滝澤秋曉邸
滝沢秋暁は、蚕種家であるとともに、上田を代表する近代文学者として文学史に名を残している。塩尻地区近代化遺産調査報告書には、以下のように紹介さている。
・・・秋暁の生家は、蚕種業「両水館」を営み、江戸時代から関東甲信一円から奥州まで、蚕種の仕入れや、販売に出かけています。それらの旅先で入手した幅広い分野の蔵書が残されており、そういう環境で秋暁は、明治8年に生まれました。
明治28年、秋暁は「絵画修業」のため上京し、絵を学ぶかたわら雑誌「文庫」の記者となり、全国からの青少年の投稿作品の選と選評などの仕事をしながら、多くの文学者とも交流し、河井酔名、横瀬夜雨などを育てたといわれます。
しかし、明治29年9月、重い脚気のため帰省。秋和に住み、家業を手伝いながら「文庫」の批評や、編集を続けますが家業の蚕種との両立は困難で、その後は作品発表や評論だけにし家業の蚕種業に精を出しました。また、明治30年には「信州青年の詩」の選者となっています。
秋暁は、蚕種製造についても大変優れた技術者であり、その製法も進歩的なものだったといわれています。
明治35年に「養蚕新書」刊行。明治41年には、三吉米熊の名で「通俗養蚕講話」を刊行しています。また、「文庫」に発表した「司令塔」には、滝澤家の蚕室の様子が描かれ、このころの秋和の様子と暮らしがよくわかります。・・・
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投稿者 | やまさん |
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