はじめての方へ
|
新規ユーザー登録
ログイン
カテゴリ選択
地域めぐり・まちあるき
歴史文化スポット
自然
温泉・観光・食
祭・イベント
気になるスポット
文化財・道具
商品・工芸品
食文化
地域の記録
旅れぽ
文書記録
写真記録
講座等記録
面白記事抄
人物伝
マンホール
私の地域探究
ようこそ上田!
上田のelaboration
プロジェクト研究
地域学習研修記録
公文書利用地域学講座
藤本史料ピックアップ
長大サミット2021
2020信州上田学Aテキスト
2020信州上田学Bテキスト
2021信州上田学A&Bテキスト
2022信州上田学テキスト
2023信州上田学テキスト
その他
最初の投稿
登録リスト(該当:12件)
≪
1
≫
写真
タイトル
説明
登録日
1
安楽寺八角三重塔
中国から伝わった「禅宗様」で造られた、信州で初めて建てられた禅寺であり、長野県の「国宝第一号」である。一見、四重塔に見えるが一番下の屋根は裳階と解釈されている。塔の形が八角形と、特徴的である。八角形の塔は全国にこの塔一つしかない。頂上には相輪が晴天高くそびえたっている。 私は、「全国で一つ」や「県内国宝第一号」など観光客にとって魅力的な肩書が多いと感じた。凝った建築と森林の中の佇まいによりその肩書に負けない壮大な雰囲気がある。
2024-02-13
2
6代松平忠優(忠固)はどんな人物か
下の画像:ミッチーの画像を引用 上田市中央にある願行寺の松平氏の墓所を訪れた。写真に見えるのは、四角い石碑を外して、右手側から、上田藩6代藩主の松平忠優(ただます)またの名を忠固(ただかた)、4代藩主の松平忠済、そして忠済の嫡男で20歳くらいで若くして亡くなった忠英(ただつね)の墓である。この記事では、松平忠固の功績を取り上げたい。 忠固を一言で表すとすれば、幕府の体制を、開国つまり外国と貿易を始めるよう向かわせた人物である(オランダ、中国、朝鮮は入らない)。なぜか。忠固は二度、幕府の中枢つまり幕閣で老中という役職を務めている。そして、忠固の一度目の就任期間時には、幕府は日米和親条約を締結し、二度目の就任期間時には、幕府は日米修好通商条約を締結している。忠固は開国派の立場を
2024-02-08
3
安楽寺八角三重塔
中国から伝わった「禅宗様」で造られた、現存する日本唯一の木造八角三重塔。かつては「四重塔」とされたが、現在は一番下の屋根は裳階(ひさし)と解釈されている。創建は1290年代とされ、八角形のどっしりとした落ち着きがある塔で、頂上には相輪が青天高くそびえている。屋根の下の華やかな木組みも相まって、安定感と崇高美、華麗さを兼ね備えた名塔である。 ここはこれまでに二回訪れたが、何回行っても感動する場所であると私は思う。何段も階段を上ったあとに、姿をあらわす木造の塔は実際に足を運んで見るからこそ感じられるものが多くあると改めて思った。自然との調和もとても趣がある。しかし、この魅力はまだ多くの人に伝わり切っていないと感じている。よって、まずは魅力を伝えるために、信州上田の日本遺産のストーリーを
2023-10-24
4
ハングルの地名表記が不統一の問題
たまたま東京内を移動した際に目についたのが駅名のハングル表記。不統一がはっきり表れるのが「ツ」のハングル表記です。「ツ」という音は韓国語にはありません。「チュ(츠)」とするしかなく、代替音で表記するしかありません。 三越前(東京メトロ)미쓰코시마에(ミスコシマエ) 四谷(JR東日本)여츠야(ヨチュヤ) デジカメで撮っておいた記録。四谷はあいにく手前にピントが合い、背景の文字がピンボケしていました。 JR、東京メトロなどを筆頭に駅名表記が多国語表記(日本語、英語、中国語[簡体字]、ハングル)標準になったのは望ましい方向ながら、ハングル表記の不統一は常に気になっていました。 問題は2つほどあるかな。一つは日本人がハングル読みの音で聴いた時にどれがより「まともか」という基準の問題、もう一つは
2022-05-22
5
那須与一とは
那須与一は、『平家物語』や『源平盛衰記』に登場する武将です。与一とは10あまり1、つまり11男を示す通称となっています。その名の通り10人兄がいますが、10人のうち9人が平氏の味方となり、残る1人も罪を得てしまったため、与一が家督を継ぎました。その後与一は彼らに那須各地を分地します。屋島の戦いにて扇の的を射ったことで有名です。 誕生日は不明で、京都伏見にて病死、即成院に埋葬されたと伝えられています。しかしその年月日は史料により異なり、那須系図(那須隆氏蔵)、那須拾遺記によると1189年8月8日、那須系図(続群書類従)によると1190年10月となっています。 那須与一が頼朝より与えられたと伝えられる荘園は以下の五つです。 ・丹波国五賀庄(京都府船井郡日吉町) ・信濃国角豆庄(長野県松本市、塩尻市) ・若狭国東宮
2022-02-15
6
3.蚕(カイコ)という虫について
今回のテーマである蚕糸産業では蚕という虫が欠かせない存在です。そんな蚕について解説していきます。 長野県民の方なら授業で習う機会もあるらしいのですが、県外出身の私は授業などで習ったことはなく、名前だけしか知りませんでした。 蚕(カイコ)という名前は知ってるけど、どういった虫かはあまり知りませんよね。 カイコは別名カイコガ(学名:Bombyx mori) チョウ目カイコガ科に属する昆虫です。 蚕は自然界に存在しない虫で、遥か昔に家畜化された虫なので人間が世話をしないと生きていけない虫なのです。 何故、世話をしなければ生きていけないのか ・幼虫の頃は脚が弱く、葉にくっつけないから。 ・成虫になり、羽があるのに一切飛べないから。 蚕の起源 5000年前の中国で東アジアに生息するクワコという蛾の一種を糸と
2022-02-02
7
地元の食文化
私が今回焦点を当てたテーマは、佐久市で食されている、鯉や鮒といった県外では食用として馴染みが少ない食材に焦点を当てました。 佐久鯉の歴史は古く、江戸時代、天明元年に佐久桜井村の臼田丹右衛門が、「大阪淀川産」から親鯉数尾を佐久に持ち帰り飼育したことが始まりとされています。交通網が発達していない時代、内陸県の佐久市において、鯉は貴重なたんぱく源であり、当時から人々が集まるような大きな席では必ずと言っていいほど並んでいたほどなので、当時の時点でかなり浸透していたと考えられます。 鯉自体、他の魚の中でも群を抜くほど栄養素が高くも中国では古来から「薬用魚」と言われており、重宝されていたそうです。 そして鯉や鮒が佐久市に根付いた他の理由として佐久市は当時主流であった二毛作が難し
2022-02-08
8
内行花文鏡
【作品】 内行花文鏡 【所在地】 群馬県高崎市:蟹沢古墳 【蟹沢古墳】 別名柴崎古墳と呼ばれる円墳である。この古墳からは本遺品以外にも一緒に銅鏡四面、鉄斧二箇、鉄釶一本、刀剣類・土師器残欠九箇が発掘されている。 【作品説明】 内行花文鏡とは後漢代の中国や、弥生時代から古墳時代にかけての銅鏡である。群馬県内ではほかの古墳からも発見されている。 【参考資料】 ・文化遺産オンライン:http://bunka.nii.ac.jp/herita%E3%81%86%E3%81%88s/detail/541535/1 ・Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E8%A1%8C%E8%8A%B1%E6%96%87%E9%8F%A1
2021-02-09
9
上田蚕種協業組合事務棟
「上田蚕種協業組合事務棟」は、大正6年から現在(2021年1月)にわたり蚕種製造を行っている会社である。当時は1万4000坪もの敷地があったそうだ。最盛期の昭和40年代には、46億の蚕種の製造販売を誇り、現在は2000万の蚕種を製造している。 蚕種には様々な種類があるが、ここでは日本産と中国産を掛け合わせて、より強い種を生み出している。そして、薬の刺激を与えて約12日後に孵化させる「人工孵化法」を用いて、蚕種を孵化させている。3、4枚目は蚕種の洗い場や、繭をカットして中から蛹を取り出す機械の写真だ。蚕糸業が衰退する中、現役で養蚕を続けている会社があり、尚且つ見学も可能であるというのは、上田が「蚕都」であるからこそできる貴重な体験だと考える。 参考URL:
上田蚕種協業組合事務
2021-01-27
10
農會欄(『西塩田村公報』第1号(1941年3月30日)2頁)
農會欄における食糧增産推進講習會開催などの記事。 中国との戦争による物資不足が見え始めてきたと考えられる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #920
『西塩田村公報』第1号(1941年3月30日)2頁
2021-01-27
11
三角縁同向式神獣鏡
【作品】 三角縁同向式神獣鏡 【所在地】 群馬県高崎市:蟹沢古墳 【蟹沢古墳】 別名柴崎古墳と呼ばれる円墳である。この古墳からは本遺品以外にも一緒に銅鏡四面、鉄斧二箇、鉄釶一本、刀剣類・土師器残欠九箇が発掘されている。 【作品説明】 誰もが1度は見た事があるかもしれないが三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡と呼ばれているものである(実際鏡として利用されていたかについては議論を読んでいるが)。「魏志倭人伝」にある魏の皇帝が倭の女王卑弥呼に与えた「銅鏡百枚」ではないかという説もある。ちなみに三角縁神獣は蟹沢古墳以外にも県外の多くの古墳から出土しているが、中国からの出土は今のところない。 【参考資料】 ・東京国立博物館:https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=5307 ・e国宝:https://emuseum.nich.go.jp/d
2021-01-27
12
銅水瓶
【作品】 銅水瓶 【所在地】 群馬県高崎市:綿貫観音山古墳 【綿貫観音山古墳】 全長98mの前方後円墳である。6世紀頃の古墳で高崎を支配した豪族の古墳と考えられているが、正確な情報は不明である。ここからは他にも多くの金銅製品等が出土しており、それらは6世紀後半の東国を代表する出土品として国宝に指定されている。 【作品説明】 中国・南北朝時代の庫狄廻洛墓から同類の水瓶が発見さたことから中国伝来と考えられている。ちなみに綿貫観音山古墳から出土したものは国内最古の水瓶で、古墳出土でほぼ完形品であるのは世界でこれだけである。 【参考資料】 ・群馬県 文化財ライブラリィ:https://www.pref.gunma.jp/03/x0100616.html ・綿貫観音山古墳の世界「オンライン展示品解説 第1回 銅水瓶」:
2021-01-27
≪
1
≫
群馬県(3)
高崎市(3)
古墳(2)
歴史(2)
蟹沢古墳(2)
日本遺産(2)
安楽寺八角三重塔(2)
綿貫観音山古墳(1)
銅水瓶(1)
国宝(1)
三角縁神獣鏡(1)
卑弥呼(1)
邪馬台国(1)
青銅器(1)
西塩田時報(1)
大東亜戦争(1)
日中戦争(1)
農業(1)
西塩田村公報(1)
蚕糸業(1)
養蚕業(1)
上田蚕種協業組合事務棟(1)
文化遺産(1)
後漢(1)
銅鏡(1)
内行花文鏡(1)
中国(1)
佐久市(1)
佐久鯉(1)
郷土料理(1)
那須与一(1)
那須与一宗隆(1)
那須与一宗高(1)
ハングル(1)
地名表記(1)
三越前(1)
四谷(1)
東京メトロ(1)
JR東日本(1)
信州上田学(1)
上田(1)
別所(1)
太陽と大地の聖地(1)
松平忠固(1)
松平忠済(1)
松平忠英(1)
松平氏(1)
願行寺(1)
上田市(1)
別所温泉(1)
ログイン
トップページへ