断幕を見た時に抱いた疑問でした。社会教育が盛んではありましたが。「生涯学習のまち うえだ」はその後特段聴くことがありませんでした。どうしたのだろうという疑問。 「議決宣言」。行政の意気込みがこの横断幕になったものと思います。平成12年と書かれていますので、議決宣言をしたのは2000年のこと。この時は2005年、それから5年経過しています。文科省のホー
2024-02-17
3447
柳町の記憶2005/04/15
2005/04/15の記録。 私が上田に移り住んで間もない頃の記録です。北国街道の上田宿でもあった「柳町」。柳町を訪れたのはこの時が初めてです。上田の城下町の面影を残す歴史スポット、観光スポットとしてその後、地元ばかりでなく広く全国からも知られるようになりました。 歴史的景観を活かしたまちづくりもなされ、徐々に環境も整備されてより美しくなりました。昔どうだったのか、その経過・変遷を視認できる情報源として当時のありのままの写真は大切なのではないかと思い、ここに掲載しておきます。 参考サイト:信州上田北国街道 柳町 https://yanagimachi-ueda.jp/
2024-02-17
3445
旧長野病院(信州上田医療センター)2005/05/17
2005/05/17の記録。 旧国立長野病院が上田市にあったことが人々の記憶からも遠ざかっています。長野病院が2011年、旧国立東信病院を統合し「信州上田医療センター」に改称しました。現在の施設自体は2005年当時と殆ど変わりませんが、名称が変わりました。病院名がシンプルで一度聴いたら忘れません。「信州上田~」は少し長く覚えにくいのは否めません。建物に記された「長野病院」のシンプルな病院名をご確認ください。 参考資料:信州上田医療センター https://shinshuueda.hosp.go.jp/ Wikipedia/国立病院機構信州上田医療センター https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E7%97%85%E9%99%A2%E6%A9%9F%E6%A7%8B%E4%BF%A1%E5%B7%9E%E4%B8%8A%E7%94%B0%E5%8C%BB%E7%99%82%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC
2024-02-15
3444
別所線の車両デザイン2005/05/07
2005/05/07の記録。 私が上田に移り住んでから間もないころの2005年5月。赤坂上の別所線踏切で信号待ちになり、別所線の車両が通過していきました。それ自体は何の変哲もないものですが、現在の2024年からふり返ってみると、「あれ?このデザインの車両は今は走っていない」と気づき、逆に新鮮でした。このような知らず知らずの変容には古い写真を参照しないと気づけないものです。
2024-02-15
3443
聖高原リフト&三峰山2008/05/06
2008/05/06の記録。 長野県東筑摩郡麻績村にある聖高原を訪れ、聖高原リフトに乗って三峰(峯)山頂の展望台に行ってみました。三峰山(みつみねさん)は標高1,131メートルとのこと。下界がすでに数百メールの高い標高にあり、山がそれほど高いとは思えません。展望台に上がってみて何より驚いたことはその眺望の素晴らしさです。先ほど姨捨駅周辺から見下ろす景観の素晴らしさを堪能したばかりですが、三峰山展望台はさらに標高が高く360度の景観が一望できます。これは素晴らしい! 異色の隠れ観光地です。 参考資料:麻績村観光サイト https://www.vill.omi.nagano.jp/kanko/guide/view/kanko211.html
2024-02-15
3442
聖博物館・航空資料館2008/05/06
2008/05/06の記録。 施設内の説明によると聖博物館は1965年に建設され、民俗資料等1300点が展示されています。航空資料館は麻績小学校の旧校舎を1971年に移築復元したものということです。麻績村の小さな博物館に航空機が展示されていることが唐突で面白い。2008年に訪れた時点で既に開館から37年が経過し、展示形態が旧態化した印象は否めませんでした。社会の価値観の変容、デジタル社会への変容などにより、麻績村の地域資料が数多く保存された貴重な施設であると同時に、地域や歴史を学習する博物館施設のあり方も見直されてよい。児童生徒が教室からこれらの展示にアクセスできたら、どれほど地域学習に役立つことかと思います。 Wikipediaによると2012年にリニューアルされたとのこと。現地を訪れ、時の経過の意味を感じてみたいと思います
2024-02-15
3441
千曲川沿い道路の崖2008/06/03
2008/06/03の記録。 上田市下之条から坂城町へ続く県道は千曲川沿いの岩鼻の崖に沿って通っていました。この前後の区間は崖から崩落があり、この時には崖の崩落防止の工事がなされていました。その後、この道路は閉鎖となり、千曲川対岸の堤防道路が代替路として使われた後、岩鼻を貫通する国道18号線により代替されました。
2024-02-14
3440
聖高原2008/05/06
2008/05/06の記録。 長野県麻績村にある聖高原。聖山の下に聖湖があり、その周辺が観光スポットになっています。Wikipediaによると、「村有地の所有権を土地利用者に譲渡・売却することなく、地上権のみ提供して、個人や法人の別荘用地として提供する方式」とのこと。へえ~、と参考になります。かつてリゾートスポットとして人気を集めた観光地ながら、観光ニーズの変化により訪れる人が少なくなった感は否めません。ゴールデンウィークに訪れてもこのようにゆったりと過ごすことができます。 参考資料:Wikipedia/聖高原 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E9%AB%98%E5%8E%9F
2024-02-13
3439
千曲川展望公園2008/05/06
2008/05/06の記録。 千曲市八幡の姨捨駅と麻績村の聖高原のほぼ中間の場所に「千曲川展望公園」があります。姨捨駅よりもさらに高い地点から千曲川流域の盆地を一望できます。この景観も素晴らしい。
2024-02-13
3438
姨捨駅2008/05/06
2008/05/06の記録。 JR篠ノ井線の姨捨(おばすて)駅。Wikipediaによると姨捨駅が開業したのは1900年とのこと。「田毎の月」で知られれる姨捨の棚田が眼下に広がり、姨捨駅からは善光寺平が一望できます。日本三大車窓と呼ばれるほどの景勝スポットです。さらにスイッチバック方式の全国的にもめずらしい駅です。 何と言ってもホームから展望する善光寺平の景色は絶景です。ホームのベンチが鉄道側にでなく、善光寺平に向かって設置されている点にもご注目を。篠ノ井~名古屋間を電車で移動する際には姨捨付近を通過します。その夜景も素晴らしい。鈍行の電車は、スイッチバックして姨捨駅に停車します。このスイッチバックもぜひ体験してみたい。 参考資料:Wikipedia/姨捨駅 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%A8%E6%8D%A8%E9%A7%85
2024-02-13
3437
長野市社協で住民ディレクター打合せ2009/04/14
2009/04/14の記録。 善光寺で御開帳が催されていた2009年、私がアドバイザリーに関わっていた長野県デジタルアーカイブ推進事業の一環で長野市社会福祉協議会との連携により「住民ディレクター」を地域に広げる企画「地域の放送局をつくろう」を打ち合わせた時の記録です。私から住民ディレクター運動の提唱者・岸本晃さんを紹介したのが2008年のこと。その後、長野市内で住民ディレクターの実践活動をし、社協会場で「まちの放送局」イベントを実施しました。私もこの支援に関わりました。この時の打合せではそれらの実践を踏まえ、これからどう地域に住民ディレクター/まちの放送局を地域づくりに活かしていくかを意見合わせしました。社協で進めている「まちの縁側」の活動、自治協とのつながりなどを企画検討しました。 板書されてい
2024-02-11
3436
旧飯山駅の様子2009/04/10
2009/04/10の記録。 JR飯山駅は北陸新幹線の延伸により、新幹線の駅となり、古い駅舎は取り壊され、新築の立派な駅舎に様変わりしました。雪深い地域のため、周囲には消雪剤が撒かれる影響でレール下の砂利や小屋などが茶色に変色しています。 2009年時点ではまだ新幹線の工事は全くなされていません。古いレトロな駅舎と構内の様子が私の写真に記録されていました。今となっては貴重な地域の記録です。
2024-02-11
3435
マンホール:飯山市
2009/04/10の記録。 飯山市のマンホールです。一本杖スキーの子ども2人を描いています。マンホールカードの解説によると、最初にこの地に伝わったスキーは一本杖スキーで大正初期まで盛んであったとのこと。子どもが被っている頭巾が「みのぼうし」で、これは昭和30年代まで利用されていたとのことです。 私の別記事「飯山のマンホール、一本杖スキー」もご参照ください。 http://d-commons.net/uedagaku/maekawa2?c=&p=8852
2024-02-11
3434
2008年度長野大学入学式2008/04/04
2008/04/04の記録。 長野大学の新学部企業情報学部と環境ツーリズム学部の二期生の入学式です。入学式会場は大学の体育館です。写真は上田市の母袋創一市長が祝辞を述べている様子。この年度は嶋田学長、企業情報学部は高橋進学部長、環境ツーリズム学部は京谷栄二学部長でした。バリアフリーを目指す大学らしくパソコン要約筆記による情報保障がなされています。
2024-02-11
3433
マンホール:小川村
2008/03/16の記録。 長野県上水内郡小川村のマンホールです。絵柄は村営施設「星と緑のロマン館」です。汽車の絵柄は銀河鉄道のイメージでしょうか。 参考資料:上水内郡小川村のマンホール http://usagigasi1f2.starfree.jp/nagano/ogawa/ogawa.html 信州小川村・星と緑のロマン館 https://www.ogawaromankan.net/
2024-02-11
3432
マンホール:長野市(農集排)
2008/03/16の記録。 長野市の「農集排」のマンホールです。撮影した地点は長野市七二会(旧七二会村、1966年長野市に編入)の辺りです。ホタルがあしらわれています。
2024-02-11
3431
マンホール:旧中条村(長野市)
2008/03/16の記録。 長野県上水内郡中条村のマンホールです。中条村は隣の信州新町と共に2010年、長野市に編入されました。 マンホール蓋には中央に村の木ケヤキ、周りに村の花ウメがあしらわれています。 参考資料:長野市のマンホール http://usagigasi1f2.starfree.jp/nagano/naganosi/naganosi.html
2024-02-11
3430
マンホール:小谷村
2008/03/16の記録。 長野県小谷(おたり)村のマンホールです。この日、小谷小学校を会場に開催された「子ども農山村シンポジウム」に参加するため小谷村を訪れました。 「汚水」や「おすい」でなく「下水道」と表記されている汚水マンホールはめずらしい。村の花おおやまざくらがあしらわれています。小谷村は北アルプスの裾野に広がる自然豊かな地域です。 参考資料:小谷村のマンホール http://usagigasi1f2.starfree.jp/nagano/otarimura/otarimura.html
2024-02-11
3429
マンホール:前橋市
2008/03/15の記録。 前橋市のマンホールです。前橋駅前で撮影しました。前橋市は群馬県の県庁所在地ながら、高崎駅が新幹線の駅となっており、高崎からは上毛線で前橋駅に移動します。ご覧のとおり前橋駅前は県庁所在地とは思えないぐらいにこじんまりとしています。 マンホールの絵柄には、市の花バラをあしらっています。 参考資料:前橋市のマンホール http://usagigasi1f2.starfree.jp/gunnma/maebasi/maebasi.html
2024-02-11
3428
マンホール:高崎市
2008/03/15の記録。 JR高崎駅前にあったマンホール。 1つ目は汚水マンホール蓋。中央の模様は高崎市の下水マークとのこと。 2つ目は高崎市市制100周年記念の貼り紙マンホール。高崎市は1900年に市制を施行し2000年に市制100周年を迎えました。隣の前橋市の市制施行年は高崎よりも早い1892年です。 ちょうどこの時はJR高崎駅東口駅前にヤマダデンキLAB1が建設中でした。 参考資料:高崎市のマンホール http://usagigasi1f2.starfree.jp/gunnma/takasaki/takasaki.html
2024-02-11
3426
梅花幼稚園2008/06/22
2008/06/22の記録。 梅花幼稚園は上田市内にあるキリスト教主義の幼稚園です。1900年に開設されました。現在の園舎は1903年に建てられた歴史的建築です。現存する全国の幼稚園の園舎の中では大阪市立愛珠幼稚園の園舎(1901年竣工)に次いで日本で2番目に古い園舎です。幼稚園の隣には蚕糸業の発展に貢献した三吉米熊(1860-1927)邸があり、クリスチャンでもあった三吉米熊は梅花幼稚園との関わりもあったようです。蚕糸業で古くから栄えた上田の歴史を物語る歴史的スポットです。 参考資料: 学校法人梅花学園梅花幼稚園http://www.baikayouchien.com/ Wikipedia:大阪市立愛珠幼稚園 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E7%AB%8B%E6%84%9B%E7%8F%A0%E5%B9%BC%E7%A8%9A%E5%9C%92
2024-02-10
3425
リヴィン上田店2008/05/04
2008/05/04の記録。 Wikipediaによると上田西武店がリヴィン(LIVIN)に改称したのは2000年9月とのこと。リヴィン上田店は2009年に閉店しました。リヴィンは総合スーパーながら、店内は前身でもある西武百貨店時代のデパートらしい装いが印象的な店舗でした。営業していた期間、店内を撮影するのははばかられたので私の写真記録の中にはありません。今となっては写真の記録もなく、記憶に残るのみです。 リヴィン跡地には現在ホテルルートインGrand上田駅前(2016年創業)が建っています。都市の変容の痕跡が記憶からも薄れていきますね。 参考資料:Wikipedia「リヴィン」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3
2024-02-10
3424
SKFのチケット販売上田会場2008/05/24
2008/05/24の記録。 毎年松本で開催される「サイトウ・キネン・フェスティバル(SKF)」(現在は「セイジ・オザワ松本フェスティバル(OMF)」)はクラシック音楽の催しとしては人気が高く、チケット販売初日、長野県内の5つある販売会場にはどこにも長蛇の列が出来ていました。指揮者・小澤征爾さんの人気によるところが大きい。松本会場は前日からテントを持ち込み列をつくる「テント村」が出来ることがマスコミで取り上げられ話題となっていました。 上田の場合は、徹夜をして並ばなくていいように市民有志が販売初日の数日前から整理券を配り、順番を確保できる「上田方式」が取られていました。松本に比べると上田は整理の運営が合理的でクールです。主催者とは関わりなく市民有志が行っていたことも上田ならではのグッドプラクティスでした
2024-02-07
3423
旧上田一中跡2008/05/24
2008/05/24の記録。 ツルヤ上田中央店と健康プラザうえだのある場所は旧上田一中の跡地でした。校舎が取り壊された後、2008年頃は空き地になっていました。駐車場、子どもがスポーツを楽しめるグラウンドになっていました。その奥は長野県の合同庁舎になります。体育館、音楽室の建物はこの時点では壊されずにあり、子ども劇場で使われていたようです。 都市環境から昔の記憶が遠のいていきます。
2024-02-07
3422
マンホール:戸狩(飯山市)
2008/05/17の記録。 飯山市の戸狩で見かけたマンホール。絵柄は愛嬌のあるマスコットに見えます。戸狩温泉スキー場のマスコット、ミミズクの「とが坊」とのこと。市の花ユキツバキがあしらわれています。戸狩は何より自然景観が素晴らしい。 参考:飯山市のマンホール http://usagigasi1f2.starfree.jp/nagano/iiyama/iiyama.html
2024-02-07
3421
マンホール:木島平村
2008/05/17の記録。 木島平村を訪れた際、路面のマンホール蓋に目が向かいました。着物姿の子ども2人が踊っている姿があしらわれています。地元の祭りかと思いましたが、「よろこび」(次世代を担う子供たちが環境整備がなされ喜んでいる姿)をデザインしたものとのこと。周囲にフクジュソウがあしらわれています。マンホールもさることながら、木島平の自然豊かな地域景観にも魅せられます。 参考:木島平村のマンホール https://rojonomanhole.web.fc2.com/nagano/kijimadaira_village.htm
2024-02-07
3420
前山寺のくるみおはぎ
2008/05/11の記録。 塩田平の名刹・前山寺のくるみおはぎを賞味したいと思い、この日、前山寺を訪れました。通常、予約が必要ですが、幸いこの日は予約なしで入ることができました。前山寺のホームページによると、檀家さんを接待するのに住職さんが手作りしたのが始まりとのこと。精進料理を提供してくれるお寺さんもありますが、前山寺の檀家さんに対する接待文化を一般の私たちも体験できることはこの上ないおもてなし文化です。いわゆる普通のグルメとは違います。美味なものでした。 くるみおはぎの文化は前山寺の環境の中で一際映えたものになります。障子戸のガラス窓越しに見える借景には風情があります。軒先に立つと塩田平が一望できます。「くるみおはぎ」のみでこの文化を語ってはいけません。 参考:前山寺ホームページ
2024-02-07
3418
平林堂書店2015/03/17
2015/03/17の記録。 上田市の老舗書店の一つ、原町にあった平林堂書店は数年前に閉店し、その後、建物も取り壊されました。『信濃蚕糸業史』全3冊を購入したのもこの書店です。地域に関する古い書籍も数多く品ぞろえされていました。今となっては記憶の中にしか残っていませんが、幸い私の写真に記録されていました。
2024-02-02
3417
伝説のワイン「ヴィランジュ・ドゥ・ベッショ」
2011/04/22の記録。 マンズワインが製造販売している(いた?)伝説のワイン「ヴィランジュ・ドゥ・ベッショ」。赤ワイン(ルージュ)と白ワイン(ブラン)とがあります。「塩田平契約栽培善光寺種100%」と銘打っています。当時、上田市中野にある若林醸造のお店で購入しました。久しぶりにこのワインを賞味したいのですが、今もあるのでしょうか? 「ヴィランジュ」と書くといかにもフランス語の意味ありげな名前に見えますが、実は別所温泉の地名にもなっている「比蘭樹」にちなみ、ネーミングを洒落たものです。現在の「あいそめの湯」の前にバス停の名前として「比蘭樹」が残っています。遠い美味ワインの記憶も甦ってきます。
2024-01-21
3416
イトーヨーカドー上田店閉店売りつくし2011/04/05
2011/04/05の記録。 上田市のイトーヨーカドーはアリオ上田店に移転する以前は、上田駅前にありました。2011/04/10に閉店するまで33年間営業を続けてきました。閉店前に催されていた「閉店売りつくし」の記録も今となっては貴重な地域の記憶の記録です。
2024-01-21
3415
2011年3月「新生上田市5周年」
2011/03/22の記録。 平成の大合併により、新生上田市がスタートしたのが2006年3月6日。それまでの上田市は丸子町、真田町、武石村と対等合併し、新たな上田市となりました。 2011年3月、上田市役所には「祝・新生上田市5周年」の垂れ幕が掛けられていました。この旧市庁舎は現在は新庁舎になっています。変わる前の市役所の姿の記録ともなっています。
2024-01-21
3414
長野大学卒業式の様子2011/03/19
2011/03/19の記録。 2010年度の卒業式は上田城跡公園内にあった旧上田市民会館で催されました。新しい市民会館でもある「サントミューゼ」が開館するまでは旧市民会館が卒業式会場として使われていました。「ナショナルテレビ」の緞帳が施設の歴史を物語っています。 卒業式直前の3月11日、東日本大震災が起こり、その影響を受けた卒業生もいました。司会者の脇のスクリーンにパソコン要約筆記による情報が表示されています。この年度の長野大学学長は野原光先生、企業情報学部長は高橋進先生でした。画像で記録を再現することによりそれもはっきりと確認できます。13年前の2011年が現在に蘇ってきます。
2024-01-21
3413
引越し直後の前川研究室2005/04/05
2005/04/05の記録。 長野大学に赴任して間もない時の研究室の風景です。書架に本を並べ始めました。引越しの段ボール箱の多くが未開封のままです。
2024-01-21
3412
セブンイレブン長野大学前店2005/04/05
2005/04/05の記録。 長野大学の真正面にはかつてセブンイレブンがありました。現在は中古車販売店になっています。
2024-01-21
3411
2005年度長野大学入学式2005/04/04
2005/04/04の記録。 2005年度の長野大学の入学式。当時、入学式は体育館で行われていました。健常者だけでなく障がいの学生も対等に学べることを補償するバリアフリーの大学らしく、パソコン要約筆記による情報補償がなされている点にもご注目ください(ステージに向かって左奥)。入学会場の出口にはサークル活動などの勧誘で学生たちが会場から出てくる新入生を待っていました。生協学生委員会STAFFあんずによる「新入生歓迎企画 友達100人できるかな?」も毎年開催されていました。
2024-01-21
3410
諏訪湖の御神渡り2008
2008/02/02の記録。 「御神渡り(おみわたり)」は冬の諏訪湖に起こる自然現象です。湖面が氷結し、氷が割れて筋状の隆起ができます。それを古来から神が渡った跡「御神渡り」と言い伝えられてきました。御神渡りができる年もあればできない年もあります。 この年2008年には御神渡りが出来ました。大学での仕事が終わった後、諏訪湖に行き、日暮れる前に御神渡りを見ることができました。その翌日には雪が降り、御神渡りは雪に埋もれたものと思われます。私が唯一目撃できた貴重な御神渡りの記録です。御神渡りはできましたが、場所によっては湖面は凍結しておらず、冬鳥たちは凍結しない湖面に集まっていました。
2024-01-17
3409
一番肉まんらしく見える浅間山
2009/12/29の記録。 上信越道を上田から軽井沢方面に進んでいます。小諸付近から見える浅間山のこの山容。楕円状の白い山容に縦縞が入り、これが一番肉まんらしく見えます。
2024-01-16
3408
崖沿い・千曲川沿い道路の記録2007
2007/10/25の記録。 上田市・千曲川右岸の岩鼻から坂城町に抜ける県道77号線は、絶壁のような崖沿いに展開していました。一部、崖の崩落などもあり、2007年頃はその修復工事が行われていました。 現在この区間は通行禁止となり、国道18号線がバイパスされて岩鼻の岩盤を貫通するトンネルを抜けて坂城町側につながる安全なルートに代替されました。
2024-01-16
3407
マンホール:松本市
2009/02/01の記録。 松本市のマンホールの絵柄は松本てまりです。円形のマンホール蓋に円形の松本てまりが大小いくつも重ねて描かれた楽しいデザインになっています。円の中に円を入れ子にしたデザインセンスのよさ。他の市町村のように花や木などをあしらわないシンプルさもセンスがよい。全国に誇るマンホールデザインの傑作ではないかと思います。
2024-01-16
3406
マンホール:御代田町
2009/02/06の記録。御代田町のマンホールは中央に町の花「ヤマユリ」を描き、周囲にもヤマユリを配しています。「公下」は公共下水道の略。とてもシンプルなマンホールのデザイン。
2024-01-16
3405
マンホール:小諸市
2009/02/06の記録。小諸市のマンホールは小諸城址・懐古園の三の門、背景に浅間山が描かれ、周囲に市の花「コモロスミレ」、市の木「ウメ」が配されています。 もう一つのマンホールには中央に市の花「コモロスミレ」、全体に市の木「ウメ」が配されています。
2024-01-16
3404
大屋駅・旧駅舎の記録
2009/02/06の記録。しなの鉄道・大屋駅の旧駅舎は建て替えにより2023年に取り壊されました。過去の駅舎がどのようなものであったのかを私の画像で再現しました。 大屋駅は信越本線開通後の1896年、諏訪地方からの生糸輸送のために、諏訪地方の業者等の請願により新設された駅です。蚕糸王国長野県の蚕糸業の歴史を刻んだ近代化産業遺産です。取り壊し前の駅とその周辺がどのような様子であったのかを画像クリップでもご参照ください。
2024-01-16
3403
曳家工事中の常田館製糸場
2009/02/03の記録。笠原工業敷地内にある旧常田館製糸場の建物を曳家工事している時の記録です。笠原工業前の道路の拡幅工事に伴い、道路に接する旧常田館製糸場の建物は取り壊されることになっていました。幸いにも建物は曳家することにより取り壊しを免れました。製糸業の貴重な産業遺産であり、オーナーでもある笠原工業の曳家保全の英断により、貴重な産業遺産が残されたことは長く記憶されるべきことと思い、その記録をここに残しておきます。 後にこれらの建造物は国の重要文化財に指定されました。
2024-01-16
3401
塩田平から望む遠くの浅間山
塩田平から浅間山は遠くにあり、上信越高原国立公園の山々の連なりの一番右手に位置します。一際白い山容が特徴的ですが、手前の山々に隠れて一部だけが見えます。(2009/02/07の記録)
2024-01-16
3399
塩田平で発見、猫瓦では?
塩田平の前山寺近くのところでふと目にとまったこの瓦。猫瓦ではないでしょうか? むろんこの地域、旧「西塩田村」も蚕種製造、養蚕は盛んだったわけで、まだまだ猫瓦が残っている可能性があります。 蚕種製造が盛んだった塩尻地区、特に上塩尻に猫瓦が多く残っていますが、塩田平にもあるのですね。昔の画像を何気なく見ていたらパッと目にとまりました。思いがけない発見です。(2009/02/07記録)
2024-01-16
3398
黒坂周平先生像
塩田平の前山寺近くに「黒坂周平先生像」が設置されています。黒坂周平先生(1913-2003)の功績をたたえ、平成9年(1997年)「黒坂周平先生頌徳事業発起人」「同実行委員会」が建立したものです。平成7年(1995年)建立の「筆塚之記」もあります。地域史研究に大きな功績を残され、数多くの方々から尊敬を受けたことが伝わってきます。(2009/02/07記録)
2024-01-16
3397
純白の浅間山
毎年、年末年始には茨城に帰省するため、上信越道を上田から茨城に移動するのが恒例でした。そのたびに進行方向左手にある浅間山を眺めることを繰り返し、また同時にその時々の浅間山の景観をデジカメ画像に記録してきました。 そういえば、純白の浅間山を見たことは滅多になかったかもしれないと思い出しました。山頂付近は強風に雪が除かれるため、たいていは雪の下に地肌が見えています。この時のような純白の浅間山はめずらしい!(2006/12/31記録)
2024-01-16
3396
活火山としての浅間山
この辺りは小諸から御代田の辺り。浅間サンラインから眺める浅間山。周辺に広がるこの広大な浅間山麓から眺望する浅間山の雄大さもさることながら、上空にたなびくように見える白いものにもご注目を! これは雲ではありません。浅間山の火口から噴き出す煙です。2005年頃は火山活動が少しあり、火口が活性化していました。さすがに活火山ならではの光景です。(2005/05/21記録)
2024-01-16
3395
御代田に迫る浅間山
浅間山の存在感を最も感じさせるのが御代田町かもしれません。地図を見ると御代田町は南北に細長く、その北端は浅間山の山頂とその峰に接しています。鬼押出から望む雄大な浅間山の見事さとはまた別な浅間山の雄大さを堪能させてくれます。(2023/08/03記録)
2024-01-16
3394
富士山と見まごう浅間山
群馬県は群馬県でも前橋付近から望む浅間山はお馴染みの浅間山にあらず。ほぼ富士山です。円錐状の見事な形状。とても浅間山には見えません。前橋周辺の皆様はこれが浅間山の普通の姿と思いこんでいるのではないでしょうか。(2009/12/29記録)
2024-01-16
3393
浅間山、おおこの山容!
浅間山七変化。上信越道を上田から軽井沢方面に向かって進むと、ちょうど佐久平ハイウェイオアシス(平尾山公園)の辺りで浅間山が再び見えてきます。おやっ? 浅間山の山容がまた違った姿に変わっていました。(2014/12/27記録)
2024-01-16
3392
浅間山の変容? なだらかな稜線
浅間山の見え方の面白さ。上信越道を上田方面から軽井沢方面に移動しています。小諸付近で先ほどまで眼前に現れていた形状のふくよかな肉まんはここに来ると「あれ?どこにあるの?」という感じになります。肉まん形状を特徴づけていた幾本もの縦筋はつい左手の一部に過ぎなかったことがわかりました。その背景になだらかにのびる稜線の美しさ。肉まんがまるで潰れて平板になったかのようです。東側の浅間山から高峰山、湯の丸山、烏帽子岳とパノラマ展開する上信越高原国立公園の山々の疎ら感も実に素晴らしい。ひとつながりになったアルプスとはまるで違い相互独立の山々。(2010/12/31記録)
2024-01-16
3391
浅間山の眺望、肉まん、それともUFO?
長野県側から見える浅間山の山容は変幻自在。上信越道の小諸市付近から見える浅間山は手前の山の背後に隠れてその頭部のみが見えます。幾筋もある細い谷筋に特徴があります。丸まった異様な物体。まるで肉まんが大自然の中に鎮座しているかのごとく。見方によってはUFOにも見えます。(2010/12/31記録)
2024-01-16
3390
鬼押出から望む浅間山
長野県側から見える浅間山の反対側の群馬県側から見た浅間山の眺望。浅間山の全容が裾野まで見通せる浅間山の眺望は雄大です。長野県から見て馴染んだ同じ山とは思えないぐらい。山を見るたび、その見え方は局所的に見える相対的なものに過ぎないことを何よりも実感させてくれます。(2008/07/06の記録)
2024-01-16
3389
大雪の上田2017/01/21
上田はあまり雪は降りません。この日2017/01/21はめずらしく大雪になりました。まるで雪国。除雪車が除雪している光景には滅多に出会えません! とても貴重な大雪の記録です。
2024-01-02
3387
「生涯備忘録」テンプレートご利用ください
▲「生涯備忘録」テンプレート(Excelファイル) 生まれてからこれまでの間にいつ何があったか、どこへ行ったか、その頃何をしていたか、何を考えていたか、どう成長したかをシームレスに記録できるExcelの「生涯備忘録」テンプレートを公開しました。生まれた日から100歳の誕生日の辺りまで約36,500日のデータ行が入力済です。 ★使い方 上のExcelファイルをダウンロードしてお使いください。1日目の生年月日に自分の生年月日を1980/05/01のように入力します。満100歳までの備忘録テーブルが自動的に作成されます。左半分の項目は自動記述項目です。関数と式が設定されているので値を入力しないでください。右半分の項目に必要事項を入力します。 <自動記述項目> ①日目(生誕日が起算日の連番、生まれてから何日目?) =上セル+1 ②年 =TEXT(F2,
2023-12-27
3386
長野大学前にあったセブンイレブン2005年前後
長野大学の前にセブンイレブンがありました。 <写真・上から順に> ①2005/04/27の記録 ②2005/05/18の記録 ③2005/12/15の記録 ④2006/03/29の記録 たまたま私のデジカメ画像に記録されていたものです。大学からは地の利がよく大変重宝しましたが、閉店となってから久しくなります。現在はカーショップに代わっています。 別所線大学前駅周辺、長野大学周辺にはコンビニが数店あり、栄枯盛衰を繰り返しています。セブンイレブン、ファミマ、ローソンなどコンビニ業界の競合も激しいことに加え、大学は夏休み、春休みなどの期間が長く、コンビニを営業するには売り上げが少ない期間が長く続くことも大学前立地のハンディになったのではないでしょうか。 私が当時書いた記事があるのでご紹介します。 ★
2023-12-24
3378
Excelで「生涯備忘録」のすすめ
生まれてからこれまでの間にいつ何があったか、どこへ行ったか、その頃何をしていたか、何を考えていたか、どう成長したかがシームレスにわかるといい。スマホで撮った画像やビデオやその時にゲットした資料なども紐づけできるといい。 仮に人生100年とすると日数は約36,500日。Excelでデータ作成すると、それがいとも簡単にコントロールできます。そんなことで「生涯備忘録」を作ってみました。誕生日を起算日とし1行=1日で下方向に3万6千行のデータを作ります。カラムは任意で。一番の柱は年月日です。他は全部年月日の属性。 1行目に生誕日を入力。 2行目には数式 =一つ上のセル+1 を書きます。これで日付が1カウントアップします。このセルを下方向コピー(フィル)すると100年人生の日付入力が全て完了します。とても簡単です。 私
2023-12-20
3358
2019年、台風19号/崩落した鉄橋と跡形もない河川敷の森
台風19号の大きな衝撃の一つは別所線の鉄橋の崩落です。2019/10/13、全国にも大きく報道されました。鉄橋は崩落したものの堤防は間一髪のところで崩壊を免れています。もしこれが崩落したら広大な川沿いの住宅地が浸水被害になるところでした。この画像はそれから数日後10/19の記録です。 ここで注目いただきたいことは河川敷にあった樹木の森が全く消滅していることです。数多くあった大きな樹木が根こそぎ流され、堤防や鉄橋に激しく衝突した結果、堤防と鉄橋の崩落をもたらしたのではないかと推察します(誰も崩落の要因を語る人はいませんが)。
2023-10-16
3356
2019年、台風19号/千曲川増水で橋桁に打ち付ける波
2019/10/12、22:00頃の千曲川の状況を記録した画像です。古舟橋の情景です。暗くて見えにくいですが、横に伸びる黒い帯が橋、その下に延びるやや白い帯が波です。危険水位まで水が上昇し川面が激しく波打って橋桁の下にぶつかっていました。周囲にはゴーッという川音が遠くからでも響いていました。 この個所は幸いにして越水や洪水の被害からはまぬがれました。その後まもなくそれぞれの橋は通行禁止になりました。私もこの後安全な高台に車で移動しました。
2023-10-16
3353
2005年の千曲川、洪水被害前の河川敷の森
2005/08/10の記録画像です。私が上田に移り住んだ最初の年が2005年。上田花火大会を見るのもこの時が初めてでした。花火大会が始まる前、川沿いの堤防に多くの市民がシートを敷いて花火が始まるのを待っています。暗い中撮影したのでカメラもややブレています。それはともかく、河川敷に豊かな森が広がっている状況にご注目ください。 2019/10/12、上田をはじめとし長野県の各地は台風19号により甚大な水害に見舞われました。最も衝撃的で象徴的だった被害が別所線鉄橋の崩落です。河川敷に森となっていたこれらの樹木は根こそぎ流され、跡形もなくなっていました。つ洪水の凄まじさを物語る災害でした。これらの画像、災害前の河川敷の状況の記録です。
2023-10-14
3352
蓼科高校「蓼科学」プレイバック
蓼科高校「蓼科学」の授業記録や高校生たちの学習成果であるアウトプットは主に以下の2つのサイトから公開しています。 ★
地域学習アーカイブ
蓼科学2015~2019を個別に蓄積。 ★
みんなでつくる蓼科学アーカイブ
蓼科学2020~2022の成果を蓄積。 蓼科高校の地域科目「蓼科学」は、長野大学と蓼科高校の高大連携講座として位置付けられ、長野大学が蓼科高校に出前講座を提供するという形で実施されてきました。私は2015年から2022年まで8年間にわたりその担当をしました。「蓼科学」はカリキュラムの見直しにより2022年度が最終年度となり現在は終了しています。 日頃、大学生とゼミや授業で接してはいますが、高校生と直接対峙する機会はなく、私にとっ
2023-10-10
3344
「蚕都上田マップ」長野大学附属図書館に設置
長野大学附属図書館の地域資料室に「蚕都上田マップ」を設置しました。地図は2種類あります。横1.8m/縦2.8mの巨大マップです。それぞれのPDFマップは下のリンクからも参照できます。
★市街図(明治~昭和)
1928年(昭和3年)の「上田市全図」に土地利用を色分け蚕糸業スポットをポインティングしました。蚕糸業で栄えた上田の絶頂期の記録です。
★上小地域(明治~昭和)
日本一の蚕種製造地であった塩尻地区、製糸業で栄えた丸子地区にフォーカスを当てています。 これらのマップは蚕都上田プロジェクト(代表:前川道博)が2010年に作成したものです。当時日本地理学会会長だった斎藤功先生(故人、当時は環境ツーリズ
2023-10-04
3334
解体された大屋駅
しなの鉄道の大屋駅が解体され建て直されます。5月1日に訪れた際にはまだ古い駅舎のまま残っていました。 ★
解体前の大屋駅 2023/05/01
この日7/21に訪れた時には完全に解体されていました。駅舎は完全に取り壊され、大屋駅建設を記録した石碑のみが残されています。駅舎部分の基礎工事が行われている段階でした。
2023-09-23
3333
都市変遷の可視化-Googleストリートビュー
▲Googleストリートビュー:茨城県つくば市中心部の大清水公園前の地点 上から2013/08, 2018/04, 2020/07のGoogleストリートビュー画像(各データ出典は下記にリンク掲載) 都市の構造、景観は時間経過と共に変遷していきます。ただし昔どうだったのかをふり返る手段はあまりありませんでした。GoogleMapのストリートビューを見ていたら過去の記録にタイムスリップできます。まるでタイムマシンです。全国各地域の変遷がはっきりと視認できます。デジタルアーカイブが共有されパブリックなものになっていることの効用を実感しました。ある意味、私たちの歴史認識を一変させるほどのインパクトです。 <Googleストリートビュー:つくば市大清水公園前> 上の画像は以下のストリートビューデータからクリッピングしたものです。
2023-09-21
3331
記憶の現前化-画像は記憶を補う外在的記録
旅と音楽、旅と音
日頃からデジカメで何かと日々のことを撮り溜めています。撮ったものをほんのごく一部はSNSなどにアウトプット化することはありますが、圧倒的大多数の画像はPCの外付HDD内に保存したままになっています。よほどのことがない限り、それを取り出しふり返ることもありません。しかし個人の記憶のアーカイブとしてはかけがえのないものです。10年、20年経った時、画像を見ることにより、記憶が甦ってきます。自分の記憶の外部装置である画像の効用です。この現象、作用を「記憶の現前化」と呼んできました。その時の記憶が画像をトリガーに引き出されてきます。「画像は記憶を補う外在的記録」です。 写真を撮ることも不自由だった時代、記憶は脳内にしかなく、結果的
2023-09-15
3330
旅れぽ『津軽滞在記2015』
マッピング津軽/津軽滞在記2015
今から8年ほど前の2015年8月、青森県弘前市に滞在しました。長野県上田市を発ったのが8月2日、上田市に戻ったのが8月22日、約3週間の滞在です。弘前滞在の理由は家内の実家の整理。その滞在期間に小坂(秋田県)、弘前(以下青森県)、黒石、青森、田舎館、五所川原などを見聞しました。 特に夏の期間でなければ見れない津軽各地のまつり、弘前ねぷた、青森ねぶた、立佞武多(五所川原)、大河原の火流し(黒石)、黒石よされ(黒石)などを記録しました。 それから8年が経過し、記録した画像を見直してみると、津軽という地域を記録したことの価値に気づき、当時の記憶をこのマイサイト『ミッチーのサイト』とは別サイト『
2023-10-03
3326
上田蚕種:蚕種製造の現場・交尾割愛作業
上田蚕種株式会社での蚕種製造の様子。これが養蚕の原料となる蚕の卵の生産現場です。来年の養蚕の原料となります。6/23、この日は蛹から羽化したオスメスの蚕蛾を交尾させ割愛する作業を記録しました。1年に一度の貴重な蚕種製造の現場です。既に産卵した蛾も。中国種、日本種の異なる品種を掛け合わせることにより養蚕用の蚕種を製造します。作業員の手際よい作業ぶりにも感心しました。貴重な蚕種製造の現場が記録できました。ビデオ映像は後日公開します。
2023-08-24
3325
東京藝術大学の大学史史料室訪問
日本の近代音楽は文部省の音楽取調掛に始まります。後に東京音楽学校となり、戦後、東京藝術大学に。日本の音楽教育、音楽文化の源泉と言っても過言ではありません。音楽の記憶・記録がこの大学に詰まっています。7/4、大学史史料室を訪問し、史料室も見せていただき、関係の方々とも情報交換をしました。 アーカイブ系のセクションが未来創造継承センターに再編されたことも知りました。 《
「未来」のために「過去」を創造する。
》 なんと逆説的なアート的表現でしょう。アーカイブの本質と言ってもよいことです。
2023-08-24
3316
DA学会発表「地域デジタルコモンズが拓くこと」(2023)
デジタルアーカイブ学会/地域アーカイブ部会 地域デジタルコモンズが拓くこと~d-commons.netによる地域課題の包摂的支援~ 2023/07/26 前川道博 ▼デジタルアーカイブ学会地域アーカイブ部会サイト
シリーズ研究会 テーマ:地域デジタルコモンズが拓くこと~『光が丘デジタルアーカイブ』とd-commons.net~ (2023/7/26)
▼研究会の記録動画はコチラ(掲載元の動画を再掲)。
2023-07-26
3313
現役の蚕種製造企業:上田蚕種株式会社
上田蚕種は1918年(大正7年)に創業後、世界恐慌、太平洋戦争などの激動の時代を経て日本の蚕種製造を支えてきました。現在も蚕種製造業を営んでいる数少ない企業の一つです。 2023/06/15記録。 現役の蚕種製造企業は上田蚕種(上田市)、高原社(松本市)、冨田蚕種(福島県伊達市)の3社のみです。
2023-06-17
3312
上田蚕種:蚕種製造の現場・雄雌鑑別
かつての日本の基幹産業・蚕糸業を支えた蚕種製造業。6/15、上田蚕種株式会社で養蚕農家から集荷した繭から蛹を取り出し、雄雌を鑑別する作業が行われました。その貴重な作業風景を学生と映像記録、これからネット等へ出していきます。
2023-06-16
3307
大屋駅を未来に伝えるには
しなの鉄道大屋駅の歴史的な駅舎が建て替えられるとのこと。建て替わる前の駅舎の様子を記録にとどめておこうと思い、車窓越しに写真を撮りました。丁寧に記録することは後日に。 諏訪と小県をつなぐ中山道は1859年の横浜開港後、横浜とつなぐ生糸の輸送路として重要な役割を果たしました。信越本線開業後は、中央本線が開通するまでの間、大屋駅は生糸の一大生産地であった諏訪地方、とりわけ岡谷とつなぐ要衝の駅としての役割を果たしてきました。建物は建て替わってもその歴史は留めて未来に伝えたいものです。
2023-05-01
3296
3.11東日本大震災から2か月後の石巻
東日本大震災が起きた2011/03/11から早くも12年が経過しました。当時の記憶はまだ生々しく残っています。12年経っても記憶が失せるものではありませんが、世間では次第に遠い過去のことのように語られがちになることが気になります。 私が被災地を訪れたのはその年の5/21のこと。仙台から石巻方面に向かいました。3.11から2ヶ月経過したとは言え現地の状況は復旧にはほど遠い状態でした。いくら言葉を積んでも当時の状況、様子は伝えられるものではありません。未来に向けて被災地の様子は現地を訪れて脳裏に刻んでおくべき、また記録に残しておきべき、とその時に強く思いました。映像などの記録によって視認ができます。当日はビデオカメラで撮影をしました。数枚の画像を添付しておきます。
2023-03-11
3286
イトーヨーカドー上田店2007/11/02
イトーヨーカドー上田店は、現在のアリオ上田店に移転する以前は上田駅前にありました。この日2007/11/02、横浜から帰った時にたまたま撮った写真があるので、こちらに掲載しておきます。
2023-02-25
3285
LIVIN上田店2007/12/30
上田市のホテルルートインGrand上田駅前が建っている場所にはLIVIN上田店がありました。LIVINは西友系列の店舗です。2007/12/30に記録した写真があるので掲載しておきます。この建物が取り壊される時の風景を記録した写真もあるのですが、いつだったか、今は探し出せません。
2023-02-25
3283
丸の内:都市環境の変遷
東京ステーションギャラリーに東京駅周辺の都市環境の変遷がジオラマで展示されています。東京駅前に新丸ビルが竣工した1950以後の昭和時代の姿、そして高層ビルが立ち並ぶようになった現在の姿。旧丸ビルの高さを基準としビルの高さが100フィートに制限されていた時代のオフィスビルの画一的な高さのビルの連なりをその時代、子ども心なりに美しい都市景観と感じてきました。それが都市景観の規範にすらなっていたと思い返されます。が、今となっては「だからどうなの?」という思いが先に立ちます。 私が旧丸ビルの外観・内観を記録に収めておかなければと思ったのが1997年2月のこと。その頃丸の内はまだ味もそっけもないオフィスビル群でした。その後丸ビルは解体工事が始まり、現在の新しい高層ビルに建て替わりました。その後さらに
2023-02-20
3269
一次資料としてのminiDV
これまで社会活動はビデオ映像に記録をしてきました。蚕都上田プロジェクトを始めたのは2008年のこと。当時の記録媒体はもっぱらminiDV(小型ビデオカセット)です。それから15年が経過し、当時は現役で活動された方もご高齢になったりお亡くなりになったり、社会の状況・様子も変遷し続けてきています。miniDVは個人的には1997年以来使い続け、記録テープは1000本を超えます(数えたことはありませんが)。 テープ媒体の問題は再生しないことには記録映像にアクセスできないこと。さらにはこれらの媒体がいつまで再生可能かの保証はなく、テープ媒体の経年劣化の問題、再生機器の保全の限界の問題と重なり、ある時期に全てをデジタル化しデジタル保存しておかないと取り返しがつかないことになります。 この年末年始、デスクワークの片隅でパ
2023-01-10
3267
藤本蚕業歴史館で開くオンライン講座第2日
12/17(土)、藤本蚕業プロジェクト主催/デジタルアーカイブ学会地域アーカイブ部会共催によるデジタルアーキビスト養成講座の第2回講座を実施しました。 今回の講座は、上田小県近現代史研究会のお二人の方:桂木恵さん、小平千文さんから「キュレーション実例」「近現代を捉える視点」の話題提供をいただきました。話題提供のレジュメは以下の【講座資料】に掲載してあります。 午後は、「藤本蚕業歴史館アーカイブ」の史料などを参照し「一次資料を使ったキュレーション」を実習を交えて学習してもらいました。 講座の動画記録は後日、こちらに掲載する予定です。 【講座資料】https://d-commons.net/uedagaku/?c=&p=18944
2022-12-19
3250
長野県の人口減少2008→2022
私の画像アーカイブから古い画像をピックアップしビフォーアフターを比べてみる企画。長野県庁の記録画像を見つけました。 1枚目の画像は2008/08/29、2枚目は2022/11/11の記録。 2008/06/01から2022/10/01までほぼ14年間の間に長野県の人口は153,930人も減少したことになります。この人口は現在の上田市の人口とほぼ同じ。驚くばかりの減り方です。
2022-11-12
3248
上田市マルチメディア情報センターを学生と見学
11/10、1年生の課題発見ゼミの課題発見「上田のelaboration」の一環で上田市マルチメディア情報センターを見学しました。この施設が開所したのは1995年、それから約四半世紀が過ぎ、社会の状況も大きく変化しました。開所当時、次世代産業としてもてはやされたマルチメディアは現代においては「DX」として語られる段階へとパラダイムシフトしました。施設名自体がその歴史を物語っています。建物の前に植えられた欅の黄葉が眼前に迫って印象的でした。植樹当時は低かった樹木が成長した景観美もまた施設の歴史を物語っています。 見学では施設内の施設見学の他、同館収蔵のSBC(信越放送)制作による1964-65年の記録映像などを鑑賞しました。アーカイブ映像が次世代の地域の歴史認識の情報源となることも改めて実感をしました。
2022-11-12
3243
東御市から北アルプス遠望
東御市付近の浅間サンラインを上田方面に向かうと真正面に北アルプスが遠望できます。左手には蓼科山から美ヶ原にかけての山岳がパノラマのように展開しています。この日は山並みがうっすりと朦朧体のような淡いグラデがかった景観が目に飛び込んできました。 実に美しい。信州に暮らしていることの幸せを感じた一コマの記録です。
2022-11-06
3234
メディアアートの系譜と記録
端山貢明さん(1932-2021)がコンピュータのメディアアーティストであったかと言うとそうだったとも言えるし、そうであったとも言えない。岡倉天心が日本画家でなかったことと状況は類似しています。どちらかと言うとコンピュータアートの文化伝道家という側面が強い。またその後に構築していったメディア論の創造性がまさしくアートと呼ぶにふさわしい業績です。とは言え自身がコンピュータも使った作曲もし、音響空間のデザインをしていたことはまさしく狭義のメディアートです。 それはさておき、メディアアートの系譜、特に特定メディアアーティストの業績記録・評価の実例を具体的に知るため何冊かの書籍を購入しました。中谷芙二子、CTG(幸村真佐男他)、山口勝弘。書籍が分厚いことが共通項。よくこれだけ調べ作品・業績を集成したも
2022-10-22
3230
立科町探検隊2022
▲もくもく歩く生徒 蓼科高校の地域科目「蓼科学」を長野大学の学生たちが学習支援しています。第3回(10/17)は最初のフィールドワーク「立科町探検隊」。マイクロバスで目的地まで移動し、大きく3ルートに分かれて探検隊を実施。第1ルート:道の駅+茂田井、第2ルート:権現の湯+ふるさと交流館、第3ルート:長門牧場。 私が同行したグループは第2ルート「権現の湯→ふるさと交流館」。生徒たちが地域を見聞し「立科町をどうとらえるか」「生徒たちが持ち寄った記録により立科町がどう可視化されるか」を地域学習のアクティブラーニングとして実施しました。
2022-10-18
3229
モリス先生「古建築を活かし、持続できる生活を創る」
聞き手:前川道博(長野大学) 2018/06/25、千葉大学のモリス研究室で 上田市上塩尻の蚕種製造民家を2005年頃に調査したマーティン・モリス先生(現千葉大学名誉教授)に、まだモリス先生が千葉大学で教鞭をとられていた2018年、研究室を訪問し、古い民家と町並みが残る地域を未来に向けてどう保全活用するとよいかをお聴きしました。 【大意】 文化財制度の弱点は目玉となる文化財しか残せないこと。目玉しか残せないと古民家を修復できる職人がいなくなる。保全できないので維持管理にお金がかかるという悪循環に陥る。 その点で上塩尻の蚕種製造民家群は静かな旧北国街道沿いに展開しており保存しやすい条件が揃っている。上塩尻には優れた文化が凝集している。住民にその価値を感じてもらうことが大切。古民家
2022-10-18
3228
端山貢明のソシアル・ダイナミクス論
「
端山貢明アーカイブ
」を先日、ネットに新設しました。 端山貢明(1932-2021):作曲家・メディア研究者 またその概要を伝えるチラシを作成しました。端山さんの業績を端的に要約し ●現代の要請に基づく知識循環の創造 ●作曲からネット・ムセイオンへ と伝えました。 「ネット・ムセイオン」は黙示録的なものです。端山さんの言葉を用いれば現代に求められる「知性媒質」です。端山さんが提起した人類が希求すべきメディア環境の概念ではありますが実体はありません。 「知識循環の創造」は、端山さんが提起し続けた「生得の権利」の実現、「アクセス側の主体性」の重要性、そして「ネット・ムセイオン」、これらの先に未来の地平のように見えているのが「知識循環」の社会の姿です。 先日、メディアア
2022-10-15
3227
[22/10/07]東銀座から初台へ
2022/10/07の記録。 17:10、歌舞伎座の上演が終わり、地下鉄で京王線の初台駅へ。このアクセスは交通事情のわからない者には少しばかり難しい。東銀座駅の日比谷線2番線に移動し、東日本橋駅で都営新宿線に乗り換えればいいらしい。「東日本橋」という駅は全く馴染みがありません。地下鉄に乗り、日本橋駅の次の人形町の次が東日本橋駅。東日本橋で乗り換えるのですが、乗り換えの通路が意外に長い。都営新宿線は京王線と相互乗り入れしており、行き先と降りる駅が共に確認しにくい。ホームで待つと「橋本行」が到着。ホントに初台を通り止まるのか不安なまま乗り込みました。 新宿駅に来ると次の駅は「初台」と車内にも表示され一安心。余談ながら韓国語の駅名は하쓰다이(ハスダイ)です。韓国語に「ツ」の音はなく、チュとするよりはス
2022-10-09
3225
資料の撮影・記録をシンプルに
デジタルアーカイブ化したい資料があれば、スマホでも手軽に記録できます。誰もが資料のデジタル化に貢献できるようスマホ活用をおすすめします。
2022-10-05
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