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登録リスト(該当:307件)
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写真
タイトル
説明
登録日
1
上田市公文書館
先日初めて上田市公文書館に行ってきました。この建物の存在自体は知っていましたが、なかなか行く機会がなく、今回初めて訪れてみたのですが、やはり場所もとても分かりづらいがために、地元の方にもほとんど知られていないようで、それがとてももったいないように感じました。この建物には、明治時代に作成された公文書などが保管されており、閲覧するには申し込みが必要なのですが、現代にとってはとても貴重な資料がたくさん保管されているため、上田のことを知るにあたり、特に地元の方には知っていて欲しい場所であると私は感じました。
2021-05-25
2
馬車鉄道石碑
何故かミニストップ(コンビニエンスストア)の裏にある石碑。明治時代に鉄道が栄える前に存在していた馬車による鉄道の停車場跡地。 歴史の存在を思わせる。
2021-05-06
3
上田大神宮
明治19年に伊勢皇太神宮と同じ神明造りで3分の1の規模の社殿の建立が計画され、明治24年に柳町大神宮として鎮座した。 大通りに面した場所に本格的な神宮があるので景観としては少しミスマッチな感じがする。でも大きな神社なのでお参りをするにはよさそう。
2021-05-05
4
太郎山神社
太郎山神社は登山道の山頂付近にある神社です。 本殿は明治6年に再建され、平成元年には上田市指定有形文化財に指定されています。 神社の側には休憩所があり、そこから上田市を眺めることが出来ます。
2021-05-05
5
四柱神社
松本市中心部に鎮座される四柱神社は、明治十二年に明治天皇の思し召しのもと創建された、比較的歴史の浅い神社です。 主神の天之御中主神はたいへん神位の高い神様でおられるため、「願い事むすびの社」として全国各地から参拝者が訪れます。 松本駅から松本城へ向かう道の途中にあるので、たいへん立ち寄りやすいかと思われます。鳩が集まる場所でもあり、エサもあげられるので少しのんびりした空気を楽しみたい方も足をお運びになってもいいかもしれません。 参考:四柱神社公式:https://www.go.tvm.ne.jp/~yohasira/ 画像引用:「日本の結婚式」https://nihon-kekkon.com/wakon/yohasira/ 画像アドレス:https://nihon-kekkon.com/common/img/uploads/2018/11/cea6b5f8a4e14a19bc2efdbaa932cd4014948c05-2.jpg
2021-05-05
6
養老サイダー
岐阜県養老町にある養老サイダーです。 養老サイダーは1900年(明治33年)に製造開始し、惜しまれながら2000年(平成12年)に製造中止となりました。しかし、多くの人の期待に応え2017年の養老改元1300年祭の時にクラウドファンディングによって、養老町内限定で復刻しました。養老サイダーの水は日本百名水にも選ばれている菊水霊泉を使用しています。 味は、さっぱりしています。
2021-05-05
7
五加八幡神社石灯籠
これほどの大きな石灯籠はなかなか見ることは出来ない。灯篭の正面には勝海舟の筆とされる「修善生洪福」という文字が刻まれている。近くに八幡大神縣社もあるのでぜひ行かれてみてはいかがでしょうか。
2021-05-05
8
高田城址公園観桜会
高田城址公園は高田城の城跡公園です。明治42年、在郷軍人会が第13師団の入城を祝い、城跡に2200本の桜を植えたのが観桜会の前身と言われています。 また、日本三大夜桜と呼ばれており、お城と桜のコラボレーションが見られたり、桜ロードを楽しむことができます。現在では約4000本の桜があり、ほとんどがソメイヨシノです。昼間に見る桜もきれいですが、おすすめはライトアップされた夜桜です。
2021-05-04
9
中塩田小学校 盈進学校・本郷学校跡
現在の上田市立中塩田小学校の敷地内にある盈進学校・本郷学校跡です。盈進学校は1873年に開校し,1886年から本郷学校になりました。 ぱっと見ただけでは学校の歴史がわからない中,思っていたよりも歴史が長いことに驚きました。 【参考】 上田市立中塩田小学校 「中塩田小学校のあゆみ」 (2009) http://www.school.umic.jp/nakashioda/syoukai/cat19/20090730-114954.php
2021-05-04
10
上田警察署保野分署跡
塩田郵便局近くの細い道にある跡である。以前から存じていたが、じっくり見ることはなかったため選んだ。明治時代にこの場所に分署があり、非常に短い期間ではあったものの現在でも跡が残っていることに関心を持った。かなり広い範囲の分署であったことから、地域の住民の方々に密接にかかわっていたのではないかと推測した。
2021-05-03
11
赤レンガ倉庫
明治33年に建てられた製茶構造の一部である。構造はレンガが主。イギリス積みであり、内部は木造2階建てである。茶産業に関わる建築物として貴重な遺構である。この赤レンガ倉庫は登録有形文化財として登録された。(第22-0194号)静岡県菊川市の街のルーツかつ当時の製茶工場の様式を現在に伝える日本で唯一の産業資産。
2021-05-03
12
[14/09/11]長村役場等の跡、山家神社
向畑遺跡から山家神社へ移動しました。山家神社へは過去にも訪れたことがあり、この時は一時休止しただけです。山家神社の駐車場が長村役場跡です。真田自治会による説明板のおかげで歴史がよくわかります。 2009年(平成21年)までここに旧役場庁舎があったことも驚きです。
長村役場・農協・駐在等の跡
「長村」は明治9年5月大日向・横沢・真田・横尾4か村が合併して誕生した。 当初の役場庁舎は、明治元年の神仏分離令により廃寺となった白山寺の一部があてられていたが、ここに庁舎が新築されたのは明治36年。昭和33年に真田町に合併されるまで、改築を経て村政が執行された。 当時から長村の中心地として役場の他、農協や警察官駐在所などがあった。 旧役場庁舎は平成21年に取り壊された。 平成
2021-05-01
13
明治28年の海野町を記録した写真
海野町のすや(酢屋)呉服店が所蔵している古い写真の一枚。写真の裏面には「明治二十八年」との書き込みがある。1895年(明治28年)は、日清戦争が終結、勝利した年に当たる。旭日旗や「送小林」の旗などが見える。出征兵士を送り出す情景の記録ではないだろうか。海野町商店街の沿道に大勢の人々が繰り出し、人々の目線が写真機の方を向いている。向かいの店の看板「酢屋本治郎」が読み取れる。 驚くことにその軒先の屋根上に楽隊が陣取っている。大太鼓、小太鼓、クラリネット、チューバ、ホルン(他にシンバルも?)が確認できる。明治のこの時代にこれだけの楽器を有する音楽隊があったことを物語る貴重な証拠写真である。当時、上田が西洋文明をいち早く吸収した先進的な文化都市であったこと、経済的にも反映していたことを雄弁に物
2021-03-26
14
塩尻村大字上塩尻字壱丁田全図(地籍図[旧公図])
小県郡上塩尻村大字上塩尻之内 第七番字壱丁田全図 (上田市税務課所蔵) 塩尻村大字上塩尻(かみしおじり)字壱丁田(いっちょうだ)の地籍図である(現在は上田市上塩尻)。 字壱町田は現在の塩尻保育園の辺り、塩尻小学校と北陸新幹線に挟まれた区画、国道18号線の上塩尻交差点の北西側の区画である。 地籍図は1889年(明治22年)の市制町村制施行に伴い、上田町大字常磐城(旧常磐城村)の地籍図として1890年頃作成したものと思われるが、年代の記載がないため確認できない。
2021-03-22
15
塩尻村大字上塩尻字信福寺/宮田全図(地籍図[旧公図])
小県郡上塩尻村大字上塩尻之内 第六番字真福寺 第七番字宮田 全図 (上田市税務課所蔵) 塩尻村大字上塩尻(かみしおじり)字信福寺(しんぷくじ)/宮田(みやた)の地籍図である(現在は上田市上塩尻)。 字信福寺、字宮田は区画が小さいことから合体した全図となっている。藤本蚕業歴史館から南に150mほど下った辺りの区画である。かつては水田であったが、現在は宅地化している。 なお、「上田市文化財マップ」に字信福寺にあった「
上塩尻板碑
」の解説がある。 地籍図は1889年(明治22年)の市制町村制施行に伴い、上田町大字常磐城(旧常磐城村)の地籍図として1890年作成したものと思われるが、年代の記載がないため確認できない。
2021-03-22
16
上田町会議案綴(1902/明治35年 上田町)
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上田町会議案綴(1902/明治35年 上田町)
528頁/114MB
全頁JPEG画像[長辺1280ピクセル] ZIP形式で圧縮
528ファイル/126MB
▼上田市公文書館資料情報 上田町会議案綴 うえだちょうかいぎあんつづり 請求番号 01-M35-01-1356 文書の種類 旧役場文書 地域 上田町 作成年度(和暦) 明治35年
2021-03-07
17
長野県の明治初期の村絵図
長野県立歴史館のサイトhttps://www.npmh.net/ezu/ で明治初期の村絵図が公開されています。 古い地図と現在の地図を比べてみるとこれまでの変化がわかり面白いです。 小諸市 https://www.npmh.net/ezu/?keyword=&area%5B0%5D=%E6%9D%B1%E4%BF%A1&city%5B0%5D=25&n=18&submit=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&p=1#result 現小諸市・東御市 滋野村 https://www.npmh.net/ezu/2020/02/id-151.php 現小諸市・御代田町 塩野村 https://www.npmh.net/ezu/2020/02/id-93.php
2021-03-02
18
明治35年 常磐城區有土地建物寄附之件
『明治35年上田町会議案綴』(上田市公文書館所蔵)より 土地や建物の寄附について、土地の広さや建物の見積もり金額が記されている。 「前記ノ土地建物ハ上田町大字常磐城ノ所有ノ処上田尋常高等小学校ノ用ニ供スル為左ノ条件ヲ付シ上田町ヘ寄附スルモノトス」 年代や地名から推測すると、上田尋常高等小学校常磐城分教場(現上田市立西小学校)に使用された土地や建物と思われる。 【参考資料】 『上田市誌 近現代編(8)学校教育のあゆみ』上田市誌編さん委員会/編(上田市 2003年)
2021-02-27
19
探究計画
テーマ:蚕都上田の近現代史 狙い:主に明治、大正期における上田の蚕糸業の発展について調べる。 計画:資料閲覧、現地調査などを考えているが具体的には未定 参考資料:特に考えてはいない
2021-02-20
20
村会書類(1917/大正6年 泉田村)
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村会書類(1917/大正6年 泉田村役場)
172頁/40MB
全頁JPEG画像[長辺1280ピクセル]+PDF ZIP形式で圧縮
画像173ファイル/153MB
▼上田市公文書館資料情報 村会書類 そんかいしょるい 請求番号 01-T06-01-1216 文書の種類 旧役場文書 地域
2021-02-12
21
鉄道 道路 河川 橋梁(1898/明治31年 城下村)
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鉄道 道路 河川 橋梁(1898/明治31年 城下村)
56頁/14MB
全頁JPEG画像[長辺1280ピクセル]+PDF ZIP形式で圧縮
画像59ファイル/52MB
▼上田市公文書館資料情報 鉄道 道路
2021-02-12
22
別所線路ニ関スル書綴(1893/明治26年 川辺村)
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別所線路ニ関スル書綴(明治26年/川辺村)
246頁/62MB
全頁JPEG画像[長辺1280ピクセル]+PDF ZIP形式で圧縮
画像246ファイル/230MB
▼上田市公文書館資料情報 別所線路ニ関スル書綴 べっしょせんろにかんするしょつづり 請求番
2021-02-12
23
明治時代の大屋地域
これは明治時代の実際の大屋地域の写真です。 ㉓と書かれている場所が大屋地域で明治30年に入ってから多くの住宅が建てられました。 明治初期は130軒ほどだった民家も平成に入ると1300軒を超える民家が建てられました。 ㉑はスーパーがありましたが移転するなど、大きな変化があったのは昭和30年~60年ごろです。 【参考文献】 上田市史 第66図 155貢
2021-02-01
24
海野町史-海野町の誕生
海野町は、真田安房守昌幸が先祖の地である海野郷から住人を移住させて、街並みをつくらせたのが起源である。また、三年遅れて、原の郷から招致したのが原町である。この海野町と原町を上田城下の元町という。海野町と原町は、真田・仙台・松平時代から明治・大正・昭和まで上田の中心枢要な位置にあり、共に商業経済の発展に貢献している。 海野町へ移住して来た人々は、海野郷大平寺村の住人で、氏神様の深海神社の祠(ほこら)だけを残し、全村挙って五十八家族が移住した。その人々は、思い思いに農村風の家を作り、大方南側に向き、従来に出入り口のない家や瓦をのせず床もない素朴な家に住んでいたという歴史が残っている。(海野町史第1章より)
2021-01-31
25
現在の海野宿(2021年)
2021年1月27日に撮影した海野宿の写真である。 奧には白鳥神社がある。 写真の一番手前に見えるうだつは、「本うだつ」と呼ばれており、江戸時代の裕福な家に見られたうだつである。 また、屋根の横の白く、黒い横の線が入っているうだつは「袖うだつ」と呼ばれているうだつであり、明治時代の裕福な家に見られた。
2021-01-27
26
岡谷蚕糸博物館(1)
「岡谷蚕糸博物館」は昭和39年10月に開館し、製糸機械や製糸経営史料等の展示や、製糸工場を併設して動態展示を行う貴重な博物館である。 館内のミュージアムエリアは主に3つのコーナーに分かれていたため、記事を分けて投稿する。 1つ目のコーナーでは、蚕から絹製品になるまでの流れや、日本・岡谷の製糸業のあゆみ等が大きなパネルにて展示されていた。(写真2枚目) その中でも、特に目を惹かれたのが「フランス式繰糸機」と「諏訪式繰糸機」の実物の展示である。 写真3枚目が実際に展示されていたフランス式繰糸機だ。これは、官営富岡製糸場に設置された300釜の中の2釜で、日本に残る唯一のフランス式繰糸機である。明治5年(1872)~昭和6年(1931)まで使われていた。 写真4枚目は実際に展示されていた諏訪式繰糸機で、武居代
2021-01-27
27
常田館製糸場 (五階繭倉庫)
これは常田館製糸場の「五階繭倉庫」の写真である。明治38年(1905年)に建築された国内唯一の木造5階建繭倉だ。当時は繭を乾燥・保管する目的で作られたが、現在は比較的軽いプラスチックや発泡スチロールなどの倉庫として利用されている。建物の軽量化をはかるため、壁は薄く、柱もやわいが、震度4にも耐えられるくらい丈夫な造りとなっている。 参考URL:
常田館製糸場 施設紹介
2021-01-27
28
常田館製糸場 (五階鉄筋繭倉庫)
常田館製糸場は明治33年(1900年)創業の製糸工場だ。 15棟の施設が現存しており、そのうち7棟が国の重要文化財に指定されている。 写真3枚目は、「五階鉄筋繭倉庫」の内部である。大正15年(1926年)に竣工した、長野県内に現存する最古の鉄筋コンクリ―ト造5階建て建築物だ。現在1階はイベントの開催やワインセラーとして利用されており、2階と3階には従業員の方々が制作した芸術作品が展示されている。作品はライトアップされており美しかった。 参考URL:
常田館製糸場 施設紹介
2021-01-27
29
上田駅周辺の変化
今回中心として見ていく上田駅は、1888年(明治21年)に官設鉄道の長野駅-上田駅間の開業に伴い、終着駅として開業した。 いままで様々な線の始発駅や途中駅、終着駅として昔から現在まで活躍している。 上記の画像は2021年(令和3年) 1月26日にGoogle Mapで上田駅周辺を見た状況となっている。現在どのようになっているのかが分かる。 今回発見した1922年(大正11年)の上田市全図では、市役所や小学校・中学校などの主要な建物が上田駅周辺に集まっていることが資料から分かった。 また、上田駅が上田停車場と記載されている。この上田停車場という言葉で調べてみると、上田駅お城口を出てすぐの長野県道162号上田停車場線が出てきて、日本一短い県道とされているという情報を知ることができた。 次に発見した1928年(昭和3年)の大日本職業別明細図
2021-01-27
30
製紙業の広まり
画像は今泉製紙会社に製紙機械の一部・ドライヤーを、工場に運び込もうとしている場面です。 今泉製紙は、大正5年(1916)、富士郡今泉村に設立された機械すき和紙工場です。明治20~30年代にかけて今泉を中心に相次いで手すき和紙工場が設立され、富士市の製紙産業の基盤となった。 https://www.city.fuji.shizuoka.jp/sp/sangyo/c0304/fmervo00000084q7.html https://museum.city.fuji.shizuoka.jp/collection/paper/detail/3223
2021-01-26
31
千曲川とりんご栽培
かつて長沼地域では養蚕業が盛んに行われていました。しかし明治末の度重なる千曲川の氾濫によって、養殖していた蚕を破棄するほどの被害を受けました。その中で水害に強いりんごを栽培する農家が徐々に広まっていき、信州リンゴ発祥の地と呼ばれるまでになりました。
2021-01-25
32
長沼地域の歴史
長沼地域は「大町・穂保・津野・赤沼」の4つの集落で構成されています。戦国時代には武田氏の北信濃統治の中心であったことから城下町として繁栄していました。 今は「信州リンゴ発祥の地」やアップルラインと呼ばれる国道があるほどリンゴの町として知られていますが、その始めは明治末頃から始まりました。
2021-01-25
33
松尾町商店街について
歴史的変遷の説明の前に、まず松尾町商店街について調べたことを少し紹介しようと思う。 松尾町が誕生したのは明治21年(1888年)であり、今年で133年目を迎える。別名真田坂とも呼ばれている。上田市の玄関として、これまで多くの人が行き来している商店街である。 また、松尾商店街についての情報がまとめられたフリーペーパーがある。2005年から発行されており、今現在も発行され続けている。そのホームページもあり、誰でもネット上で見ることができるため、興味がある方はぜひ見てみて欲しい。 今回改めて自分の目でも松尾町商店街を見てみたが、長い歴史がありこれまでたくさんの人に親しまれてきた商店街と知り、この商店街は上田市にとってとても大切であり欠かせない存在であると感じた。 【参考文献】 フリーペーパー真田坂ホ
2021-01-20
34
上田人物伝「藤本善右衛門」
「上田を支えた人々 上田人物伝 藤本善右衛門(昌信・保右・縄葛)」
https://museum.umic.jp/jinbutu/data/028.html
(上田市マルチメディア情報センター) ネットで藤本善右衛門を検索すると参照ページは意外に少なく、現時点ではWikipediaにすら記載されていません。ほぼ唯一、内容を知ることができるのがこの記事です。説明文は『上田市誌第28巻』の「藤本善右衛門」を要約した内容になっています。 「上田地方を蚕種製造の全国的な中心地に発展させた功労者」として紹介されています。藤本善右衛門は蚕種製造を営んでいた上塩尻の佐藤本家の当主の襲名です。代々の当主のうち、特に業績のあった昌信(1722-1773)、保右(1793-1865)、縄葛(1815-1890)が紹介されています。 縄葛は1845年、蚕種の新品種「掛合」を育成し
2021-01-20
35
村会書類(1917/大正6年 泉田村)
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村会書類(1917/大正6年 泉田村役場)
172頁/137MB
▼上田市公文書館資料情報 村会書類 そんかいしょるい 請求番号 01-T06-01-1216 文書の種類 旧役場文書 地域 泉田村 作成年度(和暦) 大正6年 作成年度(西暦) 1917 作成部課 泉田村役場 保存場所 上田市公文書館 概要 鉄道停車場位置に関する意見書ほか議事録 →
上田市公文書館目録検索システムの当該資料情報
この資料は上田市公文書館収蔵のものをデジタル化し(非公開部分を除く)、長野大学前川研究室が上田市に歴史公文書等
2021-01-13
36
鉄道 道路 河川 橋梁(1898/明治31年 城下村)
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鉄道 道路 河川 橋梁(明治31年城下村)
57頁/44MB
▼上田市公文書館資料情報 鉄道 道路 河川 橋梁 てつどう どうろ かせん きょうりょう 請求番号 01-M31-01-2109 文書の種類 旧役場文書 地域 城下村 作成年度(和暦) 明治31年 作成年度(西暦) 1898 作成部課 城下村役場 保存場所 上田市公文書館 概要 株式会社京釜鉄道株式申込 鉄道敷設の影響調査通知 里道修繕の件 郡補助道編入願 備考 明治34年まで 図面(彩色)あり。裏表紙なし →
上田市公文書館目録検索
2021-01-13
37
別所線路ニ関スル書綴(1893/明治26年 川辺村)
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別所線路ニ関スル書綴(明治26年川辺村)
246頁/204MB
▼上田市公文書館資料情報 別所線路ニ関スル書綴 べっしょせんろにかんするしょつづり 請求番号 01-M26-01-136 文書の種類 旧役場文書 地域 川辺村 作成年度(和暦) 明治26年 作成年度(西暦) 1893 作成部課 保存場所 上田市公文書館 概要 上田原より神畑に至る里道開削に要する土地収用に関する資料・里道開削潰地小前調査表・別所線橋梁目論見帳ほか →
上田市公文書館目録検索システムの当該資料情報
この資料は上田市
2021-01-12
38
上田市大字常磐城字生塚全図(地籍図 1921年 )
上田市大字常磐城第弐拾参番字生塚全図(上田市税務課所蔵) 調製 1890年(明治23年)12月 複製 1921年(大正10年)12月 製図者/測量士 馬場亀松(上田市役所地理主任) 曲尺 壱分ヲ以テ一間トス サイズ:A1版より小さい(A1版の台紙に貼付されている) 上田市大字常磐城(ときわぎ)字生塚(うぶつか)の地籍図である(現在は上田市常磐城四丁目)。地籍図は1889年(明治22年)の市制町村制施行に伴い、上田町大字常磐城(旧常磐城村)の地籍図として1890年作成したものを、1919年(大正8年)、上田町の市政施行に伴い、上田市に書き改めたものである。基本的には1890年と同じである。 ★
上田市大字常磐城第弐拾参番字生塚全図(PDF)1.1MB
2021-01-11
39
小県郡城下村大字小牧全図(地籍図1890年)
小県郡城下村大字小牧全図(上田市税務課所蔵) 調製 1890年(明治23年)5月 縮尺 3,000分の1 サイズ:A1版より小さい(A1版の台紙に貼付されている) 城下村大字小牧(地籍図作成当時、現上田市小牧)の「地籍図」を基に作成した地図。 図版は上田市税務課所蔵の当該地籍図の複写図版を合成し作成したものである。 (データ編纂:長野大学前川研究室) ★
小県郡上田町全図(PDF)1.2MB
★
小県郡上田町全図(高精細JPEG画像)18420×13080ピクセル 115MB
2021-01-11
40
小県郡上田町全図(1901~1910年頃)
小県郡上田町全図(上田市税務課所蔵) 制作年代:1901~1910年頃 縮尺12,000分の1 サイズ:A1版より小さい(A1版の台紙に貼付されている) 上田町(地籍図作成当時)全域の「地籍図」を基に町全図として作成した地図。上田町各地の字が一瞥できる。 制作年代は不詳ながら、「上田尋常男子小学校」(1901~1922)、「小県蚕業学校」(権現坂上の時代 1900~1922)が記されている。また上田蚕糸専門学校(1910~1951)は記されていないことから1901~1910年(明治34~43年)の間の地図と推定される。 図版は上田市税務課所蔵の当該地図の複写図版を合成し作成したものである。 (データ編纂:長野大学前川研究室) ★
小県郡上田町全図(PDF)1.3MB
2021-01-10
41
上田市の観光資源
別所温泉誌
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域資料アーカイブ 上田市は観光地というイメージがある。 上田市にどのような観光資源があるのかを調査。利用方法や客層を調査しました。 上田の観光資源といえば別所温泉。この資料には別所温泉、別所村の地理と歴史の概要が記されています。 この本は明治時代に刊行されており、当時から観光地として発展していっていたほか、湯治を行う場所として医療の面でも大いに利用されていたことが正しい入り方、利用の仕方を本の中で解説されていることから詳しく理解できます。
2020-12-18
42
常田館製糸場
明治時代からの建物が現在に至っており、当時の様子が伺える。繭を大量に保管しており、蚕糸業において重要な役割をしていたのだろう。
2020-11-19
43
常田館製糸場-2
常田館製糸場にある木造繭蔵。この繭蔵は、国内では最高層の木造五階建繭倉庫で、1905(明治38)年に建てられた。建物では蚕種の均等な製造を行うため、窓を四重にするなど蚕の徹底的な管理が施されており、品質向上に向けて努力した後が伺える。
2020-11-18
44
常田館製糸場-1
常田館製糸場の看板。常田館製糸場は、1900(明治33)年に諏訪郡平野村(現岡谷市)出身の笠原房吉によって創業され、以後100年以上にわたって製糸業の隆盛、そして衰退の中で残った貴重な建造物となっている。そのため、2012(平成24)年には国指定重要文化財に登録されている。
2020-11-18
45
常田館製糸場
常田館製糸場は明治33年(1900年)創業の製糸工場で、敷地内には施設15棟が現存しており、そのうち明治から大正時代にかけて建てられた7棟が平成24年に国の重要文化財に指定されている。実際に無料でいくつかの建物を見学することができ、ところどころに繭が置いてあった。木製の床はかなり老朽化が進んでいるためか危険なところもあり、良くも悪くも歴史を感じられる建物だった。
2020-11-17
46
【大正の遺産】常田館製糸場 外観
上田駅に沿って東に進むとある上田市に残る遺産の1つです。 入ってすぐの事務所を通して、無料で見学可能です。 外観は周りの建物と比較しても明らかに古いもので、ここだけ100年前からほぼ変化していないことが伺えました。 内観は別の記事で投稿しています。
2020-11-17
47
生島足島神社 大鳥居
生島足島神社より東に位置する大鳥居。 明治時代中頃に立てられ、移設を行い現在の位置に立っている。
2020-11-06
48
下之郷公民館
公民館の前には立派な松の木があり、建物の古さから歴史を感じました。公民館敷地内にある鐘楼は明治初めの廃仏毀釈により生島足島神社境内にあったものをこの地に移したそうです。この地区のみなさんが大切にしていることが伝わります。以前旅の途中で立ち寄ったことがあり、懐かしく感じました。
2020-11-06
49
馬肉うどん
上田駅のすぐそばにある、「なかむらや」 店の看板商品は「肉うどん」と呼ばれる、馬肉うどんです。明治21年創業の老舗食堂。 お昼時を少し過ぎての入店でしたが、お店にはひっきりなしにお客さんが来ていました。 お店の中は、ずっと「いらっしゃいませー」と「肉うどん入りまーす」の店員さんの声が響いていました。 変わらない味、その地元ならでは味を楽しめました。
2020-11-01
50
〼屋 宮原庄右衛門(日本博覧図1897所載)
『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「〼屋 宮原庄右衛門」はその一つである。 〼屋 宮原庄右衛門は現在のますや旅館(青木村田沢温泉)である。
2020-09-25
51
日本三所信濃長谷観世音全図(日本博覧図1897所載)
『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「日本三所信濃長谷観世音全図」(長谷寺)はその一つである。
2020-09-25
52
延喜式内子檀嶺神社境内全図(日本博覧図1897所載)
『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「延喜式内子檀嶺神社境内全図」はその一つである。
2020-09-25
53
西内村 斎藤弥惣太(日本博覧図1897所載)
『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「西内村 斎藤弥惣太」はその一つである。
2020-09-25
54
呉服太物商 瀬川清兵衛(日本博覧図1897所載)
『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「呉服太物商 瀬川清兵衛」はその一つである。
2020-09-25
55
松平神社之図(日本博覧図1897所載)
『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「松平神社之図」はその一つである。
2020-09-25
56
丸山平八郎邸宅(日本博覧図1897所載)
『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「丸山平八郎邸宅」はその一つである。
2020-09-25
57
常磐城 西構山向源寺(日本博覧図1897所載)
『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「常磐城 西構山向源寺」はその一つである。
2020-09-25
58
大輪精舎之図(日本博覧図1897所載)
『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「大輪精舎之図」はその一つである。 タイトルには「長野県信濃国 大輪精舎之図 小県郡上田町」と記されている。 大輪寺(大輪精舎)は、真田昌幸による上田築城に伴い、砥石城の麓の畑山から移されたと伝えられている。大輪寺には真田昌幸の妻寒松院の墓がある。 参考資料:『上田市誌』第9巻「真田氏と上田城」2002年
2020-09-25
59
信濃蚕種組合事務所外部及内部之図(日本博覧図1897所載)
『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「信濃蚕種組合事務所外部及内部之図」はその一つである。 信濃蚕種組合は1889年(明治22年)、藤本善右衛門(塩尻村)、工藤善助(丸子村)、田中忠七(上田町)、倉島弥平(神川村)、佐藤郡三(県村)の5人が発起人となって上田小県全域の蚕種製造家と販売業者が一緒になって結成した。良質の蚕種の製造と販売を保つため、蚕病検査、種繭の処理法、採桑の規定を設けて組合員に遵守させた。組合長の藤本善右衛門らは長野県に検査所を設ける運動を起こし、国会にも要請し1897年(明治30年)、蚕種検査法が成立した。その結果1898年(明治31年)、小県郡蚕種同業組合が設立された。1897
2020-09-24
60
蚕種製造酒類醸造 沓掛権右衛門(日本博覧図1897所載)
『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「沓掛権右衛門」(旧塩尻村下塩尻)はその一つである。 沓掛権右衛門は、沓掛家当主が代々受け継いできた世襲名である。 図版「沓掛権右衛門」のタイトルには「蚕種製造酒類醸造」と添えられている。図からは1897年当時は手前が蚕種製造所、その奥が酒類醸造所であったことがわかる。現在は種類醸造所となり、建物は殆どが建て替わっている。図右端の建物のみ現在の建物と形状がほぼ一致する。ただし敷地の後方には虚空蔵山の裾野が迫っており、この図に描かれたような広大な姿であったかどうかは検証がいる。 なお、図版中のアルファベット記述は全てヘ
2020-09-24
61
佐藤尾之七邸宅(日本博覧図1897所載)
『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「佐藤尾之七邸宅」(旧塩尻村上塩尻)はその一つである。 佐藤尾之七(さとうおのしち)家は、江戸時代から上塩尻村(現在の上田市上塩尻)で代々蚕種製造業を営んできた佐藤本家の分家に当たる。1727(享保12)年、本家から分家し六代嘉平次を襲名して上塩尻村の庄屋を営んでいた。尾之七は佐藤本家の当主であった藤本善右衛門縄葛(つなね 1815-1890)の四男で、分家の佐藤嘉平次家の養子となった。尾之七は1908年、佐藤本家を宗家とする佐藤一族が共同出資して発足させた藤本蚕業合名会社の設立に中心的に関わった。大正期、上田蚕種株式会社の社長となり、蚕種業界の
2020-09-23
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藤本善右衛門邸宅(日本博覧図1897所載)
『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「藤本善右衛門邸宅」はその一つである。 藤本善右衛門(ふじもとぜんえもん)は江戸時代から上塩尻村(現在の上田市上塩尻)で代々蚕種製造業を営んできた佐藤本家当主の世襲名である。昌信(まさのぶ 1773-1822)に始まり、保右(やすすけ 1793-1865)、縄葛(つなね 1815-1890)、信汎(のぶひろ 1850-1905)が藤本善右衛門を襲名した。 「藤本善右衛門邸宅」は、佐藤本家の邸宅である。佐藤本家は「藤本」を屋号としていた。1897年当時の当主は信汎(のぶひろ、1850~1905)である。 邸宅跡は現在は更地となったが、藥井門(1932頃再建)、外塀が残っている。 〔図版は上田市立博物館所
2020-09-17
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小諸郵便局発祥地モニュメント
(発祥の地コレクションの小諸郵便局発祥地のページ参照) 小諸市本町二丁目の武重医院西隣に、「小諸郵便局発祥地」と書かれた駒札風の木製の碑と「書掟集箱」と書かれた箱が置かれている。 1871(明治4)年に近代郵便制度が制定されると,全国各地に郵便取扱所が設けられた。郵便取扱所は地方の地主など有力者が任命されることが多く,ここ小諸では この地で“巴屋”という旅籠を営んでいた小山六左衛門氏宅に最初の郵便取扱所が設置された。 碑文 小諸郵便局発祥地 明治五年七月一日小諸郵便取扱所がこの地に開設され以来百二十年を記念してここに記念碑を設置する 平成四年七月一日 小諸郵便局長 参考 発祥の地コレクション 小諸郵便局発祥地 https://840.gnpp.jp/komoroyubinkyoku/
2020-09-14
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高峯財産区、高峯土地改良区記念碑
菱野の入村の高峯財産区(旧大里村有林を管理する組織)の山林の中、通称ヤカタの峯と呼ばれるところに、高峯財産区、高峯土地改良区の記念碑が建てられています。 https://ja.monumen.to/spots/7378 記念碑 高峯の陽に茂る山林は古くは小諸藩に属し、明治の維新に際して国有に帰せり。朝夕仰ぎて恵澤に浴せし村民は、その払下げを願うこと宛も父を親うが如し。昭和二十七年漸くにして二千百万円を以て六十余町歩の国有林を大里村に払下げられ、更に廿余町歩の農地改革開墾附帯地の賣渡を受けたり。宿願達成の喜や襞うるに物なし。廿九年同村は、小諸町他四ケ村と合併して市制を施くに当たり、同村は高峯財産区と命名されて旧村の保有となる。この山麓に女堰と称するあり。慈母の如く大地を育みて年を経たり。昭和廿八年之が改修の費を財
2020-08-24
65
真田十勇士小型像 現代アニメチック風に
この像は真田十勇士の望月六郎蔵である。真田幸村と共に活躍したという真田十勇士は立川文庫が明治末に創作したヒーローである。 望月六郎は見てわかるように火遁が得意。早くから真田親子に従い影武者をした経験もある。 あの大河ドラマ真田丸でも活躍した経歴をもつ。 私はこの像が街中の交差点にあったとしても一際存在感を放つものであったと感じた。
2020-08-07
66
鷹匠町の街並みと人物
鷹匠町は、江戸時代真田正之の松代移封後の、仙石氏の時代に生まれた武士の町であるが、犬公方といわれた5代将軍徳川綱吉の生類憐みの令により翻弄された面もあったと聞くが、武家屋敷の絵図面に鷹匠、餌指と鷹匠町の地名が付されて来た。明治21年(1888年)できた信越線上田停車場から海野町に繋がる松尾町が独立したが、河岸段丘上の鷹匠町は蚕都上田を象徴する人物宅跡もあり、江戸時代から残る坂地名等の街並みや小路の風情を歩いて見ませんか?
2020-07-26
67
菱平農事実行組合 共有土地維持略歴
菱野区の旧公民館に掲げられていた共有土地維持略歴 ・明治維新により地域の共有林が国有林に編入されたこと、 ・図面作成の請負手となった区民が請負人の立場ではあったが、村民の利益を失うことに異を唱えたこと、 ・国の官吏との折衝に苦労してほぼ主張が認められたこと、 ・菱野区後平区の名義で登記できず、六人の共有名義としたこと、 ・1932年(昭和7)産業組合法が改正され昭和8年農事実行組合が組織されるに当たり、その名義としたこと、 ・菱野公会堂(旧公民館)新築に当たり、共有林からの材木を使ったこと、 ・将来に向かって愛郷の念が益々高まることを祈っていること がわかる。 菱平農事実行組合 共有土地維持略歴 大里村大字菱平字宇坪入 一四六八番イ号
2020-07-26
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信州上田から夢を追った山本鼎
明治大正昭和を走りぬいた美術家山本鼎は、大正8年に児童自由画運動・農民美術運動をこの神川村の神川小学校から始めた。両運動は大正デモクラシーの風にのり、長野県下をはじめ全国に広がった。両運動を支えた上田の人々上田の風土についての興味は尽きない。 今回は鼎の児童自由画に焦点をしぼり、鼎の自由画思想がどのように広まっていったのか、児童はどのように反応したのか関心を寄せてみたい。 地図は山本鼎の作品展示のサントミューゼ上田市立美術館です。
2020-07-24
69
龍野咲人
詩人 明治 44 年~昭和 59 年(1911~1984) 明治 44 年小県郡川辺村築地(現上田市築地)に生まれる。 本名 大久保幸雄。 地元の校歌の作詞も多く手がけている。 小諸市立芦原中学校校歌 小諸市立美南ガ丘小学校校歌 小諸市立水明小学校校歌 長野県小諸高等学校校歌 佐久市立平根小学校校歌 上田市立丸子北小学校校歌 山ノ内町立東小学校校歌 上田市ホームページより https://www.city.ueda.nagano.jp/uploaded/attachment/13662.pdf
2020-07-21
70
旧小県蚕業学校の校歌
2017/01/28投稿、マイブログからの転載。 長野大学に赴任した最初の年、まだ蚕都上田や小県蚕業学校などの予備知識がなかった頃、上田東高校を視察で訪れ、たまたま目にしたこの校歌に驚愕しました。「校基百年」碑の裏面に刻まれています。 作詞 土井晩翠 作曲 岡野貞一 小県蚕業学校は1892年の創立です。明治以後の唱歌で最も著名な作詞家、作曲家の名前を見て、何という歴史のある学校かと。さらには歌詞がただ事ではない。 3番まで歌詞がありますが、2番の歌詞は少し来るモノがあります。 ♪国の富増し 世を利する わが蚕業の 尊きを あけくれ常に 胸にして 青春の子ら 励み合う 富国の中核産業であった蚕業を担う人材を育成する使命が謳われています。蚕業の尊さを明けても暮れても胸にして励まし合う。土井
2020-07-18
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上塩尻元宿・蚕室民家の佇まい、清水さん宅
2018/11/05、上塩尻・元宿の清水さん宅を訪れました。元宿は上塩尻の中心である北国街道沿いの大村とは違い、千曲川沿いの平坦な土地に広がる区域です。かつて千曲川の大洪水により壊滅的な被害を受けた歴史的背景があります。その一方で、千曲川の上流から運ばれる肥沃な土砂が桑の栽培に適し、この地の蚕種製造を育みました。この条件は千曲川沿いに広がる下塩尻にも共通しています。 清水さん宅の主屋は上田市の調査資料によると明治28年に建てられたらしい。蚕種製造民家の多くが明治20年代に建てられています。門の構えも立派です。中庭も丁寧に手入れがされて、屋敷全体の佇まいが美しい。家の品格というものを感じます。 清水さん宅の敷地からは上塩尻の中心の集落が遠望できます。背後に虚空蔵山系の山が一望できます。蚕種製造
2020-07-18
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藤本善右衛門縄葛の『続錦雑誌』
類まれな蚕種製造家の一人、藤本善右衛門縄葛(つなね)(1815~1890)は、明治10年頃に隠居してから亡くなるまでの十数年間にわたり、『続錦雑誌』(しょくきんざっし)(全89冊)を記し残しています。 『続錦雑誌』隠居時代の教養ある学びの綴りと言ってもいい。現在で言う生涯学習です。さらに今風に言うなら「学習ポートフォリオ」です。知的関心が多方面に及び、その内容は博物学的に多様です。その多くは何らかの書から書き写したもののように見えます。絵の表現力にも感心します。当時の蚕種製造家は蚕種製造技術にたけているだけでなく、豊かな教養も身に付けていることが求められていました。杉仁氏の研究書『近世の地域と村落文化』(2001年)では、上塩尻村の蚕種製造家たちと村落文化についての言及がされています。豊かな教
2020-07-18
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上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する
2018/08/18、上田市上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する会を開きました。長野大学前川研究室、上塩尻自治会、上塩尻今昔の会の連携で実施したものです。地元上塩尻の方々を中心に、建築や歴史文化の専門の方などが加わり20名ほどが参加しました。 幕末から近代にかけて日本の産業を牽引した蚕糸業の中でも、長野県は蚕糸王国と呼ばれるほどに近代日本の殖産興業に貢献をしました。その中で上田小県は蚕都上田と呼ばれ、その中心地の一つでした。とりわけ上塩尻を中心とした塩尻地区は蚕種製造の一大中心地となり、江戸時代から幾人もの優れた蚕種製造家を輩出した他、各家が蚕種製造業を営んでいました。その当時の蚕種製造民家は現在もなお数多く残り、「蚕種製造民家群」という全国的にも稀有な歴史的景観地区となっています。
2020-07-18
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臼田橋の由来
【もろもろ小諸】臼田橋の由来 本町から相生町に抜ける「おふらや小路」、松井川に架かる「臼田橋」は個人で開道、架橋された。小諸商人の心と力を感じる。由来がレストラン車留夢の入口に掲げられている。 「おふらや新道と臼田橋の由来 明治二十一年信越線が開通した頃は小諸驛へ直行する主要道路がなく、 本町方面から停車場への往来は現在の東電前からパリの湯前を経て筒井町へ抜ける迂回路に頼っていた。 因って明治三十六年当時本町在住の呉服太物商臼田彦五郎義敬が、菱野、六供、本町地区から停車場への交通の便を図るため私有地を開鑿(かいさく)して本町より現在の相生町への開道と中間を流れる松井川への架橋を計画したが、たまたま日露両国の開戦により延計し開道と架橋の完成は明治四十四年七月、道路はおふらや
2020-07-16
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人物69 滝澤助右衛門
梅吉勝成の子、明治十七年八月九日原町舊問屋の家に生る。(略) 上田図書館の大きな誇と謂うべく、氏の力よく之を致せるなり。 『上田市史・下巻(1940)』1104・1105頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌 人物篇
2020-07-15
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人物70 金子馬治
氏は明治三年一月十日小県郡殿城村嘉伊作長男として生る、(略) 『上田市史・下巻(1940)』1289・1290・1291頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌 人物篇
2020-07-15
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上田と生糸貿易-4 ~上田の生糸と世界~
これまでの内容をまとめる。上田は、日本初の生糸貿易を生み出したといえ、生糸貿易は、日本の発展に多大な貢献をした。それに伴い、上田の蚕糸業はますます発展し、第十九国立銀行の設立などといった金融面の発達にもつながった。そして、明治、大正にわたり、日本の生糸生産の3割を占め、「蚕糸王国」と呼ばれる長野県の発展を下支えした。 画像は「常田館製糸場の歴史」より URL:http://www.kasahara.co.jp/kasahara/tokidakan/history.html
2020-07-15
78
上田と生糸貿易-3 ~明治期の信州の蚕糸生産~
明治初期の日本の生糸生産は、富岡製糸場に代表されるように、信州よりも上州(群馬県)のほうがさかんであった。しかし、官営模範工場を通して西洋技術を上州は得られたにも関わらず、その後蚕糸生産の中心は信州に移るのである。それには理由があった。信州では、研修生を富岡に派遣するなどして技術を獲得するだけでなく、その欠点を見直し独自の器械製糸の開発に成功。また、官営特有のコストの高さを見抜き設備投資などでコストを大幅に削減した民営工場を林立させた。その結果、生糸の大量生産に成功し、時代とともにその品質も向上させていったのである。これにより、信州は蚕糸王国を築き上げたのである。 画像は「岡谷シルク」より URL:https://okayasilk.jp/
2020-07-15
79
大里村役場跡碑
碑文 大里村役場跡 小諸市長 塩川忠巳書 大里村役場沿革誌 明治二十二年市町村制実施により大里村発足 諸二〇七番地に役場開設 大正十五年大里尋常高等小学校隣接地諸字矢鼻 二六番地ー二近代的役場新築 昭和二年新役場により事務執行 昭和二十九年市町村合併法により小諸町になる 同 年四月小諸市となり諸支所となる 昭和三十八年諸出張所となる 昭和四十四年諸出張所廃止 平成四年三月吉日記念碑建立 記念碑建立実行委員会
2020-07-13
80
上田と生糸貿易‐2 ~蚕種の大量輸出~
蚕種は蚕の卵を指す。幕府は民間人の蚕種輸出を禁じていたが、横浜港開港当初より、蚕種の密輸が横行した。そのため、1865年に幕府が民間人の蚕種輸出を認めると、蚕種輸出はますます盛んになり、相場も高騰していった。このような背景としては、当時ヨーロッパに蔓延していた蚕の微粒子病の存在があった。ヨーロッパ諸国はこれにより良質な蚕種を求めていたのだ。長野県では上田が特に蚕種の生産地であり、上田は明治初期には実に日本の3分の1を生産していたという。このような蚕種輸出の高騰状態は、1870年の普仏戦争の勃発により沈静化し、その後暴落の一途をたどってしまうが、上田の蚕糸業がこれをきっかけに発展したことは想像に難くないであろう。 画像は「蚕紙」wikipediaより URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9A%95%E7%B4%99#/media/%E3%83%95%E3%82
2020-07-08
81
『上田老舗図鑑』(滝澤主税編)画像データ
ページ番号は表紙からの通し番号になっています。それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。
1ページ
表紙
2ページ
3ページ
4ページ
目次
5ページ
監修のことば
6ページ
7ページ
上田老舗図鑑 序文
8ページ
2020-06-28
82
『上田市史・下巻』2/2(1940年)画像データ
ページ番号(画像の連番)は表紙からの通し番号になっています。それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。
1ページ
表紙
2ページ
目次
3ページ
4ページ
5ページ
6ページ
7ページ
8ページ
9
2020-06-28
83
『信濃蚕糸業史・中巻』(1937年)
『信濃蚕糸業史・中巻』(1937年)
1258頁/容量 89MB ダウンロード表示には時間がかかります。
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目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次> 蚕種篇 第一章 蚕種製造業の発達 第二章 蚕種販売 第三章 蚕種業の奨励 第四章 蚕種業に関する組合の起源及其変遷 第五章 江戸時代に於ける蚕種に関する法規の変遷 第六章 明治時代に於ける蚕種規則の変遷 第七章 蚕種検査 第八章 きょうそ駆除 第九章 蚕業取締事務機関の変遷 第十章 国立原蚕種製造所松本支所設置の沿革 第十一章 蚕品種の変遷附蚕品種整理に関する
2020-06-24
84
常田館製糸場
常田館製糸場は1900年(明治33年)から約120年間操業しましたそして、明治日本の産業遺産として現存する建築物の歴史的価値が評価され、現在は国の重要文化財に指定されています。 。そして、常田館製糸場のほかにも上田市には糸に関連した町や遺産があることが分かった。
2020-06-23
85
第十九国立銀行について-3
黒澤鷹次郎像。黒沢 鷹次郎(嘉永2年(1850年) - 大正8年(1919年)1月27日)は、明治-大正期の銀行家で、明治10年(1877年)に第十九国立銀行の設立に参加した。黒沢鷹次郎は当時の常識を破り動産(原料繭)担保の融資で製糸業者を支援し、また、債権の保全と繭の品質向上のため、明治42年(1909年)1月、自ら諏訪倉庫建設に着手するなど、製糸業発展に貢献した。第1次世界大戦の後、不況に見舞われた岡谷の製糸業界は黒沢の金融政策によって救われ、更なる躍進を遂げた。
2020-06-22
86
『信濃蚕糸業史・上巻』(1937年)
『信濃蚕糸業史・上巻』(1937年)
1077頁/容量 129MB ダウンロード表示には時間がかかります。
★
目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次> 栽桑篇 第一章 桑園の期限及発達 第二章 桑品種の変遷 第三章 桑苗生産の変遷 第四章 栽培法の桑栽培法 第五章 桑樹仕立法の変遷 第六章 桑園肥料 第七章 歩桑々園の発達 第八章 夏秋蚕専用桑園の期限及発達 第九章 桑葉売買 第十章 桑園災害 第十一章 桑園の消長 第十二章 桑園経済 第十三章 桑園改善に関する本県当局の施設 第十四章 桑園の分布 第
2020-06-21
87
『上田老舗図鑑』(滝澤主税編)
滝澤主税編『
上田老舗図鑑
』(2004年)
461頁/容量 73MB 本資料は著作権継承者の承諾を得てネット公開しています。
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目次と奥付(抜粋・PDF)
<主な収録史料> 長野県地誌草案(1877 明治10) 上田街諸名家一覧表(1891 明治24) 上田市別所 田沢 沓掛 温泉 温泉電車案内並ニ塩尻 全図(1922 大正11) 上田市街宅地軽便地図(1924 大正13) 『信州民報』掲載上田の老舗( 1955 昭和30~) <奥付> 上田老舗図鑑改訂版 編者 滝澤主税 監修 小山一平 発行 長野県地名研究所 発行日 2004(平
2020-06-21
88
梅花幼稚園(蚕都まちあるき2008)
梅花幼稚園は1900年(明治33年)創立。現在の園舎は1902年竣工。園舎としては日本で2番目に古い。 解説:小野寺芙美子さん(梅花幼稚園園長=当時)
蚕都上田まちあるき2008 (企画・制作:蚕都上田プロジェクト) 2008/10/25の記録
2020-06-19
89
第十九国立銀行について-1
第十九国立銀行跡(現在の八十二銀行上田支店)を示す説明文。第十九国立銀行は、1877年(明治10年)、長野県の佐久地方の豪商であった黒沢鷹次郎らを中心に設立され、養蚕、生糸事業を中心に事業を拡大した。明治から昭和の初めに至るまで、長野県はわが国の生糸生産量の約3割を占め、外貨獲得に多大に貢献するが、第十九国立銀行は、金融面において生糸商人を支え続けた。
2020-06-16
90
旧宣教使館
旧宣教使館は明治37年に、カナダ・メソジスト派新参町教会の婦人宣教師の住宅として建てられた。 この建物には、イギリス系の開拓者によって成立した「アーリー・アメリカン様式が用いられている。
2020-06-12
91
縣諏訪神社
縣諏訪神社は、明治までは諏訪社という名称でしたが、諏訪社が旧縣村にあったことから、明治11年に縣諏訪神社と改称されました。縣諏訪神社と境内にある伊豆宮公園は私が小学生の時によく訪れた場所で、懐かしかったため撮影しました。木の揺れる音や鳥の鳴き声が聞こえる自然豊かな場所です。
2020-05-26
92
明治時代を体感!旧中込学校
佐久市に現存する擬洋風学校である。明治8年に完成し、日本国内に現存する擬洋風学校としては最も古い建築物の1つでもあり、長野県宝・国重要文化財に指定されている。また、敷地を含めて国史跡にも指定されている。移築や改変等が少ないため、当時に近い姿で残っている点が特徴であり、気軽に明治の雰囲気を感じる事ができる。 正面から見て横長でなく縦長な形をした校舎、八角形の塔の部分には太鼓が吊るされている点が興味深い。他にも、カラフルなガラスが目を引き、魅力を感じる。
2020-05-26
93
小諸宿本陣主屋
小諸宿本陣主屋は、慶長16年に設けられた小諸宿の建物で、参勤交代や善光寺参拝の旅人の交通の要として、隆盛を極めました。参勤交代の際には、大名も休泊したそうです。 その後、明治11年に佐久市に移転されましたが、平成9年に再び小諸市に移転され、現在は歴史資料館となっています。
2020-05-26
94
真田神社
立派な鳥居の真田神社。上田市民のお散歩コースの一角になっている。上田城跡公園内にあり、境内には真田井戸と呼ばれる井戸がある。 歴代の上田城主を合祀し上田城跡守護の由緒ある神社として地域住民に愛されている。 大学入学を祈願し、ここを訪れることも。 神社としての威厳を保ちつつ、現代要素も感じる。
2020-05-26
95
上田警察署保野分署跡
明治11年からこの場所にあった警察分署跡。塩田平のほぼ全域を管轄していた。 標柱には「明治一十一年まで」と記載があるが、不自然な表記であるため、字が消えてしまった可能性がある。本来は明治21年か31年までと記されていたのではないか。 消火栓の「長野縣」という文字からも歴史のある一角であることが読み取れる。今でこそ閑静な住宅街だが、かつては警察が置かれるほどの主要な場所であったことが興味深い。 ただの民家が地域の治安維持のための拠点だったとは想像もつかないだろう。「え?こんなところに?」と思わずにはいられない。
2020-05-26
96
楽茶レンガ館
明治時代に流行した施釉煉瓦がとても美しい建物となっております。 この建物は現在「楽茶レンガ館」というレストランとなっています。明治45年では信濃中牛馬合資会社」という運送会社でした。その後、国登録有形文化財になり、昭和34年に善光寺郵便局になりました。平成に入ってからは長野市物産館として様々な人に親しまれてきましたが物産館は閉鎖となる。そして現在、フレンチレストランとして地元の方々から愛されています。
2020-05-26
97
海野町商店街
海野町は今から420年ほど前に誕生し、江戸時代には、北國街道上田宿の宿場として繁栄しました。明治時代、上田駅開業に伴い、海野町の商圏が拡大され、街が賑わい、上田の中心街となりました。 今でも新しい店舗が次々設置されています。
2020-05-26
98
静岡浅間神社
徳川家康とゆかりが深い神社で、徳川幕府の指示によって造営されたものです。静岡を代表するお祭りの1つである廿日会祭が開催される神社として知られています。 明治時代に別々の家で管理されていた3つの神社が、1つの神社となったことが面白いなと思います。
2020-05-25
99
雪国高田の雁木通り
場所:新潟県上越市 雁木(がんぎ)とは、家の前に出した庇(ひさし)のこと。私の住む新潟県上越市では多い時には8メートル以上と昔から記録的な大雪が降るまちで、積雪時に道路を確保するために道路沿いの家々が庇を伸ばしたことで雁木通りができました。 雁木は高田を発祥に江戸時代からつくられましたが、火事の延焼を恐れて明治以降は減少しました。 しかし積雪量の多い高田地区には、現在も雁木が残っており、その長さは16キロメートルにもなり日本一と言われています。 雪国だからこそ生まれたこの知恵を大切に今後も残していきたいと思います。
2020-05-25
100
久能山東照宮
晩年を駿府で過ごした徳川家康が埋葬された神社で、国宝にも認定されています。明治時代以降50年に一度社殿を始めとした諸建造物の漆塗り替えが行われています。 東照宮までには1159段の階段があり、「いちいちご苦労さん」と呼ばれていることに市民の親しみを感じます。
2020-05-25
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