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1安楽寺八角三重塔安楽寺八角三重塔信州最古の禅寺。境内の奥にある塔は日本で唯一の木造八角塔(正式名称、裳階付き木造八角三重塔)である。 ・なぜここに珍しい塔ができたかはよくわかっておらず、何らかの形で日本に運ばれたといわれる。 →参照サイト https://museum.umic.jp/bunkazai/document/dot1.html かぼさ ・重要文化財の像がありました。 ・国宝の三重塔を間近でみれました。 ・三重塔の近くでは、お墓があったのでこんな近くにあるのはあんま見たことがなかったので驚きました。。 ・安楽寺に入ると気温が低くなったきがした。とても涼しかった。夏場に行くのがあり? ・二度目に訪れたときはちょうど三周年だったらしく御朱印が特別仕様になってました。 ・拝観料が必要です。2024-02-01
2雨宮刑部雨宮刑部 上田原の合戦において、村上方の将として奮戦した雨宮刑部正利(あめのみやぎょうぶまさとし)、そのお墓である。  上田原の合戦において、多くの将兵が討ち死にした。上田原には、雨宮刑部の他に、屋代源吾や小島権兵衛など、村上軍の将、武田軍では板垣信方など、いくつかのお墓がある。それぞれ比較的近くに立地しているため、気になっている人は、ぜひ行ってみてほしい。2024-01-25
3季節行事の由来(『西塩田公報』第60号(1952年8月5日)3頁)季節行事の由来(『西塩田公報』第60号(1952年8月5日)3頁)毎年やってくる様々な季節行事。皆さんは、その行事やお祭りの由来を知っていますか?ここでは「お盆」について、なぜ「お盆」という行事が生まれたのかについて書かれています。 おそらく諸説があると思いますが、普段特に考えもせずに、毎年親に言われるままお墓参りをしたり、実家や祖父母の家のお仏壇にお線香をあげたりしていると、“その意味”を忘れてしまいがちです。ですが、この記事を読むと行事一つひとつにもちゃんと由来があり、意味があるということを思い出すことができて面白いと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1177 『西塩田公報』第60号(1952年8月5日)3頁2023-12-07
4糸のまち・こもろツアー(清水寛美さん)糸のまち・こもろツアー(清水寛美さん)こちらの写真は、2022年7月3日に行われた糸のまち・こもろツアーの様子です。 スタート地点の酢久商店から宗心寺の高橋平四郎のお墓へ向かう途中に撮影しました。 小諸駅方面を眺めることができ、とても素晴らしい景色でした。 この素晴らしい眺めと一緒に撮影させていただいたのは、地元会員の清水寛美さんです。とてもきれいな着物姿に魅了されました。2022-07-10
5糸のまち・こもろツアー糸のまち・こもろツアーこちらの写真は、2022年7月3日に行われた糸のまち・こもろツアーの様子です。 まず、酢久商店(純水館資料館前)へ集合し、そこから地元会員ガイドの清水季志子さん、清水寛美さんを中心にこもろの町を散策しました。 散策した場所は以下の通りです。 ・嶋田屋(明治16年まで萬屋太物呉服店) ・海慶院 ・宗心寺の高橋平四郎のお墓 ・小山家一族のお墓 ・寿町の蚕種蔵 ・工女さんのお墓 ・丸萬製糸場 ・光岳寺 ・宗心寺山門より荒町通り豪商 ・純水館(小山家前)(渋沢栄一宿泊の家) ・玄関前の小山久左衛門銅像2022-07-10
6秋山郷 【見倉集落】秋山郷 【見倉集落】2022/07/03 続いては、秋山郷【見倉集落】。 見倉集落は秋山郷でもっとの小さい集落の1つ。 集落内におうちが4軒のみ、と凄く小さな集落だった。 まさに秘境の集落という感じがした。 見倉集落は集落内にお墓がある。 それに加え、田んぼ・畑・ニワトリもいる。 集落内、いや家の周りに生活の全てがそろっている。 生まれてから死ぬまでの全てが集落内にそろっている。 (ここからは自分が思ったこと、感じたことなのだが) 見倉集落を見ていると、私を含む現代の人は 明らかに“生”と“死”を遠ざけ過ぎているのではないかと感じた。 生まれる瞬間は病院で生まれ、死ぬときも病院で死ぬ人が多い。私たちの身近な生活で“生”や“死”を実感する事は極端に少ない。 見倉集落を見ると、良い意味で“生”や“死”を身近に実2022-07-05
7刀屋刀屋年1回ペースのお墓参りのため、上田に通い始めてかれこれ30年近くなります。だいたい1泊で、何を食べるかが楽しみです。こちらは池波正太郎さんが通ったという老舗の御蕎麦屋さんで、割と早い時期から利用していました。店名の刀屋は、もとは刀鍛冶をされていたことから由来しているようです。最初伺った時、まだその作業をされていたと母が言ってました。        店内の雰囲気も当時のままを思わせる感じで、量が多いのが特徴です。若いころは、普通盛りを注文して、多いけど大丈夫?と訊かれたことも。時間帯を選ばないとかなりの行列です。小さめのテーブルに、相席で詰めて座った記憶もあります。今日はこちらに行くぞ!という時は、ホテルの朝ごはんはなしにして、開店前から並んで入るということもありました。お蕎2022-03-02
8上田とのつながり上田とのつながりお墓は、上田駅から歩いて20分ばかりにある呈蓮寺さんにあります。曾祖父の代から上田を離れているので、全く縁はありませんでした。ただ本籍地が長野県にあるということぐらい。母が父と結婚する時に、京都から身上調査的なつもりで、祖母と上田に来たことがあったそうです。もう60年ほど前のこと、関西から長野って今でも距離感ありますが、そんな時代によくもまあ!と思います。どなたかに、会ってそこのおうちの方なら大丈夫みたいな(なんの太鼓判やねん?と突っ込みたくなりますが・・・)ことを聞いて帰ってきたようです。 私が学生の頃、父が車で大事故を起こしたり、(車が丈夫だったため無傷でした)経営している印刷会社の業績が厳しくなった時期がありました。アルバイト先の方に紹介していただいた占い師の方に観て2022-02-21
9はじめましてはじめまして関西在住ですが、父方の先祖が上田出身で、本籍地とお墓が上田にあります。年1回ぐらいのペースでお墓参りのためお邪魔しています。曾祖父が人物伝56に掲載されている、鈴木志津衛です。 個人的にいろいろ調べているところ、このサイトをみつけて登録させていただきました。 曾祖父のことで、調べて判明したこと、残しておきたいことなど、投稿していきたいと思います。もしご縁がある方がいらっしゃっれば、共有できると嬉しいです。 このサイトを開設いただきありがとうございます。 早速、曾祖父の写真を掲げてみます。 中央髭の人物です。軍人のようですが・・・2022-02-21
10那須与一ゆかりの地那須与一ゆかりの地 那須与一のゆかりの地は各地にあります。今回は3つ紹介します。  1つ目は栃木県大田原市にある『玄性寺』です。境内には与一をはじめとする那須一族の供養塔が残っています。また、矢剪石という巨石があり、与一が扇の的を射抜いた時、この石に亀裂が走ったと言われています。  2つ目は京都府京都市にある『即成院』です。突然病に倒れた与一は即成院で療養しました。熱心な祈願により病が治り、功績(扇の的)をあげることができた与一は、その後も即成院で生涯を終えたと言われています。与一のお墓があります。  3つ目は香川県高松市牟礼町にある『祈り岩(駒立岩)』です。扇の的を射る前に、与一がこの岩に向かい、「南無八幡大菩薩、別してはわが国の神明日光権現、宇都宮那須湯泉大明神、願わくはあの扇の真中射させ給えか2022-02-15
11谷信菓子店谷信菓子店アイスは昔懐かしの白アイスからミルクティーなど今時なものまで全て手作り。濃厚でクリーミーな舌触りは手作りならではのもの。食べ歩きにもおすすめ。  コロナ渦で夏祭りの中止やお盆でのお墓参りの人出の減少があったものの、現在は、並んでいる人同士の間隔を開けるなどして感染対策をしている。  このお店のアイスを思い出の味としている人も多いため、今年の夏は県外にいる家族と一緒に食べたいと願う人も多い。2021-05-05
12雨宮刑部の墓雨宮刑部の墓武田氏と村上氏の合戦である上田原合戦でなくなった村上側の武将、雨宮刑部(あめみやぎょうぶ)のお墓。道外れにひっそりと立っている。現在は公園や野球場がある場所で、合戦があり多くの人が亡くなったという事を知ることができた。また今自分がいる所は、昔何が行われた場所なのかに興味を持たせてくれた。2021-05-05
13高仙寺参道並木高仙寺参道並木 市の指定記念物になっている杉並木。ハイキングコースに利用している人も多い。下から見る並木道はものすごくきれいである。  保育園の時には、遠足でここに座りお弁当を食べていた。とても懐かしい。2021-05-05
14小泉大日堂小泉大日堂 山奥にどっしりと構えるこのお堂。古びた建物には威厳を感じ、周りはお墓なので少しの怖さを覚えます。  ここは、上田市小泉にある小泉大日堂。806年創建された寺院で、所有者は高仙寺。  ご本尊は大日如来、宇宙そのものであるといわれる如来様です。現世安穏、諸願成就のご利益があるといわれています。  元々は、大日堂だけでなくたくさんの建物が建っていたようですが、坂城の武将・村上義清と甲斐の虎・武田信玄が戦った「上田原の合戦」で、戦火に遭い大日堂だけが残りました。2021-05-05
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